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萩の乱(1876・明治9年)の人間関係(土井)

2007年04月03日 14時40分18秒 | Weblog
歴史的に有名な前原一誠の明治新政府に対する反乱ですが、作家・古川薫が乃木稀典を主題とする「斜陽に立つ」の中でその子細を記しています。
郷土の歴史の一断面でもあり、非常に興味深く感じたのでその一部を私流に紹介します。
三百人を超える殉国軍こと前原党には乃木稀典の弟玉木正誼(まさよし)も参加した。一番隊長として、十月三十一日政府軍との戦で弾丸が尽き「吶喊して勝ちを一挙に決しよう」と白刃を振りかざして躍り出し、十歩も行かぬうちに胸を銃弾に撃ちぬかれました。
前原一誠、山田頴太郎、佐世一清の三兄弟は捕らえられ、十二月三日に斬首されました。
三兄弟の父佐世孫七は十一月四日割腹自殺を図ったが、飛び込んできた警吏に病院に運ばれ四日後に死亡しました。
吉田松陰の養子吉田小太郎(兄杉民治の長男)も前原党に加わり十一月一日、六本杉の戦いで戦死しました。
当然杉民治も疑われたが、証拠が無く、また松陰の兄という手心もあってか捕縛を免れました。
民治の養子相次郎も乱に参加したが放免された。この相次郎の息子が後の大阪商工会議所会頭杉道助です。
いま一人罪を免れた十三歳の少年がいました。
田中乙熊(おとくま)といい、小銃を撃って戦いましたが、乱後に自首し、年少の見張役ということで放免されました。
この少年が後の陸軍大将・内閣総理大臣田中義一です。
そして義一の息子田中龍夫は山口県知事や文部大臣を歴任しました。

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