先住民族関連ニュース

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江戸期の蝦夷地 近代医療広めた医師の歩みにメス 島田保久

2016-04-10 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2016/4/7付 朝刊

 本州とは異なる地理的・歴史的条件を持った北海道には、医療においてもまた独自の歩みがあった。私は札幌市で整形外科を開業するかたわら、江戸期以降の北海道の医療史を40年以上にわたり調べてきた。今に残る資料をひもとくと、蝦夷地(えぞち)を支えた医の先人たちの苦労がしのばれる。
 和人による医療の記録が確認できるのは17世紀の江戸初期、渡島(おしま)半島に松前藩が成立して以降だ。私はそこから明治・大正期にいたる約300年の間に活躍した医師について調査している。
■家康に貴重な薬を献上
 最も古い時代に属する資料のひとつは、津軽藩に残っていた「シャクシャインの戦い」に関する記録だ。1669年に先住民のアイヌ民族が松前藩に対し蜂起した歴史的事件だが、そこに派兵した津軽藩は、医師を随行したとある。松前藩にも、1700年ごろには10人ほどの藩医がいたことが分かっている。
 固有の動植物が生息する北海道は、貴重な薬の採取地でもあった。例えば1612年には、松前藩主が徳川家康に「海狗腎(かいくじん)」を献上している。これはオットセイの生殖器のこと。
 当時、蝦夷地は朝鮮半島に近いと考えられていて、家康が朝鮮と親交のある対馬藩の筆頭家老を松前藩主に引き合わせたところ、かの地ではオットセイを薬にしているとの情報を得たようだ。捕獲が難しかったのか、献上までは2年を要した。
 私が医療史の研究を始めたのは、市立函館病院の医師だった阿部龍夫先生の「函館の医事と医人」を読んだのがきっかけだった。函館における先人の活躍に興味を持ち、巻末の参考文献を一冊ずつ読んでいった。
 1969年に37歳で開業し多忙だったが、休診日に図書館や古書店に通って関連資料を探した。江戸時代は漢方医学が主流だったので、日本東洋医学会にも入って指導医の資格もとった。
■日本初の種痘を実施
 ロシアとの結びつきが強いのも北海道ならではだ。日本で初めて、牛痘による種痘(天然痘の予防接種)をほどこした中川五郎治は、もともと択捉島の番人小頭だったが、1807年、ロシアに捕らえられてシベリアに連行された。抑留中に種痘書を手に入れ、現地で技術を学んだという。
 5年後に帰国、1824年に松前で11歳の子供に種痘した。牛痘による種痘法は英国で開発され、後に長崎・出島経由の正規ルートで日本に伝わるが、それ以前にロシアからもたらされていたのだった。
 天然痘は、和人が蝦夷地に持ち込んだ病気だった。アイヌ民族には免疫がなかったため、江戸末期に大流行して人口が減った。さすがに看過できなくなった幕府は、ほぼすべての蝦夷地を直轄にした翌年の1856年、アイヌ民族に強制種痘することを決め、2人の医師を派遣した。
 種痘医の桑田立斎は5000人超に実施。同じく種痘医の深瀬洋春と合わせて、当時のアイヌ民族の半数以上の人々に種痘したといわれる。私が古書店から入手した錦絵「公命蝦夷人種痘之図」には、その様子が描かれている。行列をなすアイヌの人々の腕に、和服を着た医師が、順番に種痘している。
 幕末には来日したロシア人医師が、西洋医学を伝えた。箱館開港に伴って、ロシア領事とともに海軍軍医のアルブレヒトが1858年に赴任、ロシア人のために建設された病院で診察した。
■ロシア人から西洋医学
 幕府は当初、一般人の診療は認めない方針だったが、住民の嘆願に押されて方針転換した。このおかげで箱館奉行所に雇われていた医師が西洋医学の高い技術を目の当たりにすることとなり、何人もの医師がアルブレヒトの研修医になった。
 アルブレヒトの論文によると、当時の箱館では目の病気と梅毒が多かったとある。目が悪かったのは、暖房用に室内で火を燃やしたので、ススが出ていたからだろう。
 研究を医師仲間に広げようと、1993年には北海道医史学研究会を立ち上げた。「北辰(ほくしん)」と名付けた論文誌は98年から2011年まで11号発行した。私は研究の集大成として、昨年「蝦夷地醫家(いか)人名字彙」を自費出版した。約660点の資料に当たって、530人の医師らの名前や功績を記したものだ。
 とはいえ、まだ分からないことばかりだ。私も今年84歳になった。今後は診察を減らし、研究を深めたい。そして私のバイブル「函館の医事と医人」にあやかり、「札幌の医事と医人」を出版したいと夢見ている。
(しまだ・やすひさ=札幌市医師会元会長)
http://style.nikkei.com/article/DGXKZO99342880W6A400C1BC8000

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[はな図鑑 クロユリ] 神秘的な1本 和の味わい

2016-04-10 | アイヌ民族関連
読売新聞-2016年04月10日

 黒く見えるほど暗い紫色の花びらをしたクロユリは、本州の高山帯や北海道などに自生する植物です。古くはアイヌ民族が縁結びを願う際に用いたといい、「恋」という花言葉があります。その一方、色合いのせいか、本州では「人を不仲にして家をほろぼす」という不吉な伝説もあります。
 このように、正反対のイメージを併せ持つ神秘的な魅力を生かそうと、1本だけを用いました。茎の線や、細長く先がとがった葉の形を際立たせるため、ニンジンの葉のようなダバリア・トリコマノイデス、名前の通り繊細なリュウノヒゲなどはなるべく下の方に配しています コケで覆った吸水スポンジにいけています。朽ちた竹なども加えて、和の味わいを演出してみました。(談)
 古川浩孝(ふるかわ・ひろたか) 池坊中央研修学院研究員。富山市を中心に、各地でいけばなを指導している。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20160404-OYT8T50016.html

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