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2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】キリスト教徒として読む資本論 ~宇野弘蔵『経済原論』~

2016年07月29日 | ●佐藤優
 (1)宇野弘蔵は、マルクス『資本論』研究の第一人者だ。しかし、『資本論』から革命の指針を見出そうとするイデオロギー過剰なマルクス主義経済学者ではなかった。宇野は、
  (a)マルクス主義経済学
  (b)マルクス経済学
を区別する。(a)は、共産主義革命を実現するという認識を導く関心の下で革命の指針を見出そうとするイデオロギーだ。宇野はこういう(a)を否定し、
 <『資本論』の偉大なる科学的業績を現代に生かすものではないと思っている>
と強調する。
 ここでいう科学とは体系知(ドイツ語のWissenschaft)のことだ。宇野は、『資本論』を資本主義社会の内在的論理を実証主義的に解明した体系知の本だと捉えたのだ。マルクスが『資本論』で展開した科学(体系知)の方法に『資本論』の記述が矛盾している場合(<例>資本主義の発展とともに労働者階級が窮乏するという窮乏化法則)、その記述を改め、純粋な資本主義の運動を記述した「現理論」に再編する必要があると考えた。そして、自ら『経済原論』を二度上梓し、「現理論」の分野で多くの業績を残した。

 (2)宇野は、マルクスには二つの魂があると考える。
  (a)観察者として資本主義の内在的論理を解明しようとする魂。それはマルクスの主著『資本論』に端的に現れている。
  (b)共産主義社会を実現しようとする魂。『資本論』にも革命家としてのマルクスのイデオロギーが混在するが故に、論理が崩れている部分がある。そうした部分については、論理を重視して宇野は『資本論』を現理論として純化した。宇野によれば、経済学の原理とは、
 <資本家的商品経済が、あたかも永久的に繰り返すかの如くにして展開する諸法則を明らかにする>
ことなのだ。

 (3)ここで鍵になるのが労働力の商品化だ。労働力の商品化が生産様式を支配するようになると、資本主義は好況と恐慌を繰り返し、「あたかっも永久的に繰り返すかの如」きシステムとなるのだ。『経済原論』の結論部で宇野は、
 <社会主義の必然性は、社会主義運動の実践性にあるのであって、資本主義社会の運動法則を解明する経済学が直接に規定しうることではない>
と強調するが、この内容に納得した後、佐藤優は『資本論』の論理に立ちながらキリスト教徒であることに何ら矛盾を感じなくなった。
 資本主義社会の構造は、宇野流に『資本論』を読み解くことによって客観的に解明できる。ただし、そのことから資本主義体制を打倒する革命運動に加わらなくてはならないという結論が導き出されるわけではない。
  (a)むろん、「こんな社会で生きるのは嫌だ」と革命を志向する人もいるだろう。
  (b)他方、「利潤を生み出す源泉は労働力しかないのだから、人材派遣会社を経営して、他人の労働力を徹底的に搾取して金持ちになる」という処方箋を『資本論』から見出すことも可能になる。
  (c)あるいは、予見される将来に資本主義システムが崩れることはないのだから、資本主義が暴走するのを避けるようにしつつ、いつか資本主義に代わる社会が到来する日を「急ぎつつ、待つ」という選択をする人たちもいる。

 (4)さて、現実に存在する資本主義は純粋なものではない。
 宇野は資本主義の純粋化傾向は19世紀末には止まり、国家が経済に積極的に介入する帝国主義の時代が到来したと考えた。
 <資本主義は19世紀70年代以後漸次にいわゆる金融資本の時代を展開し、多かれ少なかれ旧来の小生産者的社会層を残存せしめつつ益々発展することになったのであって、もはや単純に経済学の原理に想定されるような純粋の資本主義社会を実現する方向に進みつつあるものとはいえなくなったのである。すなわち経済学は、ここにおいて原理のほかに原理を基準としながら資本主義の歴史的発展過程を段階論的に解明する、特殊の研究を必要とすることになるのであった>
 そして、歴史的発展とともに経済政策が重商主義、自由主義、帝国主義と質的に異なる位相で発展するという発展段階説を唱えた。
 さらに、現実には存在する資本主義を分析するには、現理論、段階論の考察に、政治勢力や労働運動の状況、国際関係などを加味した現状分析を行わなくてはならないと考えた。現理論・段階論・現状分析という三段階論で重層的に資本主義を分析する体系知としての経済学を確立する必要があると宇野は説いた。段階論については、国家の経済に対する政策で当該資本主義の特徴が顕著にシメされるので、国家論と言い換えてもよい。

 (5)宇野の体系知としての経済学というアプローチは正しい。宇野はこう述べている。
 <資本家と労働者と土地所有者との三階級からなる純粋の資本主義社会を想定して、そこに資本家的商品経済を支配する法則を、その特有なる機構と共に明らかにする経済学の原理が展開される。いわゆる経済原論をなすわけである>
 資本主義システムは、搾取する者と搾取される者という階級関係を必然的に包摂する。しかし、自由な市場で労働力商品を賃金に交換するという形態をとるので、この交換の中に階級関係が隠されている仕組みがよく見えない。宇野は、搾取の構造について、
 <資本にとっては、労働は無産労働者の労働として、商品形態をもって購入した労働力の資本のもとにおける消費としての労働である。したがって賃銀は、労働賃銀の形態をとるにしても、決して労働に対する報酬としての所得ではなく、労働力商品の代価にすぎない。賃銀は資本--利潤に対応する所得をなすものではない>
 『資本論』の論理では、賃金は生産段階で決まる。賃金を対価に購入した労働力を資本家が最大限に活用して利潤を上げても、それが労働者に分配されることにはならない。分配は、資本家と地主、異なる部門の資本家の間でなされるものであって、労働者には関係ない。したがって、企業がいくら業績を上げてもmそれが労働者の賃金上昇に直接つながることはない。
 このような階級社会を克服することは容易ではない。
 ソ連社会は、国家の暴力を背景に、すべての人びとを強制労働に就かせるという監獄社会を作り出してしまった。
 現実にソ連型社会主義が失敗した理由は、人間が自らの力によって理想的な社会を構築することができる・・・・という原罪観を欠いた楽観的なヒューマニズムのせいだ。
 むろん、資本主義が人間にとって理想的なシステムとは言わない。資本主義は、英国のエンクロージャー(囲い込み)運動という外部からの契機によって生まれたのだ。論理的に考えれば、与件が変化すれば、資本主義社会を超克することは可能だ。マルクス主義者の間違いは、システムの転換が内部から可能であると考えたことだ。資本主義は、キリスト教の千年王国が説くように外部からのきっかけによって崩れる。人間を疎外するシステムである資本主義に振り回されないように細心の注意を払いつつ、いつか千年王国が到来することをキリスト教徒は「急ぎつつ、待つ」という態度をとらなくてはならない。

□佐藤優「宇野弘蔵/経済原論 科学的業績としての資本論 ~ベストセラーで読む日本の近現代史 第35回~」(「文藝春秋」2016年8月号)
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