アジアプレス-2016年07月21日
2015年、ボートピープルとして海に出たロヒンギャの人々が、海上で、またたどり着いたタイやマレーシアで虐待を受け、多数の死者が出たというニュースは世界に衝撃を与えた。ミャンマー、バングラデシュ両政府から「自国民ではない」とつまはじきにされた無国籍の80万のイスラム教徒の民。彼らはどこの何者なのか? そしてなぜ迫害を受け続けることになったのか? ミャンマー(ビルマ)取材23年の宇田有三氏が、現地取材と研究の成果を長期連載して報告する。(アジアプレスネットワーク編集部)
ロヒンギャとは、国籍を剥奪された、世界で最も虐げられている少数者集団である―― 国際社会ではしばしばそう評されている。国籍を持った人身売買の被害者たちや、現代の「ボートピープル」として紛争国から逃げだした避難民たちには国籍があり、国際社会から援助の手がさしのべられる。だが、無国籍となったロヒンギャたちには、国家レベルでの援助はあまり進んでいない。
ミャンマーの隣国、バングラデシュの非公式キャンプの溜め池で水を汲むロヒンギャの子どもたち(撮影:宇田有三)
ロヒンギャたちが暮らすのは、東南アジアのミャンマー(ビルマ)とバングラデシュとの国境周辺である。ミャンマーは、仏教国が多くを占める東南アジア諸国の西端に位置し、イスラームやヒンズー教が支配的な信仰であるバングラデシュやインドである南アジアと接している。
日本に暮らす多くの人にとって、ロヒンギャと呼ばれる人びとの存在は2015年5月、テレビや新聞を賑わせた難民としてのロヒンギャの姿であったであろう。欧州ではその頃、シリアを初めとするイスラーム諸国からの難民問題が改めて大きく取り上げられており、それに呼応する形で東南アジアでもムスリム(イスラーム教徒)難民であるロヒンギャに注目が集まった。
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青い空を背景にした海原で、波間を漂う粗末な船の上で泣き叫ぶ避難民ロヒンギャたちの映像はショッキングであった。そのため、彼ら彼女たちを救わなければという人道的な側面を優先したニュースが流れた。しかしその際、「ロヒンギャ問題」はどのようにして起こってきたのか、その背景を的確に伝える報道は少なかった。
実はそれ以前の2012年、ミャンマーの西方ラカイン州で起こったロヒンギャに対する迫害で、ロヒンギャたちがミャンマー国内で迫害されているというニュースは何度も報道されてきた。もっともそれは、仏教徒とムスリムの「対立」としての面が大きく報道されていた。
” ロヒンギャ・ムスリム” に対する迫害は、1978年、1992年、2009年と立て続けに発生していた。1978年と1992年には、20万人を超えるロヒンギャたちが国境線に当たるナーフ河を超え、バングラデシュに避難していた。
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2009年には、2015年に起こったように、ボートピープルとして避難するロヒンギャたちの乗った船がタイの海岸に漂着し、それをタイの官憲が迫害するという問題も引き起こしていた。これもやはり、一時期、日本でも大きく報道された。
私が不思議に思ったのは、どうして2015年になって、約40年間続いてきたこの問題が改めて国際的に大きく取り上げられたのか、ということである。それは、前述したように、同時期、欧州で難民問題が大きく取り上げられ、それに呼応する形で東南アジアでの難民問題や人身売買問題に注目が集まった、ということである。(つづく)
宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。
http://www.asiapress.org/apn/author/myanmar/post-48145/