西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「文文日記 日々是好日」を読む

2006-10-23 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
「文文日記 日々是好日」は、建築計画学の大先生・鈴木成文先生の日記である。http://www.s-suzuki.com/suzuki/dialy/f_dialy.html
出来れば、この10月19日、20日を見て欲しい。10月19日に鈴木先生は次のように言われる。「私は旧制成蹊高校出身だが今恥ずかしい思いである。成蹊学園理事長と成蹊会(卒業生の会)会長の名で「安倍総理就任を祝う会」の案内が来たのだ。安倍は成蹊の出身である。学園から初めて首相が出たからとて祝う会を催すのも大人げないが、それより何より安倍の総理就任を苦々しく思う者も多いはずだ。・・・」鈴木先生も「苦々しく」思うお一人である。
鈴木先生は、私より15歳上の80歳ほど、東大建築1949年卒、東大教授を経て神戸芸工大学長歴任、今は「悠々自適」の「日々是好日」、若い頃、東大・吉武研究室でダイニングキッチンの平面を公営住宅で提案(1951年)、私が京大院生の頃(1965年頃)、先生は東大助教授で学位論文『集合住宅の計画的研究』をサイン入りで頂いた。東大で学位を取られた人から学位論文を頂いたのは後にも先にも鈴木先生が初めてで最後であろう。当時、東大の鈴木研と京大の西山研は研究交流をしていたからだ。だから先生が60歳で東大を定年退官の時、本郷の山上会館のパーティに伺い、二次会で大学前の「落第横丁」に行ってわいわい喋ったことを思い出す。鈴木先生のお父さんは仏文学者の鈴木信太郎、ほぼ同期に同じく仏文学者の辰野 隆、そのお父さんがわが国最初の(帝国大学)建築学教授の辰野金吾という「つながり」の中に鈴木先生はいる。鈴木先生、何時までも元気に辛口の時評をして下さいね。(写真は、鈴木成文先生)
過去の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7cd229efc19ac2207a70f4147b4d63ae

N先生の多趣味と私の無趣味

2006-10-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
N先生は、私より10歳ほど年上、今朝のバスで一緒になったので「土日は何をされていますか?」と聞いてみた。土曜日は近所のコートでテニス三昧、日曜日はNHKテレビで囲碁の対局観戦、と言われた。囲碁も素人はだしのようだが最近は実際の対局をする暇がないとのこと。お嬢さんの一人がフランスにおられることもあり、フランス語もやっておられる。「篆刻」の趣味もあるようだ。
振り返って、私に何の趣味があるのだろうか・・。ほとんど「ない」と言ったほうが良い。(ブログが趣味というのも変だし・・)一方、家内の趣味は、太極拳、木工教室、フラワアレンジメント、書、イタリア語などだろうか。友達も着々とつくっている。これじゃ「完全Retirement」以後、自分自身a little困るなあ、と思っている今日この頃である。

白線引き歩道

2006-10-23 | 地域居住学
西ノ京の薬師寺と唐招提寺は、南北に7、8百メートル離れているが、それらを結ぶ道路は、幅が約3.5メートル平均で、北から南、唐招提寺から薬師寺へは右側に約1メートル平均の歩道があるが、白線が車道との間に引かれているに過ぎない。日本の歩道は、まだこういうのが大半だ。この歩道の周辺は風致地区なので建築制限もあって、低い昔風の長屋門のある農家、敷地になる柿やざくろ等ののんびりした田園調風景である。この道では自動車は北から南へ一方通行のようだが、歩く人間は両寺を観る人が多く、どちらから観ろ、という訳にはいかないので、一方通行は無理であり、行きかう時に車道にはみ出ざるをえない。また、家内が言うのに、歩道側に水路があるので、歩くほうが「落ちないか」と不安である。昨日は、まだそんなに観光客が多くなかったが、11月の文化の日前後や、春の行楽シーズンは大変だろうな、と思った。
一寸、別の所の話だが、奈良市街地にもこういう歩道が多いが、歩道をまっすぐ歩いていくと電柱にぶつかるというところもある。こういう歩道をちゃんとした歩道にするにはどうしたら良いだろうか。