もし真実が知らされていたとしたら私たちはパニックに陥らなかっただろうか。
2011年は東日本大震災の年として歴史に刻まれるだろう。
もうすぐ一年が経ち、
震災はもの凄いスピードで復興に向かいつつあるが、
我々の気持ちを暗くしているのは、
いっこうに出口が見えない福島第一原発の問題だろう。
新聞などのメディアで当時の様子がだんだん整理され
発表されるようになってきているが、
おそらく真実とは別に、改竄されたものであるに違いない。
震災当初の議事録がことごとくつけられていなかったと
最近報道があった。
これは全く根拠のない俺のカンに過ぎないが、
間違いないく意識的に議事録をつけなかった、
あるいは「つけなかったことにした」のであるに違いない。
大前健一氏で明らかになったが、
原発は早い段階でメルトダウン、メルトスルーし、
放射能汚染は拡がっていて、
それを早い段階であるレベルの当事者は知っていたのだろう。
トップ政治家、官僚がどのレベルまで、
どの段階で知っていたのかは分からないし、
閣僚すらダマされていた可能性もあるが。
容易に考えられるのは
「パニック」を恐れたこと。
震災後の数日間は今も忘れることが出来ないが、
震災当夜の見たことのない数の、徒歩で延々と帰宅する人々の列。
陳列棚が空になったコンビニ。
その後の米や水の買い貯め騒ぎ。
ガソリンスタンドの長蛇の列。
水に関して言えば、当時東海地方に出張していたが、
そこのスーパーですら水が売り切れていた。
正直言ってこの「パニック行動」が有り得るとして、
メルトダウン、放射能拡散が発表されていたら
鉄道、道路が壊滅していた東北地方で、
さらには人口が密集している首都圏で、
どれだけのパニックが起きていたかは想像を超える。
パニックを最小化することと、
残酷だがある程度の放射能汚染と被曝を甘受すること。
(どの程度だろうか、それも想像を超えているのかもしれない)
激しい余震が続く中で、地震・津波の被害と救助をしながら
そのバランスについて論議されたとしたら、
当然記録には残せない会議になっていたに違いない。
第二次大戦後の戦後処理での秘密文書が
戦後50年過ぎて出てくるように、
何十年も先になって、そのころの会議で何が話されたのか、
明かになるのではないか、と想像する。
その頃は日本はどうなっているのだろうか。
過去の経済繁栄を懐かしむ、老人のような国になっているとしたら、
とても残念だが……。