今日は10月22日、京都では時代祭りだな、と思いつつ、一寸京都まで行くのは、やや億劫で、家内と近場の奈良・西ノ京の唐招提寺と薬師寺に久しぶりに行くことにした。「奈良観光」サイトの10月の「歳時記」で調べると、唐招提寺では釈迦念仏会があり、その後に「鑑真に縁の国宝「金亀舎利塔」を拝観できます」と書いてある。入り口正面の「天平の甍」である金堂は修理中で見られないが、本当に久しぶりだし、一方、薬師寺では、玄奘三蔵院伽藍の大唐西域壁画殿で平山郁夫画伯の壁画が公開されている期間と分かったので、両方に行くことにした。唐招提寺と薬師寺の現在を比べて一口で言うと、「いぶし銀」と「キンキラ金」となるであろう。最初に、「いぶし銀」の唐招提寺に行った。ここには何度も来ている。東山魁夷画伯の襖絵(「山雲」「濤声」)が奥の御影堂にあり、6月頃に公開していて見に行ったこともある。御影堂の更に奥の鑑真和上の御廟には初めて行った。鬱蒼としていて人の子一人いなかった。帰りに芭蕉の句碑(若葉して御目の雫拭ばや)を見た。礼堂では釈迦念仏会が終わって「廊下」部で可愛い国宝・金亀舎利塔が置かれ我々は外から「ただ」で見ることが出来た。唐招提寺の金堂の修理が終わるのは3年後という。その時は、また来よう。
次に「キンキラ金」の薬師寺にも久しぶりに行った。私の学生時代(1960年代)の当時には、「凍れる音楽」と言われた東塔しかなかったが、その後、高田好胤師が頑張って、金堂、西塔、回廊と復元、更にそれらの白鳳伽藍にとどまらず路を隔てて玄奘三蔵院伽藍の整備もなって、一大伽藍の様相を呈してきている。これら全体を拝観するのは私も家内も初めてだった。新しい西塔には三層に連子窓が付いているのが目についた。東塔にはないからである。玄奘三蔵院は八角形で中に玄奘三蔵像が安置、舎利も安置されているようだ。額に「不東」とあるのは、長安から西域を通りインドにお経を貰いに出かけた玄奘三蔵としては、西へ西へ進んで決して東を振り返らない決意の言葉と言う。平山郁夫画伯のインドから中国への「仏教伝来」の壁画も見た。中々のものと思うが、前に見た東山魁夷画伯の唐招提寺の襖絵の構想力に圧倒されたことの印象に及ばなかった。率直に言って・・。でも、これらの「濃い経験」をこなすのは大変と思う今夕である。
(写真は、私が学生時代から親しむ「凍れる音楽」の薬師寺・東塔)
過去の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b922c3f210d9581fa83231bbb32e7f00
次に「キンキラ金」の薬師寺にも久しぶりに行った。私の学生時代(1960年代)の当時には、「凍れる音楽」と言われた東塔しかなかったが、その後、高田好胤師が頑張って、金堂、西塔、回廊と復元、更にそれらの白鳳伽藍にとどまらず路を隔てて玄奘三蔵院伽藍の整備もなって、一大伽藍の様相を呈してきている。これら全体を拝観するのは私も家内も初めてだった。新しい西塔には三層に連子窓が付いているのが目についた。東塔にはないからである。玄奘三蔵院は八角形で中に玄奘三蔵像が安置、舎利も安置されているようだ。額に「不東」とあるのは、長安から西域を通りインドにお経を貰いに出かけた玄奘三蔵としては、西へ西へ進んで決して東を振り返らない決意の言葉と言う。平山郁夫画伯のインドから中国への「仏教伝来」の壁画も見た。中々のものと思うが、前に見た東山魁夷画伯の唐招提寺の襖絵の構想力に圧倒されたことの印象に及ばなかった。率直に言って・・。でも、これらの「濃い経験」をこなすのは大変と思う今夕である。
(写真は、私が学生時代から親しむ「凍れる音楽」の薬師寺・東塔)
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