ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
私的メールマガジン「ほぼ週刊イケヤ新聞」のブログ版です。

佐久間正英さんの「goodbye world」のこと

2013年08月12日 20時06分29秒 | 音楽家の言葉_Words for Music

佐久間正英さんの「goodbye world」こと


今朝未明、佐久間正英さんのブログのエントリーを見た。
「goodbye world」。
C言語のプログラムの話から始まる内容は、
非常に明晰で整理されており、理知的だった。
淡々と、自らのスキルス胃がんについて書かれていた。

余命という言葉も使われていた。

本当に残念でならない。

 

 


佐久間さんについて書くために、
珍しく自分のことを書いておこうと思う。

今でも覚えているある夜、なぜか急にトランペットを吹きたいと思い、
僕は小中学高校で吹奏楽に入ってトランペットを吹いた。
同時にギターを弾き始め、ロックが大好きになった。
その後、大学に進学し、高校の同級生を中心にしたバンドを組み、
「新しい音楽」を目指して、ニューウェーブ風の曲を作り
日本的な音階や非機能和声的な和音を使った。
「はる」というバンドだった。

幸運なことに「はる」は当時いくつかある

学生ロックコンテストの一つで優勝し、
さるレコード会社と大手事務所から声がかかり、
映画の主題歌と映画の音楽をやることになって
いきなり初めてのレコーディングをすることになった。

その時のプロデューサーが佐久間さんだった。
エンジニアはマイケル・ジマリングだった。
佐久間さんがブルーハーツ、スライダース、ボウイを手がけた前後だと思う。
まだギターもろくに弾けなかった僕たちに、佐久間さんは
楽器の持ちから、調整から教えてくださった。

「はる」はは当時、自分でいうのもなんだが、ギターの練習もろくにしてないし、
アイディアだけがあって、本当に演奏は下手だった。
でも佐久間さんは、私、そして私たちバンドのいいところを認めてくれて
丁寧に最良の演奏を引きだしてくれた。
その間、いろんな音楽の話をわかりやすくしてくださったことは、
本当に僕の音楽の糧になったと思っている。

レコードを出した一年半ほど後、
僕は「はる」(「はる」はすぐに「+B」と改名、
それも佐久間さんのプロデュースしたアルバム名にちなんでいる)
そのバンドをとある事情でやめ、ブラブラしていたところ、
佐久間さんが事務所に誘ってくださった。

すでにそのバンドをいっしょにやっていた友人のFが佐久間さんの
ローディをやっていたのだが、彼がプレイヤーとして参加する
四人囃子の再結成コンサートが企画されており、
佐久間さんがギターやベースが多少はわかるローディを必要としたからだった。
(Fはサックス&キーボードだった)

そこからしばらくの間、僕は佐久間さんとオノセイゲンさんの事務所で働いた。
四人囃子のローディの仕事は、大変だったが刺激的だった。
毎日弦を交換し、アンプとエフェクターをセッティングし、
四人囃子の演奏をリハーサルから本番まで聴く、
終わったらバラしてクルマで運んで片づける、という仕事だった。

ベースってもの、ギターってもの、
そしてバンドってもの、音楽への態度、
アートとしての音楽のありかた、考え方、
そういったことはその時に身につけたことだ。

四人囃子の再結成コンサートが終わって、
しばらくして佐久間さんの事務所を辞し、
出版社/広告制作会社に入社した。
そして僕は楽器と機材について書くコピーライターとなった。

音楽の演奏を生業とすること、あるいはレコード会社や音楽事務所など、
音楽と一次的な関連の仕事をすることを諦めたのだ。

それも、佐久間さんのベースの演奏、ギターの演奏、
そして森園さんなど、四人囃子のメンバーの演奏の凄さを
肌身に感じ、これは俺などではとても無理だと悟ったからだった。

これもいま思えばとても良かったことだと思っている。

こうして事務所を辞めた私だったが、佐久間さん、そして
事務所のボスである内藤さんは、折に触れて、僕に声をかけてくださり、
なんども事務所に遊びにいっては、いろんな話を聞かせてくださった。
時折行われていた四人囃子のライブや、早川義夫さんとのユニット、
佐久間さんにの様々なイベントにも声をかけていただいた。
そのたびに佐久間さんの演奏の凄みを、音楽の深みを感じた。

佐久間さんの60歳を記念したイベントでは、dip in the pool、GLAYなど
TAKUYAなど日本を代表するアーティストが続々と登場し、素晴らしい演奏を繰り広げたが
佐久間さんがいなかったら日本の音楽はどうなってしまっていたのだろうと
怖ろしくなったりした。

最近の佐久間さんのgoodnight for followersでの音楽への誠実さも印象深い。
dip in the poolの木村さんがfacebookで書いていたが、
一日中音楽を作る仕事をしている人が、深夜仕事をやっと終えて、
そこからなんのペイもないのに、あたらしい曲を書き、
自らレコーディングし、それを配信する、ということを1110日連続でする。

このスタンスは、いわゆる業界の大御所プロデューサーのそれではなく、
音楽へ全てを捧げている、いや存在が音楽そのものと化した次元のアーティストのそれだと思った。
それと佐久間さんのYMOへの違和感のコメントも、
長年自分のなかでトゲのように引っかかっているモノが何か、
明瞭にわかった瞬間だった。

実は私が楽器や音楽機材を主に扱うコピーライターになってからも
広告の仕事をいっしょにさせてもらったこともあった。
別の分野でプロになった私を
佐久間さんが認めてくださったような気がして、本当に嬉しかった。

今、私はフリーランスにはなったけれども、かわらず楽器や音楽、機材、オーディオを
主に扱うコピーライターを生業としており、
アマチュアだけれど、かなり真剣に音楽をやっているギタリスト、トランぺッターでもあるが、
(不思議なことにプロを辞めた後のほうがずっとずっと楽器の演奏が好きになった)
仕事も、仕事以外も(実はほとんど区別していないが)
その中心には常に音楽がある。
そしてその音楽に対する考え方の根幹を育んでくださったのは佐久間正英さんだ。
どんなに感謝しても、感謝しきれないし、
佐久間さんと出逢うことができ、その薫陶を受けることができた幸運は、
私の人生にとって最大のものかもしれない。

今朝は明け方から何度も佐久間さんのブログの内容が悪い夢であったほしい、と思ったが
実はあのエントリーを読んでから眠れていない。
スキルス胃がんのステージ4で転移がある、という状況を冷静に受け止めている佐久間さんに対して、
感情的に「がんばって」とか「早く治りますように」という言い方は僕にはできない。

しかし、心の底から佐久間正英さんを応援したいと思っているし、
そして、佐久間さんの「Last Days」を、
全力で、できるだけ誠実に受け止めていきたいと思っている。

いまの私には、それぐらいしかできないという無力感を噛みしめながら。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿