毎日新聞 2018年2月14日 地方版奈良県
今年は明治150年、ちまたは祝賀ムードにあふれているが、これを素直に喜べない人々もいる。明治政府の開拓政策により虐げられたアイヌの人々だ。生活基盤である森や川や海を取りあげられ、人口が激減、同化政策でアイヌ名やアイヌ語も捨てさせられた。アイヌにとっては悲劇の幕開けだったのだ。
そんなアイヌ民族に心を寄せた和人がいた。幕末から明治にかけて活躍した探検家・松浦武四郎だ。彼は生涯で6回、北海道を踏査。蝦夷地の新名称のために「北加伊道(ほっかいどう)(北の大地に住む人の国)」という案を出したのも彼だった。
彼が製作した北海道の地図を見たとき、息をのんだ。全28巻の折りたたみ式の地図で、すべてを広げると小部屋ほどの大きさになる。海岸沿いに細かい文字でビッシリと書かれていたのは、すべてカタカナのアイヌ語地名。北海道が、どこからどこまでアイヌの大地だったのだと実感したのは、そのときだった。
(全文1289文字)
https://mainichi.jp/articles/20180214/ddl/k29/070/519000c
今年は明治150年、ちまたは祝賀ムードにあふれているが、これを素直に喜べない人々もいる。明治政府の開拓政策により虐げられたアイヌの人々だ。生活基盤である森や川や海を取りあげられ、人口が激減、同化政策でアイヌ名やアイヌ語も捨てさせられた。アイヌにとっては悲劇の幕開けだったのだ。
そんなアイヌ民族に心を寄せた和人がいた。幕末から明治にかけて活躍した探検家・松浦武四郎だ。彼は生涯で6回、北海道を踏査。蝦夷地の新名称のために「北加伊道(ほっかいどう)(北の大地に住む人の国)」という案を出したのも彼だった。
彼が製作した北海道の地図を見たとき、息をのんだ。全28巻の折りたたみ式の地図で、すべてを広げると小部屋ほどの大きさになる。海岸沿いに細かい文字でビッシリと書かれていたのは、すべてカタカナのアイヌ語地名。北海道が、どこからどこまでアイヌの大地だったのだと実感したのは、そのときだった。
(全文1289文字)
https://mainichi.jp/articles/20180214/ddl/k29/070/519000c