ふと西山夘三記念文庫にネットで入って、私の発言を調べたら次のようなのがあったので、ブログでも再掲し紹介しておきたい。中々時間がなく、ここで言っている色々なアイデアに取り組めないのだが、一緒に取り組んでくれる人いませんでしょうか。
・西山夘三日記研究・事始め 1999/10/22(西村一朗)
1級の一次資料としての西山日記は、研究史研究の上で避けて通れないものであろう。そこで、来年の企画展示に向けて少し作業を始めた。まず、戦前の日記類については、もう50年以上経過しているし、西山先生自身が、2冊の本で自らの戦前の研究史を明らかにしているので、公開に踏み切り、編集・公刊も出来ればしたら良い、と思う。そこで、現在のところ余り問題がなさそうな戦前のものを読み始めた。これが又面白いのであるが、例の字なのでつかえつかえ読んでいる。昭和10年代の西山先生が大学を出て、結婚前の、又例の「食寝分離論」前の1冊のノートは、日を追っての日記というより、頭にある様々なコンセプトについて公私、ジャンルを問わず小文でまとめているものがある。そこには、その後、きちんとまとめられた「標準設計」についての覚え書きもあるし、「禿頭の効用」といった項目もある。これを見ていて、スケッチと共に音楽にも執着している西山先生を発見した。「出来ればピアノの出来る女性と結婚したい」との文言も見える。
◆「建築の研究」誌への投稿の折りに考える 1999/11/5(西村一朗)
「建築の研究」12月号に掲載されることになり、私としては、広原盛明理事長の「建築雑誌」年報1999への掲載論文とともに読んで欲しいと願っています。
菊岡さんと手紙でのやりとりの中、私は「成熟社会では、将来のことばかり云々すると言うより、半分は過去を顧みつつ、半分は将来を展望する、いわば半顧半望(はんこはんぼう、私の造語)が重要。その意味で、研究史が大切、西山記念文庫は、そのネットワークの核と位置づけられる」と。大学でも「アーカイブズ」(公文書保管所)が情報公開の動きとも連動して取り上げられつつあります。西山記念文庫の取り組みは、その意味でも先駆的・研究的な取り組みと言えるでしょう。そのネットワークの各節は、縦には西山夘三の「先生と弟子筋」ですが、横には「今 和次郎、高山英華、玉置豊次郎、吉阪隆正、池辺 陽、佐々木嘉彦、・・」の諸先生方です。こういう情報化の時代ですから基本的に電子情報ネットワークとし、どうしても現物に触れる必要のある場合には出向くといったネットワーク型の「アーカイブズ・ミュージアム」に成長するだろうと予想していますが、どうでしょうか。
◆文庫活動ふたつのアイデア 1999/11/8(西村一朗)
(1)NPO記念展示について・・・美術館、博物館のように目玉な物があっても、展示をどうするか。現在、戦前の日記類を探索して、展示をどうするか考え中である。美術品なら、ぱっと見ればとにかく「分かる」。文章は、全体の展開を追って行かないと理解できない。そこで、一つは、現物の拡大コピーを手に取るように置くこと、もう一つは特に注目すべき所を更に拡大し展示することだ。その際、あの分かりにくい文字を一部ワープロ化すべきであろう。日記以外に戦前の物で是非展示したいのは西山先生の学位論文の複製製本である。写真は、人の広がりが分かるように選んだらよいだろう。
(2)すまいとまちを訪ね語る会の開催・・・これは安藤イツ子さんとの共同アイデアと言っても良い。西山先生も、ある時に「住宅クラブ」が将来出てくるかも・・と言っておられるが、自分の家との対比であれこれの家を深く理解したいという要求が広く出てきていると思う。そこで、住宅だけでなく、まちも含めて訪ね語る会を実費で気軽に行ったらどうか。市民版としては、多くの変わった家の多い、近辺を探索(滋賀から兵庫まで)、専門家(卵)版としては、西山夘三訪問地へ行く。その際、記念文庫にはスケッチの得意な人材も多いので「スケッチ講座」も行うというのはどうだろうか。
◆『日本のコミュニティー』を共同テーマに! 1999/11/12(西村一朗 )
西山夘三著『日本のすまい』の序言に「この作業に取り組んでいて、日本のコミュニティーという課題もあると思ったが、時間がないので別にゆずりたい・・」といった趣旨の発言があったかと思う。これは西山先生の一つの「遺言」でもあると考えて、記念文庫集団で取り組んだらどうだろう。一つの共同テーマである。もちろん、社会学等でも取り組みがあると思うが生活と空間の絡み合いでの取り組みは我々の真骨頂ではなかろうか。
(写真は、ありし日の西山先生)
・西山夘三日記研究・事始め 1999/10/22(西村一朗)
1級の一次資料としての西山日記は、研究史研究の上で避けて通れないものであろう。そこで、来年の企画展示に向けて少し作業を始めた。まず、戦前の日記類については、もう50年以上経過しているし、西山先生自身が、2冊の本で自らの戦前の研究史を明らかにしているので、公開に踏み切り、編集・公刊も出来ればしたら良い、と思う。そこで、現在のところ余り問題がなさそうな戦前のものを読み始めた。これが又面白いのであるが、例の字なのでつかえつかえ読んでいる。昭和10年代の西山先生が大学を出て、結婚前の、又例の「食寝分離論」前の1冊のノートは、日を追っての日記というより、頭にある様々なコンセプトについて公私、ジャンルを問わず小文でまとめているものがある。そこには、その後、きちんとまとめられた「標準設計」についての覚え書きもあるし、「禿頭の効用」といった項目もある。これを見ていて、スケッチと共に音楽にも執着している西山先生を発見した。「出来ればピアノの出来る女性と結婚したい」との文言も見える。
◆「建築の研究」誌への投稿の折りに考える 1999/11/5(西村一朗)
「建築の研究」12月号に掲載されることになり、私としては、広原盛明理事長の「建築雑誌」年報1999への掲載論文とともに読んで欲しいと願っています。
菊岡さんと手紙でのやりとりの中、私は「成熟社会では、将来のことばかり云々すると言うより、半分は過去を顧みつつ、半分は将来を展望する、いわば半顧半望(はんこはんぼう、私の造語)が重要。その意味で、研究史が大切、西山記念文庫は、そのネットワークの核と位置づけられる」と。大学でも「アーカイブズ」(公文書保管所)が情報公開の動きとも連動して取り上げられつつあります。西山記念文庫の取り組みは、その意味でも先駆的・研究的な取り組みと言えるでしょう。そのネットワークの各節は、縦には西山夘三の「先生と弟子筋」ですが、横には「今 和次郎、高山英華、玉置豊次郎、吉阪隆正、池辺 陽、佐々木嘉彦、・・」の諸先生方です。こういう情報化の時代ですから基本的に電子情報ネットワークとし、どうしても現物に触れる必要のある場合には出向くといったネットワーク型の「アーカイブズ・ミュージアム」に成長するだろうと予想していますが、どうでしょうか。
◆文庫活動ふたつのアイデア 1999/11/8(西村一朗)
(1)NPO記念展示について・・・美術館、博物館のように目玉な物があっても、展示をどうするか。現在、戦前の日記類を探索して、展示をどうするか考え中である。美術品なら、ぱっと見ればとにかく「分かる」。文章は、全体の展開を追って行かないと理解できない。そこで、一つは、現物の拡大コピーを手に取るように置くこと、もう一つは特に注目すべき所を更に拡大し展示することだ。その際、あの分かりにくい文字を一部ワープロ化すべきであろう。日記以外に戦前の物で是非展示したいのは西山先生の学位論文の複製製本である。写真は、人の広がりが分かるように選んだらよいだろう。
(2)すまいとまちを訪ね語る会の開催・・・これは安藤イツ子さんとの共同アイデアと言っても良い。西山先生も、ある時に「住宅クラブ」が将来出てくるかも・・と言っておられるが、自分の家との対比であれこれの家を深く理解したいという要求が広く出てきていると思う。そこで、住宅だけでなく、まちも含めて訪ね語る会を実費で気軽に行ったらどうか。市民版としては、多くの変わった家の多い、近辺を探索(滋賀から兵庫まで)、専門家(卵)版としては、西山夘三訪問地へ行く。その際、記念文庫にはスケッチの得意な人材も多いので「スケッチ講座」も行うというのはどうだろうか。
◆『日本のコミュニティー』を共同テーマに! 1999/11/12(西村一朗 )
西山夘三著『日本のすまい』の序言に「この作業に取り組んでいて、日本のコミュニティーという課題もあると思ったが、時間がないので別にゆずりたい・・」といった趣旨の発言があったかと思う。これは西山先生の一つの「遺言」でもあると考えて、記念文庫集団で取り組んだらどうだろう。一つの共同テーマである。もちろん、社会学等でも取り組みがあると思うが生活と空間の絡み合いでの取り組みは我々の真骨頂ではなかろうか。
(写真は、ありし日の西山先生)