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ザ・イノウエ・ブラザーズ、初の著書を出版──『僕たちはファッションの力で世界を変える』が発売

2018-02-16 | 先住民族関連
gqjapan.jp2018.02.15
タイトルだけ見れば、"なんと大袈裟な……"と思うかもしれない。しかし、彼らは言う。「どこかで、誰かが苦しまなければならないビジネスなんていらない」と。「THE INOUE BROTHERS…(ザ・イノウエ・ブラザーズ)」のふたりに、僕たちが世界を変えるためにできることを訊いた。

THE INOUE BROTHERS…(ザ・イノウエ・ブラザーズ)
デンマークで生まれ育った日系二世兄弟、井上聡(1978年生まれ)と清史(1980年生まれ)によるファッションブランド。2004年のブランド設立以来、生産の過程で地球環境に大きな負荷をかけない、生産者に不当な労働を強いない“エシカル(倫理的な)ファッション”を信条とし、春夏は東日本大震災で被災した縫製工場で生産するTシャツを、秋冬は南米アンデス地方の貧しい先住民たちと一緒につくったニットウェアを中心に展開。さまざまなプロジェクトを通して、世の中に責任ある生産方法に対する関心を生み出すことを目標にしている。兄の聡はコペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして、弟の清史はヘアデザイナーとしても活動。そこで得た収入のほとんどを、「ザ・イノウエ・ブラザーズ」の運営に費やす。www.theinouebrothers.net
──出版の経緯を教えてください。 
聡 2015年の10月に、編集部から「ザ・イノウエ・ブラザーズ」のウェブサイト宛に、僕たちの本を出版したいというメールが届きました。そこには以前、自分たちの活動を紹介してくれた『GQ JAPAN』の記事を読んでアパレル産業の裏側について興味をもち、それがきっかけで『ザ・トゥルー・コスト 〜ファストファッション 真の代償〜』というドキュメンタリーを観て連絡した、と書いてありました。僕たちもその映画は観ましたが、この十数年、服の価格が低下する一方で、人や環境に支払う代償は劇的に上昇しています。そうした生産背景にも関心が高まっているいまだからこそ、井上兄弟の本を出したいし、出すべきだというオファーでした。
──それですぐに引き受けることにしたのですか? 
聡 すぐに断ろうと思ったのですが、直接、僕たちの考えを伝えたほうがいいと思い、来日した際に会う約束をしました。そして2カ月後に、僕ひとりで出版社を訪ねて、「自分たちのソーシャル・ビジネスは、まだ満足のゆく結果が出ていないので、本の出版なんて早過ぎます」と伝えたんです。清史も同意見でした。でも、その後もモヤモヤした気分が続き、なんとなく頭に引っかかっていたのですが、あるとき、僕たちは本を成功の象徴のように捉えていたけれど、それこそが自分たちのエゴなんじゃないかと思ったんです。「ザ・イノウエ・ブラザーズ」がファッションを通じてやろうとしていることを多くの人に知ってもらえるのなら、このオファーにも挑戦するべきなんじゃないかと、考え直しました。
──不安はありませんでしたか?
聡 日本に一度も住んだことのない僕たちは、日常会話はできても、書くのはいまだに苦労します。ましてや、本を執筆するなんて絶対に無理だというのが、最初に断った理由のひとつでした。そこで以前、『GQ JAPAN』で取材してくれた石井俊昭さんのことを思い出し、僕たちのことを執筆してもらえないかお願いしてみようと思ったんです。今回の本のきっかけになった記事を書いてくれた張本人でもあるし、自分たちもその記事を新しい取引先に送るぐらい、僕たちのことをいちばん僕たちらしく紹介してくれるという確信がありました。それで清史に相談したら、それだったらいいんじゃないかという話になり、この依頼を受けることにしたんです。
──そもそもふたりがソーシャル・ビジネスを始めようと思ったきっかけは何だったんですか?
聡 2000年代初め、デンマーク政府は難民の受け入れを拒否して、すでに住み着いている難民も追い出す方針に傾いていました。"自己中心的"な考えで、国が迫害から逃れてきた人たちをシャットアウトしようとしていたんです。そんなとき、街角のビルボードに「難民よ、帰らないでくれ」というメッセージ広告を出して、市民を巻き込んだキャンペーンを展開したのが、僕がとても尊敬しているコペンハーゲンのデザインチームでした。僕も難民排斥には反対の立場だったので、このキャンペーンにはとても共感したし、大きな刺激を受けました。もうひとつのきっかけは、デンマーク人のプロダクトデザイナーが「ライフストロー」をデザインしたこと。世界中の貧困地域では、安全な水を確保できないために、毎年約180万人もの人たちが汚染水による病気で命を落としています。このストローは、内部に装着されたフィルターで汚水を安全な飲料水に変え、そんな問題を解決するために開発されたものでした。そういうことがいろいろ重なって、社会を変革するデザインって、滅茶苦茶カッコいいと思うようになったんです。
清史 いまの経済成長至上主義の世の中は、自分さえよければいいといった自己中心的な考えが蔓延しています。しかも最近では、それがさらにエスカレートしているのが悲しいですよね。でも本当は、ほかの人のことを思って行動すれば、もっと幸せを感じられるはずなんです。それが「ザ・イノウエ・ブラザーズ」のモチベーションになっているし、僕たち自身がそれをいちばん実感しています。ただ、行動に移すには勇気がいります。努力もしなければいけません。でもそこには、ほかでは絶対に味わえない、大きな悦びがあるんです。
──それで、ザ・イノウエ・ブラザーズを設立した?
聡 まえがきにも書いていますが、そのとき父親が生前、語っていたビジネス哲学を思い出して、当時、グラスゴーに赴任していた清史に会いに行ったんです。自分のネットワークと、清史のネットワークを使ったら、結構ユニークなことができるんじゃないかと思って……。とにかく兄弟で一緒に仕事をしたかった、というのも大きかったですね。
清史 僕はそれまでヴィダルサスーンの哲学にも共感していたし、美容は人をハッピーな気持ちにさせる仕事なので、仕事にはとても満足していました。でも、「ザ・イノウエ・ブラザーズ」を設立する前年に、ヴィダルサスーンがアメリカの大手美容チェーンに買収されて経営方針がガラッと変わったんです。クリエイティヴよりもビジネスを優先するようになり、納得いかなかないことが続きました。それで次第に別の道を探るようになったんです。自分が正しくないと思うことは、絶対に続けたくないし、そこで活躍したくなかった。恩返しの意味もあって、ヴィダルサスーンには「ザ・イノウエ・ブラザーズ」を始めたあとも2年在籍しましたが、最終的に独立することを決めました。
──会社設立から南米の中央アンデス高地でアルパカに出合うまで時間がありますよね?
聡 最初に僕たちがやろうとしていたのは、清史のネットワークを通じて美容業界のプロダクトメーカーのブランディングや広告などのコンセプチュアル・デザインをすることでした。でも、内容的には自分たちが目指していたソーシャル・ビジネスとは程遠く、これまでのクリエイティヴ・ワークと何ら変わりない、ただ単に一緒に仕事をするためだけにやっているという感じでした。ふたりで仕事をすることに慣れていなかったこともあり、方向性が定まるまでに時間がかかりました。
清史 ヴィダルサスーンから独立後、僕が共同経営するヘアサロン「ENVIRONMENT SALON(エンヴァイロメント サロン)」を立ち上げる際、一緒にデザインとブランディングをしたのは大きなプロジェクトでした。当初は、海外で社会貢献するというより、まずはローカルに貢献しようという考え方だったので……。“ENVIRONMENT”というネーミングも、“人を喜ばせる環境”をつくりたかったから。でも、相手は本当に苦しんでいる人たちじゃなかった。だから、もっとしっかりと社会貢献をやりたいと、ふたりでよく話し合っていました。
聡 その間は、“社会貢献を目的に会社を設立したのに、自分たちは何をやっているんだろう?”という気持ちでいっぱいでした。2007年に僕の友人のオスカー・イェンスィーニュスという人物がボリビアに誘ってくれなかったら、いまの「ザ・イノウエ・ブラザーズ」はありません。でも、当時はソーシャル・ビジネスの方向性を見出せず、自分たちが悩んでいることを広く周りの人たちに伝えていたので、アルパカとの出合いはただの偶然ではなく、運命だったと思っています。
──この書籍でいちばん伝えたかったことは何ですか? 
聡 僕たちは「ザ・イノウエ・ブラザーズ」をスタートさせてから、日本全国の取引先を周るようになって、若い世代と接する機会も増えました。そしたら、本当は周囲にポジティヴな変化を起こすことがやりたいのに、どうしたらいいのかがわからない、という人が驚くほど多いことがわかったんです。でも、それはある意味、社会や教育、親などが考える“普通の生き方”をしたほうがいいというロジックに縛られ過ぎているからかもという気もします。だから、石井さんには執筆前に、この本は読後に行動を起こすモチベーションやインスピレーションになるようなものにしたいとお願いしました。
──勇気を与える書なのですか?
聡 若い世代は、これからの未来をつくる人たちです。だから、彼らにはもっと自分に自信をもってほしい。現状がおかしいと思ったら、なぜそうなのかを考えて、変えるべく行動に移さないと、いつまで経っても世の中は変わりません。それなのに日本では、“どうせ変わらないから”といったあきらめムードがすごく強いように見えます。一方、僕たちが生まれ育ったヨーロッパでは、政治や社会問題などに関してみんな自分なりの意見をもっていて、それを人前で話すのをまったく怖がりません。むしろ、ディナーの席などで、表面的な会話しかできない人間は見下されます。だから、日本のみんなにもいろんなことに目を向けて、挑戦する勇気をもってほしいのです。
──どうすれば、社会を変えられますか?
聡 職業や年齢、性別などはまったく関係ありません。少しだけ考え方を変えれば、誰でも社会にポジティヴなインパクトを与えることができます。たとえば、レストラン経営者なら、いま使っている食材がどうやってつくられているのか、一度きちんと調べてみるといいと思います。本当にオーガニックなのか? 自然環境にやさしいのか? 各々が世の中との関わり方を深く考えるようになれば、少しずつ社会がよい方向に進んで行くのではないでしょうか。
──そうすると、どこの店で、何を買うのか、という消費行動にも変化が必要ですね?
清史 毎日の買い物を、選挙にたとえて考えるといいかもしれません。不当な方法でつくられたものは、断固として拒否するべきです。どんなに大企業でもそういうムーヴメントが続けば、生産の方法をあらためざるを得ません。まずは身の周りのことに関心をもち、なぜこの商品がこんなに低価格なのかなど、疑問を感じる回数を増やすことが大切だと思います。
──ふたりの到達点はどこにあると考えていますか?
聡 公平な世界を実現するのが、いちばんの目標です。世の中に不条理がある限り、苦しんでいる人がたくさんいます。そして、不公平をやむなしとする考えは自然破壊の原因にもなっています。人間が人間を支配して生産者に不当な労働を強いるのと同様に、自然を支配して利用しようとすることには疑問をもっています。“平和”というのは戦争のない世界のことだ、というのはイメージしやすいでしょうが、公平な世界を実現するというとき、いったいどんな世界が“公平”なのかはイメージしにくいと思います。そうではあるのですが、それだからこそ、公平な世界というものについていつも考えることが大事なのではないでしょうか。実現するのは難しいことですが、僕たち兄弟が永遠に追い続けるテーマだと思っています。
僕たちはファッションの力で世界を変える
-ザ・イノウエ・ブラザーズという生き方-
著者: 井上聡&清史
取材・執筆: 石井俊昭
出版社: PHP研究所 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83764-2
発売日: 2018年1月25日(木)
定価: 1,800円
国籍や人種、宗教や信条を超えて、確固たるスタイルで自らを表現し、同時に自分たちのビジネスに関わる人すべてを幸せにしたい、という井上聡と清史。「どこかで、誰かが不幸になるビジネスなんていらない」「僕たちは、ファッションの力で世界を変える」。青臭い理想論、とも捉えられがちな彼らの言葉だが、ふたりは実際にこうした生き方を貫き、そのためには勇気と希望が大切だと語る。毎日の生活に追われ、夢見ることを忘れてしまったわたしたちに必要なのは、こんな“純粋で、真っ直ぐな”気持ちなのではないか? この本には、井上兄弟から現代を生きる人たちへ向けた、”生き方”“働き方”“人生の捉え方”に関するポジティヴなメッセージが詰まっている。新しい時代の生き方、働き方を模索するすべての人に読んでほしい一冊。BEAMS社長 設楽洋氏、ミナ ペルホネン デザイナー 皆川明氏推薦。
https://gqjapan.jp/life/business/20180215/book-of-the-inoue-brothers/page/3

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マレーシアで未知の言語発見 男女平等など平和な生活様式を反映

2018-02-16 | 先住民族関連
AFPBB News 2018年2月15日 5時4分

マレーシアの行政首都プトラジャヤにある首相府前で抗議デモを行う先住民ら(2010年3月17日撮影、資料写真)(c)AFP=時事/AFPBB News
マレーシアで、これまで存在が知られていなかった先住民言語が見つかった。「ジェデク(Jedek)」と呼ばれるこの言語は、男女が平等に扱われ、暴力もほとんどない生活様式を反映しているという。これを受け活動家らからは、先住民保護の強化を求める声が上がっている。
 スウェーデン・ルンド大学(Lund University)の言語学者チームは、既知の言語であるジャハイ(Jahai)語の調査のためにマレーシア東部クランタン(Kelantan)州遠隔地の森林地帯にある村々を訪れ、さまざまな集団のデータを収集していた際、多くの人々が違う言葉を話していることに気づいた。
 この地域では人々が杭上に建てられた木製家屋に住み、狩猟採集生活を営んでいる。研究チームのニクラス・ブレンフルト(Niclas Burenhult)氏によると、過去に人類学者が同地域の調査を行っていたものの、今回の調査では異なる質問を住民にしたため、ジェデク語を発見できたという。
 ジェデク語の話者はわずか280人。ルンド大学によると、西洋社会よりも男女間が平等で暴力がほとんどなく、子どもらは競争しないことを良しとされる生活様式を反映した言語になっている。
同大の声明によるとジェデク語には「職業」や「裁判所」に当たる言葉がなく、「借りる」「盗む」「買う」「売る」などの所有を表す動詞もない一方で、「交換」や「共有」を表す語彙は豊富だという。
【翻訳編集】AFPBB News
http://news.livedoor.com/article/detail/14302508/


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県高校読書感想画コンクール

2018-02-16 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年2月15日 地方版
2017年度県高校読書感想画コンクール(毎日新聞静岡支局など後援)の表彰式が14日、静岡市葵区の県庁であった。県内18校から計171作品の応募があり、21人が入賞した。
 最優秀の県教育委員会教育長賞は、「指定読書の部」で笹田実里さん=浜松工高2年=の「希望」、「自由読書の部」で三上悟史さん=浜松北高2年=の「神謡」が選ばれた。
 少女が成長していく様子を描いた「青い目の人形物語2」(シャーリー・パレントー・作、河野万里子・訳、岩崎書店)を選んだ笹田さんは「主人公の優しさにひかれた。それが分かるように表情を描いた。思いを込めて描いた絵が評価されてうれしい」と話した。
 アイヌの世界観や精神文化を伝える「大地の哲学 アイヌ民族の精神文化に学ぶ」(小坂洋右著、未来社)を題材にした三上さんは「自然に畏敬(いけい)をもって接しているアイヌ。絵の中でその美しく繊細な心を熊(の絵)に映し出した」と説明した。【長谷川隆】
(全文671文字)
https://mainichi.jp/articles/20180215/ddl/k22/040/188000c

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三上、笹田さん最優秀 静岡県高校読書感想画コンクール

2018-02-16 | アイヌ民族関連
静岡新聞2/15(木) 8:19配信
第29回静岡県高校読書感想画コンクール(静岡県高校図書館研究会主催)の表彰式が14日、県庁で行われた。最優秀には浜松北高2年の三上悟史さん(17)と浜松工業高2年の笹田実里さん(17)の作品が選ばれた。
 静岡県内18校から390点が出展され、21点が入賞した。全国コンクールでも最高賞の文部科学大臣賞を受賞した三上さんは、アイヌ文化をテーマにした書籍を基に青い目のクマを描いた。三上さんは「伝えたかった自然への畏怖をクマの表情でうまく表現できた」と語った。人形を抱く少女を描いた笹田さんは「人形を大切にする少女の思いを絵に込めた。今後は感情を表現できる技術を磨きたい」と意気込んだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180215-00000015-at_s-l22

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【海外発!Breaking News】オランダへの“密輸”を企まれた24個の頭蓋骨 バリ島税関で押収される

2018-02-16 | 先住民族関連
Techinsight japan 2018.02.15 13:29

麻薬や武器のような物騒なものから「何故このようなものが?」と首を傾げたくなるものまで、税関では国を問わず日々様々なものが押収されている。インドネシアの人気リゾート地バリ島ングラ・ライ国際空港の税関も今月9日、オランダに密輸が企てられた段ボール箱を押収したことを公表したが、その中身は装飾を施された24個もの人間の頭蓋骨だった。
2回に分けて送られようとしたこれらの箱には『人工的に作成された頭蓋骨』と記された税関告知書が貼り付けられており、税関職員が気にかけることがなければそのままオランダに渡っていたと思われる。だが職員達の目をごまかすことはできなかったようで、段ボール箱は1月中に押収されX線検査で中身を確認後、バリ文化遺産保護センターで専門家による詳細な検査が行われた。その結果、これらは全て本物の頭蓋骨であることが判明した。
左右対称に精巧な彫刻が施され、貝や動物の角、そして染料で装飾されたこれら頭蓋骨について、関税職員ニ・アニエク氏(Ni Aniek)は「恐らくインドネシア東部のパプア州、そして先住民ダヤク族が暮らすカリマンタンで作られたものではないか」と説明する。かつて「首狩り族」として知られたダヤク族の間では、人間の頭部は生命の源になるものと信じられており、犠牲者の頭蓋骨を手元に残しておく習慣があったそうだ。
インドネシアでは昨年11月、3個の頭蓋骨をパプア州からスラウェシ島に郵送を試みたとして2人の男が逮捕されている。24個もの頭蓋骨を国際郵送することは不可能なために『人工的に作成された頭蓋骨』と偽り密輸が企てられたのだろうが、何故この頭蓋骨がオランダに送られることとなったのかは明らかになっていない。この事件に関する逮捕者は今のところ出ていないが『International Business Times』によると、デンパサール在住のインドネシア人がこの密輸に関与した疑いが持たれているという。
押収されたこれらの頭蓋骨は現在、バリ文化遺産保護センターで人物の出自や年齢を明らかにするための更なる調査が行われている。
画像は『The Jakarta Post 2018年2月10日付「Island focus: Attempted human skull smuggling foiled」(JP / Zul Trio Anggono)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 椎名智深)
http://japan.techinsight.jp/2018/02/shiina02131110.html

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象徴空間の周辺、整備費24億円に 白老町が負担見通し

2018-02-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞02/15 05:00
 【白老】胆振管内白老町は14日、政府が町内に建設中のアイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間」に関し、町が担う周辺整備の概算事業費が、開設の2020年度までに計約24億円に上るとの見通しを示した。JR白老駅の自由通路設置や、駅北側で計画している観光商業ゾーン整備などを含む。
 JR白老駅の自由通路には、駅の南北をつなぐ階段と、車いすで利用できるエレベーターを取りつけ、整備費は8億6千万円。駅全体のバリアフリー化工事はJR北海道などと協議中で、町の試算では3億6千万円を事業主体のJR側に補助する考え。
 町と町商工会などが整備を検討する白老駅北側の観光商業ゾーン内には、町が情報発信拠点「地域文化・観光研修センター(仮称)」を建設する。事業費は4億1千万円を見込む。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/164481

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象徴空間開設で来訪者増加見据え白老駅周辺整備へ【白老】

2018-02-16 | アイヌ民族関連
室蘭民報2018.02.15

白老駅周辺整備構想イメージ図(上)、駅舎横にエレベーター付きの自由通路が整備され、駅前広場が拡張される白老駅(下)
 白老町は14日、象徴空間開設に伴い増加する来訪者を受け入れるための快適空間の形成、町民生活の利便性や安全性を向上させるための環境づくりを基本方針とした白老駅周辺整備事業検討状況を町議会民族共生象徴空間整備促進・活性化に関する調査特別委員会に示した。駅舎横に鉄道の南北を往来できる自由通路を新たに設置、駅前広場を拡張する。
 自由通路の整備主体は白老町。老朽化した人道跨線橋(こせんきょう)を架け替え、駅舎西側に整備する。自由通路には南側と北側の昇降棟に階段とエレベーターを設置するなどバリアフリー化を基本としている。エレベーターは車いすの利用も可能という。概算事業費は8億6千万円、社会資本整備総合交付金、過疎債などを活用する。
 町はまた交流人口増加を見据え、同駅舎に合築する町所有の公衆トイレを増改築し、清潔感のある利便性の高い環境を整備する。現在のトイレスペースには観光案内コーナーを設置する。概算事業費は6300万円。  JR北海道は白老駅のバリアフリー化に取り組み、利用者の移動の円滑化と利便性の向上を図る。国の補助制度を活用、国と町による事業費補助を予定している。概算事業費は3億6千万円。
 道が事業主体となる同駅前広場の拡張整備は、鉄道、バス、タクシー、一般車両相互のスムーズな乗り換えを可能とする交通結節機能の強化を図る。東西方向と南側を拡張し、新たに一般、障害者用の駐車スペースを確保、大型バスも停車可能なスペースを確保する。概算事業費は500万円。
 この日町が示した構想イメージ図は「設計の進ちょく、関係機関との調整に伴い、変更の可能性がある」と説明した。
北広場に文化・観光研修センターなど配置
 白老町は14日、町商工会が提出した白老駅北地区整備調査支援事業調査報告書を町議会民族共生象徴空間整備促進・活性化に関する調査特別委員会に示した。象徴空間との相乗効果を図ることを狙いに観光商業ゾーンと位置付けた白老駅北広場に総合インフォメーションセンター、ベーカリー&カフェ棟、物産土産棟、飲食棟、宿泊棟、芝生テラス、駐車場などを配置した。町は総合インフォメーションセンターを「地域文化・観光研修センター」として建設し、来年3月の完成を目指す。宿泊棟、ベーカリー&カフェ棟などの民間施設群は調査報告書を踏まえ、町としての整備計画を今年6月をめどに作成する。
 報告書は「資金調達の観点から白老駅北施設整備の手法は『官民連携方式』で、基盤整備と総合インフォメーションセンターの設置は町が行い、その他の物販、飲食、宿泊といった商業施設は民間企業が整備するのが望ましい」と提言している。町は地方創生拠点整備交付金を活用して整備する「地域文化・観光研修センター」を今年10月にも設立するまちづくり会社が運営すると説明した。
 同センターは、鉄骨平屋建て683平方メートル、事業費は4億1060万円。町内の観光情報を発信し回遊性向上を図るインフォメーション、土産品やアイヌ手工芸品を販売するスペース、町民や観光客などが利用する交流ホール、アイヌ手工芸品の作り手育成や商品の生産、観光客の体験受け入れの空間となる研修・生産ルームなどを備える。
 報告書によると、ベーカリー&カフェ棟は、工房併設のベーカリーショップ、40~50席あるカフェを併設し、焼きたてパンをその場で食べられる。宿泊施設の想定事業規模は鉄筋4階建て、シングルが56室、ツインが24室、最大宿泊は160人、総事業費は10億円。飲食棟10棟も想定しており、「集落型飲食ストリート」として食文化の継承と食べる楽しさを感じられる空間になるとしている。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/4893


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幻の染料「気仙沼ブルー」で作られるプロダクト

2018-02-16 | アイヌ民族関連
アメーバーニュース2月15日(木) 21:45提供:MYLOHAS

人類最古の染料といわれている「藍」。何世紀ものあいだ世界中の人々のこころを魅了し、生活を彩ってきた、自然の力が生み出す青の色です。サムライブルーという言葉に象徴されるように、わたしたち日本人は、衣類や小物を藍で染め、生活に密着した染料として大切にしてきました。
幻の染料で仕立てるインディゴ作品
そのブルーに魅せられて、幻の染料と呼ばれていた「パステル」の栽培を日本で復活させた「インディゴ気仙沼」代表の染め師・藤村さやかさん。ヨーロッパの品種で、世界中で何世紀もの間、栽培や染色手法が断絶されていたパステルの復活を、クラウドファンディングで多くの支持者を集めて実現にこぎつけた、女性起業家でもあります。
被災地・気仙沼にあらたな職をつくりたいと、現地の若いママたちが主体となって運営している「インディゴ気仙沼」。赤ちゃんの肌にも安心して使えるものをという願いがはじまりで、100%天然素材のみで仕立てているインディゴ作品は、その安全性と深みのある色合いが、幅広いユーザーに人気です。注文してから染め上げて納品のため、2〜3週間かかるという、オーダーメイド感も魅力。
気仙沼の土地が育む大人の青み
藤村さんが、パステルに注目したのは、現在日本で主流として栽培されているタデ藍よりも、東北の寒冷な気候で向いていたことからでした。調べていくうちに、かつてアイヌ民族が装束の染色に使用していたり、日本列島北部にも歴史的背景があることがわかっていき、パステルとの出会いに運命的なものを感じ、引き込まれていきます。
トゥールーズから貴重な種子を譲り受け、気仙沼の農家の協力を得て収穫できたパステルは、染め重ねると、しずかな青味を帯びるのだそう。
「ワインは、同じ品種のブドウでも、テロワールによって色も香りも味も違ってきます。インディゴの葉っぱも農作物である以上、ワインのような捉え方ができるのではと思っています。日本の伝統工芸としての“藍”とはちがったブルーかもしれないけれども、このパステルこそ、気仙沼の土から取り出した、この土地ならではのブルー。夏らしい、ぱっと華やかな青ではなく、気仙沼の冬の海のような、渋みのある大人の青味です。どんな“気仙沼ブルー”がこの世に誕生するのか、楽しみにしています」と、藤村さん。
美しいだけではなく、生地の抗菌性を増し、UVカット効果などの機能もプラスさせるインディゴ染め。昨年栽培されたものがお目見えするのは今春ということで、雪解けを待つように、待ち遠しいですね。
[インディゴ気仙沼]
https://news.ameba.jp/entry/20180215-1052

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「カナダは見えるが、我々の部族は見えない」──原住民の視点|カナダ広いなどこまでなのかな(その3)

2018-02-16 | 先住民族関連
courrier.jp 2018.2.11
From Maclean's (Canada) マクリーンズ(カナダ)
Text by Allen Abel Translation by Marie Harada

ダックレイクの壁画の前を通るアンガス・エスペランス Photo: Tim Smith
1885年、ダックレイクの乱
サスカチュワン州ダックレイクの村にある養護老人ホーム「グッドウイルマナー」の29号室では、「トロント・ブルージェイズ」のキャップを被った老人、アンガス・エスペランスがうめき声をあげている。どこか痛いわけではない。
「ピッチングがなってないんだよ」
最下位をひた走る野球チームに野次を飛ばす。たしかにブルージェイズは弱い。カナダ国民は全員、うんざりして不満を口にしている。
サスカトゥーンからプリンス・アルバートに向かう幹線高速道路のすぐそばに位置するダックレイクは、こざっぱりとした小さな町だ。
ここは、1885年に起こった小さな反乱の中心地でもあった。その反乱によって、プレーリー地帯でのフランス主義は終焉を迎え、仏系白人と先住民からなる「メティ」の臨時政府は転覆した。
の蜂起から1世紀以上が経ち、いまだ苦しい生活を余儀なくされている部族の代表としてオタワに派遣されたのが、アンガス・エスペランスだった。
カナダの学校では、「ダックレイクの戦い」や「バトッシュの戦い」のことを、ルイ・リエルとガブリエル・デュモンの「ゲリラ戦による勇敢な反乱」と教わった人もいれば、「連邦政府への反逆」と教わった人もいるだろう。こうした相反する解釈は当時からあり、現代にもそのまま引き継がれている。
1885年秋までに、この「反乱軍」は連邦政府の兵士たちによって打ち負かされ、デュモンはモンタナへと逃亡していた。リエルは同年5月にすでに投降、すぐに有罪判決が下り、絞首刑となった。デュモンは亡命したのち、サスカチュワン川の東側で農民として細々と暮らし、1906年まで生きながらえた。
アンガス・エスペランスの部族であるビアディーズ・アンド・オケマシス・ファーストネーションの人々は、寄宿学校へ送られ、埃っぽい平地に、貧しく悲惨な状態のまま取り残された。
アンガスは、オブレート会の神父たちと過ごした1944年から1952年までの、地獄のような期間を思い返して言う。
「あの人たちは、あの人たちの神に祈っていた。けれども、あの人たちが我々をどのように虐待していたか、神は聞いていたのだろうか」
市の広報が「世界最大の屋外美術館」と称する壁画群のうち、デュモンとリエル、そしてサー・ジョン・A(カナダ初代首相)が描かれた壁画の前で、撮影用のポーズを取りながらアンガスは続ける。
「私のクリー語名はスパナスだった。あの人たちにエスペランスと改名させられたんだ。フランス語で『希望』という意味だよ」
ビアディーズ・アンド・オケマシスの先人たちがアンガスに残したものは、サスカチュワン州の歴史よりも古くから続く苦しみの種だった。
1885年のメティと英国系勢力との衝突で、数名のクリー戦士がメティ側に加わっていたため、女王陛下を裏切ったコミュニティという烙印を押された。その結果、部族の年金が打ち切られてしまった。年金は、従順さに対して支払われる代償だったのだ。
我々はカナダの一部ではない
1996年、アンガス・エスペランスはこの問題に対処し、さらに年金を回収すべく動きはじめた。
「1998年に、やっと先人たちの証言が認められた。先人たちの物語、我々の伝承、言い伝えから真実がもたらされたんだ。祖父が話しているのを昔聞いたものだった。祖母は反乱についてとても詳しかった。
まず、あれは連邦政府の責任だった。政治的な混乱があり、狙撃が続いていた。我々の酋長だったビアディー酋長は不意打ちにあった、と言い伝えられている」
「連邦政府と闘っていたのはルイ・リエルだった。我々の戦士たち数名がリエルに加勢したとき、ビアディー酋長は彼らを止めることはできないと言ったんだ。
その代わり、部族の代理人は連邦政府と取り決めをした。代理人は15の提案をしたが、そのなかにあったのが、ひとつは戦いに参加した戦士たちへの支払いを止めること、もうひとつは居留地を離れる者には通行許可証が要ることだった」
小切手は2017年の3月に届いた。
「20年間待っていたんだよ」と、アンガス・エスペランス老人は言う。
「年金をもらえたのは良かった、本当に良かった」とリック・ギャンブルは言う。彼は部族の元酋長だ。がっしりとした体格で声は低く、前腕には鷲のタトゥーが入っている。
「それでも、我々の生活はいまだに1885年の出来事の影響を受けている。我々はいまでも政府に依存している。現状は政府の経済的援助によって生活しているんだ。協定は、守られたことが一度もないどころか、ほぼ即座に破られてしまった。
連邦政府と我々との間に国対国の関係があったことはなくて、それは現時点でも変わっていない。ファーストネーションには634の部族があるが、ジャスティン・トルドーはそれぞれ個別に対応するつもりなのだろうか?」
(ビアディーズの請求に、そのほか13の部族も合流するよう働きかけたのはギャンブルだった。400万ドルにのぼる金額は、2017年の春にやっと支払われた。)
アンガスを訪問するためグッドウィルマナーに立ち寄ったギャンブル酋長は、いまでは「リエルが暴動を起こした理由は理解できる」と語る。
「彼は多くの人々から代表として選ばれた。彼が勝っていたら、ファーストネーションの州と、メティの州ができていただろう。彼が闘っていた問題は、いま我々が闘っているものと同じ問題なんだよ」
アンガス・エスペランスが現在「ビクトリア」・ストリートに住んでいるというのは、なかなかの皮肉だ。
リック・ギャンブルはカナダ騎馬警察隊の巡査として、また移民局の職員として、連邦政府で働いていた。そんな彼は、いま国旗を見て思うことについてこう語る。
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