やればできる子、ヒイラギ。
帰省ラッシュスタートの28日、
無事に早起きして、いつもなら寝起きでぼーっとしてる時間のこだまに乗って、
名古屋での研究会にすべり込みセーフでしっかり参加できました。
研究会はとても勉強になったし、
何人かの知り合いと再会もできたし、
初めての人ともたくさんお知り合いになれて良かった。
ホームレスから脱した人たちを支援する活動の紹介のなかで、
施設の建設に反対する住民運動が起こっていると言及された。
素朴な疑問を感じた。
ホテルまで送ってくれた友人から、
とある社会起業家さんが今年の初めに亡くなっていたことを聞いた。
そのかたの画期的な地域の仕組みづくりも反対運動に苦しまれたのだそうだ。
どんなに素晴らしい弱者支援の活動にも、
どんなに優れた社会的包摂を目指す取り組みにも、
必ず水が差され、出る杭は打たれる。
どうしてなんだろうか。
いままでとは違うっていう理由だけで。
夏の終わりから4か月近く。
言ってみれば“毎日が日曜”に近い生活をさせてもらってきたのだけど。
今日は巷も御用納めで明日から日本全国年末年始モードだなと思うと、
どうしてか、ちょっと自分までうれしかったりして。
そうしてなぜか、帰省ラッシュが始まるぞ、と言われている朝の新幹線に乗って、
名古屋まで研究会に参加しに行く予定なぞ組んでしまっている。
そんな明日の時間割をよく考えてみたら、
このところ日に日に後ろにずれ込んでいた起床時刻には家を出る計算に。
もともと低血圧なうえに低気圧軍団に包囲される予定の明朝のヒイラギにとっては。
すわ一大事!なのだ。
こうなったら、今日のうちから何かと前倒してくしかない。
しかし。
こういうときに限って。
降って湧くのだね、頼まれごと、というものは。
学生さんからの頼まれごとなので、まあとにかく何とかしてあげなくてはと。
あっちへぱたぱた。こっちへぱたぱた。(といってもメールでだけど。)
ありがたいことに、仕事納め間際までに、全部の話がトントンと進んでくれて。
当の学生さんもものすごーく喜んでくれて。
やれやれ。
どうにかこれで安心して早く寝られるかな――
・・・あっ。今日の金曜ロードショー、『ナウシカ』だ。
観なきゃ。
いつも観に来てくれる仲の良い友人に来年2月の区民オペラのチケットを。
手渡された友人が「また思い出しちゃったんだけど」と。
一昨年の『ランメルモールのルチア』、主役テノールさんの登場シーン。
あまりの恰幅のよさに、ステージ上の墓石からはみ出して丸見えなこと甚だしく。
ひさびさにお腹がよじれるぐらい、二人で思い出し笑い。
いやまぁ、良くも悪くもっていうのはあるにしても。
毎年その季節になるたびにこうやって思い出してもらえたりするような。
仲間内でもいいから〝かたりぐさ〟になるような。
そんな表現を、いつの日か、一度でもできたらいいなあ、と。
もちろん、本業の、地歌筝曲のほうでね。
というわけで、今年は静かな思い出し笑いとともに。
Merry Christmas
昔から身内からは“常に何かやってる病気”と手厳しく評されてた気がするが。
まあたしかに病的なまでにいろんな面で多動な人生を歩んできたなと、あらためて自覚は、した。
なにせ、「何もしないでとにかく休みなさい」というドクターストップの意味が、
どうやって毎日を過ごしてればいいことなのかが分からない時期が長かったくらいで。
しかし、あれれ毎日外出するってこんなに疲れることなんだっけ?という生活が、
これで3~4か月にもなってくると、さすがに本来の“自然体”に気づかないではいられず。
そんななか、ちょっとばかり、ガンバリが必要なスケジュールだったここ5日間ほど。
区民オペラのお当番から始まって。
稽古場に早く行ってピアノの鍵を借りたり椅子をならべたり終わってから片づけるお当番。
まずはこの日、お片づけ中に積み上げた椅子の脚で手の甲を2センチほど切って流血。
翌日は3週間ぶりの診察日で。
朝から生憎の冷たい雨天で軽く頭に重石が乗っかったよな状態のところへ、
クリニックに行くため通り抜けた東京ドームはアイドル系コンサートの開場まちのギャルたちによる喧騒。
さらに次の日は某国立大での年内ラストの夜のオシゴト。
これまた部屋に入るまで薄日の射す晴天だったのが夢マボロシだったかのような大嵐に豹変。
内容大充実で終えられたからいいんだけど、ゴゼンサマすれすれで帰宅。
そして巷は今年最後の三連休だとかで少々ハイテンションなウィークエンド初日。
友人のツテでゴスペルミュージカル『Mama, I Want to Sing』にお招きいただいて観劇。
自分が制作と演者の側だった学生時代を懐かしみつつもプロの舞台の迫力と完成度に感動の嵐。
ついに連続お出かけ5日目。
これまた気圧が下ってる気配とともに軽い頭痛を抱えて今年最後の師匠のお稽古へ。
名取同期の仲良しさんとお昼ごはんを食べたあと、出来心で伊勢丹の地下に寄り道。
デパ地下の雑踏がトドメだったか、疲労の蓄積か、
3時のお茶のころには家ですっかりくつろいでたにもかかわらず、
頭はどんどん重くなり、体から力がぬけてゆく。。。
気づいたら「笑点」も大喜利が終盤。
ダメだこりゃ、で、オペラの試演会リハーサルをドタキャンして、
やっぱまだまだ本調子にはほど遠いなと反省しながら全日本フィギュア観戦。
しばらくしたら、身内の精神科医からメール。
「回復は徐々になんだから、ぜったいに焦らないようにね」
はいわかってます。
少々気分よくても、スケジュールを詰め込むな、と。
でもなんか。
なんかしらないけど。
詰まっちゃうんだよなー・・・
スティーヴ・マックィーン、ポール・ニューマン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア・・・
錚々たる名優中の名優たちが超高層ビル火災でのパニックをリアルに演じた、
1974年の、アメリカ映画傑作中の傑作。
平日の昼間に地上波でこんな映画をやってるって、
テレ東というのはつくづくいいセンスしてるなーと思いながら、
二日に分けてノーカット版が放送されたのをじっくり鑑賞。
災害時の現場判断、リーダーシップ、企業の社会的責任、それから、
いろんな価値観がぶつかり合うなかでの群集心理――
あらためて、あの時代の傑作映画の先見性に舌を巻いた。
同時に、というか、それと裏表なのかもしれないけれど、
この作品からほぼ40年という年月を経て、私たちの社会はどれだけ変われたのだろうかと、
複雑な感傷に襲われる。
子どものころ。
週末の午後にはお茶を飲みながら家族そろって映画鑑賞をする習慣があった。
家庭用のビデオレコーダーにまだ“ベータ”という型式があった時代。
そうやって観た映画の一つに、これがあった。
過去のどんな小さな出会いも、必ず未来のどこかにつながっているものだなあと思う。
昨日の日曜日、丸ふた月ぶりに、師匠の稽古に復帰。
稽古場の入り口で三つ指揃えてご挨拶。
顔を上げたときの師匠の第一声が、
「あら、貴女すこしやつれたんじゃない? 顔色が少し…」
はい、ご心配をおかけしましたー、と説明する間もなく、
続けて耳に入ってきた師匠の言葉に、泣きそうになった。
「でも嬉しいわ。
やっぱり貴女の顔が見られないと何かが足りない感じで、
私もなんだかおかしな調子だったのよ。
やっと私もいつもの自分になった気がするわ」
こんな風な思い方をしてくださる師匠にめぐり合えるなんて、
この人生、ちょっとやそっとの恵まれっぷりじゃない気がして。
いやなことも、つらかったことも、きっとそれぞれに意味があって。
理不尽なだけのパワハラですら。
自分の居場所が間違ってることと、これほどまでに自分が幸せ者であることを、
気づかせてくれるための、必然的な出来事だったのかもしれない。
そういうことにしておこう。
足腰の体力キープのために少しでも、てことで、
なるべく、一日おきになっても外に出る時間を作るようにはしていて。
近所のいつものお散歩コースの途中には、
大好きなPorscheのディーラーさんがあって。
そこで決まってミニカーが陳列してあるところを覗き込んでから、
またぶらぶらと歩き始めるのだけど。
ここから先はついつい、歩くテンポに合わせながら、
山口百恵の「プレイバック Part2」を頭のなかで口ずさんでしまうのだ。
で、これまた決まって、頭のなかで歌ってたはずの歌は、
いつの間にやらダウンタウンブギウギバンドに変わってしまっている。
いや、曲書いた人が同じだからって。チューニングが似た感じだからって。ちがう歌でしょ。
自分で自分にツッコミ入れながらもお散歩のたびにその繰り返しで。
それが今日。
思い出した。
嘉門達夫のせいだ。
(↑この意味わかる人は昭和な感じの関西系マニアックでいらっしゃる♪)
まあでも、こうゆう古い記憶をパアッと思い出せたっていうのも、回復の兆しかしらんと思ったり。
好調が続いても油断は禁物。
それに、回数が少ないとはいえ、
会社休職中も続けるほかない個人的なお仕事が夜なので。
特に夜の外出は続かないようにしなくちゃ。
いちおう、そんな風に気をつけてはいたのだけど。
そういうときに限って、えてして、
こちらが誰かに会いたいと思っている用件も、
ヒイラギに会いたいと思ってくださる人のスケジュールも、
同じ時期に集中する、ナントカの法則がはたらいているらしく。
陽が暮れてからの外出予定が四日連続の今週。
さすがに徐々に疲れてヨレてきたよな感じがする。
仕事柄っていう言い訳もあるけど、
ただでさえヒトサマより遅めの起床時間が日に日に9時に近づいてゆく・・・
頭もまた、ビミョ~に重いなあ~・・・
と思ってたら、めずらしくテレビの天気予報が言ってたとおりに、
外じゃものすごい音たてて強風が吹き荒れてる。
よし。今日はひきこもりだ。
今夜もお誘い受けてたお話はあるけれど。
ごめんなさぁ~い。
今日は(イヤいつもかな)ちょいとばかりキツイことを書こう。
ハッキリ言って、“車幅感覚のないデブ”は、犯罪だと思う。
お出かけ帰りの電車のなかで。
左側には眠りこけてるガタイのいいおっさん。
右側には咳込みながらスマホいじり続けてるがりがりに痩せたおばちゃん。
ヒイラギと、3人合わせて3席分みっちりの幅。
途中の駅で、がりがりおばちゃんが降車。
からだの右側に、半人前くらいのスキマが空いた。
そこへ。
ウソだろ。
ガタイのいいおっさん2人分は余裕のおすもうさん体型おっさんが。
座るかふつう?
ヒイラギの右半身にのしかかるようにして。
駅について開いた扉の両脇に頑として居座る金剛力士どもどころの迷惑さかげんではない。
おかげで右肩はずれそうになったぢゃないかっ!
超ド級重量力士の下から全力ふりしぼって這い出して、
残りの3駅か4駅ぐらい、これみよがしに立つハメに。
もいちど言っておく。
誰に何と言われようとゼッタイに、
“車幅感覚のないデブ”は、犯罪だ。
暴行罪。 間違いない。