先住民族関連ニュース

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五輪へムード盛り上げ、巨大壁画の制作急ピッチ

2016-07-22 | 先住民族関連
読売新聞 2016年07月21日 20時11分
 【リオデジャネイロ=畔川吉永】リオデジャネイロ市中心部の港湾地区に五輪をテーマにした巨大な壁画が描かれ、8月5日に迫ったリオ五輪開幕に向けムードを盛り上げている。
 港の近くの倉庫に描かれた壁画は高さ約15メートル、長さが200メートルほどで世界五大陸の先住民族の顔などが色彩豊かに描かれている。ブラジルの芸術家、エドゥアルド・コブラさんが今月末の完成を目指して急ピッチで制作を進めている。
http://natalie.mu/eiga/news/194739

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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (1) ボートピープルの衝撃 宇田有三

2016-07-22 | 先住民族関連
アジアプレス-2016年07月21日
2015年、ボートピープルとして海に出たロヒンギャの人々が、海上で、またたどり着いたタイやマレーシアで虐待を受け、多数の死者が出たというニュースは世界に衝撃を与えた。ミャンマー、バングラデシュ両政府から「自国民ではない」とつまはじきにされた無国籍の80万のイスラム教徒の民。彼らはどこの何者なのか? そしてなぜ迫害を受け続けることになったのか? ミャンマー(ビルマ)取材23年の宇田有三氏が、現地取材と研究の成果を長期連載して報告する。(アジアプレスネットワーク編集部)
ロヒンギャとは、国籍を剥奪された、世界で最も虐げられている少数者集団である―― 国際社会ではしばしばそう評されている。国籍を持った人身売買の被害者たちや、現代の「ボートピープル」として紛争国から逃げだした避難民たちには国籍があり、国際社会から援助の手がさしのべられる。だが、無国籍となったロヒンギャたちには、国家レベルでの援助はあまり進んでいない。

ミャンマーの隣国、バングラデシュの非公式キャンプの溜め池で水を汲むロヒンギャの子どもたち(撮影:宇田有三)
ロヒンギャたちが暮らすのは、東南アジアのミャンマー(ビルマ)とバングラデシュとの国境周辺である。ミャンマーは、仏教国が多くを占める東南アジア諸国の西端に位置し、イスラームやヒンズー教が支配的な信仰であるバングラデシュやインドである南アジアと接している。
日本に暮らす多くの人にとって、ロヒンギャと呼ばれる人びとの存在は2015年5月、テレビや新聞を賑わせた難民としてのロヒンギャの姿であったであろう。欧州ではその頃、シリアを初めとするイスラーム諸国からの難民問題が改めて大きく取り上げられており、それに呼応する形で東南アジアでもムスリム(イスラーム教徒)難民であるロヒンギャに注目が集まった。
関連写真を見る: ミャンマー現地写真報告(4) 選挙権剥奪されたロヒンギャの人々(写真9枚)
青い空を背景にした海原で、波間を漂う粗末な船の上で泣き叫ぶ避難民ロヒンギャたちの映像はショッキングであった。そのため、彼ら彼女たちを救わなければという人道的な側面を優先したニュースが流れた。しかしその際、「ロヒンギャ問題」はどのようにして起こってきたのか、その背景を的確に伝える報道は少なかった。
実はそれ以前の2012年、ミャンマーの西方ラカイン州で起こったロヒンギャに対する迫害で、ロヒンギャたちがミャンマー国内で迫害されているというニュースは何度も報道されてきた。もっともそれは、仏教徒とムスリムの「対立」としての面が大きく報道されていた。
” ロヒンギャ・ムスリム” に対する迫害は、1978年、1992年、2009年と立て続けに発生していた。1978年と1992年には、20万人を超えるロヒンギャたちが国境線に当たるナーフ河を超え、バングラデシュに避難していた。
関連記事:日本人ジャーナリスト、タイでビルマ講演会開催
2009年には、2015年に起こったように、ボートピープルとして避難するロヒンギャたちの乗った船がタイの海岸に漂着し、それをタイの官憲が迫害するという問題も引き起こしていた。これもやはり、一時期、日本でも大きく報道された。
私が不思議に思ったのは、どうして2015年になって、約40年間続いてきたこの問題が改めて国際的に大きく取り上げられたのか、ということである。それは、前述したように、同時期、欧州で難民問題が大きく取り上げられ、それに呼応する形で東南アジアでの難民問題や人身売買問題に注目が集まった、ということである。(つづく)
宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。
http://www.asiapress.org/apn/author/myanmar/post-48145/

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パラグアイに学校を 横国大生ら資金集め呼び掛け

2016-07-22 | 先住民族関連
ニフティニュース-2016年07月21日 17時39分
 横浜国大(横浜市保土ケ谷区)の学生を中心とするNPO法人が、パラグアイでの学校建設を支援するために、クラウドファンディング(CF)で資金を集めている。「パラグアイの子どもたちに教育の機会を」と協力を呼び掛けている。
 支援活動を行っているのは、NPO法人ミタイ・ミタクニャイ子ども基金。同基金は同大大学院教授も務める藤掛洋子代表理事が青年海外協力隊員として行った支援活動を母体に1995年に設立。基金名はパラグアイの先住民族の言語で子どもたちを意味する。2008年には同大の学生を中心とする学生部が発足し、09年からはパラグアイ中部のメルセデス地区の小学校建設を開始。13年9月に教室1室を開設した。
 15年10月には教室を増設するプロジェクトを開始したものの、エルニーニョ現象による酷暑で屋外での建設作業に支障が生じた上、建設資材の高騰や為替変動などで基金や地域住民が集めた資金が不足し、屋根と内装を残して建設が中断してしまった。
 パラグアイの夏の気温は40度を超え、屋根がない教室では勉強できる環境にない。そこで目標金額90万円を8月24日までに集めることになった。
 今回は購入型のCFとし、3千~10万円までの支援コースを用意し、購入額によって伝統刺しゅう・ニャンドゥティなどの民芸品や民族衣装「アオポイ」などを渡す。
 CFプロジェクトの代表を務める横浜国大3年の久喜淳史さん(20)は「子どもたちの学習環境を整え、地域の発展に寄与するためにも協力してほしい」と呼び掛けている。
 CFのアドレスはhttps://readyfor.jp/projects/mitaimitakunai
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12152-187167/

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記者の目 ウルトラマン50年=北林靖彦(東京学芸部)

2016-07-22 | 先住民族関連
毎日新聞2016年7月21日 東京朝刊

時代を映すヒーロー
 円谷プロダクションとTBSが制作した特撮番組「ウルトラマン」が今月、放送開始50周年を迎えた。9日から最新作「ウルトラマンオーブ」がテレビ東京系で始まったほか、初期の作品も多くの局で再放送されている。半世紀にわたって支持される実写ドラマシリーズは例がない。
作り手戦争経験、公害や反戦扱う
 1966年7月、「(初代)ウルトラマン」が始まった時、私は4歳だった。“悪い怪獣”が「スペシウム光線」でこっぱみじんにされるシーンにわくわくした半面、大阪万博(70年)の見せ物用に孤島で捕獲された古代怪獣ゴモラが、空輸中に暴れて逃亡。大阪城を破壊したため退治される場面は、幼心に理不尽さを覚えた記憶がある。単純なヒーローものではなかった。
 当時は「いざなぎ景気」の真っただ中。大阪万博を前に「未来はバラ色」の風潮の陰で、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害が社会問題化し、海外に目を向ければ、米ソ冷戦下でベトナム戦争が泥沼化の様相を見せていた。そんな世相を反映し、公害や反戦をテーマにしたものや、武力を直接行使せず、人間の心を操って地球征服を狙う宇宙人も登場。勧善懲悪に収まらない話も少なくなかった。
 背景には、スタッフや出演者の多くが戦争を経験し、「正義」と「悪」に絶対的なものはないと肌で感じていたことがあったのではないか。中でもメインライターを務めた沖縄出身の脚本家、金城哲夫は30話「まぼろしの雪山」で、村で迫害を受けている少女を助ける存在として怪獣ウーを描き、本土からの差別や沖縄戦、米国統治といった自らの体験を投影させた。
 さらに、67年にスタートした「ウルトラセブン」の42話「ノンマルトの使者」では、「(海底人の)ノンマルトが地球の先住民族で、人間が地球の侵略者だったとしたら」というせりふを盛り込み、さまざまな支配者に翻弄(ほんろう)された沖縄の思いをつづったとされる。
 「初代」「セブン」の平均視聴率はそれぞれ36・8%と26・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。継続を望む声も多かったが、制作費の超過などがたたり、「セブン」終了後、第2シリーズ「帰ってきたウルトラマン」(71年)が始まるまでの2年半、休止を余儀なくされた。キャラクタービジネスで成功した「仮面ライダー」に倣い、「ウルトラマンA(エース)」(72年)以降は、わかりやすいストーリーと“玩具として売りやすいキャラクター”にかじを切った。それは54年、核実験の落とし子として誕生し、最初は畏敬(いけい)の対象として描かれた映画「ゴジラ」が、次第に娯楽性が重視され、「子供のアイドル」になっていくさまと重なる。
 アニメ版も制作されたが、「初代」や「セブン」ほどの人気は取り戻せず、第3シリーズ「ウルトラマン80」(80年)までに5年、次の平成第1シリーズ「ウルトラマンティガ」(96年)までに15年半の空白期間を要した。円谷プロも迷走した。設立時は東宝だった経営母体は何度も変わり、現在はパチンコ機の開発販売会社の子会社になっている。
「心優しき巨人」100年で原点回帰
 作品の浮き沈みについて、円谷英明・元円谷プロ社長は著書「ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗」(講談社現代新書)で「ウルトラマンという基本名称は変わらないのに、キャラクターや舞台設定など、番組コンセプトのめまぐるしい変転が、視聴者をとまどわせた」と分析している。
 2001年、39歳になった私は21世紀最初のシリーズ「ウルトラマンコスモス」を取材した。ウルトラマンは、興奮抑制光線で怪獣をおとなしくさせ、怪獣保護管理センターに収容する優しいヒーローになっていた。初代ウルトラマンから関わった佐川和夫特殊技術監督は「初代には心優しき巨人というコンセプトがあったが、次第に派手で攻撃的になった。円谷英二(円谷プロ創設者)生誕100年の今年(01年)は、原点に戻るべきだと考えた」と話した。
 それから14年後の昨年、「ウルトラマンX」の田口清隆監督は「戦う者同士、お互いに正義がある。怪獣や宇宙人が暴れるのも理由がある。共存させることも必要」と“優しさ路線”の踏襲を強調した。そこには親や社会も納得するテーマを求められる今時のヒーローの苦悩も感じた。
 この50年、ウルトラマンは“大人の事情”で幾度となく姿を消しては復活し、種類も40を超えたが、心と体の痛みを乗り越えて戦うヒーローの基本線は変わらず、人は励まされてきた。それは「子供が見る番組だからこそ、手を抜いてはいけない」と、制作者が時代の変化に合わせながら期待に応えてきたからではないだろうか。
http://mainichi.jp/articles/20160721/ddm/005/070/007000c

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コロンビア発「彷徨える河」予告編、先住民の失われた記憶をモノクローム映像で紡ぐ

2016-07-22 | 先住民族関連
ナタリー 2016年7月20日 14:20

「彷徨える河」
第88回アカデミー賞外国語映画賞にコロンビア映画史上初めてノミネートされた「彷徨える河」の予告編が、YouTubeにて解禁となった。
本作は、20世紀初頭と中盤にアマゾン奥地へと足を踏み入れた2人の学者の手記をもとにした物語。過去と現在、2つの時を交錯させながら、先住民の失われた記憶をモノクローム映像で紡ぎ出す。数々の映画祭への出品経験を持ち、「The Wind Journeys(英題)」が第62回カンヌ国際映画祭ある視点部門に選出されたシーロ・ゲーラが監督を務めた。
このたび公開された予告編には、先住民族唯一の生き残りである呪術師カラマカテのもとを訪ねたアメリカ人植物学者の姿が。カラマカテは、幻の聖なる植物ヤクルナを求めてやって来た彼に、数十年前に同地を訪れたドイツ人民族学者との交流について語り始める。
「彷徨える河」は10月より東京のシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される。なお8月11日に開幕する国際美術展覧会「あいちトリエンナーレ2016」映像プログラムでも上映予定。
予告編 https://youtu.be/PqJAq62EXx0
http://natalie.mu/eiga/news/194739

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30日に女性限定のメノコ・デイ 講演や刺しゅう・試食体験-白老・アイヌ民博

2016-07-22 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 7/20)
 白老町のアイヌ民族博物館は今月30日午後1時から、女性限定の「menoko day」(メノコ・デイ)を開催する。女性の視点でアイヌ文化に関する講演や刺しゅう、踊りなど座学と体験を一つにまとめた企画で先着20人限定。参加費2200円(入場料別途)で受講者を募集している。23日まで。
 メノコはアイヌ語で「女の子」の意味。女の子だけで会話などを楽しむ”ガールズトーク”のイメージを盛り込んだ内容で、当日は同館の村木美幸専務が「アイヌの女性の一生について」をテーマに約1時間講演。ランチョンマットにアイヌ文様を刺しゅうするほか、「イヨマンテリムセ」(クマの霊送りの踊り)などの古式舞踊、オハウ(塩汁)やいなきびごはんなどを味わえる伝統料理の試食などが一度で体験できる。
 午後6時30分からは、いろりを囲んで参加者同士でアイヌ文化などにまつわる話を楽しむ「menokoトーク」も企画している。各プログラムはほぼすべて女性職員が担当。女性ならではの視点で楽しいひと時が過ごせそうだ。
 問い合わせはアイヌ民族博物館 電話0144(82)3914。
http://www.tomamin.co.jp/20160740768

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