突然ですが、同じだなぁ、と思ったのです。
分けさせといて、集めて、でもバラバラにオヤクショに送り込んどいて、結局はいっしょくたに燃してしまったり、がめてしまったり。
めんどくさいことしてる割には、結局何にもなってないな、どっちも。
ゴミと同じ保険。ゴミと同じ年金。
社会イノベーションだなんて、端的な定義づけもままならない、とらえどころのない研究分野には、懐疑的な人も多い。
今日、小耳にはさんだのは、
「狭い。」
という意見。
茫漠としすぎてるというか、視野が広すぎてまとまんないんぢゃないかとすら思っていたヒイラギ、衝撃の頭打ち。
杳たる有様でもがいてきたこの1年半はなんだったんだろー、と。
お仕事のほうの研究で使っていた定義のポイントは3つ。
☆新しいアイディア
☆ダブルボトムライン
☆社会貢献のインパクト
この3つが認められる取り組みなら、それは「社会イノベーション」事例――て、何でもアリやないかい!と突っ込まれそうな気がしてドキドキのところへ、
「狭い。」
う~む。この谷は深いぞ。向こう岸は遠いぞ。このギャップを埋めるには?!
奇しくも、出版プロジェクトの担当章のお題は、〝ギャップを埋めるイノベーション・マネジメント〟
ちょっと本格的に秋めいてくるとすぐ、都会のビルや地下鉄のあちこちで、天井から温風が吹き出すようになる。
日によっては、地域によっては、まだ夏日になることだってあるというのに、暖房。
勘弁してもらえないですかね…
おかげで、顔はバリバリ、コンタクトは眼のうえで干上がってゴロゴロ、手足がかゆくてボリボリ掻かずにいられない。
とどめが睡魔と思考停止ですわ。
締め切った空間で、喚起もせずにムダに室温上げるもんだから、酸素が薄いのなんの。息が苦しいのなんの。
部屋中がむせかえるよな二酸化炭素で覆われてゆくのです。
脳細胞が、えらい勢いで灰色になっていくのです。
感覚が鈍くなって、とてつもない睡魔に襲われるのです。
あぁぁもうダメだぁ・・・。
ここのオフィスってば、モノ考えてナンボの商売なのに。
昼食後の14時から、外の冷え込みが窓から伝わってくる17時ぐらいまで、1日で最も働けるハズの勤務時間ド真ん中に、堂々の開店休業です。
こうしてムダな電力死ぬほど使って、大量の二酸化炭素を吐き出してんだよな。
なーにが地球環境だ。
なーにがエコだ。
なーにがストップ温暖化だっ!
まずは日常生活から、ふつーに暮らすってことを思い出せ。
季節感のないニッポン人なんて、ハンバーガーにパテはさんでないのに気がつかないアメリカ人みたいなもんじゃん。
布団に入ってから、MACHが軽く暴れている音がした。
またいつもの、“就寝前のぐずりあばれ”だなと思って、好きなようにさせた。
朝、起きてふつーに身支度をし、‘いつものようにうっかり’えさやり忘れて出かけようとした。
亡きHONJAMACAに比べればクールでドライなMACHが、やけにあたふたしてる姿が、視界の隅っこに入った。
――あー、そうそう。朝ゴハンね。
傍に寄って『きんとと』の袋を手にしても、MACHのあたふたがおさまらない。
よく見ると、いつもとちょっと違う、あたふたっぷり。
いつもの
えっ、もう出かけるん? ゴハンは? ねぇゴハンはッ?
というあたふたではなくて、なんだか、そこはかとなく、
どないしよ~、あぁぁーどないしよ~
的なオーラが漂う。
何が「どないしよ~」なのかと思って水槽を覗けば、奥の角に設置してある〝ぶくぶく〟が、大きくナナメに傾いている――さては昨夜の騒ぎはコレだなっ!
しょーがねーな、と元に戻してやると、まっすぐになった〝ぶくぶく〟の脇へすぃ~っと寄ってって、ちんまり座った(?)ままじぃっとして見せる。
はいはい、一応、反省のポーズね。分かってるんならヨロシイ。
優等生がたまに‘そそう’をすると、こうゆう慌てっぷりになるのだな~、と、妙にほのぼのした出勤前の風景でした。
北海道も伊勢も。
旅先の銘菓とゆーものは、旅の楽しみのかなり大っきな部分を占めていると思うのだが。
もうどこの銘菓も信用ならん。
牛肉コロッケも比内地鶏も!
ご当地料理とゆーのも、思いっきり旅先の夕食のメインだったりすると思うのだが。
もうどこの肉も鶏も信用ならん。
だれも「ちゃんとしなく」なったなぁ。
結局ぜんぶ、自分に返ってくるのになぁ。
そこんとこ、分んないかなぁ。
人としてぎりぎりの優しさとか強さとか思いやりとかもてなくなった平成なんて、なにが、どう、「平成」なのさ。
江戸時代あたりまで戻りたくなっちゃうな。
おたみちゃん、ちょいと味噌貸しておくれな、みたいな。
あー、でも、前世はスペイン人だったんだっけ・・・。
友人のブログ、いつも新しい記事ばかり楽しみに読んでいた。
すごいコトに気づいてなかった。
わあぁ、ヒイラギのことブックマークしてくれてる~! それもいちばん上に
お返しに、ブックマークしとこう。
しようとして、もひとつ気がついた。
ブロガー友だち、少ねーなぁ。友人1人。もと上司…とゆーかだいぶ年上の昔のシゴト仲間2人。以上。
もっと友だち増やしたいな。
もっと色んなとこに顔ださなきゃぁ。
嗚呼、でも、いつ、どうやって?
平日は朝から晩まで働いて、暗くなったら飛んで帰って、稽古、稽古、稽古!
先週末は寝起きで飛び出してガッコから稽古場1、稽古場1から稽古場2。
今日はやっぱり寝起きで飛び出して稽古場から稽古場へ。
明日も朝からリハーサル、そして稽古場から稽古場へ。
もういくつねると、平日も職場から稽古場へ、ガッコから舞台へ。
せめて1日3食たべたいのだがな~・・・
(それでも太ったのはナゼ?!)
「地球環境論」などという壮大な科目の宿題レポートに頭を悩ませているうちに、
思考は果てしなく壮大なところに飛んでいってしまった。
そもそも夢見がちであるからして、夢想してよいと言われればどこまでもいつまででも思いを馳せてしまふのだった。
ガンガンふわふわ、馳せられるだけ思いを馳せた結論が、
考え方はみんなちがうもんさ=地球は1つだ!
――壮大なうえに言ってることが完全に破綻してる夢物語。
先生、点数つけられるんかいな。
自分が先生だったら、ちゃぶ台ひっくり返すかも知んないな~。
まる一日、4コマぶっ通しで張り切って始まった科目なのに。
朝の1コマだけ聴いて残りをいきなりぶっちして、月島あたりで第九歌ってたヒイラギ。
挙句の果てに、『ヤマト』やら『ウルトラマンレオ』まで登場するファンタジーな地球環境レポート書いて出しちゃうヒイラギ。
ふざけた不良社会人学生って思われるな、きっと。
本人はいたって真剣に書いてるところに、救いがないのだ。ふはは。
それは、「新卒定期採用」。
こんなシステムがあるから、
卒業=就職=ゴォォールっ!
てな気分になっちゃうんぢゃないかななんて。
やりたいことを思うとおりにやって活き活きワクワク生きてく明るい未来が、描けないんぢゃないかななんて。
「学生の本分は勉強。学生のみで働かなきゃいかんほど不自由させてるおぼえはない。」
と、バイト全面禁止だったヒイラギ一家。
おかげで勤労経験どころかオトナあしらい経験すら皆無のまま、大学卒業と同時にいきなりポイと社会に放り出された。
それなりに自分がやりたい道に自分で進んで行ったつもりだったけど、そのカルチャーショックたるや、尋常ではなかった。
だから、“新卒”のシゴトできなさ加減はよぉーくわかる。人のせいにしたくなる気持も分からなくもない。
雇うほうだって、大してシゴトできないのに雇ってやったからには歯車になれよと言わんばかりだった。
反発して、ツッパッて、一生懸命いろんなことができるようになって、さぁ胸張って自分を売り込むぞと意気込めるようになったころには、何にもできない新しい新卒クンたちで働き口はすっかり埋まってしまって、ハローワークのお世話になるしかなくなってる。
世の中、よってたかって、シゴトできなくて覇気もない若者を量産して、わざわざ停滞してる――「新卒定期採用」ってそんなシステムだと思ふ。
しかし“新卒”を言い訳にしたよな生きざまは、ヒイラギ様のプライドが許さなかった。
カルチャーショックのあまり、てことにして、とっとと自分から道を踏み外すことにした。
そこからは、売り手市場でバブリーに大企業に就職した同級生たちと同じ有名大卒とは思えない、叩き上げクローニンのトンガリ人生。
びっくりするほど転職もした。
体当たりで社会を知った。
体当たりで世の中を知った。
体当たりで人というものを知った。
目の前に広がる世界のどこにも、ゴールテープなんか見当たらなかった。
どこまで行っても、振り返ればすぐ足元にスタートラインが引いてあった。
そりゃーラクぢゃなかったさ。
常に人生はロッククライミングだったさ。(今でもそうさっ!)
だけど、自分で考えて、自分の足で歩いてく、ってそうゆうことだもんね。
きっつい分、満喫してるなぁ~っ、て実感もあるし。
でももしおんなじこの道を、同級生たちとおんなじよにあのままノホホホンと来ていたら。
だってゴールしたじゃん、なんて思いながら歩いてきてたら。
前に進むなんてできなかったろーな。
自分の生きざま、自分で考えながら歩いてくなんて、できなかったろーな。
だって、心は老後だもん。
病んでるシステムの1つだと思うな。
「新卒定期採用」って。
夏に急逝された社会起業家の自伝を、ようやっと読み終えた。
行き帰りの通勤電車で座れたラッキーな日には寸暇を惜しんで本を開くのだけど、
あまりにも多感で壮絶な生きざまにマジで泣きそーになってしまうので、
1行や2行で断念。
その繰り返しでやっと読み終えた。
先生と夏にやった分析では、社会起業家のタイプは3種類あった。
その1つが「自身が問題の当事者」というタイプ。
読み終えて、思った。
あの3分類って、平等な分類じゃないかもな。
自身が問題の当事者であるということの重さ。
ただでさえ世の中の価値観変えちゃうって、とてつもないエネルギーが要ること。
それを、自身がハンデを抱えてる中でやってのける。
尋常なことではない。
社会イノベーション事例の価値評価。
ほんっと難しい。
世界の潮流は、Social Innovationに向かっている。
そのドライビング・フォースとなるのは、Social Entrepreneursと呼ばれる人たち。
そして、変化を起こすのは、あくまでも「社会」という名の下に群れ暮らす私たち1人ひとり。
「Innovation」とつくくらいだから、画期的に新しいんである。
しかしこの画期的かげんというか新しかげんというか、これが相当に難しいんである。
カイシャのチザイブとかキカクブみたいなところで働く知人らにきくと、
「半歩先」
というのが、〝当たる〟新しかげんなのだと言う。
2歩も3歩も先じゃあ新しすぎて世の中がついて来ないし、
1歩先でも〝大当たり〟は狙えないのだとか。
なるほどと思える意見である。
ところで。
その半歩ってのは、どんくらいのサイズの人の半歩ですかね?
どうやら人よりそーとー足のでかいヒイラギ。
半歩先のつもりで思いつくビジネスモデルというビジネスモデルが、
誰にも理解されずことごとくお蔵入りしてく。
――だからさー、ニッポンってば家狭いんだし、ウサギ小屋に大事そーにでっかいテレビなんか置いてあったって、めちゃめちゃダサくてかえってビンボ臭いんだからさー、家族旅行の8ミリ観るときみたいにさ、巻いて片付けられるとかさー、壁に貼れるとか埋めるとかさー、そうゆうテレビじゃなきゃダメだってば。
て、20年前からゆってんじゃん。
やっとかよ。 じれってぇー。
半歩が二昔(ふたむかし)。 足、でかすぎ?