先住民族関連ニュース

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アイヌ文化 タイで発信 現地タレントら魅力紹介

2019-11-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/19 05:00
 【バンコク森奈津子】アイヌ民族の文化を発信するトークショーが17日、タイ・バンコクの大型商業施設で開かれた。タイのアイドルグループ「BNK48」の元メンバーでタレントのJAN(ジャン)さんらが北海道旅行で感じたアイヌ文化の魅力を紹介した。
 来年4月に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が胆振管内白老町に開業するのを前に、道が、道内への観光客が増えているタイでもアイヌ民族への関心を持ってもらおうと主催した。約80人のタイ人らが参加し、立ち見も出た。
 会場には、JANさんのほか、モデルなど3人のタイ人が登壇。4人は道の招待で訪れた二風谷アイヌ文化博物館(日高管内平取町)や阿寒湖アイヌシアターイコロ(釧路市)などを写真を使って紹介した。JANさんは、アイヌ民族の楽器ムックリについて「1本のひもで、あんなに魅力的な音色が出せるなんて感動した」と語っていた。
☆阿寒湖アイヌシアターイコロのロは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/366035

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白老町にアイヌ文化発信カフェ

2019-11-19 | アイヌ民族関連
NHK 11月18日 18時51分
アイヌ文化を発信する拠点「ウポポイ」の建設が進められている胆振の白老町で、アイヌ文化に親しんでもらおうというカフェがオープンし、話題を集めています。
白老町のコミュニティセンターの一角にことし6月にオープンしたこのカフェは、白老アイヌ協会が運営し、アイヌ語で「広げよう」という意味の「ピラサレ」と名付けられました。
カフェの店内ではアイヌの手工芸品を展示・販売しているほか、ランチでは地元でとれたサケや野菜をふんだんに使ったアイヌ伝統の家庭料理「オハウ」なども味わうことができます。
カフェでは今月16日、地域に根づくアイヌ文化を語り継ぐイベントが開かれました。
語り手は、カフェを運営する白老アイヌ協会理事長の山丸和幸さん(71)で、自身の経験や長老たちから教わったことを若い世代に伝えました。
山丸さんは「アイヌの食べ物ってこうなのか、白老のアイヌ文化ってこうなのかと感じてもらえる場所になれば」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20191118/7000015429.html?fbclid=IwAR1gU-s1w3AzHAu-sz5ZJerb1Ij12s_Gt4CQ3X5AXlvArMbKqsp76N0O9p4

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言語学習アプリ「Drops」、「アイヌ語」学習コンテンツをリリース

2019-11-19 | アイヌ民族関連
ICT教育ニュース 2019年11月18日

言語学習アプリ「Drops」は15日、UNESCOの国際先住民族言語年(IYIL2019)の活動の一環として、「アイヌ語(北海道南部の白老方言)」の学習コンテンツをリリースした。
Dropsでは、世界で消滅の危機に瀕している言語について、現地の通訳者や地域団体、有識者と協力し、各言語の学習アプリを開発して学ぶ機会を提供することを通じて、文化を守っていく活動を支援している。
同社とIYIL2019では、世界で消滅の危険が高いとされる言語に関し、その言語の消滅のスピードやその国で実施されている言語の保護活動について調査し、デジタル化が可能かどうかの検証を行ってきた。その結果、アイヌ語が依然として憂慮すべきスピードで消滅に向かっていることがわかり、今回、Ainu on Dropsをリリースすることとなった。
Ainu on Dropsは同社とIYIL2019、北海道大学アイヌ・先住民研究センターが協力し、約半年間をかけて開発してきた。今回収録した252のアイヌ語(白老方言)のフレーズは、アイヌ民族の大学教員であり翻訳者でもある北海道大学アイヌ・先住民研究センターの北原モコットゥナシ准教授と、アイヌ語の入門講座で講師を務めている山丸賢雄氏により選定・翻訳・収録されたもので、アイヌ文化特有の表現である「トンコリ(弦楽器)」や「チセノミ(新築祝い)」など、アイヌの文化や言語にとって重要なフレーズも収録した。
https://ict-enews.net/2019/11/18drops/


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新潟空港、アイヌ文化魅力発信のリレー展示を開催

2019-11-19 | アイヌ民族関連
FLY Team 2019/11/18 18:55 - ニュースカテゴリー: イベント

アイヌ文化魅力発信の展示
新潟空港で2019年11月17日(日)まで、2階出発ロビーでアイヌ文化に関する展示を実施しました。「アイヌ文化魅力発信」を目的に、国内空港や各駅でリレー展示を実施しています。
展示は、2020年4月に一般公開を迎える民族共生象徴空間「ウポポイ」と国立アイヌ民族博物館を紹介し、アイヌ伝統工芸品の展示パネルを設置ました。「ウポポイ」は、北海道白老町に建設されている国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設などからなるアイヌ文化復興・創造の拠点「民族共生象徴空間」の愛称で、アイヌ語で「歌うこと」を意味します。
「ウポポイ」は、新千歳空港から高速道路利用で約40分のところにあり、入場料は大人1,200円、高校生が600円、中学生以下は無料です。2020年4月24日(金)から営業を開始、月曜日と年末年始が休業日ですが、月曜日が祝日または休日の場合は翌日以降となります。
期日: 2019/11/17まで
https://flyteam.jp/news/article/117883

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【お城探偵】沖縄・首里城火災を受けて 豊かな歴史、多様性映す象徴 千田嘉博

2019-11-19 | ウチナー・沖縄
産経新聞 2019.11.18 07:15
 10月31日未明に発生した首里城の火災は、正殿をはじめ北殿、南殿、二階御殿(ニーケーウドゥン)といった6棟を焼き尽くし、御庭(ウナー)への正門であった奉神門の北側部分などを焼いて、同日昼すぎに鎮火した。まず、沖縄の皆さまに心からお見舞い申し上げたい。そして首里城を守ろうと、懸命な消火活動に取り組まれた方々に感謝したい。
 私もあの朝、ニュース速報が伝える火災の様子を見て涙を流した。首里城は沖縄の歴史と文化を象徴するとともに、日本の城の多様性を物語るかけがえのない存在である。30年もの年月をかけて復元を進めた首里城主要部を火災で失ったことは残念でならない。
 一般に日本の城といえば「本土の城」を思い浮かべる人が多いだろう。日本列島には北海道を中心にアイヌの人びとが築いたチャシがあり、本州・四国・九州には大和スタイルの城、沖縄・南西諸島にはグスクがあった。ひとつの国の、重なり合う時代に、これほど多様な城があったのは世界的にもまれで、城は私たちの国の歴史の豊かさをみごとに反映している。
 グスクは名護市の名護城(ナングスク)のように、もともとは土造りで、14世紀頃に琉球石灰岩を用いた石垣の城へと進化した。同時代の大和スタイルの城は、楠木正成(くすのき・まさしげ)が築いた千早(ちはや)城や赤坂城などのように土造りの山城で、大和スタイルの城が石垣を導入したのは16世紀。日本列島最初の石垣の城は、織田信長や豊臣秀吉のはるか以前のグスクなのである。
 14世紀から15世紀にかけた石垣のグスクの発達は目覚ましく、今見る主要なグスクはこの時期に成立した。グスクは建物配置や石垣の壁で守った点に、東アジアの大陸の城との共通性をもつが、決して大陸の城の模倣ではなかった。
 大陸の山城は土や石の壁で城を囲んで守ったが、壁と城内の平場は一体ではなかった。それに対し、グスクは基本的に城壁とそれで守った城内平場が一体化していて、本州などの大和スタイルの城と共通した。
 つまり、グスクは東アジアの大陸の城と、大和スタイルの城の優れた点を併せ持つ城だったのだ。そして琉球を統一した尚(しょう)氏が、石垣のグスクの集大成として15世紀に首里城を築いた。首里城は安土城や大坂城、江戸城と並ぶ、もう一つの天下人の城だった。
 首里城は正殿に至るまでに、歓会(かんかい)門、瑞泉(ずいせん)門など多数の門を連ねたが、これらは「枡形(ますがた)」と呼ぶ、門と広場を組み合わせた防御施設だった。中枢部を守った連続枡形の防御空間は、江戸城にも認められた。つまりグスクと大和スタイルの城は守りの方法にも共通性も備えた。そして、注目すべきは首里城が江戸城よりもおよそ100年も前に、複雑な連続枡形を実現した先進性である。
 火災で失われた首里城の再建は、決して沖縄だけのことではなく、城を通じて私たちの国の歴史の多様性と豊かさを取り戻すことだと思う。一日も早い首里城の復興を願いたい。 (城郭考古学者・千田嘉博)

【用語解説】首里城
 標高100メートルほどの珊瑚礁の丘の上に築かれた琉球王朝の王府。15世紀に琉球を統一した尚巴志(しょうはし)が付近を首都に定めたころから、現在の規模になったとされる。1879(明治12)年の琉球処分で王国が途絶えた後も建物は残り、1925(大正14)年には正殿が当時の国宝指定を受けた。太平洋戦争ですべての建物が焼失。1958(昭和33)年に守礼(しゅれい)門が復元され、1992(平成4)年以降、正殿などの主な建物が甦った。2000(同12)年に城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界文化遺産に登録された。
https://www.sankei.com/life/news/191118/lif1911180005-n1.html

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