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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

先住民族に理解深めて 帯広でアイヌ文化交流会

2016-07-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/24 05:00
 アイヌ民族の伝統楽器や舞踊に親しむ「アイヌ文化交流会」(帯広市アイヌ生活文化展実行委主催)が23日、帯広市のとかちプラザ(西4南13)で始まった。8月9日の「国際先住民の日」にちなむ催しで、実行委員長を務める帯広アイヌ協会の笹村二朗会長(82)は「世界の先住民族に対する理解を深めてほしい」と呼びかけている。
 交流会は2010年に始まり7回目。笹村会長によると、帯広では現在もアイヌ民族400人以上が暮らしているという。
 この日は帯広カムイトウウポポ保存会(酒井奈々子会長)の20人が、国の重要無形民俗文化財に指定されているアイヌ古式舞踊の一部を披露。「みんなで大きな輪をつくって踊りましょう」を意味する舞踊「ポロリムセ」では、来場者も手拍子して楽しんだ。
 会場には女性が身に着けるアクセサリー「タマサイ」や伝統楽器「ムックリ」、酒器「トゥキ」、山の神とあがめたヒグマの毛皮、民族衣装など、アイヌ文化に触れる盛りだくさんの展示物も。舞踊を見学した市内の会社員竹中智咲さん(22)は「アイヌ民族のことは漫画で知っていたけど、実際に踊りを見てムックリの音色を聞いたのは初めて。来て良かった」と話し、民族衣装の試着も楽しんでいた。
 交流会は24日も開かれ、午後1時~4時半にはアイヌ文様の刺しゅうや木彫りの無料体験会が行われる。(久保吉史)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doto/1-0296424.html


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マンガ大賞「ゴールデンカムイ」展 舞台の小樽、原画で

2016-07-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/23 07:00、07/23 07:36 更新
 小樽市総合博物館は、「マンガ大賞2016」を受賞した漫画「ゴールデンカムイ」に登場する明治期の小樽やアイヌ民族の文化を原画とともに紹介する企画展「ゴールデンカムイの中の小樽」を、23日から手宮1の同博物館本館で開く。作者野田サトルさんの取材に全面協力した縁で、全国唯一の同作の展示会が実現した。
 ゴールデンカムイは明治末期の北海道を舞台に、日露戦争帰りの元陸軍兵とアイヌ民族の少女が、伝説の金塊を求め陸軍第七師団や新撰組の残党らと激しい争いを繰り広げる冒険活劇。週刊ヤングジャンプ(集英社)で2014年から連載され、今年3月に書店員らが選ぶマンガ大賞を受賞し、大ヒット作となった。
 企画展は、原画を含め約30の漫画のコマを提供された。主に商都・小樽のにぎわいとアイヌ文化を紹介し、小樽編では作中で主人公がほおばる串団子が現在の小樽公園で人気だったことを説明。激闘の舞台となった色内大通や百十三銀行などの写真を飾り、忠実に描かれたコマを並べる。
 また、アイヌ文化編では弓矢など狩猟や生活の道具が描かれたコマを、同博物館所蔵の実物とともに紹介。触れられるヒグマの毛皮など約100点の資料を飾った。
 北広島市出身の野田さんは曽祖父が屯田兵だったことから同作を着想。14年に担当編集者と来館し、明治大正期の写真や文献を依頼した。「じっと資料に見入っていた」と学芸スタッフの山本侑奈さんは印象を語る。石川直章館長は「フィクションに膨らみを与える野田さんの細部のこだわりを見てほしい」と話す。9月25日まで。火曜休館。無料だが、入館料が必要。(峯村秀樹)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0296050.html

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世界中の核の脅威伝え 京都でポスター展印刷用画面を開く

2016-07-24 | 先住民族関連
京都新聞 【 2016年07月23日 11時17分 】
 世界の核被害を伝えるポスター展「世界のヒバクシャ」が22日、京都市下京区のひと・まち交流館京都で始まった。ウラン鉱山や核施設、核実験場などで明らかになった悲惨な事実を、写真や文章で報告している。
 ポスターの原画は核戦争防止国際医師会議が作り、昨年に広島で開催された「世界核被害者フォーラム」でも公開された。核被害の実態を京都でも知ってもらおうと、市民団体「アジェンダ・プロジェクト京都」がポスター展を企画した。
 アジアや欧米、アフリカ、オセアニアなど50カ所の事例を挙げている。各地のウラン鉱山で労働者が被ばくしてがんを患ったり、放射能の汚染水で先住民族の生活環境が破壊されたことを紹介。フランスの核燃料再処理工場から放射性ガスが大気に放出されたことや、1985年に旧ソ連で起きた原子力潜水艦爆発事故なども取り上げ、核が身近な脅威であり続けてきた現実を伝えている。
 24日まで。無料。核問題を追った映像作品の上映や参考書籍の展示もある。
http://kyoto-np.co.jp/politics/article/20160723000048

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角松敏生は今も「未来」を見据えているーー35周年ライブを20歳のライターが詳細レポート

2016-07-24 | アイヌ民族関連
リアルサウンド 2016.07.23

 1981年のデビューから35年、2016年は角松敏生のキャリアにおいて重要な一年となるだろう。今年3月にはデビューアルバム『SEA BREEZE』のリミックスアルバム『SEA BREEZE 2016』を発表。当時の力量不足によるボーカルテイクに心残りを持っていたという作品を丁寧に再構築、改めてボーカルを吹き込んだ。常に楽曲のアップデートを繰り返してきた角松らしい試みだ。
 95年生まれの私は、角松のキャリアの大部分をリアルタイムで知らないが、彼を後追いしようとする若いリスナーは、まず最初にいわゆるシティポップのトップアーティストとしての角松敏生を知ることになる。80年代前半、彼は当時USで流行していたAORやフュージョンなどを消化し、日本語ポップスに落とし込んだ。その作品の纏う黒さと洗練されたサウンド、リゾートや都会を舞台とした詞は、今の若手シティポップ勢に親しんだ耳にも新鮮に響く。
 当時の角松サウンドは同シーンの他のアーティストと聴き比べても、良い意味で違和感がある。それは彼がかなり早い段階で取り入れていた、同時代の海外のブギーファンクやエレクトロファンクなどで使われていた独特なシンセサウンド、また、ラップ・スクラッチ等の日本ではまだ一般的ではなかった技法によるものだろう。Awesome City Club、Shiggy Jr.らに顕著だが、現在の若手シーンで散見されるブギーサウンドの先駆者であり、彼らの活躍の下地を作ったのが他でもない角松だ。彼の試みは現在まで脈々と受け継がれており、それゆえ今聴いても古さが全く感じられない。
 角松はその後もプロデューサー、シンガーソングライターとして成熟した作品を発表していくが、その中でも沖縄音楽やアイヌ音楽を取り入れ新しい表現手段を模索するなど、彼の実験的な姿勢は今日に至るまで一貫している。
 そして、先日7月2日、横浜アリーナにて彼の35周年記念ライブ『TOSHIKI KADOMATSU 35th Anniversary Live~逢えて良かった~』が開催された。リニューアル後の横浜アリーナのこけら落としでもあった本公演。客層は主に青春時代にリアルタイムで角松を聴いていたであろう世代で、家族連れの姿も目立つ。
 この日のライブでは、ドラム3台、キーボード3台、角松を含めたギター3人にベース、パーカッション、管楽器、コーラスを加えた大所帯バンドで構成されていた。照明の落とされた会場に「これからもずっと」のイントロが流れ始め、角松らしき人物がステージに登場するがなんとそれはダミー、会場中央の特設リフターに本人が登場し、観衆を沸かせた。その後「Startin’」「Realize」「CINDERELLA」続けて、「OFF SHORE」「LUCKY LADY FEEL SO GOOD」とミドルテンポのファンクチューンを披露し、徐々に会場の温度を上げていく。6曲を歌い終えたところで「既に押し始めています(笑)。マラソンのようなライブになると思いますが、皆さんはランナーを沿道で見守る観衆になったつもりで応援していただければと思います」と会場の笑いを誘った。
 そして、本公演が満員御礼となったことに触れ「多くの要素が考えられますが、大きな理由のひとつは、やはりの『SEA BREEZE 2016』のリリースがあったからだと思います。この周年、今夜その『SEA BREEZE』を、ほぼレコードアレンジのまま、曲順通りにライブで再現したいと思います。それを演奏するにあたって必要不可欠なミュージシャンをご紹介します」と、なんと葉巻をくわえた村上”PONTA”秀一がゲストドラマーとして登場し、デビュー曲「YOKOHAMA Twillight Time」を含む『SEA BREEZE』全8曲を完全再現。日本のトップドラマーの一人である村上”PONTA”秀一を招き、通常のライブでは考えられないドラム3台という編成を実現してしまうのは、角松のリズムへの強いこだわりによるものだろう。ブラックミュージック由来の彼のダンサンブルな楽曲群は、リズムに厚みを持たせることにより生かされる。音源では味わえない生身のグルーヴ感は、『SEA BREEZE』がどんなアレンジにも耐えうる強度を持った楽曲群からなる名盤であることを教えてくれた。
 休憩を挟んで幕を開けたACT-2では、演奏を最小限に抑えコーラス隊の歌声をフィーチャーした「RAIN MAN」、20分にも渡るフュージョン組曲「The Moment of 4.6 Billion Years」を自身が編集したという映像と共に披露、続けて「RAMP IN」「DESIRE」バラード2曲を歌った。バラードを聴くと顕著に感じられたのが、年齢を重ねても歌声が一向に衰える気配がないことだ。デビュー時からの奥行きのある歌声は、歳を重ねるにつれてその艶を増していく感じがした。
 途中MCで「ポンタさんと言えば、80年台後半にギターをフューチャーしたインストゥルメンタルシリーズを制作しました。今日は久々に、あの楽曲を、若いドラマー二人(玉田豊夢、山本真央樹)と演奏したいと思います」と、アルバム『SEA IS A LADY』から「OSHI-TAO-SHITAI」を演奏。ドラマー3人のソロ回しに加え、各パートのソロも存分に披露され、観客からは拍手が起こった。
 その後、ゲストの吉沢梨絵、コーラスで参加しているMAY’Sの片桐舞子、千秋、凡子、都志見久美子らとそれぞれデュエット曲を熱唱。バラードからポップスと様々だったが、一人一人タイプの違う彼女達の魅力を引き出そうと丁寧に歌う角松の姿には、シンガーとしての矜持を感じさせられる。続いて『THE MOMENT』リリースツアーで出会ったという全国各地のシンガー達で編成された98人のクワイヤーが登場。迫力のあるコーラスをバックに「Get Back to the Love」を披露した。
 この時点で開演から4時間以上が経過していたが、角松にも観客にも疲れは見えない。「ここから最後の上り坂」と語ると、「After 5 Crash」「RUSH HOUR」「Tokyo Tower」「Girl in the Box」と、往年のアーバンファンクを続けてプレイ。大所帯だからこその音の厚みとグルーヴ感はディスコ調の楽曲群に見事にハマり、この日一番の盛り上がりを見せて本編を終えた。
 アンコールでは、長万部太郎名義で作詞作曲を手掛けた「ILE AIYE~WAになっておどろう」や、ファンが紙飛行機を飛ばすことが恒例となっている「Take You To The Sky High」など、ライブでの定番曲を惜しみなく披露。その後のダブルアンコールに応えて再び会場中央のリフターに立ち、アコースティックギターを手に、夏の代表曲の一つ「No End Summer」を歌い上げ、「また5年後!」と言い残してステージを去った。
 シンガー、ミュージシャンとしての力量は音源からだけでも読み取ることができるが、実際にライブを観て思い知らされたのは、エンターテイナーとしての彼の実力であった。前述の登場時のパフォーマンスはもちろん、MC中のファンの声にも軽妙に応えるなど、ファンサービスにも気を回す。そしていざ演奏が始まると、慣れた様子で、微妙なジェスチャーでバックバンドを自在に操る。あの堂々とした余裕の佇まいは、決して一朝一夕で身につくものではなく、35年間の数多のステージが彼に与えたものだろう。
 さらに特筆すべきことは、6時間強に渡る長時間のライブに関わらず、途中で締まりがなくなることが全くなかったということだ。というのは、ライブの構成が非常に巧みで、セットリスト自体に絶妙な押しと引きがある。ファンの求める曲とアーティストの好む曲は必ずしも一致しないが、角松はファンの要求に応えつつ、自分の聴いてほしい曲を聴かせる流れを作るのが非常に上手かった。強い思い入れのある曲を持たない私にとってもそれは非常に心地良いもので、周年ライブの度に多くのファンが駆けつけるのも納得だった。
 40周年となる5年後にまたこの会場でライブを行うことも示唆した、今年56歳の角松敏生。時代によって様々な音楽を自らの中に取り込んできた彼は、クリエイターとしての作品へのこだわりはよく知られているが、その音楽への姿勢を若いミュージシャン達に伝えたいとも語っている。その入り口の一つとして『SEA BREEZE 2016』のリリースがあったと考えることもできるだろう。その思いと共鳴するかのように、ここ数年東京インディーズシーンを中心に進む70~80年代シティポップの再評価があった。そこに参照元を求めるアーティストも数多く登場しており、その評価も得た角松は、ここへ来てより広い層を捉えることに成功している。
 2016年、角松はただ過去の清算をしているのではない。彼は常に現在の自分と向き合っており、同時に未来/次世代の音楽シーンをも見据え、その上で活動している。そんな彼の思想が体現された、今後を楽しみにさせてくれるライブだった。
(文=渡邊魁)
http://realsound.jp/2016/07/post-8470.html

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トナカイを追いかけて チュコトカは常に私の心の中に

2016-07-24 | 先住民族関連
ロシアNOW-2016/07/22 クセニア・イサエワ、
 キリル・ウユトノフ氏は、モスクワ生まれ、モスクワ育ちのカメラマン。やがて、大都市の生活は自分向きではないと気づく。11歳で古生物学を学び始め、ロシアのさまざまな地方の探検に参加するようになる。写真に興味を持ち、旅の写真レポートをつくり始めたのは、探検していた時。
 
 ウユトノフ氏はすぐに、地質学的探検に加えて、ロシア各地の長い撮影・遠征を始めるようになる。訪れた先は、サハ共和国、チュクチ自治管区(チュコトカ)、マガダン地方、沿海州、カムチャツカ地方、カレリア共和国、コラ半島、イルクーツク州、バイカル湖東部、北カフカス、クリミア半島、亜極ウラル、プトラナ台地、タイミル半島など。
 「ロシア北部の辺境の地を訪れ、そこに暮らす少数先住民族の日常生活を異なる視点から見た。テレビや雑誌で伝えられるものとはかなり違っている」
 当地には現在、2種類のトナカイ牧場があると、ウユトノフ氏。一種類目は、いわゆる家内牧場。先祖代々トナカイの飼育に携わってきた人が運営している。このような人にとって、トナカイは私有財産であり、自分たちのトナカイを飼育している。
 トナカイはロシア北部に暮らす少数先住民族の生活である。トナカイ牧場はしばしば、小さな集落の経済の大きな部分を占めている。2011年にチュクチ自治管区ビリビンスキー地区のブルガフチャン川流域で撮影された、トナカイ飼育民の物語も、そうである。
  二種類目は、雇われた労働者によって運営されているトナカイ牧場。労働者は牧草地を守り、放牧地にトナカイを放ち、病気のトナカイを治療し、世話をすることを任務としている。だが、自分たちのトナカイを育てるトナカイ飼育民とトナカイの間の絆と、その絆は、違うかもしれない。
 サハ共和国モムスキー地区のチバガラフ川流域で働くトナカイ飼育民。他の農業生産と同様、雇用されている。これはソ連時代のソフホーズの遺産である。
  「悲しいことに、ソ連時代は繁栄していて、トナカイ飼育民は良い教育を受けた裕福な人々だった。トナカイは必要な世話を受けていた。今日、多くのトナカイ牧場は苦しい状況にある」とウユトノフ氏。
 「トナカイ飼育民は必要な教育を受けられず、知識を欠き、大きなトナカイの群れを世話できるほどの人数もいない。人手が足りないことから、トナカイの病気も増えており、トナカイの個体数の年間増加率はゼロに近い。これは過酷な条件での重労働。資金は乏しく、賃金は首都の平均年金額とそれほど変わらない」
 「技術が進歩しているのに、トナカイ飼育民の生活は向上するどころか、悪化していることが多い。ロシア北東部、特にサハ共和国のトナカイ牧場の状況が非常に深刻」
 「ごくたまに旅行者や地質学者がこの辺境の地を訪れ、目的を果たしていくが、目の当たりにしたことを公に伝えることはなかなかできない。写真撮影を通じて、トナカイ業界の問題に注目を集めたい」とウユトノフ氏。
https://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2016/07/22/614153

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第18回台北映画奨授賞式:先住民描いた「只要我長大」がグランプリ&最多5冠

2016-07-24 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2016/07/20 17:32
優秀な台湾映画を表彰する「台北映画奨」(台北電影節)の第18回授賞式が7月16日、台北市の中山堂で開かれた。同賞は、台湾の身分証または居留証(ARC)を持つ監督が製作した作品を対象としており、アニメーション、短編、ドキュメンタリー、長編フィクションの4部門が設けられる。今年の応募総数は過去最高の計302作品。各部門ごとに10作品ずつがノミネートされ、賞を争った。

「只要我長大」チーム。撮影に協力した台中市の林佳龍市長は翌17日、再上映に向けて協力するよう管轄の新聞局に指示を出したという
◇グランプリに「只要我長大」 最多5冠獲得
最高賞のグランプリ(百万首奨)に選ばれたのは、3人の男の子を中心に台湾原住民(先住民)集落の生活、社会的問題などを軽やかに描いた長編フィクション「只要我長大」。同賞は各部門の最優秀作品4本の中から選ばれる。また、同作品は長編フィクション賞、監督賞、新人賞、編集賞も受賞。今回の最多受賞作品となった。
メガホンを取ったのはタイヤル族出身のチェン・ジエヤオ(陳潔瑤)監督。今作が長編第2作目となる。
チェン監督は「こんなに多くの賞を獲得できるとは思わなかった」と興奮気味にスピーチ。今後も先住民をテーマとした作品を製作していく考えを明かし、「先住民を題材とした映画が毎年生まれれば」と願った。
中心人物となる3人の男の子の一人・瓦旦を演じたチェン・ユー(陳宇)は、受賞の感想を尋ねられると、作品中に出てくる台詞を用いて「人生嘛」(これも人生)とつぶやき、子供らしからぬ発言で会場を笑いに包んでいた。
同作は台中市にあるタイヤル族集落「環山」で撮影。キャスト全ては先住民で、そのほとんどは素人の役者。3人の男の子は監督が先住民の多い地域の小学校を巡り、探し出したという。
低予算の映画ながら、全体的にレベルが高く、生命力にあふれている作品だと審査員から評価された。
作品あらすじ:山間の先住民集落で育った3人の小学生、瓦旦、晨皓、林山。自由奔放でわんぱくながらも、それぞれ異なる家庭上の悩みを抱えている。そんな3人をやさしく見守るのは、車いす生活をしながらも補講クラスを開く拉娃先生。3人の悩みに立ち向かう態度、拉娃先生とのやり取りを通じ、人々の愛や成長を感じさせる温もりあふれる作品。一方で、先住民集落が抱える問題も浮き彫りにしている。先住民バンドのBoxingや歌手のクラウド・ルー(盧広仲)、女優のツァイ・ホァンルー(豆花妹)などがゲスト出演している。台北映画奨に先駆けて発表された国際新監督コンペティションにもノミネートされており、観客賞を受賞した。
◇ 主演賞はコウ・ガとティファニー・シュー
主演男優・女優賞に選ばれたのは、ともにホラーサスペンス映画「紅衣小女孩」に出演したコウ・ガ(黄河)とティファニー・シュー(許[王韋]ネイ)。ティファニーは同作のほか、「失控[言荒]言」と短編「世紀末的華麗」での演技も評価され、史上初となる3作品での受賞となった。(ネイ=寧の下半分が用)
名前が呼ばれた瞬間、驚きを隠せない表情を見せたコウ。今後はより幅広い種類の役、作品に挑戦していきたいと意気込みを示し、そのためにも「将来的に台湾でもっと多くのジャンル映画が生まれれば」と期待した。
「紅衣小女孩」は赤い服を着た女の子を巡る台湾の都市伝説を題材にした作品。コウは祖母と2人で暮らす不動産営業マン、ティファニーはコウの彼女を演じた。祖母が突然姿を消したのを機に、恐怖の物語が展開されていくというストーリー。
実は同作においてコウの出演シーンは決して多くはない。それでも主演賞に選ばれたことについて、審査員を務めた香港の映画監督、シュウ・ケイ(舒[王其])は「平凡な役こそ最も難しい」とし、シナリオにおいては平面的な役ながらも、その中でコウの努力が感じられたと役作りに対する姿勢を高く評価した。
一方、ティファニーの受賞については、出演した3作品がノミネートされているということはそれだけ演技が突出しており、さらに演じられる幅も広いことを示していると言及。審査員による投票は無記名で行われ、それぞれの審査員が3票ずつ投票する形式を採用していたが、1回目の投票で大勢が決まっていたという。
http://japan.cna.com.tw/topic/column/201607200001.aspx

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世界の雑記帳 ジャワ島原住民族が「カサダの祭り」、噴煙上がる火山に供物

2016-07-24 | 先住民族関連
毎日新聞 2016年7月22日 14時14分(最終更新 7月22日 14時14分)

7月21日、インドネシアのジャワ島にある火山のブロモ山で、この地域に住むヒンズー教徒のテンガル族による「カサダの祭り」が今年も行われた(2016年 ロイター/Beawiharta)
 [21日 ロイター] - インドネシアのジャワ島にある火山のブロモ山で、この地域に住むヒンズー教徒のテンガル族による「カサダの祭り」が今年も行われた。先住民族であるテンガル族は、噴煙の立ち上る火口に生きた鶏などの家畜や野菜、果物といった供物を投げ入れ、ブロモ山の怒りが静まるよう祈った。
 ブロモ・テンゲル・スメル国立公園の中にあるブロモ山は標高2329メートル。いまも活発な火山活動を続けている。
http://mainichi.jp/articles/20160722/reu/00m/030/008000c

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