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道南バス、4月からアイヌ語車内放送へ 特急ひだか号など3ルート

2018-02-27 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2018/2/26配信

アイヌ語の録音作業に臨む摩耶さん(右)=21日、室蘭市文化センター
 道南バス(本社室蘭市)は4月1日から、日高地方と苫小牧などを結ぶバス3路線で日本語に加えてアイヌ語による車内放送を流す。アイヌ文化の伝承活動が盛んな平取町内を運行する際にバス停留所名などを紹介し、アイヌ民族や文化に対する理解を深めてもらう。今月21日には室蘭市内で収録作業が行われ、平取町でアイヌ語を学ぶ高校生が地元の方言で録音。事業に関わった国や平取町関係者などが見守り、文化の発信に期待を寄せた。
 同社、内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室(札幌市)、平取町の3者が昨年9月に協議を開始。同町の二風谷アイヌ文化博物館に勤務する関根健司学芸員補、北海道大学アイヌ・先住民研究センター(札幌市)の北原次郎太准教授がそれぞれ協力した。
 関根さんの長女で、アイヌ語弁論大会優勝の経験を持つ高校生3年生の摩耶さん(18)=平取町在住=が録音に参加。「チウレンカレプ ウイナ ヤン」(整理券をお取り下さい)や「イヤイライケレ」(ありがとうございました)など、同町沙流川地区の方言でバス停52カ所と乗車ルールなど17のアナウンスメッセージを表現した。
 作業を見守った関根さんは「抑揚をあまり付けないように」などと助言。北原さんは「車内放送ではアイヌ語にない言葉もあり、もともとある言葉の応用や近い意味の言葉を取り入れた」と述べ、摩耶さんは「日常的に触れてきた言葉を通じ、少しでもアイヌ文化に興味を持ってもらいたい」と笑顔で話した。
 平取町アイヌ施策推進課は、2020年に民族共生象徴空間が白老町に開設することで関心が高まっているとし、「多くの方にアイヌ文化に触れてほしい」とアピール。内閣官房アイヌ総合政策室の担当者はバス事業について「まずは平取町で1年間放送する。他地域の公共交通機関でも放送が自然に流れるよう取り組みたい」と話した。
 対象路線は▽特急ひだか号(日高ターミナル―苫小牧駅前間)▽高速ひだか号(日高ターミナル―札幌駅前間)▽日高富川高校線(富川高校前―日高ターミナル間)。放送はいずれも1日当たり1~3便とし、平取町内の新日東―荷菜摘(になつみ)間で行う。車内にはリーフレットやポスターも設置し、利用者に積極的にPRする。
https://www.tomamin.co.jp/news/main/13275/

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「北海道の名付け親」の情報発信に取り組む 山本命さん 足跡の大きさ感じる /三重

2018-02-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年2月26日 地方版
 幕末にアイヌ民族と協力して蝦夷(えぞ)地を踏破し「北海道の名付け親」と呼ばれる探検家、松浦武四郎(1818~88年)。山本命(めい)さん(41)は、200年前に彼が生まれた松阪市の松浦武四郎記念館で膨大な探検記録の調査と、アイヌを守ろうとした熱い思いの発信に取り組んでいる。
 1994年にオープンした記念館の2代目学芸員を務める。大阪府生まれで小さい時から歴史に興味があり、大学と大学院で学んだが、武四郎になじみはなかった。「たまたま試験があって」就職し、「知れば知るほど足跡の大きさを感じる。アイヌとの心温まる交流がすごく光る」と研究にのめり込む。
 武四郎の著書やユーモラスな絵の分かりやすい展示に人気が高まり、地元の小学校でも授業の題材に。「多文化共生という言葉がよく使われるが、今なお大きな人権課題に当時、たった1人で取り組んだ功績は大きい」と訴える。
残り(全文616文字)〔三重版〕
https://mainichi.jp/articles/20180226/ddl/k24/040/152000c

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北海道の名付け親として知られる探検家…

2018-02-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年2月26日 中部朝刊
 北海道の名付け親として知られる探検家、松浦武四郎の生誕200年を記念したイベント「武四郎まつり」が25日、出身地の三重県松阪市で開かれた。武四郎が幼少期を過ごした生家も公開された。
 武四郎は16歳まで生家で過ごした後、全国放浪の旅へ。幕末にはアイヌ民族の協力を得て蝦夷(えぞ)地を6回にわたり探査した。詳細な地図を完成させ、アイヌとの共生を訴えた。
 生家は2006年に松阪市が親族から購入。耐震対策などを施し、この日から一般公開した。公開前に保存会メンバーが「カムイノミ」と「タプカル」と呼ばれる儀式を行い、安全を祈願した。
https://mainichi.jp/articles/20180226/ddq/041/040/004000c

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松阪 武四郎が生きた環境体感 生誕200年で生家公開 三重

2018-02-27 | アイヌ民族関連
伊勢新聞 2/26(月) 11:00配信
 【松阪】三重県松阪市は25日、修理が完了した同市小野江町の市指定史跡「松浦武四郎誕生地」の公開を始めた。生誕200年に合わせ、約2億6千万円かけて整備した。北海道の名付け親として知られる探検家の「旅の原点」とアピールしている。
 武四郎は1818年、農村に住む武士「郷士」の家に生まれた。紀州藩の飛び地で参宮街道沿い。16歳で家出し、江戸で見つかり帰らされた後、全国を巡り、6回の蝦夷地探査後は明治政府の開拓判官に就き、東京・神田で1888年に亡くなった。
 誕生地には主屋や客をもてなす離れの他、武四郎が書いた記録を保管した土蔵や納屋が並ぶ。旧三雲村が昭和37年に史跡に指定し、現在は市の所有となっている。
 いずれも平屋の主屋(面積約110平方メートル)と離れ(同約60平方メートル)は半解体し、土台や屋根、柱、壁を直した。井戸やかまど、風呂があった場所に昭和期に増築した2階建ては撤去し、しっくいでかまどを復元した。土蔵と納屋は耐震補強を施し、来訪者向けトイレ棟を新設した。庭には武四郎が「従五位開拓判官」と刻んでもらった石灯籠が立っている。
 誕生地は松浦武四郎記念館の近く。入館料百円だが、今月は無料。18歳以下無料。離れは貸し切りで使用できる。
 開館式典でアイヌ衣装に身を包んだ竹上真人市長は、「生家と記念館を周遊して楽しんでいただきたい」と呼び掛け、静内民族文化保存会員と神に祈る儀礼「カムイノミ」で祝った。
同記念館には北海道からの訪問客も多い。今年は北海道命名150年に当たり、道では記念事業を繰り広げている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180226-00000301-isenp-l24


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「ザ・イノウエ・ブラザーズ」がネットを通して生む幸せ -vol.1-

2018-02-27 | 先住民族関連
Fashionsnap2018年02月26日 09:00 JST
アンデスのファクトリーで働く人々(写真=Andes Robert Lawrence)
 デンマークのコペンハーゲンから発信するファッションブランド「ザ・イノウエ・ブラザーズ」。現地で生まれ育った日系2世の井上兄弟が「誇りに思える仕事」を掲げ、04年に設立した。以来、南米アンデス山脈で上質なアルパカの商品を作ってきた。
 力を注ぐのは、先住民であるアルパカ飼育農家の生活が安定する仕組みを作り、彼らの文化と生活様式を守ること。人の幸せを目的にしたビジネスだ。ここでは、テクノロジーが大きな役割を果たしている。
(青木規子)
父親からの教え
 兄の聡はグラフィックデザイナー、弟の清史はヘアデザイナー。ブランド設立前、それぞれが忙しく働くなか、社会の主人公が人間から企業に移っていくのを実感していた。
 大樹は風から動物を守り、水を蓄える。僕らは父からそんな教えを受けて育ちました。企業はある程度大きくなったら、社会に貢献することが大切だという考え方です。世の中の経済重視がどんどん進むなか、父が誇りに思ってくれるような仕事を始めたいと思うようになりました。
 当時はアートや音楽、レストランなどの分野でソーシャルムーブメントが始まった頃。デザインも弱いツールではなかったので、クリエイティブスタジオをスタートしました。重視したのは利益や知名度ではなく、ポジティブなデザインや誇りに思える仕事です。社会を変えるのは難しいけれど、家族や友人が幸せになるだけでもいい。透明で正直なビジネスがしたいから、僕ら自身を指すブランド名を付けました。とはいえ、何をやるべきか悩みました。
内から出るオーラ
 06年、アンデスに住む先住民を紹介された。明るく優しい彼らは、南米で最も貧しい。最高級のアルパカを育てているにもかかわらず、正当な報酬や仕事の仕方を知らないからだ。彼らが知識を持ち、自分たちのデザインの力と組み合わせたら、世界に発信できると考えた。
 仕事を与えるのではなく、時間がかかっても教育に投資しました。チャリティーではなくビジネスにしたかったから。周辺に住む人をセミナーに招待し、毛の正しい刈り方や整理の仕方を教え、良い素材を効率的に準備できれば収入が25%増えることを伝えた。技術が身に着いたら、その代わりに良い素材を僕らが優先的にプロパーで買い付ける。ウィンウィンの関係です。彼らは貧しいからといって見下されることが苦しいと言います。誇りを持てるかどうかがポイントなのです。
 そうしてできたアルパカのストールやセーターには、内から出るオーラがあってかっこよかった。ファッションを本当に理解できたのも、彼らに会ったからなんです。
ネット駆使し、大企業とも対等に
 清史がロンドンのサロンでそのセーターを着て仕事をしていると、ドーバーストリートマーケットのスタッフにぜひ仕入れたいと言われた。08年、「コムデギャルソン」と仕事をしたことで、知名度は一気に高まった。
 自信を持ち始めて、ペルーのアルパカセンターとともに仕事を始めました。でもこれだけでは世界に広げることはできません。大企業でもない僕らがムーブメントを起こせたのはテクノロジーのおかげです。
 今はインスタグラムさえあれば、世界に発信することができる。人と人とを直接つなぐから、お客との距離が近く、目当ての商品が完売していたとしても、みんな改めて買いに来る。オンラインセールスができるようになって、店を持たない人も簡単に販売できるようになりました。
 ECはパーソナルじゃないとかネガティブに考えがちですが、そうじゃない。これまで同じ土俵に立つことすらできなかった大きな企業とも、対等に戦えるようになったのですから。ファッション産業にとってインターネットは最もポテンシャルのあるテクノロジー。金がなくても戦えるツールです。うまく使えるかどうかが重要なのです。(敬称略)
井上聡(いのうえ・さとる=右)1978年生まれ。コペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして活動。清史(きよし)1980年生まれ。ロンドンでヘアデザイナーとして活動。それぞれの収入をブランドの運営に充て、体制を整えてきた。今年はブランドに全ての力を注ぐ構えだ。(写真=Andes Robert Lawrence)(続く)
https://www.fashionsnap.com/article/2018-02-26/inoue-brothers-1/

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