第2幕。
どうしてもアルフィオさんにごあいさつができない。
“Compar Alfio, salute.”(アルフィオさん、ご機嫌よう。)
こんなに短い歌詞なのに。
2つ続く三連符の出だしが休符だというだけで
こんなにも揃わないものなのか~!
思い余ったヒイラギ、
オケ合わせが終わってからすごすごとマエストロの元へ。――アルフィオさんにどうしてもご挨拶ができないんです~・・・
「ああ、ここでしょ?
これはねー、皆さんだけが悪いわけじゃないんですよ。
アルフィオさんが勝手に歌い出しちゃったり、
オケが止まっちゃったりしてね~。」
こんなに優しく慰められて、
それでも心細そーな上目遣いでいじけてたら、
副マエストロもやって来た。「だいじょぶ! ここ、明日みっちりやりますから。」
この根拠のない「だいじょぶ!」で、かえって半泣き状態のヒイラギ。
なぜって、明日は九州出張で、マエストロにも副マエストロにもお目にかかれませぬ・・・。
あと4日で本番のカウントダウン。
何度もぼやくが、この期に及んでこの状態てのは史上初。
RRRRRR....――ハイ、社会起業家プログラムです。
「あのさ、キレないでほしいんだけどさ、」
と先生から電話。
どうも経理課に出した出張旅費申請の話らしい。
まかり間違っても先生にキレるこたないですから、安心してください。――すみません、何か不備がありましたか。
「全然不備じゃないんだけどね。成田からしか出張しないらしいんだよね。」
――え、関西に住んでる人に、朝、成田まで来て飛行機乗れ、てことですか?
「そんなの変だからって言ったら、じゃあ関空からのほうが安いんだ、て証明書を出してくれっていうんだよね~・・・。そんな証明書って作れるかな?」
――ええ、まあ。作らせましょ、旅行会社に。
「それとねー、もいっこあるんだけど、なんか決まった形式の日程表があるらしくて、それも出してくれって。ちょっと探してみてくんないかな。」
なんのヤル気もこもってないトーンで“ラジャ~”とつぶやきながら電話を切って、オンラインで「日程表」さがし。
あった。 コレだ。
ダウンロードしてファイル名を付ける、と――
「経理提出用にって意表」
ピキッ! 逆なで系~。
確かにことごとく「意表」突かれて右往左往させられてるけどさっ!
ぷりぷり怒りながら、くだらんペーパーワークにしばし追われる。
ふと気がつけば一度もお日さまの顔も見れないまま午後6時。
あまりのくだらなさに、ぷりぷり怒ってること自体くだらないと気がついて、本日の営業は終了。
朝9時前から「経理提出用」の書類の問題ばっかり次から次へどんどんばんばん飛び込んできて、
重箱の隅ばっかつつき続けてるうちに、昼ゴハンも抜きでコレだよ・・・。
お腹がすくと人間は獰猛になるんだぞっ!
RRRRRR....――ハイ、社会起業家プログラムです。
「国立○○大学ですか?」
――はいそうですが。
「実は私どもの患者さんで、□□△△さんという方が入院手当てを申請されてるんですが、そちらの記録を照会していただけませんか」
――は? 患者さん? 失礼ですが、○○大のどちらへおかけですか?
「福利共済組合の窓口の番号ではないですか?」
いーえ、全然ちがいます。「社会起業家プログラムです」つってんじゃん。
とはさすがに言わなかったけど、要は、かなり劇的な間違い電話である。「えー、じゃあ変わったのかなぁ。でも共済の証書の番号見てかけてるんですけどねぇ。証書に、この番号が書いてあるんですよ。」
とネバるおっさんもおっさんだが(そこはネバるとこじゃないでしょ、ち・が・う、つってんだから)、
それよりもピキッ!と来たのは大学の電話システムである。
違う番号に、しかも大学本体にさえ入れてもらえてない飛び地プログラムの小部屋にかかってきた間違い電話。
これが民間企業なら、大代表なり総務なり受付なり番号案内なりに内線を戻せば済む話である。そっちでテキトーに調べてもらってくれ、と。
ところがどっこい。この国立大学には代表番号がない。
受話器をそのままうっちゃらかしてホームページで調べることしばし。探しても探しても代表番号が出てこない。
代表番号どころか、トップページや大学案内のページにすら、電話番号といふものを載せてない。
番号案内なんぞ、いようハズもない。
こりゃなにごとぞ!
勤めてる本人たちですら、他の内線をどこで調べればいいのか分からんよーな完全分散型電話システムとホームページ。
こんなもん、いったい何の役に立つのだ?「そちらで代表番号っていうの、わかりませんかね」
とおっさんがネバるのも無理はない。
自分たちで調べて電話してこい的な、その上から目線はなんざんしょ!
まったくもって、法人化の成果が見られない。
公的機関こそ自分たちが何者でどこにいるのかを大々的に明示すべしっ!というのが、サービス内容以前の常識だと思うが、何か間違ってるかぁっ?!
ダボス会議でビル・ゲイツが貧困国支援に3億600万ドルの拠出を約した。
バグだらけのまんま新製品を出しちゃあ、ユーザーからの怒りのフィードバックを蓄積して、次のバージョンでまたライセンス料をふんだくる、という企業精神には怒り心頭のヒイラギであるが、
とはいえ1人の私人が縁もゆかりもない人のためにポンと出すにしては天文学的な金額のお金を社会貢献活動に湯水のごとく使ってることは、高く評価している。
ただ、金額の多寡の問題ではないのだということも、忘れてはいけない。
世界を救う社会貢献は、誰にでもできることではないかも知れないけど、特別な人にしかできないことではない。
いま、雨風をしのげる屋根があって、
蛇口をひねればそのまま飲める水が十分にあって、
日々の糧にも恵まれていて、
病気や怪我もしていなくて、
やりたいことができて、
言いたいことが言えて、
知りたいことが知れて、
愛する人々と愛してくれる人々に恵まれているならば、
ほんの少し今よりも広いところに目を向けてみるだけでいい。
何か必ず感じることがある。
帰宅してTVをつけたら、小学生と芸能人がラオスで井戸を掘っていた。
「お年玉を世界の役に立てたい」と字幕が出ていた。
ニッポンの10歳の小学生がもらうお年玉の金額で、ラオスの10歳の女の子が家族のための朝・昼・晩の大量の水汲みから解放される。
感動して涙が止まらなかった。
世知辛い今のニッポンにも、こんなこどもがちゃんといる。
きっと、大きなことをやってのけるスバラシイ大人になるに違いない。
貨幣経済至上主義の世界が人々に忘れさせてしまった人間性の本質。
広い世界に目を向ける心のゆとりと、人と人とが思いやりを持てる世の中を、思い出していこうじゃないか。
オペラ本番一週間前―の割には、いまだに暗譜も完全でなく、音が取れない箇所すらある。
この時期までジタバタしてるなんて、今期が初めてである。
であるからして、さすがのヒイラギも重い腰を上げて自主練に乗り出した。
稽古場が開く1時間前集合。
なつかしのヒイラギハハ手作り手提げバッグ入りピアニカ持参。
イザ!
♪ド~、レ~、す~、ファ~・・・――・・・す~?
なんと、うんじゅううん年も経てば、クラリネットぢゃなくても、壊れて出ない音があるらしい。
とっても大事にしてたのにー。
♪ソ、すー、す、す、すー、すー――あ゛~あ゛~。こういうときに限って、ミが多い。
すっすか、すっすか、小1時間やっきになって練習した。
殊勝な“すっすか”姿を見かけたからか、
必死の“すっすか”の成果があらわれてたからか、
本日の音楽稽古の副マエストロ、いつになく優しい目をしてたような。
泣きたいくらい寒い。なにが悲しゅうて雪の日に遠足の引率にでかけてるのだろ~
とかなにが悲しゅうて夜の10時に寒風吹きすさぶキャンパスでポスターはがしてるのだろ~
とか、つい愚痴もこぼしてしまふ。
真冬生まれで、底冷えの町キョウトで10数年暮らしてた割には耐寒性ゼロだもん。
それでも3ヶ月前にレーニン廟の前で地団太踏んでたときよりも、気温は高い。
なんなんだ、この寒さはっ! と思っていたら、天気予報が解説してくれた。「24時間で24ヘクトパスカル以上気圧が低くなった低気圧を、爆弾低気圧といいます」
なにやらホットな耳ざわりの語感だけど、寒気が一気になだれこみ、急な寒さを招くそうな。
そういえばこの冬はラ・ニーニャの冬なんだっけ。
ラ・ニーニャは振れ幅の大きい猛暑と極寒、エル・ニーニョは振れ幅の小さいズルズル季節感。
何事も、変化の幅は小さいほうがいい・・・。
やべ。 お役人みたいなこと言っちゃった。
と思っている。
年上の家族が元気なうちにお先に失礼できれば、
安心して後のことはお願いして逝けるわけだし。
ヤミ金に巨額の借金とか愛人
に隠し子
とか、
そうゆう藪から棒な迷惑さえかけなければ、
ま、いーんじゃない、と。
数年前までは、人生40年、と公言していた。
人生でやりたいことはとりあえず全部やってきたし、
後悔してることも、切実にやり直したいと思うことも特にないし、
キリがいいとか悪いとかはあったとしても、
思い残して化けて出ちゃうほどのことは何も、ない。
そんなヒイラギに、ちょっとした心境の変化が兆したのは、
たぶん大学なんてところに毎日入り浸っているせい。
一回りも二回りも歳の離れた“お子たち”と話す機会がドバッと増えた。
それぞれに個性をちゃんと持った“お子たち”の話は、それはそれで面白い。けど、ちょっと足りないものがあるよーな。
はるか高いところに目を凝らすチカラ。
遠くを見据えた大きな夢を描くチカラ。
どんなに自分と違う意見にもまず耳を傾けるチカラ。
正しいと思ったことに躊躇しないチカラ。
なにより、自分自身を信じて、大好きでいるチカラ。
ヒイラギが去った後のニッポンを背負う“お子たち”に、
言い残してることがまだまだあった。
しょーがない、あと5,6年、延長してやるか。
玄関を一歩出て、思わず謝った。
とりあえず謝ってみたらどうにかなるかも知れないと思った。
雪が降ってて、
どっぷり低気圧で、すなわち、がっつり偏頭痛で、
思いっきり向かい風も吹きつけてて、
そんな中を出勤してる現実を、
もしかして受け入れちゃいけないんぢゃないかって気がして、
ちょっと血迷ってみた。
駅の10メートルぐらい手前の、何もないアスファルトで足を滑らせた。
その瞬間を目撃してた通りすがりのおっちゃんが、「おっ、あぶない」
と、大向こうさんよろしく合いの手を入れてくれたので、
もとい、肩に掛けた荷物があまりにも重くてとっさにバランスが取れなかったので、
駅まで残り3メートルぐらいのところまで、
それはそれは見事な“飛び六法”をやってのけた。
どうにか転ばずに踏みとどまった。
冬眠中だというのに、この反射神経と踏ん張り。
自分で自分をほめてあげたいです。拍手が欲しかったくらいです。
先生と沖縄料理を食べながら。
お歌仲間と鉄板焼き屋で飲みながら。
なぜだかまったく同じ話で熱くなった。
目の前に困っている人がいたとして。
その人を助けてあげて余りあるすべを自分が持っていたとして。
“何もしない”という選択肢は、本当にアリなんだろーか。
ニッポンの大都会で、便利で豊かな生活の真っ只中にいて、
地球の反対側の人たちが困っていたって、
確かに実感はないかもね。
でも、本当に、物理的に自分の目の前だったら?
それでも、“何もしない”という選択肢は、あるのだろーか。
髪の真っ白な、背中の曲がったおばあさんが、杖をついて電車に乗り込んできた。
空席はない。
優先座席もいっぱい。
座っているのは、耳にヘッドホン突っ込んでマンガ読んでるスーツ姿の若者や一心不乱に化粧中のギャル。
何かがおかしい。
新宿にて。
デパートの入り口に近い地下道のど真ん中に、若い男性が倒れていた。
そこへ、夜勤明けで交代してきたらしき制服警官が数人。
あ、じゃあダイジョブだな、と数歩行ってふと振り向くと、制服警官、全員が全員、男性に目もくれず素通り。
何か間違ってないか。
いつだったか、電車の中で気分が悪くなってしゃがみこんだ。
目の前の席の会社員らしき男性が、「座りなさい」とすぐさま立ってくれた。
次の駅で降りた。
ホームにしゃがんで気分がおさまるのを待とうと思った。「駅員さんを呼びましょうか?」
声をかけてくれる人が何人もいた。
別の夜。
急に降りだした小雨に濡れながら歩いていた。
家まであと2ブロックほどの角で、千鳥足のおじさんとすれ違った。
背中のほうから声がした。「おい、傘、持ってくかい? 風邪ひいちゃうぞ」
ありがとう、もうすぐそこです、と振り向いて頭を下げた。
みんな無理して何かしようとしてくれた訳じゃなかった。
ごくごく自然だったから、感動した。
人間、捨てたもんじゃない。
そんな思いをちゃんと体験できただけに、近ごろの違和感は強い。
ニッポン人は変わってしまったわけじゃない気もするのだけどね。
朝イチの1本の電話がすべての始まり。
取材させてほしいとお願いしていた九州の社会起業家から、「この日なら」
とOKの返事。
小躍りして喜んだが、カレンダーをよく見ればオペラ本番3日前。
同行予定の元同僚に一報してみれば、「もしかしてその日は・・・」
と別の重要案件とのバッティング発覚。
慌てて再調整してもらった結果が、オペラ本番の翌日。
なにはともあれどっちもOKになったんだし、と安堵したところへ「今晩空いてる?」
と先生からメール。
急遽ねじ込まれた研究会のテーマは協同組合銀行のマネジメント。先生、「ギブ」でお願いします・・・