石井伸之の国立市議会議員日記 自由民主党会派所属

東京都国立市の若手?市議会議員(6期目)による日記です。国立市議会議員として国立市政の最新情報を伝えて行きます。

2月2日本日は東京都庁で3・4・10号線についての打ち合わせをしました

2009年02月02日 | Weblog
 こんにちは、国立市議会議員自由民主党新政会会派所属の石井伸之です。それにしても、昨夜の浅間山噴火によって粉がかかったかのようになっており、写真のように市役所東側も石灰が撒かれたかのようです。


 さて、本日は平成21年度予算の剣が峰とも言うべき、都市計画道路3・4・10号線(いつも話題に上っている、東側ガード下道路を旭通りまで貫通させる道路です)について、東京都での対応を聞く為に都庁へ向かいました。

 これには三田敏哉都議会議員が、場のセッティングをしていただき、忙しい中を担当部長からこういった道路に対する補助の状況を聞くことができました。

 この一件は、国立市平成21年度予算案に対する可否の判断をする重要な部分となっておりますが、関口市長は「お金が無い」の一点張りで必要な道路に対して、平成25年度頭出しというだけで、実際に道路予定地地権者と市長の話し合いの中では、その平成25年すらもはっきりしていないと言われたそうです。

 総務局の部長からは、こういった案件があれば、他市では市長が来て直接交渉をして、その後は事務局が足繁く内容を精査する形で煮詰めていくそうです。しかし、関口市政では3・4・10号線に関して、平成25年と書かれているにも関わらず、都庁との打ち合わせは一切行われていないと聞きました。

 しかし、一橋大学での講演でも関口市長は東側ガード下道路を旭通りまで抜く図面で説明しており、この道路建設は規定路線であるかの説明でした。駅周辺まちづくり協議会でもこの3・4・10号線建設は森の駅構想に必要不可欠な道路として位置づけられておりますので、是非とも東京都との交渉を始めるべきです。

 問題の補助金について、どこまで出せるかということについても、東京都の市町村土木費補助等で確実に75%は間違いないということです。さらに、その後どこまで上乗せできるかということについては、交渉次第ということなので、まずは南口ロータリーの交通渋滞緩和に向けて、また危険な道路を放置せず安全な道路作りに向けて関口市長には努力していただきたいと思います。
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2月1日 アメリカ海軍第七艦隊所属空母 ジョージワシントンを見学しました

2009年02月02日 | Weblog
 こんにちは、小学校時代は旧日本海軍所属艦艇のプラモデル作りに熱中していた石井伸之です。戦艦「大和」から、空母「赤城」重巡洋艦「妙高」駆逐艦「吹雪」というように、今でも実家ではプラモデルの箱があります。

 本日は国分寺市のネイビーリーグ(アメリカ海軍の応援している団体です)から三田都議へ、横須賀基地に停泊しているアメリカ第七艦隊所属の空母ジョージワシントン見学の話があり、松嶋議員と共に参加させていただくこととなりました。

 午前7時に国分寺市で集合となっており、バス2台で出発する際に、国分寺市議の高椙健一議員と松本洋平衆議院議員が見送りに来ていただき、それから横須賀へ向かいました。

 横須賀基地が見えてくると、平成17年1月に見学したアメリカ海軍第七艦隊旗艦ブルーリッジの姿が見えて来ました。その脇を少し先に行くと、全長332mあまりの巨大な船が見え、それが本日見学するジョージワシントンの姿でした。

 とにかく、港から見る船体は巨大の一言で、見上げると首が痛くなってしまいます。程無くして内部の見学が始まり、タラップから入船すると、艦載機が置かれるバンカーで、これまたフットボールコートが2面取れるだけあって、とにかく巨大な倉庫という感じで、それでも現在は艦全体が工事中という状況で、まるで工事現場に来たように思いました。

 急な階段を何段も上ると(それでもこの階段は艦長などの幹部が利用するものだそうです)、外部の冷気が感じられ甲板が近いことを想像させてくれます。いよいよ甲板に出ると、国立でも朝から風が強かったのですが、さらに風が強くなっており、突風が来ると吹き飛ばされるのではないかと不安になります。

 初めて航空母艦の甲板に出ると、床面は鉄を溶かしたものでザラザラにしており、ここで転倒したら大けがをすると言われました。さらに、着艦する際のワイヤーロープや蒸気で航空機が発艦するカタパルト等を説明していただきました。

 その後、横須賀将校クラブで昼食をいただいたのですが、バイキング形式ということで並んでいると、驚いたことに青年自由党でお世話になった方より声を掛けられました。その方との再会を懐かしんでいると「今日は中村会長も来ていますよ」という一言には、耳を疑いました。

 私がこうやって国立市議会議員となれたのも、青年自由党が地盤・看板・カバンの無い若者にチャンスを与えようということから、やる気のある若者に立候補へ向けた準備を様々な形で支援していただいたことによります。

 平成11年の統一地方選挙に向けて、平成10年の秋に初めて中村会長とお会いしてから、私の議員へ向けての道が拓けたと言っても過言ではありません。中村功会長は東日本ハウスを始めとして銀河高原ビール、大江戸温泉物語というように様々な事業を展開する事業家としても大変有名です。

 久し振りに再会することができ「おおー、石井君、覚えてますよ、あなたならきっとやってくれると思っていた、活躍は聞いておるよ、立派になったな」という、一言をいただいた時には、昔の様々な思い出が走馬灯のように駆け巡り、ついつい涙腺が緩みそうになりました。

 その後、声を掛けていただいた漁火新聞局長からも、様々な情報をいただきました。すると、あらゆる地域で努力している仲間が議員になっているという話を聞くと、嬉しくなります。

 僅かな時間での再会でしたが、72歳となる中村会長の元気な姿を見ることができ、ジョージワシントン見学の機会をいただいたことを三田都議に心から感謝したいと思います。
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