二地域暮らし5年目の暮れ。
本宅と同じレベルの環境と装備をそろえるほどの資力はないし、
そもそも本宅はくつろぎホーム、別宅は仕事中心生活、って想定だったので、
長い休みを本格的に過ごす仕様になっていない。
という前提での、5回目にして初めて別宅での年越し。
最低限のラインナップでも、
年越しそば、一の重の三種、お雑煮、くらいは調達したくて、
空いてそうな時間帯を狙って何度もスーパーやらデパ地下やら偵察して回っていたのだけども。
残念ながら文化が違う、という結論に至る。
年越しそばはまったく問題なし。
美味しい蕎麦と鰊の甘露煮さえ手に入れば、
自分で出汁はとれるしネギは刻めばよい。
祝い肴三種も、まぁ許容範囲。
ごまめとたたきごぼうは“いつもの料亭”がこの地のデパ地下にはないので地元の総菜屋製でがまん。
数の子はそれほど好きでもないし子孫繁栄はいまさらどうにもならんので丹波の黒豆と交代。
さて、お雑煮である。
丸餅と白味噌と金時人参はデパ地下でGET。
小芋は下ごしらえが面倒なのと数の子と同じでどうしても欲しくはないので省略。
残るは雑煮大根。
もう一度いう。
残るは雑煮大根。
これが、どこを探しても、ない。
出かけていっては、雑煮大根以外のものばかり買って、すごすごと帰宅、を5回ぐらい。
調べて納得、この地のお雑煮に雑煮大根は使わない。
しょうがない、お餅と金時人参で紅白ってことにして、泣く泣くがまんのお雑煮にするしかない。
お雑煮って、いちばんゆずれない、“わが家の味”があるメニューだからね。
再来年は都の実家かお江戸の本宅でちゃんとできますように。
そんな世の中になってますように。
さらば、2020年。
年末年始十連休がスタートだ。
とにかく疲れる一年だったのでどーんと休むぞと思ってはみたものの、
年明け早々にあれこれ目白押しなので持ち帰り仕事も片隅に積まれている。
せめて“明日から休みだー”という前の夜くらいは息抜きしておこうと、
仕事帰りに発作的に(つまり一切の予備知識なく)映画館に寄り道した昨夜。
老いも若きも何をそんなにきめつきめつ言ってるんだろな~という素朴な疑問というか、
いちおう世の中のマジョリティ趣味も知っておくための社会勉強というか一般教養というか。
そういう不純な動機のときにかぎって、
どうやらそこの劇場での公開初日だったらしく来場者プレゼントなんぞもらったりして。
(だれか欲しいかな、これ)
なるほどねーそういう話なのねーと淡々と鑑賞していたら、
終盤、客席のそこここからハナミズすする音とか聞こえてきて驚く。
終わってから待ち列に並んで乗ったエレベーターで8階から1階まで降りてもなお、
嗚咽とともに号泣してて連れに「え?まだ?そこまで?」とひかれてるそこそこ大人の女性客がいてさらに驚く。
ヒイラギ的には鬼の身体がどうしても腸詰に見えました。
お腹すいてたからかな。
そして鬼キャラを見てなぜかフリーザ(出典:ドラゴンボール)を思い出しました。
現場からは以上です。
今日は大学院2年生の最終成果物の提出締切日でした。
一年間365日のうち、なにをおいてもこの日だけは、という勢いで、
社会人学生は無理やり休暇を取ってでも、
教員も24時間目を吊り上げて、全力投球している日です。
よりにもよって、そんな日の午前中から、緊急連絡用の携帯電話に、
電力会社のLINE相談の窓口に登録してくださいみたいなくっっっっっっっっっっっっだらない営業電話を、
アナタも仕事とはいえ、よくまあ掛けてくる勇気というか無神経さがあったもんだ。
そうでなくても、今年も残り一週間ですよ。
さらにはパンデミックさなかという異常事態ですよ。
世間一般みんな、ただでさえどんだけ神経すり減らして忙しくしてるか、そのくらい想像できませんか。
世間一般みんな、ただでさえどんだけ気が立ってるか、想像できませんか。
忙しいから、と切ろうとしたら「何時ごろならお時間ありますか」と来た。
あんた、ワタシが勤務時間中の感染症専門の医療従事者だったらどうするよ。
その程度の想像力が無くて営業ですなんて、ちゃんちゃらおかしいや。
てことで、電力会社、着拒決定。
つねづねじぶんのことをかんがえるさるだとおもっています。
むずかしいことはすぐにわかってるひとにききにいきます。
きくときに、さるにもわかることばでおしえてください、とおねがいします。
そういわれてすぐに、さるにもわかることばでおしえてくれるひとのいっていることは、とてもわかりやすいです。
これがものごとのほんしつをつかんでるっていうことなのかな、とかおもったりします。
月曜日の午後いちばんからの会議があるとして。
そのための予習資料を事前に参加者に配付する必要があるとして。
その資料の材料が一週間前の月曜〆切で揃っているとして。
まず、自分だったら。
会議本番の月曜から逆算して仕事をすると思うのよ。
まず、自分だったら。
週末を除いてどれだけ時間の余裕があるのかを考えると思うのよ。
どんなに遅くても金曜の朝には参加者の手元に資料が届いているように。
そのためには遅くても木曜の午前中には発送できているように。
そのためには水曜日じゅうに材料を必要部数分の配付資料の形にまとめ上げられるように。
これ基本。
場合によっては、念のために速達にするか確実手渡しのバイク便にするかまで検討しながら。
ここまでの段取りをババーッと頭の中で組み立てて動き始めながら、
感染拡大してきたのでオンラインに切り替えます、ってなったら、
いま動いてる手は止めずに、同時並行で参加者の対応可否を確認すればいいと思うのよ。
つながるかどうかだけでしょ、問題は。
全員の手元に紙の資料が届いてれば、万一電子化か間に合わなくたって会議はできるでしょ。
それがどうよ。
金曜のお昼になってからケータイに電話かけて来て。
急遽オンラインにすることになったのですがつなげられますか、どうですかって訊かれただけで。
夕方(たぶん彼らの帰宅時間ごろ)になって、
対応できない人がいてやっぱり集まることになったので資料を郵送しましたから週末の間に目を通しておいてくださいとメールが来て。
(ここで種火が点火された気もするね)
さて土曜。
メール室をのぞきに行っては週末で放置されてる郵便物の山をかき分けてみるも、
待てど暮らせど「郵送しました」ハズのブツが届く気配なく。
夜まで結局、届かず。
なんだそりゃーと思ったまま、その足で野暮用で実家へ。
日曜どっぷり用事を済ませて、月曜早朝に自宅に戻ってみたら、
ポストの底に郵便局の不在連絡票。
ここでやり場のない怒り爆発。
今から中央郵便局へ引き取りに行って会議に行くまでの4時間かそこら(移動時間(都心の感覚の倍はかかる)含む)でこれ全部目を通せってか。
イヤそもそも一週間のなかで何曜日よりも土曜日が最優先で仕事の人にその土曜日に急ぎで見て欲しい郵便を、何をどう考えたら自宅に送ってやれという判断になるのか。
さらには、せめて宅配業者を使ってくれてれば留守にしてても宅配ボックスに届けてくれていたものを、何があっても宅配ボックスに入れてくれないことで有名なゆうパックなぞ使って。
マンション玄関でぷんぷんしててもしょうがないので、その足で中央郵便局へ。
住所の分かるもの出せと言われて保険証を渡したらオモテ見て「それじゃあ住所をお願いします」といって郵便物の表書きを見えないように隠されて「裏に書いてあるでしょ」と返したら「見ていいですか」だなんて意味不明な反応をされて、ここでも心のロケット花火が軽く乱舞。
ふつうのポストには入らない厚さの郵便物を受け取って、
なんともしようがないからいったん出勤しようと会議場と反対方向の電停で待っていた、
ちょうどそのとき。
「二転三転して申し訳ありません、会議に来ていただく準備もしていただいているかと思うのですが、この週末の感染拡大の様子を見ていて、やはり集まっていただくのではなくて、今回はメール審議という形に…」
(なぬおおおぉーーーっ!!!)←ココロノサケビ嗚呼大爆発
この担当者さん個人が悪いわけではさらさらない、ってよーくよーく分かってるんですけど、
すいません、ストレス吐き出さずにいられませんでしたごめんなさい。
土曜日いちにちじゅう夜まで郵便を待っていたんだぞってことと、
確実に受け取らなきゃいけないこういうものは職場に送ってもらわないとこれこのようにとても困るってことを、
私物のケータイからかけてる電話なのでこのさいべらべらーっと喋らせてもらいましたよ。
(なぜかこの人ケータイにしか連絡してこないし)
今月は週休一日態勢になってることもあり。
ストレス溜まりがちです。
こういうときのヒイラギは、‘さわるなキケン’ですからね、
みなさん、爆発されないように、ちゃんと仕事しようね。
面談のスケジュール調整の仕事が、
このところの労力の半分くらいになってる気がしていますが。
早いうちに確約してあった相手から「質問」メールが来て、
何を訊きたいのかと思ったら、まとめると、
「○○さんも一緒に行ってもいいですか?」
だった。
(いや別にいいけどね、
もともといちばん夜遅い時間帯の約束だから延長できないし、
1人分の時間で2人になるんだから、ふつうに考えて、
持ち時間が半分になるか話のレベルが半分になるかするってことよ、
それで自分がいいんなら一緒に来ればいいじゃん)
と思って、
――それぞれのお話をあまりじっくりうかがえないかも知れませんが、それでよろしければご一緒にどうぞ。
と変換して返事して。
なんだかなー、1人で行くの心細いから一緒に行こー的なノリって主体的じゃないなー、
なんてつらつら考えててハタと。
当たり前のように、
“2人でつるんでやって来る女子”
を想像している自分に気づき。
メールしてきたのが女性だったとはいえ。
“○○さん”も女性とは限らない。
イヤ案の定、名簿見てみたら“○○さん”はくっきりはっきり男性で。
そういえば夏の公開講座に参加してくれてた彼だな、と。
われながら、ドグマというか偏見というか先入観というか、
凝り固まった認知のしかたをしているなと気づきました。
ひとさまに偉そなこと言えた義理かって感じで、反省ー。
毎年、思うけど。
みんな、本当にこれでいいと思って、これやってるんだろうか。
地震の効果音がどこか遠くのスピーカーで流れて、
ただいまの地震は震度6強です、津波の心配はありません、部屋で待機してください、
って言われて、
しばらくして今度は部屋の中まで聞こえる放送が廊下のスピーカーあたりに流れて、
「ピーポーピーポーただいま○○棟の、―――(ブチッと無音)した、次の放送にご注意ください」
って2回言われて、なんだそりゃと思ってたら、
どこかで火災報知機が鳴りましたってことだったらしく、
そのまま待機してください、に続いて、火事です火事ですの警告が流れ、
それでも、放送で指示があるまで避難しないでください、ってわざわざ念を押され、
やっとのことで、「全員避難してください」の放送で中庭まで下りて行ったら、
誰がどこで仕切っててどこに避難の報告とかが集まってるのかも皆目わからない状態でわらわら人がいて静かにおしゃべりしてて、
寒さに耐えつつ呆然とその光景を眺めること10分前後、
中庭の端っこまでかろうじてしか聞こえない音量の拡声器で誰かが「ご協力ありがとうございました」とか言って、
それでなんとなく解散して、みんな楽し気に談笑しながら部屋に戻って行くという。
なんだろう。
有事の際の全校放送のリハーサルに学芸会的に付き合わされた、みたいな。
そもそも、もしかしたら津波がくるかもしれない大地震を想定してるわりに、
ドアを開放して逃げるための出口を確保しなさい!
っていう絶対不可欠な初動の指示がひとっこともなかったというのは、
それは訓練としてどうなの。
ホントに震度6強が来たら、
ここの人たちだいぶ助からないな。
まさかのときにここにいないことを祈ろう。
今週唯一、来客やら面談やらの予定が入っていなかった今日。
よっしゃあー、じっくり自分の書き仕事&推敲にいそしめるぞ!
と、思いきや。
もう、人生というものは、ことごとく予想を裏切る‘と思いきや。’でできているとしか思えない。
そういえば月が替わったんだったとおもって前月の勤務表を作って提出しに行ったのを皮切りに。
来週の会議までの宿題のためにあんな人とかこんな人に連絡しなきゃだった、というメール仕事。
アポイント申込みに対応して日程調整からの共有カレンダー更新作業。
あんなことやら。
こんなことやら。
ハタと気づけば終業時刻まで残り数十分。
いやー今からのどっぷり書き仕事&推敲とか、あり得ないでしょ。
これこのように、未完のまま年月が過ぎていくのだな。
ちかごろ、唇の縁やら鼻の下みたいなところに、
赤くぽつんとできることが多い。
どうせ出かけてる間じゅう誰にも見えないし、
この時期は講義がなくてオンラインで長時間アップに堪える必要もないから、
(まあいいや…)
と思って清潔にして放っておくと、
そのうちに気にならなくなる。
これを、わりとしょっちゅう繰り返しています。
老化とか体調不良とかいうより、
口周りの毛穴がとても詰まりやすくなってるってことかな。
一年を通じてのマスク生活の地味なインパクト。