西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

直木賞作家・早乙女 貢さんの講演を一寸聞く

2006-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、高槻の平安女学院大学のチャペルで直木賞作家・早乙女 貢さんの講演を一寸聞いた。「日本人の忘れ物」という題だ。私は京都の平安女学院高校に「高大連携講義」に出かけていて、フルに聞かれなかった。早乙女さんは、最後の方では、会津人として江戸末期から明治20年代頃までの会津人の生きざまをきっちり書き残したい。少なくとも明治21年の会津磐梯山が噴火し、その後、明治憲法が出されるが、そこまでは書きたい。後20年かかる、と言われた。現在80歳だから100まで生きねば、ということだ。書きたい小説一筋で行けば長生きできる。あれこれ悩んで行き詰まると「自殺」したりする、芥川龍之介、川端康成、(三島由紀夫)等の例がそれ、別の例で石原慎太郎も小説家としては「駄目」と捉え方がはっきりしていて気持ちよい。
大体、江戸時代は封建制で「駄目」、明治以降、会津藩は「賊軍」で「駄目」と我々も教えられてきたが、江戸260年も続いたのは「体制がしっかりし、下々もそこそこ満足していたから」・・、「会津藩の人々は、意気に感じて頑張る、教育畑でもそういう人が多い」(早乙女さんは吉川英治賞の『会津士魂』で有名)・・とのことだ。早乙女さんは平安女学院大学の客員教授だが、これも理事長・学長の山岡景一郎さんが新井 満さんと同じようにペンクラブで知り合っていたからだ。
「一筋が長生きに通じる」という言葉が心に残った。多分、早乙女さんは100歳まで生きるのではなかろうか。(写真は、早乙女さん)

平安女学院高校で「住居学」を教えだす

2006-10-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
平安女学院では、大学と高校の連携で、大学側から幾つかの講座を高校に提供してきた。平安女学院の高校生がそれを受けて単位を取ると、同時に仮に大学に来た場合、平安女学院大学の単位にもカウントされるシステムだ。今回の後期(10月~3月)に大学から講座を二つ出していて、その一つを私が担当、住居学をざっと13回で話すことになっているが、講義の内容として、住居内部の話と外部の地域居住の話を含むことにしたので手際よくやるにはよほど考え準備も必要だ。副読本で、奈良女子大定年退職の時にまとめた『つながりの豊かな地域居住』の冊子を配った。実は、この冊子は平安女学院大学の2回生の「専門基礎演習」でも配っているし、非常勤の奈良女子大学の3回生の「地域居住学Ⅱ」でも配っているのだ。それぞれの学年や興味等に応じて話方は変えねばならない。自ら「教えるモード」で状況対応がどの程度可能か試している状況だ。
で、今日の高校での講義は、手前味噌だが「洒落」も適当に入れ上手くいったと思う。16人の受講生は、途中一寸「昼寝」の子もいたが、全体として「へー」という感じで聞きメモも熱心に取っていた。途中、45分で休憩10分となるが、その時に他所のクラスの子がやって来て初回なので友達に「どう?」と聞いていたが、その友達は熱心に私が話したことをメモを見せながら伝えていた。やってきた子は「面白そう」と言っていたので私は「しめしめ」と思った。最後に、今日帰ったらお母さんに今日の先生の話をしてご覧、と言ったら二三人が頷いていた。帰ったらお母さんに「ねえ、今日、西村先生からこういう話聞いたよ、面白いでしょう」と言わせるのが「面白い」講義の一つの条件と思っているからだ。次の回が楽しみだ。

大局連関研究

2006-10-13 | 色々な仮説や疑問
昨日だっけ、加藤秀俊さんの論にかこつけて「教養、グランド・セオリー(大理論)の必要性」について書いた。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/35e1d7f01baeb0865858484aeff82cef
で、今日も道すがら頭に残っていて、電車に乗っていてもチラチラ浮かぶ。で、我々というか「定年退職」してしまうと、馬力のある助手や院生も近くにいなくなるし、一人で何事もやることになり、細かい調査データーを集めたり分析したりするのは難しくなる。で、どうしたら「グランド・セオリー」に近づけられるのか。西山夘三先生は、亡くなられる前に奥さんに「自分としていい研究分野だった。工学部でも実験系だったら実験室から離れたら水のない河童と同じ・・、自分は第二の職場に行かなかったためコピーや連絡に一寸不便だったが、頭と足と目とペン(晩年はワープロ)があれば仕事が出来た・・」との趣旨を言っておられたようだ。
師匠にあやかって「頭と足と五感とパソコンを使って」生活空間論の「大理論」に近づいていきたいなあ。色々他所の分野と「無境界」にしたいので、研究の「性格」から言うと「大局連関研究」ということになるだろう。

ならまち散策

2006-10-13 | 地域居住学
奈良女子大学の「地域居住学Ⅱ」の二回目、昨日、約束どおり晴れたので「ならまち」散策、実地観察に出かけた。近くに観察地があるのが良い。「ならまち」とは三条通りの南側にひろがるまちで元々は元興寺の寺内町、色々な時代の建物が入り混じっている。空き家、空地(駐車場)も出てきている。道々、住宅、建築、町づくりに携わるなら、「町調べ」「町歩き」「町楽しみ」も大事、変わった「もの」や「こと」があったら、何やろう、何でやろう、と一寸立ち止まってよく観察し、考えること・・と言ったが、これは自分自身に返ってくる言葉だ。
約1時間あるいて「物語館」で解散、「九州女子」二人と「カナカナ」という店に昼食を食べに行った。美味しい海老カレーを頂いた。店の客は殆ど女性。久しぶりに二人を前に洒落の「たな卸し」をした。良く「反応」してくれる学生で力が入った。カナカナは、カナかなーと思ったら、やっぱりカナで書くんだな。(写真は、カナカナ、「物語館」より東に歩いて5分、公納堂町13)

日本ハム、パ界制覇おめでとう

2006-10-13 | 時論、雑感
今度は、日本ハムが札幌でサヨナラでパーリーグ優勝を決めた。おめでとう。新庄もおめでとう。引退の花道になったね。まだ日本シーズ残っているが・・。で、ずっと前、去年の夏ごろに言った洒落を思い出した。ヒルマン監督のことだ。

「日本ハムの監督はヒルマンと言う。彼はナイターやっても昼マンであり、負けても負けてもひるまん」
あの頃は今と違ってよく負けていたんだ。