ヒイラギ日記 ~Holy Holly's Diary~

小粒でも ぴりりと辛い 博士な日々。

神様が聴いている

2021-04-29 16:50:20 | 仕事人ヒイラギ

みどり日というわりに全国的に朝から雨であるー。

気がつけば2021年が明日で3分の1消化されたことになる。
なんとまあ。

そしてなぜか朝から出勤して働いている。

コロナに負けない。緊急事態でも負けない。学びを止めない。
てことで、非常勤で担当している大学の授業は今日もオンラインで西国からお届け。

これがヒイラギ史上最多オーディエンスでざっと300名。
対話型の語り口調は聴いてるほうはいいとしても、語ってるほうは寂しいのなんの。

やっぱりコミュニケーションというのは、相手の反応があってこそだなぁ。
ボケには、ツッコミが必要だー

ぼやいているうちに窓の外が気持ちよく晴れ上がった。
そうか、この授業は天から反応があるのか。すごいな。

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混乱の季節

2021-04-18 18:19:39 | ヒイラギのひとりごと

昼間に思ったほど日が照らないとか、
それなりに春の服装に変わってるとか、
そういうこともあるかも知れないけど、
それにしてもうすら寒い。

客観的に考えようと腕時計をデスクトップモードにしてみる。

朝起きたときの室温は17℃。
冬将軍寒気団が押し寄せてきていた元日と大差ない。
ちがうのは、夜通しヒーターをつけていたかどうか。

部屋の中でウルトラライトダウンを羽織って過ごしていても、
飲み食いしたり家事で身体を動かしても体温が上がって暑いということもないし、
むしろあまりの気温の上がらなさにお昼になってからヒーターを稼働。

ティータイムには熱々のココアを飲んだのに両手の指先は氷のようで、
夏場なら西日が照りつけるころあいに室温を見てもやっと19℃、
部屋から出て玄関わきのトイレや洗面所に行けばヒンヤリしてる。

これはこの土地の気候がそうなのか、
そろそろGWも見えてきたというのにまだヒートテックも手放せず、
出かけるときにはダウンのライナーを外せないままコートを着こむ。

だけど沖縄には台風が来てるんだよね
おかしいなー

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残念メール二連発

2021-04-12 21:09:11 | 仕事人ヒイラギ

新年度が本格的に動き出して最初の日・月休み二日目の昼下がり、
なんか来てるなーってのを見てしまったのでメイラー開いてみれば。

ひとつは学生さんから。
復習のためにこの間の講義の資料をもらえませんか、というメール。

えーと、何を今さら、入学時全学オリエンテーションレベルの質問を個人的にメールしてきてんだ。
去年一年間、どうやって復習してたんだてことで、罰として明日出勤するまで放置。

もうひとつは某エライ人の秘書さんから。
相談したいことがあるので今日この後時間をもらえませんか、というメール。

仮にも秘書という業務のプロならばどういう相手にアポ取りしようとしてるかまず考えようか。
土曜日が普通に仕事なぶん月曜日にずらっと不在な部署だなんて有名なハナシよ。

どちらのメールの主も、これホントに真剣に送ってきたのかしらん、
受け取った方は「」なんですよね~悪いけど。

みんな無意識に、タテ社会みたいな枠に縛られて条件反射シゴトになっていないかな。
自分のアタマで考えてから行動するって、大事だけど相当意識しないとできないことなのかもねぇ。

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すり替えられた記憶?

2021-04-04 11:30:11 | ヒイラギのひとりごと

テレビの見逃し配信サイトで再放送されているのを見つけて、
2010年の『Mother』というドラマをあらためて観てみた。

現在でも(むしろ現在の方がより切実に)リアリティをもつテーマ、
子どもへの虐待、育児放棄、家庭内暴力、シングルマザー、産みの親・育ての親、
などなどの複雑すぎる、でも当事者にはあまりにも切実な問題に正面から斬り込んだ話。

リアルタイムでも視聴していた当時は、
天才子役と騒がれていた女の子のことはそっちのけで、
“母”というイメージから遠い印象の松雪泰子がどんな演技をするのかなという興味から。

そんな浅い動機のわりに、毎週観つづけていたのはたぶん、
ドラマの発端、子どもがゴミとして捨てられるという場面の衝撃というか、
その余波に引きずられるようにしてだったと思う。

なによりも、これだけの紆余曲折、ドラマティックな艱難辛苦を経ておきながら、
ラストシーンに(え、結局そうなの)という一抹のもやもやが残ったことが、
今日までずっとノドの奥の魚の小骨みたいにこのドラマが心に残り続けた原因で。

記憶にあるそのラストシーンというのは、
おばあちゃん世代になった松雪泰子が、大人になった“娘”と遭遇するのだけど、
“娘”は気づくそぶりも皆無で、松雪泰子はただ静かにほほ笑む、というもの。

小学一年生の記憶ってそんなにきれいさっぱりなくなってしまうものなのかと、
何とも言えない気持ちがくすぶったから、とてもクリアにこのシーンが記憶に残った。

で、いまならあのラストシーンをどう感じるだろうかと思って観なおした。
1話から飛ばさずに再生していって、いよいよ最終話の、じわじわラストシーンへ・・・

あれ
何だ、この静止画像に近い、顔の映らない再会シーンは
何だ、この当たり障りのない、ありがちなラストシーンは

これまで以上に気になって検索してみても、
『JIN-仁-』みたいな完結編とか続編がある気配もないし、結末2パターンというわけでもなさげ。

あのラストシーンは、夢だったのか、幻だったのか。
11年間だよ。
こんなスケールで記憶がすり替わるなんてこと、あるんだろうか。

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