昨日書こうと思っていて今日になった。昨日10月26日は「柿の日」であった。いわれは、明治28年10月26日に正岡子規が奈良に旅し、例の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」を詠んだとされる日だからである。実際は、東大寺の近くに逗留して東大寺の鐘を聞いたのでは・・、という説もあるが、やはり、これは斑鳩の法隆寺でないと風情がない。とにかく奈良は柿の名産地で、柿の葉寿司も奈良名産の一つである。
正岡子規は、結核で微熱がづっとあったので、冷たく体を冷やす果物、とりわけ柿や林檎が好きだった。だから柿の句も上記に留まらない。
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つづく奈良の町
晩鐘や寺の熟柿の落つる音
柿赤く稲田みのれり塀の内
これらは確かに奈良の市内で詠まれた感じである。
更に、子規最後の秋になった明治34年にも次の句がある。
カブリツク熟柿ヤ髯を汚シケリ
柿くふも今年ばかりと思ひけり
この年は柿を食べられたが翌年、明治35年9月19日に柿を食べることなく35歳の命を終えた。
私達は11月5日(日)に鹿背山の「タゴール農園」に柿狩りに出かける予定。
柿わいん 飲めば宇宙に 舞いあがる 市路
過去に書いた正岡子規関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/649a6959121efab19e4ca175696be4d1
正岡子規は、結核で微熱がづっとあったので、冷たく体を冷やす果物、とりわけ柿や林檎が好きだった。だから柿の句も上記に留まらない。
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つづく奈良の町
晩鐘や寺の熟柿の落つる音
柿赤く稲田みのれり塀の内
これらは確かに奈良の市内で詠まれた感じである。
更に、子規最後の秋になった明治34年にも次の句がある。
カブリツク熟柿ヤ髯を汚シケリ
柿くふも今年ばかりと思ひけり
この年は柿を食べられたが翌年、明治35年9月19日に柿を食べることなく35歳の命を終えた。
私達は11月5日(日)に鹿背山の「タゴール農園」に柿狩りに出かける予定。
柿わいん 飲めば宇宙に 舞いあがる 市路
過去に書いた正岡子規関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/649a6959121efab19e4ca175696be4d1