gqjapan.jp2018.02.15
タイトルだけ見れば、"なんと大袈裟な……"と思うかもしれない。しかし、彼らは言う。「どこかで、誰かが苦しまなければならないビジネスなんていらない」と。「THE INOUE BROTHERS…(ザ・イノウエ・ブラザーズ)」のふたりに、僕たちが世界を変えるためにできることを訊いた。
THE INOUE BROTHERS…(ザ・イノウエ・ブラザーズ)
デンマークで生まれ育った日系二世兄弟、井上聡(1978年生まれ)と清史(1980年生まれ)によるファッションブランド。2004年のブランド設立以来、生産の過程で地球環境に大きな負荷をかけない、生産者に不当な労働を強いない“エシカル(倫理的な)ファッション”を信条とし、春夏は東日本大震災で被災した縫製工場で生産するTシャツを、秋冬は南米アンデス地方の貧しい先住民たちと一緒につくったニットウェアを中心に展開。さまざまなプロジェクトを通して、世の中に責任ある生産方法に対する関心を生み出すことを目標にしている。兄の聡はコペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして、弟の清史はヘアデザイナーとしても活動。そこで得た収入のほとんどを、「ザ・イノウエ・ブラザーズ」の運営に費やす。www.theinouebrothers.net
──出版の経緯を教えてください。
聡 2015年の10月に、編集部から「ザ・イノウエ・ブラザーズ」のウェブサイト宛に、僕たちの本を出版したいというメールが届きました。そこには以前、自分たちの活動を紹介してくれた『GQ JAPAN』の記事を読んでアパレル産業の裏側について興味をもち、それがきっかけで『ザ・トゥルー・コスト 〜ファストファッション 真の代償〜』というドキュメンタリーを観て連絡した、と書いてありました。僕たちもその映画は観ましたが、この十数年、服の価格が低下する一方で、人や環境に支払う代償は劇的に上昇しています。そうした生産背景にも関心が高まっているいまだからこそ、井上兄弟の本を出したいし、出すべきだというオファーでした。
──それですぐに引き受けることにしたのですか?
聡 すぐに断ろうと思ったのですが、直接、僕たちの考えを伝えたほうがいいと思い、来日した際に会う約束をしました。そして2カ月後に、僕ひとりで出版社を訪ねて、「自分たちのソーシャル・ビジネスは、まだ満足のゆく結果が出ていないので、本の出版なんて早過ぎます」と伝えたんです。清史も同意見でした。でも、その後もモヤモヤした気分が続き、なんとなく頭に引っかかっていたのですが、あるとき、僕たちは本を成功の象徴のように捉えていたけれど、それこそが自分たちのエゴなんじゃないかと思ったんです。「ザ・イノウエ・ブラザーズ」がファッションを通じてやろうとしていることを多くの人に知ってもらえるのなら、このオファーにも挑戦するべきなんじゃないかと、考え直しました。
──不安はありませんでしたか?
聡 日本に一度も住んだことのない僕たちは、日常会話はできても、書くのはいまだに苦労します。ましてや、本を執筆するなんて絶対に無理だというのが、最初に断った理由のひとつでした。そこで以前、『GQ JAPAN』で取材してくれた石井俊昭さんのことを思い出し、僕たちのことを執筆してもらえないかお願いしてみようと思ったんです。今回の本のきっかけになった記事を書いてくれた張本人でもあるし、自分たちもその記事を新しい取引先に送るぐらい、僕たちのことをいちばん僕たちらしく紹介してくれるという確信がありました。それで清史に相談したら、それだったらいいんじゃないかという話になり、この依頼を受けることにしたんです。
──そもそもふたりがソーシャル・ビジネスを始めようと思ったきっかけは何だったんですか?
聡 2000年代初め、デンマーク政府は難民の受け入れを拒否して、すでに住み着いている難民も追い出す方針に傾いていました。"自己中心的"な考えで、国が迫害から逃れてきた人たちをシャットアウトしようとしていたんです。そんなとき、街角のビルボードに「難民よ、帰らないでくれ」というメッセージ広告を出して、市民を巻き込んだキャンペーンを展開したのが、僕がとても尊敬しているコペンハーゲンのデザインチームでした。僕も難民排斥には反対の立場だったので、このキャンペーンにはとても共感したし、大きな刺激を受けました。もうひとつのきっかけは、デンマーク人のプロダクトデザイナーが「ライフストロー」をデザインしたこと。世界中の貧困地域では、安全な水を確保できないために、毎年約180万人もの人たちが汚染水による病気で命を落としています。このストローは、内部に装着されたフィルターで汚水を安全な飲料水に変え、そんな問題を解決するために開発されたものでした。そういうことがいろいろ重なって、社会を変革するデザインって、滅茶苦茶カッコいいと思うようになったんです。
清史 いまの経済成長至上主義の世の中は、自分さえよければいいといった自己中心的な考えが蔓延しています。しかも最近では、それがさらにエスカレートしているのが悲しいですよね。でも本当は、ほかの人のことを思って行動すれば、もっと幸せを感じられるはずなんです。それが「ザ・イノウエ・ブラザーズ」のモチベーションになっているし、僕たち自身がそれをいちばん実感しています。ただ、行動に移すには勇気がいります。努力もしなければいけません。でもそこには、ほかでは絶対に味わえない、大きな悦びがあるんです。
──それで、ザ・イノウエ・ブラザーズを設立した?
聡 まえがきにも書いていますが、そのとき父親が生前、語っていたビジネス哲学を思い出して、当時、グラスゴーに赴任していた清史に会いに行ったんです。自分のネットワークと、清史のネットワークを使ったら、結構ユニークなことができるんじゃないかと思って……。とにかく兄弟で一緒に仕事をしたかった、というのも大きかったですね。
清史 僕はそれまでヴィダルサスーンの哲学にも共感していたし、美容は人をハッピーな気持ちにさせる仕事なので、仕事にはとても満足していました。でも、「ザ・イノウエ・ブラザーズ」を設立する前年に、ヴィダルサスーンがアメリカの大手美容チェーンに買収されて経営方針がガラッと変わったんです。クリエイティヴよりもビジネスを優先するようになり、納得いかなかないことが続きました。それで次第に別の道を探るようになったんです。自分が正しくないと思うことは、絶対に続けたくないし、そこで活躍したくなかった。恩返しの意味もあって、ヴィダルサスーンには「ザ・イノウエ・ブラザーズ」を始めたあとも2年在籍しましたが、最終的に独立することを決めました。
──会社設立から南米の中央アンデス高地でアルパカに出合うまで時間がありますよね?
聡 最初に僕たちがやろうとしていたのは、清史のネットワークを通じて美容業界のプロダクトメーカーのブランディングや広告などのコンセプチュアル・デザインをすることでした。でも、内容的には自分たちが目指していたソーシャル・ビジネスとは程遠く、これまでのクリエイティヴ・ワークと何ら変わりない、ただ単に一緒に仕事をするためだけにやっているという感じでした。ふたりで仕事をすることに慣れていなかったこともあり、方向性が定まるまでに時間がかかりました。
清史 ヴィダルサスーンから独立後、僕が共同経営するヘアサロン「ENVIRONMENT SALON(エンヴァイロメント サロン)」を立ち上げる際、一緒にデザインとブランディングをしたのは大きなプロジェクトでした。当初は、海外で社会貢献するというより、まずはローカルに貢献しようという考え方だったので……。“ENVIRONMENT”というネーミングも、“人を喜ばせる環境”をつくりたかったから。でも、相手は本当に苦しんでいる人たちじゃなかった。だから、もっとしっかりと社会貢献をやりたいと、ふたりでよく話し合っていました。
聡 その間は、“社会貢献を目的に会社を設立したのに、自分たちは何をやっているんだろう?”という気持ちでいっぱいでした。2007年に僕の友人のオスカー・イェンスィーニュスという人物がボリビアに誘ってくれなかったら、いまの「ザ・イノウエ・ブラザーズ」はありません。でも、当時はソーシャル・ビジネスの方向性を見出せず、自分たちが悩んでいることを広く周りの人たちに伝えていたので、アルパカとの出合いはただの偶然ではなく、運命だったと思っています。
──この書籍でいちばん伝えたかったことは何ですか?
聡 僕たちは「ザ・イノウエ・ブラザーズ」をスタートさせてから、日本全国の取引先を周るようになって、若い世代と接する機会も増えました。そしたら、本当は周囲にポジティヴな変化を起こすことがやりたいのに、どうしたらいいのかがわからない、という人が驚くほど多いことがわかったんです。でも、それはある意味、社会や教育、親などが考える“普通の生き方”をしたほうがいいというロジックに縛られ過ぎているからかもという気もします。だから、石井さんには執筆前に、この本は読後に行動を起こすモチベーションやインスピレーションになるようなものにしたいとお願いしました。
──勇気を与える書なのですか?
聡 若い世代は、これからの未来をつくる人たちです。だから、彼らにはもっと自分に自信をもってほしい。現状がおかしいと思ったら、なぜそうなのかを考えて、変えるべく行動に移さないと、いつまで経っても世の中は変わりません。それなのに日本では、“どうせ変わらないから”といったあきらめムードがすごく強いように見えます。一方、僕たちが生まれ育ったヨーロッパでは、政治や社会問題などに関してみんな自分なりの意見をもっていて、それを人前で話すのをまったく怖がりません。むしろ、ディナーの席などで、表面的な会話しかできない人間は見下されます。だから、日本のみんなにもいろんなことに目を向けて、挑戦する勇気をもってほしいのです。
──どうすれば、社会を変えられますか?
聡 職業や年齢、性別などはまったく関係ありません。少しだけ考え方を変えれば、誰でも社会にポジティヴなインパクトを与えることができます。たとえば、レストラン経営者なら、いま使っている食材がどうやってつくられているのか、一度きちんと調べてみるといいと思います。本当にオーガニックなのか? 自然環境にやさしいのか? 各々が世の中との関わり方を深く考えるようになれば、少しずつ社会がよい方向に進んで行くのではないでしょうか。
──そうすると、どこの店で、何を買うのか、という消費行動にも変化が必要ですね?
清史 毎日の買い物を、選挙にたとえて考えるといいかもしれません。不当な方法でつくられたものは、断固として拒否するべきです。どんなに大企業でもそういうムーヴメントが続けば、生産の方法をあらためざるを得ません。まずは身の周りのことに関心をもち、なぜこの商品がこんなに低価格なのかなど、疑問を感じる回数を増やすことが大切だと思います。
──ふたりの到達点はどこにあると考えていますか?
聡 公平な世界を実現するのが、いちばんの目標です。世の中に不条理がある限り、苦しんでいる人がたくさんいます。そして、不公平をやむなしとする考えは自然破壊の原因にもなっています。人間が人間を支配して生産者に不当な労働を強いるのと同様に、自然を支配して利用しようとすることには疑問をもっています。“平和”というのは戦争のない世界のことだ、というのはイメージしやすいでしょうが、公平な世界を実現するというとき、いったいどんな世界が“公平”なのかはイメージしにくいと思います。そうではあるのですが、それだからこそ、公平な世界というものについていつも考えることが大事なのではないでしょうか。実現するのは難しいことですが、僕たち兄弟が永遠に追い続けるテーマだと思っています。
僕たちはファッションの力で世界を変える
-ザ・イノウエ・ブラザーズという生き方-
著者: 井上聡&清史
取材・執筆: 石井俊昭
出版社: PHP研究所 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83764-2
発売日: 2018年1月25日(木)
定価: 1,800円
国籍や人種、宗教や信条を超えて、確固たるスタイルで自らを表現し、同時に自分たちのビジネスに関わる人すべてを幸せにしたい、という井上聡と清史。「どこかで、誰かが不幸になるビジネスなんていらない」「僕たちは、ファッションの力で世界を変える」。青臭い理想論、とも捉えられがちな彼らの言葉だが、ふたりは実際にこうした生き方を貫き、そのためには勇気と希望が大切だと語る。毎日の生活に追われ、夢見ることを忘れてしまったわたしたちに必要なのは、こんな“純粋で、真っ直ぐな”気持ちなのではないか? この本には、井上兄弟から現代を生きる人たちへ向けた、”生き方”“働き方”“人生の捉え方”に関するポジティヴなメッセージが詰まっている。新しい時代の生き方、働き方を模索するすべての人に読んでほしい一冊。BEAMS社長 設楽洋氏、ミナ ペルホネン デザイナー 皆川明氏推薦。
https://gqjapan.jp/life/business/20180215/book-of-the-inoue-brothers/page/3
タイトルだけ見れば、"なんと大袈裟な……"と思うかもしれない。しかし、彼らは言う。「どこかで、誰かが苦しまなければならないビジネスなんていらない」と。「THE INOUE BROTHERS…(ザ・イノウエ・ブラザーズ)」のふたりに、僕たちが世界を変えるためにできることを訊いた。
THE INOUE BROTHERS…(ザ・イノウエ・ブラザーズ)
デンマークで生まれ育った日系二世兄弟、井上聡(1978年生まれ)と清史(1980年生まれ)によるファッションブランド。2004年のブランド設立以来、生産の過程で地球環境に大きな負荷をかけない、生産者に不当な労働を強いない“エシカル(倫理的な)ファッション”を信条とし、春夏は東日本大震災で被災した縫製工場で生産するTシャツを、秋冬は南米アンデス地方の貧しい先住民たちと一緒につくったニットウェアを中心に展開。さまざまなプロジェクトを通して、世の中に責任ある生産方法に対する関心を生み出すことを目標にしている。兄の聡はコペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして、弟の清史はヘアデザイナーとしても活動。そこで得た収入のほとんどを、「ザ・イノウエ・ブラザーズ」の運営に費やす。www.theinouebrothers.net
──出版の経緯を教えてください。
聡 2015年の10月に、編集部から「ザ・イノウエ・ブラザーズ」のウェブサイト宛に、僕たちの本を出版したいというメールが届きました。そこには以前、自分たちの活動を紹介してくれた『GQ JAPAN』の記事を読んでアパレル産業の裏側について興味をもち、それがきっかけで『ザ・トゥルー・コスト 〜ファストファッション 真の代償〜』というドキュメンタリーを観て連絡した、と書いてありました。僕たちもその映画は観ましたが、この十数年、服の価格が低下する一方で、人や環境に支払う代償は劇的に上昇しています。そうした生産背景にも関心が高まっているいまだからこそ、井上兄弟の本を出したいし、出すべきだというオファーでした。
──それですぐに引き受けることにしたのですか?
聡 すぐに断ろうと思ったのですが、直接、僕たちの考えを伝えたほうがいいと思い、来日した際に会う約束をしました。そして2カ月後に、僕ひとりで出版社を訪ねて、「自分たちのソーシャル・ビジネスは、まだ満足のゆく結果が出ていないので、本の出版なんて早過ぎます」と伝えたんです。清史も同意見でした。でも、その後もモヤモヤした気分が続き、なんとなく頭に引っかかっていたのですが、あるとき、僕たちは本を成功の象徴のように捉えていたけれど、それこそが自分たちのエゴなんじゃないかと思ったんです。「ザ・イノウエ・ブラザーズ」がファッションを通じてやろうとしていることを多くの人に知ってもらえるのなら、このオファーにも挑戦するべきなんじゃないかと、考え直しました。
──不安はありませんでしたか?
聡 日本に一度も住んだことのない僕たちは、日常会話はできても、書くのはいまだに苦労します。ましてや、本を執筆するなんて絶対に無理だというのが、最初に断った理由のひとつでした。そこで以前、『GQ JAPAN』で取材してくれた石井俊昭さんのことを思い出し、僕たちのことを執筆してもらえないかお願いしてみようと思ったんです。今回の本のきっかけになった記事を書いてくれた張本人でもあるし、自分たちもその記事を新しい取引先に送るぐらい、僕たちのことをいちばん僕たちらしく紹介してくれるという確信がありました。それで清史に相談したら、それだったらいいんじゃないかという話になり、この依頼を受けることにしたんです。
──そもそもふたりがソーシャル・ビジネスを始めようと思ったきっかけは何だったんですか?
聡 2000年代初め、デンマーク政府は難民の受け入れを拒否して、すでに住み着いている難民も追い出す方針に傾いていました。"自己中心的"な考えで、国が迫害から逃れてきた人たちをシャットアウトしようとしていたんです。そんなとき、街角のビルボードに「難民よ、帰らないでくれ」というメッセージ広告を出して、市民を巻き込んだキャンペーンを展開したのが、僕がとても尊敬しているコペンハーゲンのデザインチームでした。僕も難民排斥には反対の立場だったので、このキャンペーンにはとても共感したし、大きな刺激を受けました。もうひとつのきっかけは、デンマーク人のプロダクトデザイナーが「ライフストロー」をデザインしたこと。世界中の貧困地域では、安全な水を確保できないために、毎年約180万人もの人たちが汚染水による病気で命を落としています。このストローは、内部に装着されたフィルターで汚水を安全な飲料水に変え、そんな問題を解決するために開発されたものでした。そういうことがいろいろ重なって、社会を変革するデザインって、滅茶苦茶カッコいいと思うようになったんです。
清史 いまの経済成長至上主義の世の中は、自分さえよければいいといった自己中心的な考えが蔓延しています。しかも最近では、それがさらにエスカレートしているのが悲しいですよね。でも本当は、ほかの人のことを思って行動すれば、もっと幸せを感じられるはずなんです。それが「ザ・イノウエ・ブラザーズ」のモチベーションになっているし、僕たち自身がそれをいちばん実感しています。ただ、行動に移すには勇気がいります。努力もしなければいけません。でもそこには、ほかでは絶対に味わえない、大きな悦びがあるんです。
──それで、ザ・イノウエ・ブラザーズを設立した?
聡 まえがきにも書いていますが、そのとき父親が生前、語っていたビジネス哲学を思い出して、当時、グラスゴーに赴任していた清史に会いに行ったんです。自分のネットワークと、清史のネットワークを使ったら、結構ユニークなことができるんじゃないかと思って……。とにかく兄弟で一緒に仕事をしたかった、というのも大きかったですね。
清史 僕はそれまでヴィダルサスーンの哲学にも共感していたし、美容は人をハッピーな気持ちにさせる仕事なので、仕事にはとても満足していました。でも、「ザ・イノウエ・ブラザーズ」を設立する前年に、ヴィダルサスーンがアメリカの大手美容チェーンに買収されて経営方針がガラッと変わったんです。クリエイティヴよりもビジネスを優先するようになり、納得いかなかないことが続きました。それで次第に別の道を探るようになったんです。自分が正しくないと思うことは、絶対に続けたくないし、そこで活躍したくなかった。恩返しの意味もあって、ヴィダルサスーンには「ザ・イノウエ・ブラザーズ」を始めたあとも2年在籍しましたが、最終的に独立することを決めました。
──会社設立から南米の中央アンデス高地でアルパカに出合うまで時間がありますよね?
聡 最初に僕たちがやろうとしていたのは、清史のネットワークを通じて美容業界のプロダクトメーカーのブランディングや広告などのコンセプチュアル・デザインをすることでした。でも、内容的には自分たちが目指していたソーシャル・ビジネスとは程遠く、これまでのクリエイティヴ・ワークと何ら変わりない、ただ単に一緒に仕事をするためだけにやっているという感じでした。ふたりで仕事をすることに慣れていなかったこともあり、方向性が定まるまでに時間がかかりました。
清史 ヴィダルサスーンから独立後、僕が共同経営するヘアサロン「ENVIRONMENT SALON(エンヴァイロメント サロン)」を立ち上げる際、一緒にデザインとブランディングをしたのは大きなプロジェクトでした。当初は、海外で社会貢献するというより、まずはローカルに貢献しようという考え方だったので……。“ENVIRONMENT”というネーミングも、“人を喜ばせる環境”をつくりたかったから。でも、相手は本当に苦しんでいる人たちじゃなかった。だから、もっとしっかりと社会貢献をやりたいと、ふたりでよく話し合っていました。
聡 その間は、“社会貢献を目的に会社を設立したのに、自分たちは何をやっているんだろう?”という気持ちでいっぱいでした。2007年に僕の友人のオスカー・イェンスィーニュスという人物がボリビアに誘ってくれなかったら、いまの「ザ・イノウエ・ブラザーズ」はありません。でも、当時はソーシャル・ビジネスの方向性を見出せず、自分たちが悩んでいることを広く周りの人たちに伝えていたので、アルパカとの出合いはただの偶然ではなく、運命だったと思っています。
──この書籍でいちばん伝えたかったことは何ですか?
聡 僕たちは「ザ・イノウエ・ブラザーズ」をスタートさせてから、日本全国の取引先を周るようになって、若い世代と接する機会も増えました。そしたら、本当は周囲にポジティヴな変化を起こすことがやりたいのに、どうしたらいいのかがわからない、という人が驚くほど多いことがわかったんです。でも、それはある意味、社会や教育、親などが考える“普通の生き方”をしたほうがいいというロジックに縛られ過ぎているからかもという気もします。だから、石井さんには執筆前に、この本は読後に行動を起こすモチベーションやインスピレーションになるようなものにしたいとお願いしました。
──勇気を与える書なのですか?
聡 若い世代は、これからの未来をつくる人たちです。だから、彼らにはもっと自分に自信をもってほしい。現状がおかしいと思ったら、なぜそうなのかを考えて、変えるべく行動に移さないと、いつまで経っても世の中は変わりません。それなのに日本では、“どうせ変わらないから”といったあきらめムードがすごく強いように見えます。一方、僕たちが生まれ育ったヨーロッパでは、政治や社会問題などに関してみんな自分なりの意見をもっていて、それを人前で話すのをまったく怖がりません。むしろ、ディナーの席などで、表面的な会話しかできない人間は見下されます。だから、日本のみんなにもいろんなことに目を向けて、挑戦する勇気をもってほしいのです。
──どうすれば、社会を変えられますか?
聡 職業や年齢、性別などはまったく関係ありません。少しだけ考え方を変えれば、誰でも社会にポジティヴなインパクトを与えることができます。たとえば、レストラン経営者なら、いま使っている食材がどうやってつくられているのか、一度きちんと調べてみるといいと思います。本当にオーガニックなのか? 自然環境にやさしいのか? 各々が世の中との関わり方を深く考えるようになれば、少しずつ社会がよい方向に進んで行くのではないでしょうか。
──そうすると、どこの店で、何を買うのか、という消費行動にも変化が必要ですね?
清史 毎日の買い物を、選挙にたとえて考えるといいかもしれません。不当な方法でつくられたものは、断固として拒否するべきです。どんなに大企業でもそういうムーヴメントが続けば、生産の方法をあらためざるを得ません。まずは身の周りのことに関心をもち、なぜこの商品がこんなに低価格なのかなど、疑問を感じる回数を増やすことが大切だと思います。
──ふたりの到達点はどこにあると考えていますか?
聡 公平な世界を実現するのが、いちばんの目標です。世の中に不条理がある限り、苦しんでいる人がたくさんいます。そして、不公平をやむなしとする考えは自然破壊の原因にもなっています。人間が人間を支配して生産者に不当な労働を強いるのと同様に、自然を支配して利用しようとすることには疑問をもっています。“平和”というのは戦争のない世界のことだ、というのはイメージしやすいでしょうが、公平な世界を実現するというとき、いったいどんな世界が“公平”なのかはイメージしにくいと思います。そうではあるのですが、それだからこそ、公平な世界というものについていつも考えることが大事なのではないでしょうか。実現するのは難しいことですが、僕たち兄弟が永遠に追い続けるテーマだと思っています。
僕たちはファッションの力で世界を変える
-ザ・イノウエ・ブラザーズという生き方-
著者: 井上聡&清史
取材・執筆: 石井俊昭
出版社: PHP研究所 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83764-2
発売日: 2018年1月25日(木)
定価: 1,800円
国籍や人種、宗教や信条を超えて、確固たるスタイルで自らを表現し、同時に自分たちのビジネスに関わる人すべてを幸せにしたい、という井上聡と清史。「どこかで、誰かが不幸になるビジネスなんていらない」「僕たちは、ファッションの力で世界を変える」。青臭い理想論、とも捉えられがちな彼らの言葉だが、ふたりは実際にこうした生き方を貫き、そのためには勇気と希望が大切だと語る。毎日の生活に追われ、夢見ることを忘れてしまったわたしたちに必要なのは、こんな“純粋で、真っ直ぐな”気持ちなのではないか? この本には、井上兄弟から現代を生きる人たちへ向けた、”生き方”“働き方”“人生の捉え方”に関するポジティヴなメッセージが詰まっている。新しい時代の生き方、働き方を模索するすべての人に読んでほしい一冊。BEAMS社長 設楽洋氏、ミナ ペルホネン デザイナー 皆川明氏推薦。
https://gqjapan.jp/life/business/20180215/book-of-the-inoue-brothers/page/3