西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

世界遺産、ベルギーのグラン・プラス

2006-10-28 | 住まい・建築と庭
世界で一番美しい広場だ、とフランスのヴィクトル・ユーゴーに言われたのは世界遺産ベルギー、ブリュッセルのグラン・プラス(Grand-place)である。Grandは「大」、placeは「広場」つまり「大広場」なのだ。NHKTVの夜の番組でやっていた。残念ながら私は未だ行っていない。16世紀まで、ここは市民のための市場だった。ブリュッセルは16世紀にはスペインのカルロス1世が支配し、18世紀にはハップスブルグ家のマリア・テレジアが支配、更にフランスのナポレオンも支配した。今はヨーロッパの中心EUの首都である。こういう認識も「世界史」的認識なのだ。この広場の回り360度に石造りの建物が回っているが、ブリュッセル市庁舎の塔が一番高く、これはゴシック建築だ。広場回りの7割がギルド関係の建物と言う。建物だけでなく、タペストリーやレースの織物でもブリュッセルは有名だった。
(写真は、ブリュッセルのグラン・プラス、左が市庁舎、右がギルド建物)

通天閣再建50周年

2006-10-28 | 時論、雑感
今日は大阪の通天閣再建50周年の日だ。昭和31年(1956年)10月28日に再建オープンしたのだ。最近は年に70万人の観光客があるようだ。50周年に当たり、天気予報が広く分かるようにするとか色々工夫もあるようだ。東京の東京タワー、名古屋のテレビ塔、パリのエッフェル塔と同じく大阪を代表する塔だ。
私の一つの「思い出」として通天閣の近くの一心寺に高口恭行和尚を昔訪ねた時、奥さんのお母さんが「離れ」で寝ているとのことだったが、足元の窓を開けると、そこから遥かに通天閣が見えたのだ。この「離れ」を計画する時に「それが見えるようにして欲しい」と義母さんが設計する高口さんに言ったようだ。まあ、エッフェル塔なら「見えるようにして欲しい」というパリっ子もいると思うが、あえて「東京タワーが見えるように」という江戸っ子は少ないのではないか。それに対して「通天閣が見えるなら見えるように」という浪速っ子は比較して多いのではないか、と思う。それだけ大阪人の風景に通天閣はしみ込んでいると思う。

生駒駅前商店街フェスタ

2006-10-28 | 地域居住学
mixi仲間のikuramさんのブログを昨日見たら、今日、生駒駅前商店街のフェスタだと分かったので、午後に訪ねてみた。http://blog.goo.ne.jp/ikomaru001/e/ac0151ab254eafb6f185be67a6dfc576
いつもやっている「スタンプラリー」等はおいておいて、今回初めては「いこまるぬり絵」で、きしきょうこさんの下絵にクレヨンで塗る試み、葉書の大きさで事前投稿、今日、審査があって、私も急遽、審査員にさせられた。きしさんの下絵(単線画)は「いこまる号」(「ひょうたんからいこま!」の駒)が買い物籠をくわえて生駒山の下を歩いている感じのものだ。まあ、予測では80枚も集まれば、と言っていたらしいが実際は倍近くの153枚(もう一枚で「行こうよ(154)」になったのに・・)も集まった。各種賞を25枚ほど(つまり1/3位は当たるように)つくっていたが、当たりが1/6に減ってしまい、賞の発表を見に来た子供たちも多くは「がっかり」だった。次から賞品を簡単にしていいから多くしたら・・と言っておいた。奈良女の中山ゼミの院生・学生が数人手伝っていたので声をかけておいた。(写真は、ぴっくり通り)

今こそ高校で世界史を勉強すべきこと

2006-10-28 | 時論、雑感
現在の「指導要領」では、高校で世界史は必修のようだ。そのことは、実に結構なことで、それを実行しなかった高校こそ批判すべきだ。大学でも世界史を受験課目にもっと取り入れても良いのではないか。とにかく世界史必修を受験のためとはいえ「誤魔化して」受講させずに、受講させたことにした高校が、その後400校以上にのぼっている。精査すると、もっと増えるのでは、とも思う。「指導要領」では、必修の世界史の他は選択で日本史か地理のどちらかを受講することになっているようだ。とにかく、この三科目では世界史を「トップ」に位置づけている訳だ。それを、世界史は範囲が広くて教えにくいこともあるのか、日本史か地理だけ受講させて、世界史を「受講した」ことにしたようだ。考えてみると、高校の世界史の先生は、大学では文学部の史学科を出た先生が中心ではないか。多分、大学の史学科には「世界史」という専攻分野はないのではないか。個別の国の歴史は、東洋史や西洋史の中に専攻があるかもしれない。だから世界史をすらすら教えられる先生は少ないかもしれない。しかし、国民の教養としては、今ほど世界史が必要な時はない。私の高校時代は、西洋史、東洋史は何とかイメージできたが、イスラム世界史、南米史、アフリカ史などは殆ど習わなかった。今からでも遅くないから勉強したい気持ちである。なおさら若い高校生や大学生(高校で世界史を習わずに進学した人達含む)は、受験のあと、時間がたっぷりあるのだから自習、ラジオ講座等も使って是非勉強して欲しいと思う「年寄り」は私だけではあるまい。
間違っても、当座の「負担感」だけで、世界史必修をやめて三科目のうち一つ必修、他の一つ選択などとしてはなるまい。この三科目で一つ必修にするとすれば、どうしても世界史となるのではなかろうか。大学でも「世界史的研究」を活発にし、世界史を面白く教えられる先生を増やしていくべきだろう。

偏屈者宣言 後藤健治

2006-10-28 | 時論、雑感
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/henkutu.htm
今朝、NHKTVを7時前に見ていたら精神科医(沖縄在住)の後藤健治さんが「偏屈者宣言(頭のhttp参照)」を出して注目されている、と言う。後藤さんは京大経済学部卒、会社勤め長続きせず退社、友人から「お前のようなかた変わりこそ精神科医になるべきだ」と言われ発奮、九大医学部に入りなおして現在、精神科医である。自分自身ADHD(多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害の一つ)であり、奥さんから「ADHDの人は自分勝手」と言われて、じゃ、と無理に普通になる努力をすることからのストレスを避けて自ら「偏屈者」と宣言した訳だ。これで、気が楽になるのではないか。自分自身も客観的に見られる。まあ、例えば「無口宣言」とか「赤面症宣言」とか「高所恐怖症宣言」とか、自分が「普通」から一寸変わっている事を堂々と宣言すれば、気が楽になると言う風に応用できるかな、と思った。どうでしょうか。