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先住民族関連ニュース

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ディカプリオの「レヴェナント」愛がほとばしる!5分超のインタビュー映像公開

2016-04-23 | 先住民族関連
映画.com 2016年4月22日 10:00
[映画.com ニュース]第88回アカデミー賞で監督賞、主演男優賞、撮影賞の3冠に輝いた「レヴェナント 蘇えりし者」(公開中)の特別映像が、公開された。不屈のハンターを演じ、オスカー俳優となったレオナルド・ディカプリオが約5分半にわたって作品の魅力を語っている。
狩猟中に熊に襲われひん死の重傷を負ったヒュー・グラス(ディカプリオ)が、メンバーのジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に殺害された息子の無念を晴らすべく、苛酷な自然環境の中で生き抜こうともがくさまをダイナミックな映像で描く。
ディカプリオは、本作の出演を決めた理由を「アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの作品だからだ」と言い切る。「アレハンドロはとても個性的な監督で、観客が物語の世界に浸れるような映像を撮るんだ。いつも独特なスタイルを守っていて、彼にしか撮れない映像を作る。そんなことができる監督は本当に少ない。今回は壮大な作品で、彼の個性が生きているよ」。
ディカプリオはまた、「監督の相棒」であるエマニュエル・ルベツキ撮影監督の手腕にも言及し「監督たちの目標とする映像がきちんと実現できたと思う。バーチャル・リアリティの世界に入ったように主人公たちの体験を味わえる作品だよ。カメラの動きも素晴らしい。原野を自由自在に動いたかと思うと、登場人物の細かな感情をしっかりと撮る。まるで旅人の視線のように感じると思う。このカメラの目線が、キャラクターの1人のように思えるかもしれないね」とリアリティあふれる画作りの魅力を語っている。
自身が演じたグラスは、アメリカの伝説的な人物だが「民間伝承によって広まった物語だが、彼は実存した人物であり、この事件も本当に起きた。多分監督は、この物語を映像詩のような作品にしたかったんだ。絶望的としかいえない状況で生き延びられたのは、強い精神性のおかげだ。ヒュー・グラスは人間の可能性を証明してみせた」と語る。
さらに、グラスの精神力は、先住民族の妻との間に生まれた息子への愛のたまものだという考えを示し「ヒュー・グラスが息子に教えるのは、存在を悟られないように生きることだ。当時も、人種差別の問題が存在していた。父は子にこう伝えていたんだ。『俺たちはなんとしてでも生き抜いていくぞ』。その精神は、グラスが仲間に見捨てられ、たった1人で原野で生き延びるときにも大いに役立った」と分析している。
(映画.com速報)
http://eiga.com/news/20160422/7/

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自公提出の「ヘイトスピーチ法案」のなかで、明らかに容認できない「適法居住要件」とは何か。

2016-04-23 | アイヌ民族関連
伊藤和子 | 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長 2016年4月22日 9時0分配信
<熊本地震において、被災されたみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。>
■ ようやく! 自公ヘイト法案
在日コリアン等のマイノリティに対するヘイトスピーチが深刻な状況にある。
新聞報道によれば、熊本の地震の直後にも悪質なヘイトスピーチが飛び出したとのことで、暗澹たる気持ちになった。
「朝鮮人が井戸に毒」 熊本地震 ネットにあふれるヘイト(2016年4月16日 東京新聞)
「井戸に毒を投げ込んだぞ」。熊本県益城町(ましきまち)で震度7を観測した地震の発生後、短文投稿サイトのツイッターには、関東大震災時の朝鮮人虐殺を思わせる流言飛語があふれ返った。災害時にデマはつきものだが、今回のケースは、在日コリアンらを排斥するヘイトスピーチ(差別扇動表現)にほかならない。ヘイトデモに路上で直接抗議する「カウンター」の市民たちが打ち消しに走ったものの、悪質な投稿は後を絶たない。ヘイト根絶のためには、インターネット対策が急務である。 
ヘイトスピーチの深刻化を受けて、2015年には、民主党、社民党及び無所属の議員から、「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律案」が提出された。
2015年に同法案は成立しなかったが、今年に入り、 2016年4月8日に、自民・公明両党から「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案」(以下「本法案」という。)が参議院に提出され、今通常国会で審議されている。
与党が、ヘイトスピーチの解消が「喫緊の課題」(第1条)だという認識に立って、ヘイトスピーチへの対処を進める法案を提出したことは歓迎したい。
しかし、法案を見ると、どうしても容認できない、許してはならないという点がある。「適法居住要件」である。
■ 「適法居住要件」何が問題か。
自公法案をみると、ヘイトスピーチは以下のように定義されている。
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加える旨を告知するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
つまり、適法に居住する者に対するヘイトスピーチだけが、この法案で対応すべき課題だ、というのである。
これはおかしい。ヘイトスピーチ規制の背景にあるのは、日本が批准している国連人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会が勧告を行ったことにあるが、国連人種差別撤廃委員会は、適法に居住しているか否かの区別なく、すべての人種差別をしてはならない、と言っている。こうした条約の精神からみて、適法居住要件は明らかにそぐわない。
まず、「適法」を要件とすると、在留資格なく日本に滞在している外国人や、あるいは滞在の適法性を争っている外国人(この中には多くの難民申請者も含まれる。)は適用対象外とされ、これらの外国人に対するヘイトスピーチは野放しになってしまう。
これでは適法に居住していなければ、ヘイトスピーチの対象とされても仕方がないと国が言っているようなもの、国が容認しているようなものである。
しかし、人はたとえ在留資格がないからと言って、ヘイトスピーチや憎悪的表現の対象とされてはならないはずだ。在留資格がないから人権侵害をしてもかまわない、このような考えは到底容認できない。
このような定義では、故国から逃れ、日本に救いを求めようとする難民認定申請者の多くがヘイトスピーチの対象者として野放しになる。
いま、シリアをはじめ、世界中で紛争が続く中、難民受け入れ・保護は国際社会が取り組むべき最重要課題のひとつとなっている。
日本で難民申請をする人たちは、難民として認められるまでに「仮滞在許可」を受ける場合もあるものの、こうした許可を受けられず、難民認定も得られず、審査請求をしたり、裁判を提起したりしてようやく難民と認められる人たちも少なくない。こうして最終的には難民と認められる人たちでも、そのプロセスで「不法滞在」という扱いを受けることも少なくないのだ。
日本では、そもそも難民認定率があまりにも低く、大きな問題となっており、多くの難民申請希望者は大変深刻な状況に置かれている。
そこへきて、こうした難民認定を求める人たちに対して、ヘイトスピーチからの保護から除外することでよいのか。
「そうだ、難民しよう」というヘイト書籍が問題になったが、この本に代表されるような難民に対するヘイトスピーチへの対処をせず、迫害を受けて庇護を求める難民申請者を差別し、傷つける言動をすることを私たちの社会は容認していいのだろうか。
難民だけではない、日本には、様々な形で、在留資格がないために苦境に立たされている人がいる。例えば、夫からDVを受けて避難生活を送り、離婚を求める外国人女性も一時的にオーバーステイになってしまうことが多い。在留資格がないからヘイトスピーチの対象となっても仕方がない、というのは明らかにおかしい。
次に、「居住」というのもおかしい。一時的な外国からの旅行者に対するヘイトスピーチは完全に除外されることになるからだ。
例えば、2020年には東京オリンピックが予定されているが、仮にオリンピックに出場するために来日した選手や、観戦に来た観客に対するヘイトスピーチがなされても、「居住」していないから、何らの対策もないというのだ。
これで本当に国際的に開かれたオリンピックを実現できるというのだろうか。
さらに、上記のような法律の定義では、外国にルーツを持つマイノリティはヘイトスピーチから保護されるのに対し、日本にルーツをもつマイノリティへのヘイトスピーチは規制されないことになる。
例えば、日本の先住民族であるアイヌ民族や琉球・沖縄の人々、また被差別といった国内のマイノリティに対してヘイトスピーチをしても適用対象外とされることも大きな問題だ。
人種差別撤廃条約は人種差別を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく」(同条約第1条)差別と定義している。これにならって、すべての民族的、世系上のマイノリティを対象とするべきだ。
国がこのような法律をつくるとき、一部のマイノリティだけを保護し、他のマイノリティを保護しない、という施策を決めることは、保護の対象とされなかったマイノリティを一層深刻な立場に置くことになる。あたかも、そうした者は保護に値するものでないと国が言っているに等しい。
それは、新たな差別をもたらすことになる。特にこの法律がヘイトスピーチという深刻な人権侵害に関するものであることを考えるなら、その影響は深刻である。
■実効性に乏しい内容
さらに、本法案は、前文で「不当な差別的言動は許されないことを宣言」しながら、本文では「本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない」(第3条)として、努力義務を定めるにとどまる。
どこにもヘイトスピーチは違法、禁止する、という文言がないのは、様々な場面において、果たして有効にマイノリティを保護しうる法律なのか、という実効性に疑問を呼んでいる。
この点、人種差別撤廃条約は、締約国に対して「すべての適法な方法により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる」義務を課している(2条1項(e)等参照)のであり、実効性のあるヘイトスピーチ抑止のために、「違法」若しくは「禁止」の文言を明確に規定する必要がある。
また、本法案は7条までしかない短い法律で、施策として掲げられているのは相談体制の整備、教育、啓発だけである。
被害救済の具体的措置は明確とは言えず、深刻になっているインターネット上のヘイトスピーチへの対応なども抜けている。
そして現実に役割が求められる地方公共団体の責務が、「努力義務」に過ぎない点も問題である。相談体制の整備、教育の充実、啓発活動等ですら努力義務に過ぎないとされているので、本法案の掲げる施策は実効性に乏しいという懸念がある。
この点、2016年4月に施行された「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法)では、「国及び地方公共団体は、この法律の趣旨にのっとり、障害を理由とする差別の解消の推進に関して必要な施策を策定し、及びこれを実施しなければならない。」とし、国と地方公共団体に「努力」以上の「実施義務」を課しているので、どうして同様の法律にできないのだろうか。甚だ疑問である。
自公ヘイト法案も、障害者差別解消法にならって、地方自治体に不当な差別的言動の解消に向けて充実した施策の実施を義務付けるべきである。
■ 差別解消への第一歩となるか。
私たちとしては、 今後、与野党の協議を通じて、修正が図られ、実効的なヘイトスピーチ対策の立法が実現することを強く求めたい。
特に、適法居住要件に対しては、これまで述べてきた通り、人権上極めて問題がある規定であり、なんとしても、修正してほしい。
与野党の責任者が、こうした問題提起を真摯に受け止め、修正を進めていかれることを強く期待する。
そして、この法律案が成立しても、これはあくまでも人種差別撤廃法制の最初の一歩に過ぎない。根本的な解決のために、人種差別撤廃委員会が勧告するとおり、ヘイトスピーチ以外の人種差別にも対処する包括的差別禁止法の制定を推進していくことが必要である。

参考:
国際人権NGOヒューマンライツ・ナウでは、2014年にヘイトスピーチ被害の実態調査を行い、調査報告書を公表、深刻な被害実態を明らかにし、包括的な差別禁止法の制定などの対応を政府に勧告しています。
「在日コリアンに対するヘイト・スピーチ被害実態調査報告書」
この概要に関するヤフー個人記事はこちら。
「ヘイトスピーチはそれを受けた人々にいかに恐怖を与え、心の傷を残すのか。人権団体調査報告書を公表」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20141201-00041110/
・冒頭の写真は、ヒューマンライツ・ナウが行った許さないヘイトスピーチ・フォトアクション・キャンペーン(2014年12月参加者の方々のコラージュ・撮影協力 志葉玲氏)

伊藤和子 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20160422-00056778/

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坂本龍一が語る、映画『レヴェナント』の本質 「“自然の視点”こそが本当のテーマ」

2016-04-23 | 先住民族関連
リアルサウンド2016.04.21

 日本を代表する音楽家・坂本龍一が音楽を手掛けた映画『レヴェナント・蘇えりし者』が4月22日より全国公開される。本作は、狩猟中に瀕死の重傷を負い、荒野にひとり取り残されたハンターのヒュー・グラスが、最愛の息子を殺した仲間へ復讐するために大自然を生き抜いていくサバイバル映画。本年度のアカデミー賞では、主演のレオナルド・ディカプリオが悲願の主演男優賞を獲得し、監督のアレハンドロ・G・イニャリトゥが2年連続2度目の監督賞、撮影監督のエマニュエル・ルベツキが3年連続3度目の撮影賞を受賞した。病気療養のため、音楽活動を休止していた坂本にとっては、昨年公開された『母と暮らせば』に並ぶ復帰作となる。「自然」や「孤独」をテーマにした本作に、療養中だった坂本はどう向き合い、音を作り上げていったのか。制作過程の状況や、映画音楽についての考え方について話を聞いた。
「負の感情が“強い生命力”に繋がるというのはなかなか面白い」
ーー本作からは「自然と人間の戦い」、あるいは「先住民族と開拓者の戦い」「人間の生命の神秘性」など、様々なテーマを感じることができます。音楽を手がける際にどんなことを意識したのか教えてください。
坂本龍一(以下、坂本):僕は初めてこの作品を見たときから主役は「自然」だと思っていました。壮大な自然の中に、人間の復讐という非常に小さなドラマがある。劇中でヒュー・グラス(ディカプリオ)は、瀕死の重傷を負いながらも、何百キロも旅をしてフィッツジェラルド(トム・ハーディ)に復讐を成し遂げますが、最後は虚しい感情にとらわれて終わってしまう。ヨーロッパやアメリカのいくつかの評論家から、この作品は復讐を目的としたシンプルなストーリーと評されているように、復讐もドラマの核のひとつだとは思います。しかし、それよりももっと大きい、人間を掌の上で見ているような「自然の視点」こそが本当のテーマだと僕は感じていたので、音楽に関しても特にそこを意識しています。
ーー療養中に今回のオファーがあったということですが、主人公ヒュー・グラスの懸命に生きようとする姿勢に対して、なにか思うところはありましたか?
坂本:依頼を受けた時は、まだ体調が半分くらいしか回復していない時期だったので、体調を回復させることと、この映画を完成させることを並行して行う必要がありました。やはり、それはすごくきつかったです。映画についていえば、僕自身は療養中にあまりそう感じなかったものの、負の感情が“強い生命力”に繋がるというのはなかなか面白い。トム・ハーディーが演じていたフィッツジェラルドも、一見悪党に見えるが実はそうではない。彼は彼なりに、過酷な自然の中でプラグマティックに生きようとしているだけで。そういう部分が、本作を単純な善悪の戦いではなく、もう少し複雑なテーマにしているのだと思います。
ーー音楽を制作する際にイニャリトゥ監督とはどんなやりとりを?
坂本:本来であれば、クリント・イーストウッドやチャールズ・チャップリンみたいに、必要としている映画音楽を自分で作れてしまうのが一番良いでしょう。ただ、それが困難なため僕らに依頼するわけで、僕らの役目は彼らが作ろうとしているものを、できる限り忠実に実現してあげることだと思っています。ですから、彼が何を望んでいるのか、やりとりの中から反応を見ながら想像していく必要がありました。イニャリトゥからは最初の段階で全体の方向性は聞いていたのですが、音楽を口で表現するのはどこの国でも難しく、彼自身も音で表現することはできないので、そこに翻訳作業が発生します。イニャリトゥの要望に近い既成の音楽を聴いてみたり、彼が提案してくる音楽に対して僕がこういう方がいいのではないか、と意見を交換し合うこともありました。しかし、人の気持ちは当然理解し難いものなので、何度も言葉を交わし、実際に音を聞かせ、密にやりとりを重ねていきました。
ーー電子音と楽器の生音をあわせて使っているのが印象的でした。
坂本:普通の楽器の音と電子音を融合させてほしい、というのは監督からの強い要望でした。それに、音と音の“間”を積極的に表現として取り入れたり、音楽とも言えないような最小限の音の動きを作っていくことも、最初から最後まで一貫していますね。広大な雪原の中にぽつんと取り残された時の孤独感や無力感、緊張感なども音楽のテーマになっていました。おそらく実際に広い雪原の中に身を置くと、無音が周囲を包み、自分の息や心臓の鼓動だけが聞こえてくるような状況になると思います。そんな音の空間が劇中でも作られていたので、音楽もそれに寄り添うような形にしていきました。ディカプリオの荒い息づかいや風のざわめきを映画音楽の一部として扱い、その中で最小限の音楽がゆったりとした間を持って切れ切れに聞こえるくらいのものをつくりたい、というのが監督と私がやりたかったことです。もしここに情緒的でメロディアスな音楽が付いていても合わなかったでしょうね。
ーーポップスと映画音楽では、作る際にどんな違いがありますか。
坂本:目的が違うのでそれぞれ大きく異なりますが、強いて言うのであればポップスは制限がある中で作っていますよね。たとえば、時間は長くて5分程度でまとめてあったり、大体の曲にはメロディと歌が付いていたり、なんとなく決まった形式があります。僕が過去に手掛けた曲のように、器楽曲でもポップスのように売れることも稀にありますが、今のところノイズだけの音楽などがポップスとして成立することは難しい。一方、映画音楽は映画ありきなので幅広い可能性があります。ジャンルに関係なく、古今東西の音楽を使うことが可能な上、ノイズだけやほぼ無音ということもあり得ますし、こうしなければならない、というルールが一切ありません。そう考えると、はるかにポップスの方がルールに縛られているな、と随分前から感じていました。ただ、実際の音作りでは、同じリズムマシンやプラグインを使っていくので、似通っているところはずいぶん多いと思います。
「僕らの予想を越えた楽しみ方をしてくれるのも面白い」
ーー作曲は、ある程度完成した映像を観てから始めたのでしょうか?
坂本:本当は完成した映像を観て作るのが理想的ですが、今回は作品がどんどん変化していく中で作曲しました。コンピューターのOSにたとえると、バージョン0から始まって、最終的には8.5くらいまでいったのですが、その間に新しい場面が付け加えられたり、順番が入れ替わったり、場面が消えたりするわけです。仮に作り終えた音楽だったとしても、映像にあわせて再度調整する必要があるので、その調整と新たに生み出す作業を同時に行っていました。調整に手間をかけていたら、新しい音楽を作るための時間がなくなってしまうこともあって……よくあることですが、今回も大変な作業でしたね。
ーー最後に、坂本さん自身の映画の楽しみ方やコツを教えてください。
坂本:映画の楽しみ方は自由なものであって、どんな楽しみ方をしてもらっても良いと思います。こうした方が良いということは言えないし、むしろ僕も教えてもらいたいですね(笑)。たとえば、ずっと目をつむって観ても良いし、ずっと耳を塞いで観ても良い。僕らの予想を越えた楽しみ方をしてくれるのも面白いと思います。ただ、スクリーンに映っているものだけが映画ではなく、映っていないところに何百人ものスタッフがいて、ありとあらゆる技術が使われている。もしカメラに興味があるのであれば、映像のつながりやカメラの動きを観察したり、物語に興味があれば脚本の書き方を考えてもいい。そのほかにも、音や演技などに着目するのもいいでしょう。それを統括するのが監督で、すべてを理解しながら、アイデアを出しながらリードしていく。ものすごい知識と総合的な能力が求められる役割なので、そこを考えながら見るのも楽しいのでは。僕も『シェルタリング・スカイ』という映画の音楽を作っていた時、ふとカメラの動きを追いかけるようになって、そこから映画がまったく別のものに見えるようになった。寄りや引きのカットひとつにしても、そこには映像監督と監督による独特の決断があって、どのタイミングにどのくらいの時間をかけて、どのアングルから撮っていくのか、すべての動きに意思が込められていて偶然はない。そこには実に深い哲学を感じることができるから、映画を読み解くのは奥深いものだと僕は思います。
映画「レヴェナント:蘇えりし者」坂本龍一 音楽版予告
https://youtu.be/Pqdq-k5Zg90
(取材・文=泉夏音)
■公開映像
『レヴェナント:蘇えりし者』
4月22日(金)TOHOシネマズ 日劇ほか全国ロードショー
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハーディほか
(c)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/revenant/
http://realsound.jp/movie/2016/04/post-1505.html

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大型連休前に企業や団体職員などが清掃奉仕 白老ポロト地区

2016-04-23 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 4/22)
 白老町のポロト地区で20日、春の清掃活動(白老観光協会主催)が行われ、町内の企業や団体職員など約50人が参加した。大型連休を控え、美しい自然を観光客に楽しんでもらおうと毎年実施している。参加者は春らしい景色を楽しみながら散策路などに落ちているごみを拾い集めた。
 清掃活動には町職員やアイヌ民族博物館、胆振東部森林管理署などの職員が参加。観光協会の高橋次郎会長は冒頭あいさつで「本格的な観光シーズンが始まる。より一層ポロト地区をきれいにして昨年以上に多くの人を迎えたい」などと述べた。
 参加者はグループごとに分かれて1周約6キロの湖畔周辺の散策路を念入りに清掃。今年は例年よりもごみの量が少なく、「今年はきれいな春ですね」と話す人もいた。また、林の中を分け入ったり湖の水際まで活動する人もいるなど、約1時間にわたり環境美化に努めた。
http://www.tomamin.co.jp/20160437710

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新井満さんが「イランカラプテキャンペーン」応援ソング制作

2016-04-23 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 4/22)

知事にCDを寄贈する(左から)新井氏と秋辺氏
 渡島管内七飯町に住む作詞作曲家新井満(まん)氏が、アイヌ民族でユーカラ劇脚本・演出家の秋辺日出男氏(釧路市阿寒町)と共同で「イランカラプテキャンペーン」応援ソングを制作、21日、その楽曲が入ったCDを知事に寄贈した。音源使用権も道に無償提供され、道は応援ソングを通し、アイヌ語で「こんにちわ」の意味を持つイランカラプテのあいさつを広く普及させていく予定だ。
 応援ソングは「イランカラプテ~君に逢えてよかった」のタイトルが付き、新井氏と秋辺氏が作詞、新井氏が作曲と歌を担当した。1~3番の構成で壮大な北海道をイメージするような、全体的にゆったりとした曲の流れになっており、「完成までに3年かかった」(新井氏)という労作だ。
 贈呈したCDには、式典などのBGMに使えるオーケストラの演奏やカラオケバージョンも収録されている。知事は「耳にすっと入ってくるメロディー」と絶賛。「いろいろな場面で大切に活用していきたい」と感謝の言葉を述べた。
 新井氏は、ロングセラーになっている「千の風になって」の作曲者で、同曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞。作家としても活躍し、「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞している。
 3年前に初めて耳にしたイランカラプテの言葉に、「単に『こんにちわ』という意味にとどまらず、『もしできるなら、あなたの心にそっと触れさせて』という奥ゆかしく控えめな言葉。そんな言葉があると知り、感動した」と作曲の経緯を語り、「一度聞いただけで子どもからお年寄りまで覚えられるメロディー。『千の風になって』と同じように幅広い人たちから支持が得られれば」と話した。
 秋辺さんも「きれいな曲。イランカラプテの語呂はリズムにはまりずらく、『プ』の発音が難しい。そこを本当にうまくはめていただいた」と楽曲の出来上がりを高く評価した。
 イランカラプテキャンペーンは、道アイヌ協会や道経産局など産学官組織が北海道のおもてなしの言葉として普及させ、アイヌ文化に関心を高めてもらおう、と2013年度から取り組んでいる。道アイヌ政策推進室は今後、寄贈されたCDを無料貸し出しする。問い合わせは電話011(204)5185。
 楽曲「イランカラプテ」の歌詞は次の通り。
遠い町から はるばると
よく来てくれたね 旅人よ
ここは 森と湖の大地
鳥は歌い 風は大空を吹きわたる
イランカラプテ イランカラプテ
君に逢えてよかった
今日はいい日だ
遠い国から はるばると
よく来てくれたね 旅人よ
ここは 雪とぬくもりの大地
いのちの河は ゆったりと流れる
イランカラプテ イランカラプテ
君に逢えてよかった
今日はいい日だ
http://www.tomamin.co.jp/20160437689

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