友人のトランペッターの急死で、
昨日から悶々としていました。
受け入れたくない気持ち、嘘であってほしいという、事実への否認。
一人でいると、それがループしてしまうので
昨日は、彼ゆかりのバーに出向き、お通夜がえりの友人たちと
悲しみを分かち合いました。
そうすると、不思議なことに一人でいるときよりも
悲しみは薄らぎます。支え合うからかな。
そしていま、告別式から帰ってきました。
写真が飾られ、金色のケースと黒のトランペットと、
たくさんのCD、ほとんどが渋さ知らズ。
もう嘘だとは思えなくなったけれど、
残念だと思う気持ちはより強くなった。
喪主である奥様の
「主人はトランペットを吹いていました。
そして渋さ知らズというバンドが大好きでした。
渋さ知らズのワークショップでいっしょに演奏された方
いっしょにバンドで演奏していただいた方々、
主人の最高の時間をいっしょに共有していただいて
ありがとうございました。」
という挨拶には、僕たちバンド仲間全員が涙しました。
故人と共にいた時間は決して長くはないかもしれない。
でも、どうしてだろう、いっしょに演奏した仲間というのは
普通の付き合いとは違って、
魂のレベルで触れ合って、共振していたかのような、
深い深い思いがお互いに残るのです。
まるで兄弟を失ったかのような喪失感です。
多くのミュージシャンを愛し、
そして多くのミュージシャンや仲間達に愛された
本当に素敵な人でした。
自然とみんなのフォローをしてくれる、優しい人でした。
通夜当日、本人が参加する予定の渋さ知らズのライブでは
1曲目に追悼の曲が演奏されたそうです。
本人はさぞかし喜んだでしょう。
去り際は急だったけど、
彼にとって、自分の人生は、いい人生だったのではないかと
僕は思います。
彼にはたくさんの恩がありました。
ひとつも返せませんでした。
それが残念ですが、
あなたと出会え、あなたを通じて多くの仲間と会えたことを、
心から感謝します。
そうだ、ちょうど旅立ちの時間の頃、
ライブに向かう僕がかぶっていたキャップを、
風で飛ばして持って行ってしまった。
きっと、サヨナラをいいに来たついでに、
思い出として持って行ってくれたんだね。
きっと最後にみんなひとりひとりに会いに行ったに違いない。
今日は渋さ知らズの
ひこうきをエンドレスで聴いて、ねることにします。
どうぞやすらかにお休みください。
http://www.youtube.com/watch?v=REb93P-cRoI
告別式での奥さんの言葉、自分もそこにいたら涙が止まらなくなったでしょう。
また自分も改めて、堀江さんのことを書いてみたいと思っています。