西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

中国共産党は陳 良宇氏を解任

2006-10-15 | 時論、雑感
NHKTVの「海外ネット」で中国共産党のトップの一人、上海の書記・陳 良宇氏が汚職容疑で解任されたことをやっていた。胡錦濤総書記の下で政治局常務委員は9人いるが5人が江沢民前総書記の「息」がかかる上海グループという。汚職容疑の陳 良宇氏もかって江沢民の部下だった。汚職が起こるのは、一応、社会主義を標榜しているが同時に市場経済を活用していこうという小平氏の「改革開放」路線によっていると思う。この市場経済を利用しながら社会主義を建設するというのは歴史的には初めての壮大な試みとも言え、注目に値するが、こういう汚職の発生する恐れも同時にあるわけだ。胡錦濤氏は経済発展を押し進めると同時に格差是正も図ろうとしており、それこそ社会主義的視点である。来年は、胡錦濤氏体制二期目を迎える。世界史的に注目していきたい。

木村明人先生とチベット史、イスラム史等

2006-10-15 | 金沢の思い出
世界史を担当しておられる金大付属高校の木村明人先生は、講演の中で、ヨーロッパ史、東洋史(中国史)位までは生徒も将来そういう所に行くかもしれないと興味を少しは示すが、チベット史、イスラム史になると、さっぱりだ、と言われた。中南米史もそうらしい。私が生徒だった頃の世界史は今はなき光谷音吉先生が担当で、細かく書き込んだプリントも毎回貰い、それこそ世界中を対象にした話だったと思う。しかし、自分として余りそれらの重要性が認識できず、昼下がりの授業の時は、たんたんとした「光谷節」は格好な「子守唄」に聞こえていた。しかし、今は完全に「世界は一つになっており」世界史の意義は、はっきり分かる。
チベット史もイスラム史も、たぶん「そもそも」と始めると縁遠く感じるが、現実のチベットと中華人民共和国の関係とか、今のイスラム社会へのアメリカの戦争仕掛けの意味とかの問題を媒介として徐々に奥深く入っていけば、世界を空間的にも時間的にも「つながっている」ものとして高校生も興味を持つのではなかろうか。

金沢大学付属高校同窓会(6)歴史教育の必要性

2006-10-15 | 金沢の思い出
歴史教育といってもつい最近の日本と中国等との「戦争」をどう捉えるか、という問題を言っているのではない。木村明人先生は、最近教育畑でわくわくするような夢、大きなパラダイムが語られなくなった、と言われた。今となっては、実際、歴史的事象に入るが、戦後すぐの「国民主権、民主主義、男女平等」と言った極めて明確で分かりやすい大きな目標が、現在は見えていない、と言われる。まあそれら自体も実現しているかといえば疑問で今だ目標でもあるのだが・・。
で、私は発言した。先生は歴史学をやっておられますが、混迷した時には歴史に学ぶということが必要、歴史は英語でHistory、Hi-story即ちこころ高ぶる物語であるから・・、細かい年号や事件、人物を細切れに覚えるのが歴史ではないはず、外国にいっても国内観光でも、歴史を理解していないとさっぱり面白くない。・・と。歴史教育を、それこそ「骨太」にやる必要を強く感じるこの頃である。

金沢大学付属高校同窓会(5)懇親会等

2006-10-15 | 金沢の思い出
懇親会は、店が「魯迅」という位なので中華料理だった。関西支部長の大川良樹君(私と同期、11期)が司会、木村明人先生が乾杯の音頭でわいわい進んだ。奥田校長(教育学部教授)から、この春、石川県で「話題」になった、「東大合格者について県下の泉丘高校ー旧制一中ーに戦後初めて抜かれた」ことについて、説明があった。まあ、抜き返そうと鋭意進路指導でははっぱをかけているようだが、別の視点、医学部進学という視点(医者になるには、何処の大学でも良い、教育を受け国家試験に通ればよい)からみると、進学者/生徒数の指標で、金大付属は全国16位、泉丘は40位ほどと言う。だけど、私は何も「東大、東大」という必要もないし、医者不足とはいえ医学部ばかりに行くのは面白くない。高校同窓会は、多様な大学、多様な分野、多様な地域から出てくるメンバーで構成されている方が面白い、とテーブル周辺で発言しておいた。我々11期で参加したのは5人だが、出身大学は順不同で阪大2、京大、信州大、早稲田だった。全体では50人ほど来ていたが、東大も数人いたが多様な大学出身、多様な分野出身で話題は尽きない感じだった。まあ法曹関係、大学の先生は一寸目立っていたかもしれないが・・。最後に室生犀星作詞の校歌を老いもわかきも大声で歌ってお開きとなった。

金沢大学付属高校同窓会(4)60周年同窓会に関連して

2006-10-15 | 金沢の思い出
来年は「金大付属高」が出来て60周年、還暦である。10月27日に金沢でセレモニー等が行われる。で、同窓会長の平口泰夫君(18期、私より7歳下、団塊の世代)が、参加かたの挨拶をし、同時に記念事業として、「創立60周年記念館(仮称)」の設立趣旨と募金を呼びかけた。これは、私も10年前の50周年の頃から前会長の高松さん(大分先輩、医者)に同窓会館の設立を提起していたし、平口君も良く承知していたので、ようやくだな、と思った。金沢大学が法人化したので寄付がしやすくなった。金沢大学学長が林 勇二郎君で我々と同じ11期の卒業なので、やりやすい面がある。でも良く聞いてみると、後輩の生徒のためのスポーツ系クラブ室20室をつくるのが主な目的のようだ。何年か前に火事で焼失、文部科学省に予算要求するも埒があかないからと言う。同窓会室は「事務室」一箇所程度である。来ておられた奥田晴樹校長や木村明人副校長からも「お願い」があって、ほぼ了承ではあったが、二人の同窓生から「約○○万円の寄付募集というが、もう少し計画、設計もはっきりし、必要経費も明確に・・」「生徒が本当に欲しているのか、の声を聞きたい・・」等の意見があった。平口会長は、他の学校の例なども出して、やりかたについて了承を求めていた。本部の役員会でも今月中に決めて来月から6千人ほどの会員(卒業生は7千人余だが、「つかまる」のが6千人位と言う)に趣意書・お願いを発送の予定、とのことだ。私は勿論、応分の協力をするつもりだ。
後の懇親会等では、スポーツ系と言わず文科系のクラブ室も必要では(新聞部出身の同窓生)、市民が使えるスペースもつくり「市民講座」などしたら・・(私)等の意見も平口さんに届いていた。

金沢大学付属高校同窓会(3)木村先生の講演-2

2006-10-15 | 金沢の思い出
子供達の高校や大学等への進学率をみると、私が大学に入った1960年頃は大学進学率は10%位だった。「付属」二期に入る1974年に高校進学率が90%を超え、第三期の1991年に大学・短大等進学率が50%を超えたと言われた。(現在は75%位になっている)それに伴い、高校以下「ゆとりの教育」ということが言われ、大幅に授業時間も減って、私達が児童、生徒だった頃と比べると、現在の高校1年生は中学2年か3年生くらいか、と木村先生は言われた。木村先生は、赴任して20年以上は、世界史の授業をするのに、専門書を読んで準備してからずっとしていたが、最近の10年は、そんなことしても「無駄」のような「無力感」にとらわれていると言う風に言われた。現在の大学1年は、その授業時間数だけから言うと、昔の高校2年生か3年生位とのことだ。(そういえば、思い当たらないこともない)
先生の方では、高瀬時代には、「男遊び」と称して、週に2,3回、高瀬先生の官舎に呼ばれて酒盛りをし、談論風発、勉強にもなったが、最近は色々な「個別対応」に追われて、逆に「余裕」がなくなった、とのことだ。
で、現在、個別対応というか、各論はやられているが、総論というか、生徒も先生もわくわくする夢、大きな教育パラダイムが必要なのに見えていない、とのこと。又、関連して生徒や保護者を「顧客」とみるのは、この辺で止めて、「良薬は口に苦し」で言うべきことは「押し込んでも教育する」という姿勢に転じないと駄目ではないか、との問題提起が最後にあった。

金沢大学付属高校同窓会(2)木村先生の講演-1

2006-10-15 | 金沢の思い出
木村明人先生の講演は「付属高校今昔」と題するもので、先生自身は、1971年(昭和46年)から来年3月まで36年間、金大付属高校に勤められることになるが、それ以前の金大付属高校がスタートする1947年(昭和22年)から現在まで語られた。1970年以前のことに関する一つの資料は、1987年(昭和62年)にまとめられた『40年史』によっている。(だから、来年2007年で60年「還暦」となる)木村先生は社会科(世界史)の先生なので「歴史」を語るのは、「お得意」なのである。
ベースに国の教育政策をおき、そのベースの上で教育界(特に高校教育界)はどうだったか、そして金大付属高校ではどうだったか、という三層構成で語られた。主に、ここでは金大付属高校の状況、現在の問題点等で私の印象に残ったことを要約する。学校には金沢大学教育学部から教授が校長として原則任期2年(ないし4年)で派遣され代表となっているが、実際には継続的に勤められている教頭(最近は副校長)が中心で運営されてきた。そこに注目すると初期の頃から1970年(昭和45年)まで長期にわたり教頭をされた川西先生の時代(私の在籍した1957年~1960年もここに入る)、高瀬先生の時代(1974年~1984年の10年間)そして以後、木村先生にいたる時代、大きく三期に別けられるとのことだ。
木村先生が大学を出られて赴任される状況は、一期の最後であるが、とにかく「自由の風潮」が空気のようにみなぎっていたことが分かり、我々が生徒だった頃の雰囲気が継続していたことが分かる。4月入ってから、明日入学式だから出てこい、との連絡、行っても学校のどこから入るのか、二人の新任がいたが、生徒の前で紹介され、挨拶しろとのことだがどういう風に出て行って何処で何を言ったらいいのか、これらについて全く「事前指導」がなかった、とのことだ。
私が生徒の時の先生方では後に大学に転じられる先生も多く、一期までは、昔の高等師範学校的、大学的雰囲気だったのである。木村先生に聞いて初めて知ったが、当初から現在にいたるまで生徒に対する「校則」という「拘束」はなく、二期の高瀬先生によると、生徒が何か問題を起こしても「随伴随成」(ずいはんずいせい)即ち、状況に伴い成るようにしたら良い、とのことだったようだ。これは個々の生徒に最も適した方法で指導する、という漢文で『論語』などを講じておられた高瀬先生らしい言い方だ、と私は思った。現在に至るまで校則がなくともやってこられたというのは、ある意味で驚異である。(続く)


金沢大学付属高校同窓会(1)場所と次第

2006-10-15 | 金沢の思い出
10月の今頃になると、金沢大学付属高校の同窓会(関西)が大阪である。昨日の土曜日であった。この日は、別に家政学会関西支部の会(神戸女子大)や西山文庫の運営委員会もあったが、「失礼」してこの会に出た。というのは、この春にもお会いし、長年勤められた副校長の木村明人先生が定年(来年3月)を前に「付属高校今昔」という講演をされるのを是非聞きたい、と思ったからである。
会場は、JR桜ノ宮から歩いて7,8分の大川沿いのOAPタワー38階の「ルーシュン(魯迅)」という中華レストランである。奥のほうに50人位入る部屋があり、そこで講演を聞き、その後、夕方から同窓会の議事があり、懇親会(宴会)となった。
(写真は、会場の大川の向こうのOAPタワー(左)、右は帝国ホテルタワー)