西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

柿の日(10月26日)

2006-10-27 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
昨日書こうと思っていて今日になった。昨日10月26日は「柿の日」であった。いわれは、明治28年10月26日に正岡子規が奈良に旅し、例の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」を詠んだとされる日だからである。実際は、東大寺の近くに逗留して東大寺の鐘を聞いたのでは・・、という説もあるが、やはり、これは斑鳩の法隆寺でないと風情がない。とにかく奈良は柿の名産地で、柿の葉寿司も奈良名産の一つである。
正岡子規は、結核で微熱がづっとあったので、冷たく体を冷やす果物、とりわけ柿や林檎が好きだった。だから柿の句も上記に留まらない。
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つづく奈良の町
晩鐘や寺の熟柿の落つる音
柿赤く稲田みのれり塀の内
これらは確かに奈良の市内で詠まれた感じである。

更に、子規最後の秋になった明治34年にも次の句がある。
カブリツク熟柿ヤ髯を汚シケリ
柿くふも今年ばかりと思ひけり
この年は柿を食べられたが翌年、明治35年9月19日に柿を食べることなく35歳の命を終えた。

私達は11月5日(日)に鹿背山の「タゴール農園」に柿狩りに出かける予定。
柿わいん 飲めば宇宙に 舞いあがる  市路
過去に書いた正岡子規関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/649a6959121efab19e4ca175696be4d1

アグネス講座第二回玄関、外開き、内開き、日英住宅比較

2006-10-27 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日は、平安女学院高校の2年生に「住居学」を講ずる2回目だ。アグネス講座と銘打っているのは、平安女学院の守り神が若い少女で殉教したST.Agnesであることに因んでいる。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/dc0028115097b2d8ca03d1c210447be6
来週に2年生の私のクラス16人のうち13人が修学旅行でイギリスのオックスフォードに行き、5泊ほどホームステイすると言うので、今日は家の顔の「玄関」の話しをしながらドアの外開き、内開き(それはとりもなおさず日英の玄関扉の違いだが・・)の話しをした。何故か、内側に聞いたら「靴をさらえるから日本では外開き」という解答が返ってきて「正解」としておいた。玄関は、Entrance(Exit)出入り口とすると味も素っ気もないので「玄妙なる関門」とする日本の言い方に味がある、と言ったら、皆「神妙なる」顔をしていた。イギリスの内開きは、他に内側のプライバシーを守る視点、外から泥棒に入りにくい構え(ピンが内側になる)等がある、としておいた。ついでに寝室、トイレ、浴室のドアの開き方も説明した。「へー」という顔をしていた。後半部では、イギリスの住宅の種類、庭のこと、洗濯干しのこと等、日本との違いを説明。私の『いい家見つけたーロンドン借家住まい日誌ー』も紹介、自分の家のことー玄関、畳の間、布団での睡眠その他ーの話題を持っていけば、話が弾むだろうとしておいた。再来週、帰ったら一人一つずつ土産話をすることを課題とした。楽しみだ。

カマキリ

2006-10-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今朝、雨戸を開けていたら、雨戸にカマキリがついていた。夜通し、雨戸にとまって虫を狙っていたのだろう。拙宅の雨戸は空気や明かりについては僅かに抜けるようになっているので、漏れる明かりを目指して小さな虫が寄ってくるのだ。それをカマキリが狙っているわけだ。そのカマキリを雨戸袋に引き込みそうになったので、落として逃がしてやった。まあ、そろりそろり露台の上をはって庭に出て行った。秋も深まりつつある風情である。

生活相対化の視点ー皆それぞれで生きているんだよー

2006-10-27 | 色々な仮説や疑問
昨日、非常勤で奈良女に行って、Mさんと最近の教育問題について駄弁った。色々ニュースで見落としていることを知った。大学を出て新任の23歳の小学校教師(男性)が、初っ端から担任を命ぜられ、親達の「批判」にさらされ、行き場なく自殺した事件があったようだ。最近は、親(母親)が弁護士を連れて学校に乗り込んでくる例もあると言う。「へー」である。若い先生が、個人でまともに対応し続けるのは至難の技となっている。校長、副校長も含め先生集団で何とか対応できないのか。といっても世界史必修を集団でごまかす様な対応ではない。個人も、まあストレスを解消する方策を持つ必要がある。一時的に逃げ込む「ニッチ」(隙間)も必要かもしれない。そうでないなら「ニッチもさっちもいかなくなる」のである。
私もストレスを感じたら、別のことをしたり、別のことを考えたりするようにしている。昨日も道端で久しぶりにOさんやIさんに会って、他愛もないことを駄弁っていたら、自分の生活が広い世界で相対化されて気が楽になる感覚を覚えた。