かぶれの世界(新)

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白樺湖から車山

2012-07-18 20:51:38 | 旅行記

先週末に長野県茅野市の白樺湖に行って来た。息子が大学時代の同窓生が経営するホテルを利用して旅行を計画してくれた。私が会社勤めを始めた頃に職場旅行で来たことがあるのを思い出した。白樺湖は以来40年ぶりになる。

普段多忙で殆ど余裕の無い生活をしている息子は、旅行の直前になって3連休だと気がついたそうだ。合わせて5家族が参加して大所帯の連休中の旅行では大変なことになりそうだと悪い予感が当り、旅の出足からつまずいた。

新宿のセンタービルには定刻に全員揃わないし、東京駅からのバスはもっと遅れてきた。中央高速は大渋滞、約6時間かけて午後4時前にやっとホテルに着いた。実は、翌日の帰りも小仏トンネルまでの渋滞のお陰で7.5時間もかかった。旅行の半分はバスに乗っていた。でも、家族のお喋りは時間の経過を忘れさせてくれ、それ程苦痛ではなかった。

白樺湖サイクリング

ホテルにチェックインして直ぐ、自転車を借りて白樺湖の周回コース(専用路はない)を周った。短い距離なので普通に走って15分で1週できる、次に逆方向に回った。二周目は娘夫婦の借りたタンデムに末の息子と乗ったが、これが大変。

二人の呼吸が合わないと曲がり角でスピードを変化させた時不安定になり、転倒しそうになったり車道に飛び出しそうになったりした。今まで楽しそうに乗るカップルを見たが、見るとやるのは大違い。ワーワー、キャーキャー言っているうちに無事戻ったから、まあ楽しんだということだろう。

その後、ブラブラしている家内を見つけて湖の北側に続く山道を散歩した。湖畔からは気がつかなかったが、少し登って行くと別荘が点在していた。20-30年経った感じの古ぼけた建物が多かった。たまに目に入る比較的新しい建物は壁が白く、屋根の傾斜が急だった。田舎の実家が無ければ、こういう所に別荘を持つ生活をさせてやりたかったと言い訳がましく聞こえるように呟いた。

翌朝目が覚めると窓の外は嵐で、横殴りの雨が音をたてて大きな窓に吹きつけて来た。何百人も入りそうなレストランでバイキングスタイルの食事をしている間も嵐は続いていた。10時のチェックアウトが迫ってきたので、延長した私の部屋に荷物を集め、風呂に入ったり夫々に時間を過した。

11時過ぎ頃だったか気がつくと、外は雨が上がり、強い風で道が乾いていた。突然スイッチが入った。「車山に登ってくる、誰か一緒に行かない?」と聞くも、誰からも返事なし。3時半に帰りのバスが来る、説得する時間も無い、直ぐに一人で出かけた。

車山登山

持ち物は水と小ぶりのメロンパン、クッキー、昨夜の酒のツマミ。格好はジーンズ、長袖シャツ、トレイル・ラン・シューズにタオル。登山口はホテルと反対側の湖畔から。帰任時に米人がくれたSuuntoの時計は標高1300mを指している。車山山頂が1920mだから約600mの登りだ。

右手に白樺湖を見ながら登り始めて、40年前の記憶が甦った。だが、山道は両側から雑草が伸びてきて余り踏み固められている感じがしなかった。実際、ただの一人のハイカーともすれ違わなかった。右手下方のビーナスラインを群れになって走るバイクの爆音がやけに大きく響いた。

だが、それは車山駐車場までのことだった。ここから一気にハイカーが増えた。今時のハイカーはここまで車で来てリフトに乗るか、或いは登山を開始するようだ。もう昔のようには歩けない私だが、お年寄りや子供連れのハイカーをドンドン追い抜いて行った。ここは軟弱ルートなのだろう。

途中一度も休まず歩きながらパンやクッキーを食べ、水を飲んだ。最後の100m位の登りが急で途中降り始めた雨が強くなり、平らな石の上で滑らないよう注意しながら歩いた。頂上に着いたのは120分頃、登山口か約1時間半、万歩計は約11,000歩を指していた。

山の天候

それは一瞬のこと、急に強くて冷たい風が吹き横殴りの雨が降り始めた。頂上付近のハイカーは建物の陰や避難小屋に隠れ、争ってリフトの券を買い始めた。私の目には登山靴に雨具で完全武装している様に見えたが、殆どは中高年女性だからしょうがない。

そういう私は誰よりも軽装、雨に濡れて冷たくなってくるのを感じた。こんな山でも馬鹿にしないほうがいいと誰かに忠告しようと思ったが、最初に言われるべきは私だったかも知れない。ということで直ぐに下山することにした。

100-200m下山するとガスが消えて遠くが見えるようになり雨も弱まった。頂上は変わらずガスで覆われ、強い風で東側下方にガスがたなびいていた。里に下りて湖畔の洒落たカフェのママによると、白樺湖は朝の嵐が収まった後、雨は降らずずっと曇天だったという。

1700-1500m付近の草原はニッコウキスゲが黄色いつぼみを開き始め、満開直前の美しい姿を見せていた。登りでは余裕が無かったのか気がつかなかった。途中いかにも山慣れしていないオバサン達を見つけてガンバレとからかいながら下山を急いだ。

50分かけて登山口に戻った。下りの歩数は8,000歩だった。ざっと計算すると上りは155cm、下りは75cmというところか。急ぎホテルに戻ると帰路のバスも遅れているので、勧められて風呂に入って汗を流した。4時にバスに乗り、新宿に着いたのは11時前、その日のうちに自宅に戻れた。■

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私のメルケル

2012-07-16 16:01:47 | 国際・政治

今月初めに「2012年大胆占い」の予測が半年経過後してどの位当っていたか見直しをした。その時は今年の世界経済の総ては欧州次第という大筋のシナリオが当った、どちらかというと悪い方向に、と総括した。同時に、先月末の欧州首脳会議の結果を好感して、今年後半は多くの専門家の予想より楽観的な見通しをたてた。

だが、48回目の首脳会議は47回目までと同じように直後に盛り上がった世界の証券市場は、数日のうちに期待が萎んで値を下げ「アナザ失望」となり、私の楽観論が吹き飛ばされた。日経の滝田編集委員はこの繰り返しを「危機対処の五段活用」(①危機発生②緊急会議③深夜まで会議④合意成立⑤翌朝市場がひじ鉄)をしている間に危機が世界に連鎖すると巧妙に表現した。

危機が収拾されたのか、単に問題先送りになったのか、この見分け方として直截的な市場の評価は冷酷で、如何に取り繕っても欧州リーダーの面子は丸潰れにされてしまう。ある意味、それはそれで必ずしも常に正しいとは言えなくとも公平な評価といえる。

その中でも少なくとも現時点ではメルケルドイツ首相の評価が指標になると感じる。今回の首脳会議が終った直後は、最初の反応はスペイン・イタリアが「経済成長協定」を人質にとって、「欧州通貨安定メカニズム(EMS)の銀行へ直接資金注入、欧州通貨制度(ESM)の国債買い支え」をドイツに飲ませた、「反緊縮路線の勝利とメルケルの敗北」として、驚きをもって伝えられた。

ドイツは欧州諸国だけでなく米国からも批判されて所謂「ドイツ包囲網」に屈した、メルケルの敗北とか黄昏といった報道があった。抗し切れなかったメルケル首相の外交手腕に失望を示し、ドイツ国民の経済負担が増すことを危惧する論調が目立ったらしい。

しかし、首脳会議の後でメルケルは国内向けの記者会見で「ドイツは原則を貫いた」と強調した。彼女は「何も約束していない、結果的に負担増を回避した」というのだ。つまり、メルケルの勝利なのだと。それを証拠に首脳会議の‘サプライズ’に急騰した世界の証券市場は翌日以降ずるずると値を下げた。おや、まあ、又もや五段活用だったと上記の滝田さんが言った訳だ。

その後の詳報や解説を見ると確かに、今回の会議でも資金力の限られたEMS(約50兆円)の出資をドイツが増やすなんて話はこれっぽっちも無い。金の当てが無いのに直接注入を決めた訳だ。イタリアなど重債務国の国債買い支えについても事情は同じだ。メルケルは押し切られたように見えたが、財布の紐はしっかり離さなかった。

今回コンセプト(酒の皮袋と飲み口)は作ったが、酒樽の栓はメルケルがしっかり握って離さなかった。前段でメルケルは負けたといわれ、後段でメルケルは勝ったという。欧州とは何と了見の狭い国と毎度の事ながら呆れる。ということで世界経済の先行きは依然不透明、その間に少しずつ経済は傷んで行くのが怖い、私のなけなしの蓄えがメルケルにかかっている構図は続く。■

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誰を助けるべきか、災害救援

2012-07-15 21:52:14 | ニュース

大渋滞の中央高速を走るバスの中にいる。週末の白樺湖の休暇からの帰りだ。今朝の白樺湖近辺は強い風と雨でまるで嵐だった。テレビは九州の大雨が京都まで達し、大きな被害が出ていると伝えていた。

今では珍しい風景では無くなった自衛隊が出動して被災者の救援をしている様子が何の違和感もなく報じられていた。しかし、これだけ大雨の災害が続くと自衛隊の救援をどこに差し向けるべきかリソース上の制約が出るのではないかと心配になる。

もしそういう事態になったら、私は瓦礫受け入れた自治体の支援を優先すべきと強く主張したい。税金の使い道はお金に色を付けられるものなら、そういう使い道を考えるべきだ。大震災の痛みを共有出来ない人達には是非痛みを実感して頂き考え直して貰いたい。乱暴かもしれないがこれが心あるものの考えです。■

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サンデーモーニング批判

2012-07-11 22:59:03 | テレビ番組

私の第一のニュースソースは食事時のテレビだ。第二のソースはテレビを見て気になったニュースについて、少し時間をかけて読む新聞だ。更に詳細に知りたいことをネット経由か新聞のコラムで確認する、そんなプロセスで自分の考えを纏める。かつて時間に余裕が無い時はニュースソースはテレビだけに偏っていた。

退職後時間に余裕が出来て、第ニ、第三のニュースソースをしっかりチェックするようになり、次第にテレビニュース報道に批判的になった。多分報道姿勢が変わったのではなく、私が変わったのだと思う。具体的には、昔からずっと見て来た日曜朝のニュースバラエティ「サンデーモーニング」が、ここ数年で許しがたく酷いニュース番組だと感じるようになった。

その理由は、番組司会の関口氏の考え(或いは番組に責任のある局の考え)で事件を安っぽく一方的に決め付け、ほぼ毎回同じ顔ぶれの所謂識者連中がその趣旨に沿って金太郎飴みたいなコメントをする。色々な見方があって国論が割れているようなテーマであっても、金太郎飴のコメントが出て来る。

見ていてまるでヤラセのように同じ意見が出て来る。が、ネット情報によればそういう人達しか出演させないというのが本当のところのようだ。最近の典型的な例が大飯原発再稼動の問題についてだった。大雑把に言えば原発再稼動の決定は賛否が拮抗していたが、サンデーモーニングは全員反対意見を述べ、住民の半数が何故賛成若しくは許容したのかまともな議論がなかった。

橋下大阪市長や嘉田滋賀県知事が最初あれほど強硬に反対したのに、途中から腰砕けになった理由を番組はろくに調べもしなかった。許容論の背景には理想論だけでは片付けられない現実があり、それをどう乗り越えるかというレベルで議論しなければ将来の電力事業のあり方が見えてこない。しかし、番組のやったことは安易に政府決定を批判しただけ、これじゃニュース番組とはいえない。

この番組の方針は、スポーツコーナーを見れば容易に理解できる。そこではメジャーリーグの凡プレイやエラー・シーンを見せ、コメンテーターの張本氏がメジャーリーグは劣っているとこき下ろす。しかし、日本のトップの選手でもメジャーでは通用するのは極めて稀、野球ファンなら誰でもメジャーのレベルの高さを知っている。嘘だと分っていて笑って楽しむコーナーなのか。

出演している他のコメンテーター連中は、こんな不公平なやり方と非常識な意見を聞いても、ニヤニヤ笑っているだけ。同じニュース番組に出ていて明らかな誤りと思われる発言に対し何も言わないのは、異なる分野とはいえ識者として不誠実で自らの信頼を貶めることになる。彼等は平気なのだろうか、それとも金か。間違いないのは、これが番組制作側の方針なのだろう。

これはニュース番組ではない、ニュース番組っぽく作った娯楽番組だといわれれば私は反論できない。こんな風に政治を馬鹿にし笑いものにする酷い番組は他にもある。だが、ニュース番組の蓑を被って高尚な顔で一方的な能書きを垂れられると、思わず汚い言葉が出てきて飯が不味くなる。君らが政治を悪くしている張本人だと気付かないのかと。そしてメジャーリーグ中継にチャンネンルを切り替える。

ところで、サンデーモーニングは日曜朝の時間帯としては異例に高い視聴率を誇る番組だという。他のニュース番組も金太郎飴評論家を揃える所まではやらないが同じ傾向があるように感じる。どうも私の批評はかなりの小数派意見のようだ。残り半分の主張もまな板に載せ、しっかり善悪・損得等々の議論をせよと言ってるだけなんだけどなー。視聴者が反乱しない限り変わらないだろう。そう言いながら来週も同じ番組を見そうだ、他に無いからね。■

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AKBと幼児願望

2012-07-07 23:52:16 | 芸能ネタ

楽のセンスが余り無いと自認する私が云々するものおこがましいが、最近人気の絶頂にあるAKBについてちょっと書いてみたくなった。AKBは余りの人気で社会現象になっている。それと最近堅い記事ばかりだったので息抜きを兼ねて。

きっかけは東日本大震災の支援に感謝するイベントにAKBがワシントンを訪れた時、ミニコンサートを見た当地の人達の戸惑いの反応を報じる記事を見て、私はある種の既視感があった。

米国から帰任した1999年の初め頃、テレビの歌番組に出て来るのは所謂JPOPシンガーと呼ばれる人達だと気付いた。歌謡曲ではなくJPOPなのだ。目に付いたのがローティーン世代の人気グループで、私には小中学校の学芸会レベルのように感じた。が、凄い人気だった。

米国にいた時はCディオンやHヒューストンのようなこれでもかとばかりに声を張り上げて歌い上げる曲を毎日聞いていたものだから、技術的に未熟で女性の魅力にも欠けるまだ子供臭さの抜けないグループの楽曲を聴いて著しい違和感があったのは当然だと思う。

ワシントンでAKBのコンサートを聞いた人達も同じような印象を受けたのだろうと、私は思った。プロとしては音楽的に未熟で子供の学芸会を超えないようなグループが、何故日本を代表するような人気があって感謝を伝えに来たのか、当地の人は理解できなかったはずだ。

本の音楽ファンには、年若いミュジシャンが人気者に成長して行く過程を幼い子供を育てるように楽しむ人達がいると、最近別の機会に聞いた。それを聞いて分らなくはないが、プロレベルに達した音楽だけ楽しむのとはちょっと違うのではとも思った。

それは昔からそうだったろうか。どのくらい昔から言われているのか分らないが、この特異な現象は日本のポップカルチャーの特徴として幼児願望があるという説と関係があるのかもしれない。

先日亡くなったザ・ピーナツとか三人娘とかが私の青春時代のアイドル的な存在であったが、彼らの音楽レベルは若くともかなり高かった気がする。当時は先ず米軍キャンプ巡りをしてプロの歌手として鍛えられた結果であり、こちらの方が一時的で日本的に正統とはいえないかもしれない。

キャンディーズが大人気になった時、私はこんな下手くそなグループに何で人気があるのだろうと訝ったのを記憶している。彼女達も年齢的に米軍キャンプは経験して無いだろう。だが、衝撃だったのは何と言っても上記の帰任時に見たローティーン・グループだった。

本社会の根底が変わるような変化がこの頃に起こったのと関係があるだろうか。金融不安の深刻化、リストラに代表される日本的雇用慣行の崩壊、中流階級の縮小と格差拡大、これらの分岐点は98年だといわれる。それが幼児願望を進化、もしくは変化させたのだろうか。

私は、それがいいか悪いのか言っている訳ではない。幼児願望と密接に関ると思われる日本特異のカワイイ文化は世界に広がっているというが、それはサブカルチャーでありメインストリームではないように感じる。所謂ガラパゴス化の一つだと感じる。

ガラパゴスといえば、その代表として日本家電のガラパゴス化もこの頃から目立ってくるようになった気がする。98年は日本にとって多くの分野で重要な転換点だったのかもしれないと、この記事を書きながら思いついた。経済だけではない、文化も含めた大掛かりな転換だったのかもと。

もしかしたらもっと昔からの日本的現象かもしれない。例えば、江戸時代に渡来した南蛮人(アーネスト・サトウ)が書いた本に、子供が最優先される接し方・育て方を見て驚いた記述がある。欧米には子供が大人の食事や音楽界などに同席を許されない習慣を聞いたこともある。そこでは子供が大人のレベルに達するまでは認められない。

ところで、初め学芸会みたいに見えていたAKBのメンバーだが、最近では顔を見て誰か認識できる子が増えたし、名前まで判る子も片手では足りなくなり、お気に入りの子も出来た。テレビの見過ぎといわないで欲しい、彼女達がテレビに出過ぎるのだ。AKBまでそんなに理屈っぽくならないで、と娘に嫌味を言われそうだ。■

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