西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

共感の構造

2006-06-26 | 色々な仮説や疑問
ブログ、mixi、ホームページ上で様々な情報が飛び交っている。それらを読んだりして共感するとは、どういうことだろうか。共感のベースには同じ空間、同じ時間を過ごしているということがある。その空間や時間についてスケール感覚は皆違っているのではないか。今、仮に「町づくり」についてWeb上で議論しているとしよう。当然、読む人は具体的に例えば自分の住んでいる町、住んだことのある町、内外で行ったことのある町、専門家なら行って調べたことのある町などを思い浮かべながら議論に参加したり、読んだりするだろう。それで、若干「ベース」がずれていても許容範囲で共感の感情が生まれる場合もあるが、心底「本当だなあ」と思うためには、やはり最終的にはリアルな「町」を共有する以外にないのかもしれない。しかし、「都市、農村交流の必要性」などは農村経験のない都市住民にも是非、理解・共感して貰いたいところだが・・。放っておくと「我々から多くの税金を取って農村に回している」という感情が都市住民に起こりかねないのである。
まあ他に「岡目八目」ということもあるけれど・・。昔、西山先生から「住んでいる人より、旅行者がポイントが分かることがある。住んでいる人は当たり前と思っていることでも旅行者には新鮮に感じられることもあるからだ・・」と伺ったことがある。

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2 コメント

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共感します (FUTAN)
2006-06-26 21:49:22
そうですね。ご意見に共感します・・・ん、同感です。



この文章に対するコメントはmixiの私の日記にて。



こういうのはトラックバックってのをすればいいのかな。
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merci! (ichiro)
2006-06-27 14:51:35
まあ今日講義をしていて、ふと思ったのですが、町づくりの現場を殆ど知らない学生にも「リアル」風に教えていますね。例えば「建築史」の講義など、その建物を殆ど見たことがないのにテキストどおり「かくかくしかじか」と見たように教えていますね。それで、良く考えると、小説は、殆どフィクションでバーチャルな世界としても、良い小説には人は感動しますね。だから実際に見ていなくても、うそではないことを巧みな語りで聞いて感動すれば、町づくりの力になる、と当たり前の捉え方で良いのでは、とぐるぐる回って戻ってきました。そこで「町づくり講談師(好男子?ウン)」の延藤君が登場するのです。
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