語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】外山滋比古/思考の整理学

2016年05月31日 | ●佐藤優
 (1)外山滋比古氏は、英文学、言語学、教育学などの専門分野でも大きな業績を残しているが、同時に専門分野の枠を超えた知を体得するための方法論に係る第一人者でもある。
 『思考の整理学』は、1983年3月に筑摩書房から「ちくまセミナー1」として刊行された。「ちくまセミナー」は、竹内宏『現代サラリーマン作法』(同年3月)、森谷正規『文科系の技術読本』(同年4月)など、学知を実務と結びつけることを考えて編纂されたシリーズだ。
 『思考の整理学』は、1986年にちくま文庫に収録された後もロングセラーになり、2016年2月25日付けの第107刷の帯にはこう記されている。
 <刊行から30年、異例の200万部到達 時代を超えたバイブル 2015年文庫ランキング(東大、京大、早大生協、全国大学生協連合会調べ)東大(2位)、京大(2位)、早大(1位)>
 本書は、今後も長い間、大学生におけるベストセラー兼ロングセラーの地位を維持するだろう。なぜなら、本書のタイトルは「思考の整理学」だが、内容は発想法、記憶術、表現法など、知を扱う分野で仕事をする人にとって不可欠のノウハウをわかりやすく伝授しているからだ。

 (2)外山氏はまず、知識をグライダー型と飛行機型に区分する。飛行機はエンジンによって自力で飛行できるのに対し、グライダーは風に乗って滑空することしかできない。ここに発するアナロジー(類比)だ。
 高校までは、教科書と参考書、問題集が整い、教師が手取り足取り教える教育だ。最近では、進学校の生徒は、現役時代から予備校に通ってグライダー型の知識を吸収する訓練を徹底して受ける。
 大学以降、本来なら自力で飛行する能力を身につけなくてはならない場所でもグライダー型の教育が主流を占めている。外山氏はいう。
   ①グライダー能力にすぐれていても、本当に飛翔するわけではない。これが、学校の最優等生が必ずしも社会で成功するとは限らない理由だ。
   ②学校はどうしても教師の言うことをよく聞くグライダーに好意を持つ。
   ③いわゆる学校のない時代でも教育は行われていた。グライダー教育がいけないのは早くから気づかれていたらしい。教育を受けようとする側の心構えも違った。なんとしても学問したいという積極性。意欲のない者までも教えるほど世の中が教育に関心を持っていなかった。
 昔の塾や道場は、志願者を受け入れても、最初は薪割り、水汲みなどの雑用をやらせる。志願者が学びたいと思っていることのノウハウを教えてくれない。こうした志願者の学習意欲を高めたのだ。
   ④じらせておいてから、やっと教える。すぐに全部を教え込むのではない。本当のところはなかなか教えない。陰湿のようだが、結局それが教わる側のためになる。
   ⑤頭だけで学ぶのではない。体で覚える。言葉ではなかなか教えてもらえない。名人の師匠はその道の奥義をきわめているけれども、はじめからそれを教えるようではその奥義はすぐ崩れてしまう。
   ⑥秘術は秘す。弟子の方では教えてもらうことはあきらめて、なんとか師匠のもてるものを盗みとろうと考える。ここが昔の教育の狙いだった。

 (3)習うより盗め、は日本に特有のことではない。モサド(イスラエル諜報特務庁)やSVR(ロシア対外諜報庁)におけるインテリジェンス教育も、マニュアル型の勉強を1年くらいさせた後は、「習うより盗め」の環境に研修生を置いてインテリジェンスのノウハウを身につけさせる。「盗む」能力に欠ける者は、インテリジェンス業務から外される。
 <師匠の教えようとしないものを奪いとろうと心掛けた門人は、いつのまにか、自分で新しい知識、情報を習得する力をもつようになっている。いつしかグライダーを卒業して、飛行機人間になって免許皆伝を受ける。伝統芸能、学問がつよい因習をもちながら、なお、個性を出しうる余地があるのは、こういう伝承の方式の中に秘密があったと考えられる。
 昔の人は、こうして受動的に流れやすい学習を積極的にすることに成功していた。グライダーを飛行機に転換させる知恵である>
 と外山氏はいう。 
 教育とは、師弟の関係に入ることだ。師弟の信頼関係の中で、全人格的に恩師の知が弟子に伝えられていくのだ。

 (4)本書に考える力を強化するためのヒントがいくつも記されている。例えば、忘却の重要性だ。
 <気にかかることがあって、本を読んでも、どかく心が行間に脱線しがち、というようなときには、思い切って、散歩に出る。歩くのも、ブラリブラリというのはよろしくない。早足に歩く。しばらくすると、気分が変化し始める。頭をおおっていたもやのようなものがすこしずつはれていく。
 30分もそういう歩き方をすると、いちばん近い記憶の大部分が退散してしまう。さっぱりする。そして、忘れていたこ、たのしいこと、大切なことがよみがえってくる。頭の整理が終了したのである。帰って、本に向かえば、どんどん頭に入ってくる>

 (5)ほんとうに必要なことはメモしなくても記憶に定着する。外山氏はいう。
 <講義や講演をきいて、せっせとメモをとる人がすくなくない。忘れてはこまるから書いておくのだ、というが、ノートに記録したという安心感があると、忘れてもいいと思うのかどうか、案外、きれいさっぱり忘れてしまう。本来なら、忘れるはずのないことまで忘れる。
 めったにメモをとらないことだ。ただ、ぼんやり聴いていると、大部分は忘れるが、ほんとに興味のあることは忘れない。こまかく筆記すると、おもしろいことまで忘れてしまう。
 つまらないことはいくらメモしてもいい。そうすれば、安心して早く忘れられる。大切なことは書かないでおく。そして、忘れてはいけない、忘れたら、とり返しがつかないと思っているようにするのである。
 人間は、文字による記録を覚えて、忘れることがうまくなった。それだけ頭もよくなったはずである>

□佐藤優「外山滋比古/思考の整理学 ~ベストセラーで読む日本の近現代史 第33回~」(「文藝春秋」2016年月号)
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