西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

西山夘三記念文庫に関連する活動、思い

2006-10-19 | 京都の思い出(助手時代)
ふと西山夘三記念文庫にネットで入って、私の発言を調べたら次のようなのがあったので、ブログでも再掲し紹介しておきたい。中々時間がなく、ここで言っている色々なアイデアに取り組めないのだが、一緒に取り組んでくれる人いませんでしょうか。

・西山夘三日記研究・事始め  1999/10/22(西村一朗)
 1級の一次資料としての西山日記は、研究史研究の上で避けて通れないものであろう。そこで、来年の企画展示に向けて少し作業を始めた。まず、戦前の日記類については、もう50年以上経過しているし、西山先生自身が、2冊の本で自らの戦前の研究史を明らかにしているので、公開に踏み切り、編集・公刊も出来ればしたら良い、と思う。そこで、現在のところ余り問題がなさそうな戦前のものを読み始めた。これが又面白いのであるが、例の字なのでつかえつかえ読んでいる。昭和10年代の西山先生が大学を出て、結婚前の、又例の「食寝分離論」前の1冊のノートは、日を追っての日記というより、頭にある様々なコンセプトについて公私、ジャンルを問わず小文でまとめているものがある。そこには、その後、きちんとまとめられた「標準設計」についての覚え書きもあるし、「禿頭の効用」といった項目もある。これを見ていて、スケッチと共に音楽にも執着している西山先生を発見した。「出来ればピアノの出来る女性と結婚したい」との文言も見える。

◆「建築の研究」誌への投稿の折りに考える  1999/11/5(西村一朗)
 「建築の研究」12月号に掲載されることになり、私としては、広原盛明理事長の「建築雑誌」年報1999への掲載論文とともに読んで欲しいと願っています。
 菊岡さんと手紙でのやりとりの中、私は「成熟社会では、将来のことばかり云々すると言うより、半分は過去を顧みつつ、半分は将来を展望する、いわば半顧半望(はんこはんぼう、私の造語)が重要。その意味で、研究史が大切、西山記念文庫は、そのネットワークの核と位置づけられる」と。大学でも「アーカイブズ」(公文書保管所)が情報公開の動きとも連動して取り上げられつつあります。西山記念文庫の取り組みは、その意味でも先駆的・研究的な取り組みと言えるでしょう。そのネットワークの各節は、縦には西山夘三の「先生と弟子筋」ですが、横には「今 和次郎、高山英華、玉置豊次郎、吉阪隆正、池辺 陽、佐々木嘉彦、・・」の諸先生方です。こういう情報化の時代ですから基本的に電子情報ネットワークとし、どうしても現物に触れる必要のある場合には出向くといったネットワーク型の「アーカイブズ・ミュージアム」に成長するだろうと予想していますが、どうでしょうか。

◆文庫活動ふたつのアイデア  1999/11/8(西村一朗)
(1)NPO記念展示について・・・美術館、博物館のように目玉な物があっても、展示をどうするか。現在、戦前の日記類を探索して、展示をどうするか考え中である。美術品なら、ぱっと見ればとにかく「分かる」。文章は、全体の展開を追って行かないと理解できない。そこで、一つは、現物の拡大コピーを手に取るように置くこと、もう一つは特に注目すべき所を更に拡大し展示することだ。その際、あの分かりにくい文字を一部ワープロ化すべきであろう。日記以外に戦前の物で是非展示したいのは西山先生の学位論文の複製製本である。写真は、人の広がりが分かるように選んだらよいだろう。
(2)すまいとまちを訪ね語る会の開催・・・これは安藤イツ子さんとの共同アイデアと言っても良い。西山先生も、ある時に「住宅クラブ」が将来出てくるかも・・と言っておられるが、自分の家との対比であれこれの家を深く理解したいという要求が広く出てきていると思う。そこで、住宅だけでなく、まちも含めて訪ね語る会を実費で気軽に行ったらどうか。市民版としては、多くの変わった家の多い、近辺を探索(滋賀から兵庫まで)、専門家(卵)版としては、西山夘三訪問地へ行く。その際、記念文庫にはスケッチの得意な人材も多いので「スケッチ講座」も行うというのはどうだろうか。

◆『日本のコミュニティー』を共同テーマに!  1999/11/12(西村一朗 )
 西山夘三著『日本のすまい』の序言に「この作業に取り組んでいて、日本のコミュニティーという課題もあると思ったが、時間がないので別にゆずりたい・・」といった趣旨の発言があったかと思う。これは西山先生の一つの「遺言」でもあると考えて、記念文庫集団で取り組んだらどうだろう。一つの共同テーマである。もちろん、社会学等でも取り組みがあると思うが生活と空間の絡み合いでの取り組みは我々の真骨頂ではなかろうか。
(写真は、ありし日の西山先生)


私の奈良地域との「つながり」「付き合い」史

2006-10-19 | 地域居住学
今日の奈良女子大の「地域居住学Ⅱ」の講義で先週、奈良町を散策したことに触れつつ、31年もつとめた奈良で、地域とどんな「付き合い」があったのかな、とふと思ったので後で思い出してみた。
・先ず奈良に来る前に京大の三村浩史先生(当時助手、現・名誉教授)や大学院同期の延藤安弘君(現・愛知産業大学教授)らと農学部の半田先生とそこのゼミ生二人と計6人で十津川村に調査に行った。(1965年始め頃か)報告書がある。
・奈良女に1974年に助教授で赴任してから、環境庁の依頼で共同で現在、重伝建地区になっている橿原市・今井町の調査をした。私の「上司」の扇田先生(当時、奈良女子大学教授)も参加された。東大都市工学から大谷幸夫先生(当時・教授)、渡辺定夫先生(ナベサダ先生、当時・助教授)、院生の西村幸夫君(現・東大教授)、福川裕一君(現・千葉大教授)らがやって来て共同研究会もした。同時に奈良女でも今井範子さん(当時・助手、現・教授)、院生らと今井町の調査研究。
・日本住宅公団(現在のUR 都市機構)開発の広陵町、香芝町(現・香芝市)にまたがる真美が丘団地のユニーク戸建て住宅地(共用空間を持つ)を公団委託で調査した。報告書あり。
・学位論文を作るときに奈良県営、奈良市営住宅団地の共用空間の管理についてケーススタディを行った。
・西山先生の「鞄持ち」で天理教の「おやさとやかた」に泊り込み体験調査。
・奈良市のならまちについてアイデアを提起し発言してきた。(JR奈良駅の保存についても発言)空き家活用の「奈良関連学」の「セミナーハウス群」も提案。「奈良女子大学セミナーハウス」もその一つの成果では・・。
・院生・助手の前田真子さん(現・広島工大講師)と共同で明日香村稲淵地区の棚田保全運動について調査研究。前田さんは、これを一つの中心として学位論文まとめた。
・平城ニュータウンで戸建て住宅地の問題点について、10年間にわたり学生、院生と調査、前田真子助手と本にまとめる。( 『これからの郊外戸建住宅地―「思い出し・思い入れ」から「つながり」へ 』西村 一朗 前田 真子共著、せせらぎ出版)
・生駒市駅前商店街の活性化について中山 徹助教授、院生の井倉雅子さんらと調査研究。(井倉さんが調査を継続)
・奈良県、奈良市等の行政の審議会委員を勤め、奈良地域について発言してきている。
・新建・奈良支部に参加し、住民本位で建築・住宅造り、町・地域造りを考えてきている。

これらの活動について、出来れば○○年後の訪問をしつつまとめていきたい。
(写真は、明日香村稲淵地区のの棚田)

トルコ、ローマ、ギリシャ

2006-10-19 | 時論、雑感
別に三題噺ではない。最近、事故が報道された所だ。西洋文化の歴史を実地に見るに避けて通れない場所だ。最近、日本からも熱心な観光客が訪れている。で、トルコで日本人客の乗ったバスが横転、ローマでは地下鉄の追突事故そしてギリシャでは豪雨だ。テレビで聞いていると、ギリシャには最近毎年8万人も日本から出かけているようだ。私はローマには行ったことがあるが、トルコ、ギリシャはまだである。イギリスからの「グランドツアー」(19世紀までの教育の仕上げの大旅行)の最終目的地ともいうべきギリシャ、東西文化の接点であるトルコへ何時か行って見たいものだ。皆さんは、もう行かれましたか。

塀の撤去

2006-10-19 | 住まい・建築と庭
2日前の17日のブログで自宅の「12年目の補修」に入ることを書いたが、頼んだD工務店の人が昨日やってきて、早速に土台が白蟻にやられて不安定な板塀を一気に撤去した。その下が高さ一メートルほどのコンクリートの台になってぃるので、外から敷地内につうつうということはない。だが風景が一変した。さて、この板塀のあとにどうするか。今から考えていく。
私の塀経験は、まず18年間の子供時代を過ごした金沢の生家で、やはり板塀だった。この体験も、この家で板塀にした一つの理由である。金沢の板塀は地面から二メートル以上立ち上がったものだった。次の塀は飛んで、この家に来る前の京都市南部の向島ニュータウンのテラスハウス時代で、コンクリートの上に鉄柵で、それだけでは無粋なので内側に貝塚伊吹の樹木を並べた。無粋なコンクリート塀に「塀画」を描いたらどうか、のアイデアが浮かんだのもその頃である。
その後、1982年にロンドンに行って、10ヶ月ほど滞在し、ハムステッド田園郊外の生垣「塀」も中々良いと思った。
今回の板塀で、白蟻にやられることが分かった。また、家内が自動車を駐車スペースから外に出すときに板塀が見通しを遮ることも分かった。だから次は視線を遮る板塀は止めておこう、と考えている今日この頃である。