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VocCOLOURS LIVE Review/ What is REAL improvisation?

2017年10月19日 18時02分54秒 | CD&コンサートレビュー

VocCOLOURS LIVE

/Norbert Zajac(voice) Brigitte Kupper(voice) Gala Hummel(voice) Iouri Grankin(voice) with 北陽一郎(tp,laptop) 野々ユキノ(dance)

 

ボイスによるフリーインプロビゼイションの四人組みユニットというものが存在すること自体、不勉強で知らなかった。ドイツの東京湾ホエールズの北陽一郎+鈴木常吉ライブに飛び入りした4人組みコーラスVocColourを見て衝撃を受け、なってるハウスでのライブを観に行った。

声によるまったくのフリーインプロビゼイション。そこには非常に多くの示唆があった。

フリーインプロビゼイションだけに限らないが、アドリブ、インプロビゼイションをやったことをある人ならわかると思うが、自動書記のように、本人は無意識だが吹いているうちに楽器自体が鳴っていくというような気がしないだろうか。悪く言えば指が勝手に弾く、ピストンを押さえている状態。

アンコンシャスネス、無意識下にあるものが演奏させていると思えば、それはそれで悪くないのかも知れないが、有り体に言えば手癖だったり、惰性だったり、ただ吹いているだけ、という境地になりがちであって、それがフリーなインプロビゼイションになると、私の場合それが特に顕著になる。つまり「歌う」ことをしていないのだ。

でも、これが楽器を使わない「歌」の場合はどうだろう。勝手に歌うというとはあり得ない。全てが自分の意志であるし、音域には限界はあるだろうが、キーによる演奏性の制約や、楽器特有の演奏状の制約はないだろう。(トランペットのリップスラーなど)。声で苦手なことがあるとすれば、ピアノのような分散和音のアルベジオなどはかなりスキルが必要になるだろうが、単旋律の「歌う」ものであれば、管楽器よりもはるかに自由だ。

●楽器による自動書記、あるいは手癖がない状況
●楽器の演奏スキルから解き放たれた状況

ここで何ができるかを考えると、これこそがインプロビゼイションの本質に思える。今までアドリブは楽器ありきで考えていたし、私は歌も歌うが、スキャットは楽器演奏のアドリブを歌でひゅげんする、と考えてきたので、楽器から解き放たれた状態でのインプロビゼイションということをを考えてきたことがなかった。これは新鮮であった。

もうひとつ重要な示唆は「音/声/言葉」の問題だ。楽器の音のインプロビゼイションでは、はほぼ「言葉」は出てこない。しかし声のインプロビゼイションとなると「言葉」は容易に飛び出してくる。また「言葉に似たもの」も。これは音楽の成り立ちにも関連する深い問題であって、音/声/言葉とは、楽音の意味と言葉の意味のせめぎ合いでもあり、相互作用でもある。

これについては、あまりにもテーマが大きく深遠すぎて簡単に書き進めることはできないが、とても大きな手がかりをもらったという気がしている。




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