語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】自死した保守派論客の思想の根源 ~『保守の真髄』~

2018年03月01日 | ●佐藤優
★西部邁『保守の真髄』(講談社現代新書、2017)

 (1)<「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。
 昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。>【注】
 西部氏の「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」という指摘は重い。機械的に「自殺は悪い」と決めつけるのでも、死を美化するのでもなく、西部氏の思想と行動を分析し、同氏の内的世界を追体験することが重要である。

 (2)『保守の真髄』の「解題--序に代えて」で西部氏は記す。
 <自分にとって最後となるはずの著述を娘を相手にしての口述筆記で行わなければならないのは、利き手の右腕が、手や指先をはじめとして、益々激しく神経痛に襲われているからである。その原因は頸椎磨滅と腱鞘炎の合併からくるもののようだが、ともかく78歳にして書記というものをまったくできなくなった。そのことにこの述者は--以後、小生を「述者」と呼ぶことにする--満足と不快の両方を感じている>
 西部氏の場合、常に書き言葉と話し言葉を近づけようと努力していたので、口述筆記である本書を読んでも違和感を憶えない。議論の展開も緻密だ。

 (3)西部氏の特徴は、言葉をていねいに定義しながら議論を進めるところにある。
 〈例〉「リパブリック(republic)」について、こう説明する。<リパブリックは、本来、共和制と訳されるべき言葉ではなく、むしろ「公衆性」と訳されたほうがよかったのではないか。なぜといって、パブリックには「共に和する」という意味などありはしないからだ。公共心・公徳心の在り方の具体的な現れ方は、個人や集団のオピニオンによって様々に異なるものである以上、国民の中に(和ではなく)争が生じるのはむしろ普通である。もちろん公共心・公徳心は、抽象的には、国民に共通のものと措定されなければならない。しかし政治はおおむね具体性のレベルで論じられるのであるから、リパブリックにたいする適訳は、公衆(公心を持った人々)の政治と解されるべきであろう。そうしておいたならば公衆が独裁や寡頭をあえて選ぶこともありうるし、国王や貴族を迎え入れるということも起こりうる、としてもさしつかえない>
 西部氏は、こう定義することについて、「リパブリック」と天皇制は、両立可能だと主張したいのだろう。

 (4)西部氏は、かつて新左翼のブント(共産主義者同盟)活動家だったが、当時交遊のあった同世代の哲学者、柄谷行人氏の仕事を意識していることは、以下の記述から明白だ。
 <I・カントの線に沿って世界共和国を仮構することは可能であろう。しかしそれはあくまで抽象のレベルに据えられるべきものであり、政治の具体に目をやるならば、かならずや国民ごとにその公共心・公徳心は異なった様相を帯びてくるとみなさざるをえない。いうまでもなく、その具体的な在り方は個人や集団によっても異なるのだが、しかし政治という名の統治にあっては、ひとまずナショナル・ピープル(国の民)というボーダー・ラインを設けざるをえない。逆にいうと世界なるものにおける意思決定の主体を七十億の個人にまで分解するのでは国際社会は無秩序に陥るし、ワールド・ガヴァメント(世界政府)」という単一のものに集約するのでは国際社会がコンフォーミズム(画一主義)の地獄に堕ちてしまう。今現在の二百ばかりの国家数が最適かどうかはともかくとして、おおよそその程度の数の国家のあいだの調整や争闘を通じて国際秩序なるものが少しずつ作られていくとみるほかはないのである>

 (5)興味深いのは、仮構という条件を付けているが、柄谷氏が主張する世界共和国(共産主義社会と言い換えてもよい)を認めていることだ。西部氏は、若い頃の新左翼的共産主義を捨てて転向したのではなく、共産主義の理念を実現するためには保守陣営に加わる必要がある、と考え「加入戦術」を取っていたのではないか。それは、西部氏の世界資本主義論にも現れている。
 <世界株式市場の現在を見渡すと、膨大に膨れ上がった金融資本が、投機動機に駆られて、株価に本来の在り方たる「企業の長期にわたる収益の(利子率で割り引かれた)総和」という規準値を離れて--また未来があまりに不確実なのでそんな規準値を気にすることすら忘れて--短期収益の動向にのみ反応して乱高下している。たがてイノヴェーションの波が引きつつあるという長期的な動向が剥き出しになるとき、金融パニックのあとに続くのは何か。軍需産業への期待つまり戦争への国民的熱狂ではないのか。しかも米中両大国の前には「北朝鮮処分」という格好の餌がぶら下がっているのである>

 (6)この世界情勢認識は、マルクス経済学者の国家独占主義体制における帝国主義論と同じだ。
 西部氏の世代にとって、学生時代のブントの経験はとても大きかった。西部氏は、現象面で柔軟に変化しつつも、若い頃に持った正義の理念を最後まで貫こうとした誠実な知識人なのである。

 【注】「「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…」(産経ニュース 2018.1.21)
 「「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…

□佐藤優「自死を遂げた保守派論客の最後の書には彼の思想の根源が現れている ~名著、再び ビジネスパーソンの教養講座 第70回~」(「週刊現代」2018年2月17・24日号)
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