魚類のまま進化する魚類。
なんだかとっても、知恵がついてきてる感じのする、ちかごろのHONJAMACAとMACHなのである。
朝、何かの拍子で目覚ましが時刻どおりに鳴らなかったり、いつもより1回多く「あと5分」をやってたりすると、
(いつまで寝てるねん!)
と暴れている音がする。
どっちか知らないが。
ちゃんとした言い分があるってことは、MACHかな。
夜、帰宅して、気まぐれにかまってやろうと近づいても、二人してこっちにお尻向けて、「お帰りなさい~」という態度が微塵もない。
(フン。いつもそんなんしぃひんやん!)
てな調子である。
そんなんだからそんなに太るんだ。食っちゃ寝て。
1日1回くらいは運動しなさい。猫だってそのくらいできるんだぞ。
ふたたび朝。
ちょいとダイエットさせようとメシぬきのまま戸締りして玄関に向かおうとする。
「じゃあ、行ってくるからね~」とチラリ振り返ると、
(え?うそ?なんで?)
とあたふたしてるのが1人。
見るからに、ゴハンは?ゴハンは?ねー、ゴハンは?というリズムで、ご主人様のほうにぱくぱく立ち泳ぎアピールである。
その姿ったら、お買物に出かけるママに置いてかれそうになって必死で上がり框まで這ってきて半泣きで靴下はこうとしてた(靴はく前に靴下!と刷り込まれてたらしい)赤子のころの甥っ子に生き写しのオタオタっぷり。
ヒトになろーとしてるのか、HONJAMACAよ?
ういやつぢゃ。
でも明日もメシぬきなんだもんね~♪
“bio-”は生物学。“mimic”はモノマネ。
てことで、“Biomimicry”は生き物のモノマネをする科学。
修士課程のころ、情報通の上司からBiomimicryを採りいれたイノベーション開発の話をきかされ、感銘を受けて、第一人者と思われるJanine Benyusの本を読んだ。ペーパーバックになっていたから、それより1年かそこらは早く、Biomimicryという発想が提唱されていたということになる。
前職のシンクタンクに入所するとき、面接でBiomimicryの話をした。「フトコロ深いね、キミ」
と言われたのが嬉しかった。
それから地味に研究は続けられていて、“痛くない注射針”がちょこっとニュースになったりはしたけど、ブームとまではいかずに今に至っている。
T大先端研の先生の講演を聴きに行ったら、光触媒の新技術の説明の中で、“ハスの葉の撥水”が出てきた。―あぁ、ここにも、Biomimicry。
そうは思ったけど、あの頃と喩えが変わってないとゆうことは・・・
直感的にはいかにも画期的なイノベーションが生まれそうな切り口なのだが、そう簡単ではないらしい。
何かいいヒントはないものか。ねぇ、HONJAMACAよ?
(あ、また寝てる…。)
フリージャーナリストの友人が、社会起業家についての連載を書いている。
ちかごろ市民権を得つつあって、でもこのままのノリで盛り上がると、しょーもない流行語大賞どまりでつぶされてしまひそうな、社会起業家。
連載がどんなラインナップになるかに、社会起業家というイメージがこれからどうなっていくかも、左右されるだろうな。
まっとうなムーヴメントまで行き着けるよう、友人の眼力を信じて、陰ながら心の中でハデハデに応援している。
思うに、勢いとノリでがーっと盛り上げて、軽くブームにして、流行語になんかしてしまふのが、メジャーどころのマスコミさんたち。
ジャーナリスト、ってイメージとは、ちょっとチガウ。
数少ない本物のジャーナリスト、てイメージは、こう。
信念を持って、自分の感覚を信じて、正しいと思う主張を声高に叫ぶ。
本当に、心底、これは大きなうねりにしなくちゃいけない胎動だ、と思えるその時まで、じっと耳を澄ませていて、今だと思った瞬間に、言葉で、人の心をわしづかみにする。
そんな風に思ふから、今日も明日もこれからも、言葉へのこだわりは捨てられない。
総会だった。
今まで渡り歩いてきた職場で、何度も見てきた風景。
「異議なし」以外の発言もなく終わった。
総会が無事に終わったのは、これからの政策を真剣に考え提言していくために必要なシンクタンク、という評価の表れだと、まぁ善意に解釈しておきたい。
どれだけ赤字が続こうと、身の丈に合わない仕事のために研究員が健康と家庭と正気を犠牲にしていようと、これからの国のあり方を示していくために、所員一丸となって頑張ってます――それが、民間の実態。
ところが。
総会が終わってオフィスへ引き揚げる途中のキオスクで、目に飛び込んできた夕刊の見出しが、「農水相自殺」。
あまりにも無責任だと思った。究極の「逃げ」だ。
とことん自分でどうにか解決しようと思う、それも自分だけでなく国民のために、というのが、ああいう人たちの仕事であり、あるべきメンタリティだとばかり思っていた。
真逆だった。
オフィスに戻って一息ついて、区切りのついた仕事の反省点をめぐって同僚とずいぶん長く話し込んだ。
構造的な問題点の、深い深い根が、掘れば掘るほどずるずると目に見えた。
「ミッションを思う気持が萎えてしまった」と、苦笑する彼の顔色は完全な土気色だった。
そして相も変わらず論文修正である。 週末だってのに。
最終原稿が受理された後の、トドメの著者校正は、まさに重箱の隅をニードル(←なつかしー。昔エッチングで使った。)でつつきまくりなのである。
人の原稿には真っ赤になるほどさんざん校閲かけてきた私だが、自分の原稿を他人に直されるということの“カチン”度をいまさらながら認識して、少しばかり反省する。
ま、「意味わかんねーぞ」という指摘は1コもなかったので、やっぱり程度の問題かなとは思うけど。
先方の直しに不満を感じたのは、なんといっても漢字の多用。
漢文かと思うよな全体的に「黒い」報告書を扱ったときの悪夢がよみがえるので、個人的に漢字の多用はキライである。
見た目が読みづらくて不親切だし、漢語(熟語)を多用すると「○○による△△の□□が~」て感じの低レベルな文章にしかならなくて具体的な意味が伝わらないから、こだわり屋的には積極的に避けたい事態である。
だけどアカデミアというところは、とにかく漢字に直せるところはことごとく徹底的に漢字に直してください、というポリシーがあるらしい。難しそうに見えるからかな?こういうレベルのことは、本人の文章表現へのこだわりの範疇であって、論文の字数制限にもひっかからなくて、専門家であるレフェリーにもちゃんと通じてる限りにおいては、事務の人が事細かに「修正」を求めていいこととも思えないのだが。だって間違ってるんじゃないんだし。
どうも表現者としての感性を否定されてるような、腹立たしい感覚が腹の底であぶくを立ててしまうのは、おのれの器の小ささか?
アカデミアの感性なんて、所詮そんなもんなんでしょーかね。
なにはともあれ、今度こそこれで打留めだっ!
アントレプレナーとは、リスクテイカーのことであ~る。
などと、去年の議論を思い出した、ちょっとしたデキゴト。
学校帰りの電車の中。
ドアの傍に立って見れば、名作ギャグマンガ『つる姫じゃ~っ!』でもおなじみ、かの有名な“ナボナ”の広告。・・・と、よぉく見ると・・・!
「期間限定 ルバーブナボナ」
へ~。ルバーブね。
・・・・・・・・
は? ルバーブ?!
てっきり野菜だと思ってた、というくらい、フルーツとしての味とか匂いとか想像できない。
旬のタイミングとめずらしさ加減が命の期間限定モノとしては、かなりの高リスク商品と見た。
こういうの、ちょっと食べてみようと思うのが、アントレプレナー・・・かな?
いまの時代に、こんなクラシックな呪文、効くかしらんと思いながらも、日々、つぶやいてしまう。
安全・安心の社会、というのを今のニッポンは国を挙げて目指しているはずなのだが、あまりにも対極をいくニュースばかりが飛び込んでくるもんだから。
親に銃で撃たれるかもしれないし、子どもに切り刻まれて部屋に飾られるかもしれないし、玄関あけたら刺されるかもしれない。
この間は、「自転車も走っていいよマーク」(標識)のない狭い歩道で、ゆるゆる走っているおばあちゃんの自転車に、ヘッドホンで音楽聴きながら片手にケイタイ片手で運転のギャル自転車が正面から激突する瞬間を目の前で目撃した。ギャルは、これ以上できないぐらいガラの悪い鋭い目つきでにらみつけて、黙って走り去った。
これ、日常のワンシーンとしてはかなり衝撃的だ。
(テクノロジー)イノベーションで安心・安全、なんて鷹揚なこと言ってられる状況とは、とても思えない風景。天気が悪いと、暗いネタにばかり目が行ってしまう。
明日はぱぁっと晴れるといい。
このところ、訳したり、訳文の校閲したりで英語の文献を読むことが多かった。
それでかえって気になるのは日本語だったりする。
「訳す」にも本当にいろいろある。
翻訳、逐語(直)訳、意訳、それに通訳、、、逆引きなんぞしてみればもっとある。
何訳をするにしても、書いたりしゃべったりした本人が意図している(であろう)ことを、力の及ぶ限り正確に汲み取って伝えたいとついついムキになって、ぴったりくる日本語表現をさがして悶々とすることになる。
論文や報告書の類ですらこの調子だから、全訳しようとすると遅々として進まない。
文学作品など訳そうと思い立った日には、えらいことになるに違いない。
思うに、「訳す」というのは、違う言葉を使う人と「思いを共有する」ということじゃないだろうか。
おそらく、同じような〝思い〟を抱えている者同士で「訳す」という作業をしてみたら、ものすごくピッタリ来る表現がするすると出てくるだろう。
相手の気持ちを慮る、というセンスこそ、訳者に必須の資質なのかもしれない。
失われる協調性
↓
一匹狼増殖
↓
自画自賛全開
↓
はりきるうぬぼれやさん満載
↓
みんな本領発揮
↓
天才量産
↓
あらたな知の創造 大いに活性化?
年に一度の総会の日が近い。
そーいえば、ステークホルダーの皆さま方にお配りする資料に載せるとかゆって、プロフィール書かされたんだった。
総会の日からひと月かそこらで雇用契約の切れる(まーぶっちゃけクビだね)の人つかまえて、シンクタンクの宣伝になるよーに書けなんざ、ふてぇシンクタンクだとぼやいたんだっけ。
そのぼやきを踏まえて。
どうやら総会の当日は職場を挙げて会場でお手伝い、という予定らしい。
小耳にははさんでいたが、総務の女の子が突然やってきて、
「ヒイラギさんにもお手伝いをお願いしたいのですけどぉ~、
一斉送信したお願いメールから漏らしちゃっててぇ~・・・
ご予定、だいじょぶですかぁ~?」
ぼやき踏まえてるんで、ぐれやすさ抜群。漏らされたって聞いて、かちーん。―ま、先も短いことだし、別にいいっすけど。
とりあえずへそは曲げてみせる、大人気なさ。―で、役割分担はどーなってんの?
「質疑応答のときのぉ、マイク係ぃ、お願いできますぅ~?」
ふつーなら、まぁ楽チン、と喜ぶところだが、そこはへそ曲がりヒイラギ。じつはココロの声は、思いっきりツッコミ入れてたりして。
(―マイク係て、んな、アホでもできるよな手伝いだけで半日も拘束かい!)
ぼやいたり、ぐれたり、いぢけたり、逆ギレしたり、そいでもって、ちょいと褒められただけで木に登ったり。
げにヒイラギはフクザツなり。
ともあれ、ぐれてるヒマに、履歴書かかなきゃね。