ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳 平蔵谷:見えてきた!

2015年09月06日 01時03分48秒 | Weblog
去年のこの時期に登攀した長治郎谷よりも、雪面はやや緩いような気がした。
もちろんそれは違っていて当然のことであり、日によっても、一日の時間帯によってさへも状況はめまぐるしく変わる。

雪渓の両サイドは岩壁となっており、大なり小なりのラントクルフト(シュルンド)だった。
当然近づくことなど危険すぎてできない。
どの程度のシュルンドであるのか見てみたい思いを抑えながら登攀を続けた。


平蔵のコルと思われるポイント付近はまだガスに覆われてはいたが、碧空の範囲の方が明らかに広い。
碧空に向かって登って行くような気分であり、またそれが登攀意欲を駆り立ててくれた。
だから本当はもう少しピッチを上げて登りたかったのだが、それはやめた。
スタートした時と同じ、200歩登っては30秒程立ち止まり息を整えることを繰り返した。

今のところ座って休憩をできそうなポイントは何処にもない。
立ったまま行動食を食べたり一服したりした。
「あの先に見える岩が安全そうだったら、そこで腰を降ろして一本とるか・・・。」
予定している休憩ポイントあたりを地図で確認すると、平蔵のコルまではそう距離はなかった。
問題はその斜度だ。


特に何も考えず(もちろん落石には注意)、心の中で「1、2、3、・・・78、79、・・・143、145・・・」と、歩数だけを数えながらゆっくりと雪渓を登った。
「あそこまでもうすぐだ。あ~ゆっくりと座って煙草が吸いてぇー!」
思わず言葉として出てしまった。

さすがに日の当たる雪渓は緩い。
斜度も幾分増してきているだけに、ここからが平蔵谷の勝負所だろう。
見上げれば右手前方に、劔のてっぺんがはっきりと見えてきた。
いやが上にもテンションが上がってくるのが自分でも分かった。
「やっとお出ましか。」
しばしその場に立ちつくし、劔岳を見つめた。
やっぱりいい! 何と言ってもこの山はいい!
簡単に近づける山ではないが、だからこそ毎年登りたくなる。
決して飽きることのない山なのだ。

最近読んだ山岳書籍の一節を思い出した。
『人跡の少ない登山ルートともなれば、自然の優しさだけでなく怖さをも体験できる。そして日常生活という文明に守られていない自分に気付き、自分を見つめ直す機会となる。』
今が将にその時なのだろう。
と言うよりは、自分の場合「その時」ばかりが多いような気がする。

振り返ってみた。

「おぉ~結構登ってきたんだなぁ・・・。」
しみじみと思うのだが、振り返ってみて初めて実感として分かったことがあった。
標高を稼げばそれだけ斜度が厳しくなってきているという事実だ。
「最後はもっと厳しいんだよなぁ・・・」
そしてもう一度コルの方を見上げてみると、赤や緑や黄色の針の穴程の点が右に左に動いているのが見えた。
「人だ」
だったら、やはり右手のあのあたりが「タテバイ」ということで間違いない。
雪渓の終わりは、即ちタテバイへの登りを意味しているのが平蔵谷なのだ。

やっと予定していたポイントに到着した。
右側は雪が崩れ落ちていてかなり危険だ。
幸いに左手のガレ場地帯と雪渓との隙間はしっかりと埋もれており、安全に岩場(ガレ場)に登ることができそうだった。

アイゼンを装着したままで岩の上を登るのは久しぶりのような気がした。
「ガリッ! グギギーッ!」という音と共に、横岳や赤岳を思い出した。

「さて、何か食べよう。」
軽く行動食を摂り、水分補給。
そしてゆっくりと腰を据えて煙草に火を付けた。
自分のいるポイントから、一般登山道の人達の姿ははっきりと見えた。
と言うことは、あっちからも自分の姿がよく見えているということになる。
このルートを登攀しているのは自分独りだけ。
なんか嫌だ・・・。
登山技術に長けている訳でもないし、体力に自信があるわけでもない。
見られながらの最後の雪渓登攀になりそうな気がした。