ヒイラギ日記 ~Holy Holly's Diary~

小粒でも ぴりりと辛い 博士な日々。

これも「教育」なのかな

2009-07-31 23:58:25 | 仕事人ヒイラギ

どういうわけか、1件の書類が経理課とヒイラギの間を
行きつ戻りつするばかりで、なかなか終わらなかった。

ようやくカタがついて、思わずこの2年間のあれこれを思い出した。
経理課の担当者は案件ごとにいつも違ったけど、
ひっかかることがあるたびにがっぷり四つで話し合ってきたなぁ。

キレると疲れるし、いたって穏やかな話し合いなのだけど、
なぜか人はこれを〝ヒイラギさんと経理課のバトル〟と呼ぶ。

職責の自覚がないこととか、
管理部門の中だけでもタテ割りに細分化されすぎてて効率が悪いとか、
一つの事務に対する業務フローが一つになってないとか、
何も考えずに「規定通り」にされるとかえって非常識なことになるのだけどとか、
細かい指摘事項がどこにも明記されていないただの慣習であるとか、
そういうシワ寄せがすべて教授や専門スタッフに転嫁されているのだとか。

まぁそういうことを、懲りもせず、毎度毎度、その都度、たびたび、
「だからホラ
と実例をつきつけて訴える、てことを積み重ねてきただけなんだけど。

大学院教育の改革のほうが本務のヒイラギ、
期せずして、事務職員の意識改革にも多大なる貢献をしてきたらしい。
近ごろは経理課に電話すると、

「あ、ヒイラギさん、いつもお世話になってます」

みんな人並みにご挨拶ができるようになった。
経理課から差し戻されてきた書類を見ると、

「どこにも明記していなくて申し訳ありませんが、
  ここに本人直筆のサインをお願いします」

と、丁寧な付箋が貼られるようになった。

やればできるんじゃん。

でも、それでも。

これって個人レベルで良くなってるだけなんだよなぁ。
しかも経理課だけ。

やっぱり大学全体としては笑っちゃうぐらい非合理的。
事務どうしがヒエラルキーになってないから。

本部と専攻の間にただ挟まっているだけで、
ちゃっかり不労所得だけ吸い上げてる「研究科事務」ってのが、
最大のネックだと、ヒイラギ的には思うな~。


おかしい。 ぜったいおかしい。

2009-07-30 21:44:45 | 仕事人ヒイラギ

昨日、有楽町の近くに行ったついでに、パスポートの更新をした。
申請書をもらって書き込んであったから、受け付けてもらうだけ。

――30分かそこら、混雑を見込んでも1時間あれば十分かな

次のアポの1時間前、午後5時ちょうどにセンターに着いた。

申請書と写真とパスポートを見せて、もらった受付番号は「101」番。
受付カウンターの呼び出し番号は「21」番だった。

見れば、受付カウンターには窓口が12もある。
余裕だ、と思った。 思うでしょ、ふつう。

でも甘かった。

相手はなんてったって、天下無敵の“オヤクショシゴト”
しかも見事にスタッフ全員、パート感たっぷりのおばさまたち。

同じフロアの本屋でしばし時間をつぶして、
20分後にパスポートセンターに戻った。
呼び出し番号を見れば、「31」番。

もうこの時点で、ヤ~な予感、満載。
次のアポ先に「遅れるかも」メール、送信。

午後6時00分 「50」番
次のアポ先に「1時間遅れにしてください」メール、送信。

午後6時10分 「75」番
(およよ、なんなんだ、この異様なペースアップは
次のアポ先に「早ければ6時半に行けるかも」メール、送信。

午後6時20分 「92」番
次のアポ先から「了解」メール、受信。

午後6時25分
「受付番号「101」番のかた、8番の窓口へどうぞ」

スタッフ10人で、
最初の10人さばくのに20分、
次の20人さばくのに40分かかって、
そのあと10分間で25人さばけて、
続く10分間で17人、
さらにたった5分で9人。

どう働けばこんなことになるのか、プロの仕事人には理解不能

ちなみに、「比較的空いています。」 な時間帯でこの調子


左脳のつかいすぎ

2009-07-28 22:30:05 | 博士課程のよもやま

3ヶ月ぶりの身体のメンテナンス。
待ち構えていたカリスマ鍼師の第一声は、

「うわぁー、もー、なんだこれ

頭の左半分だけ、劇的に痛い。
特に痛いところを、

「ねーホラ、ここ痛いでしょ~」

だから劇的に痛いってば。
‘ぶよーんとしたコリ’が頭の左側にいくつもできてるらしい。

ただの青春のシンボルなんじゃ、とか、
論文書きながら頭かきむしってたからじゃないですかね、とか、
往生際わるく言い訳してジタバタするも、
左っ側の頭と目のつかいすぎによる‘コリ’だと言下に叱られた。

「ここだけで20分ぐらいハリ打ちたいくらい」

20分間もそんな劇的に痛いことされたら、
痛みに強いさすがのヒイラギも脳貧血起こしちゃいます。

それにしても、〝左っ側のつかいすぎ〟かぁ。
寝ても覚めても論文書いてたこの3ヶ月、
確かに論理的思考の最たるものだった。
(というか、いまも続いているのだが・・・)

思い込んだら命がけ、
無邪気で無鉄砲な天真爛漫チャレンジャーの右脳人間、
使い慣れない左脳はとっくにオーバーヒートだったのかも知れない。


レポート完成

2009-07-27 21:26:08 | 博士課程のよもやま

やっつけ仕事はキライだー。

「とりあえず適当になんか書いといて」なーんていうのは、
精魂こめて書き下ろすような類のものでもないかなーと思って、
切ったり、貼ったり、引っ張ってきたり、
はたまたチョロチョロっとつないだりして済ませてしまうのだけど。

なんかこういうのって、書き上げてもスカッとしない。
創造の余地がないというか、書いた気がしないというか。
不完全燃焼も甚だしいというか。

研究者のハシクレとしては、
いちおうオリジナリティのある論文書いて稼ぎたいしなー・・・

歌うたってるハシクレとしては、
いちおう言の葉の一つひとつにこだわって紡ぎたいしなー・・・

ま、あんましぼやいても、所詮は課題レポート。
その欲求不満をぜーんぶ、思う存分、博士論文に向けたら
って言われるのがオチかな。


お気楽にちようび

2009-07-26 22:13:00 | 芸能人ヒイラギ

社中の主だった名取と尺八の先生方とで師匠を招いての、
ちょっとしたお祝い事があった。

社中きっての不良名取ヒイラギが仰せつかったのは、
マイ・デジカメ持参の写真係。

2時間そこそこの祝宴の間に撮影した写真は40数枚。
最後に師匠への花束贈呈と、続いて師匠からの挨拶。
ここは動画で撮っとくか、とビデオに切り替えたところまではよかった。

師匠が2分半ほどしゃべったあたりでカウンタの数字が赤くなった。
あれと思って見ていたら、カウンタが点滅し始めて、
ピーッ、って音がして画面に「メディアがいっぱいです」の文字。

あ~あ~…

――ま、いっか。 カメラ係はほかにもたくさんいたから。

目にも留まらぬ速さで立ち直り、『MACBETH』の急な追加稽古にハシゴ。

山手線の輪っかからほとんど出たことのないヒイラギ、
炎天下にカンが狂って、珍しく方向感覚機能せず。
「ギリギリかちょびっと遅刻」のハズが1時間の大遅刻。

あ~あ~…

――ま、いっか。 今日は珍しい人とたくさんおしゃべりできたから。


未完成レポート

2009-07-25 22:53:45 | 博士課程のよもやま

“アリバイづくり”って言っちゃうと先生に怒られそうだけど、
ほとんどそれに近いレポートの執筆に追われる前期末。

一応これが最後の、取らなきゃいけない単位。
無理にでも書こうと努力はしてみるけど、
半日かかって、ようやく2ページのイントロ節をひねり出した。

何が困るって。
「とりあえず適当になんか書いといて」っつーのが一番困るのだが。
そもそも、シラバスを出せ、シラバスを、と思ってしまって、
筆が進まないったらありゃしない。

何が困るって。
これって先生との共著で書いたことだっけ、先生が書いたことだっけ、
ヒイラギが書いたことだっけ、ヒイラギが書いて先生が直したことだっけ・・・
逡巡して筆が止まること甚だしい。

気晴らしに、昨夜の復習でもしながら考えようと思ったのが間違いのもと。

5年前の『MACBETH』本番の録画DVDを流してみる。
出番のとこだな~と思ったら鼻歌うたいながら、ちびちびレポート執筆。
デキゴコロでつい、チラッと画面に目をやったが最後。
ツッコミどころ満載の当時の舞台&CATV編集にクギヅケ。

画面のカンペキど真ん中にバンコの亡霊って字幕がバァーン
出た瞬間に全身から脱力。
嗚呼、もうダメだな、今日はレポート完成ムリ。
明日も早いことだし、寝るか・・・


とことん、こだわる

2009-07-23 23:53:05 | 芸能人ヒイラギ

とあるCDの曲目解説を英訳している。

翻訳書の出版プロジェクトのときも思ったけど、
論文を書いてる期間に、翻訳仕事なんて引き受けちゃダメね。
(まぁ、断れない仕事だから引き受けてるんだけども

論文を書いている間は極限まで理詰めの世界で思考している。
〝行間〟とか〝解釈〟の余地のない無味乾燥なロジックを、
一分のスキもなく組み立てることだけを考えている。

書いてあるとおりにしか読めない日本語。
文字が表す意味以上のものはない。
味わいも何もない。
なんというか、これはもう、〝作業〟に過ぎない。

曲目解説は論文とは対極にある日本語。
ニュアンスでできた言葉を論理的な言語に変換するプロセス。
これは、どれだけ深く行間を汲めるかが勝負。

いただいた原稿の一語一語を徹底的に咀嚼して、
知りうる限りの単語と言い回しと構文のなかから、
もっとも「感覚的に」ぴったり来るものを探し出して置き換える。

古典曲のなかでも稀少曲ばかりだから、
簡単に入手できる参考資料はほとんどない。

あまりにも日本的な「感覚」を異国の人に伝えられるほど、
〝日本をちゃんと消化できていない〟自分に、気づかされる、
ヒイラギとことんこだわりの翻訳仕事。

こちらの思考には、終わりは無い。


「すべては愛だ」

2009-07-23 00:03:02 | ヒイラギのひとりごと

劇団四季「アイーダ」のキャッチコピー。

下手をするとおやじギャグ扱いされかねないコピーだけど、
このところ毎日のように通勤電車に吊られているのを眺めていて、
たしかに、大事なんだよな、と思った。

昨夜、招待されて、とあるクローズドの講演会に出席した。
半年前の来日時にウチの大学に来てもらった世界的社会起業家、
とっちー(枋迫篤昌氏)の特別講演会だった。

物静かな語り口からは想像もつかない熱い男とっちーが、
切々と訴えたことは、マイクロファイナンスでも世界金融の将来でもなく、

「男性に優しくしてあげてください」

男性というのは、じつはとてもデリケートな生きものです、
一度自信を失うと、もう何の役にも立ちません、
女性はイヤなことがあっても次の日には立ち直れる強さがありますが、
男性は平気で2週間ぐらい引きこもったりしてしまいます、
カラ元気でもいいから、男性を元気づけてあげてください、
その代わり、
自分に自信を持たせてくれたあなたのことを大切に思って、
あなたの現在も将来も、あなたの生涯まるごとすべてを、
人生を賭けて守ります…

要は、これが男の生きざまだ、と。

スバラシイ。 惚れ惚れ

けれども、とっちーみたいな男性は残念ながら稀。
どんなに想われ愛され尽くされ元気をもらっても、
落ち込むときはとにかく自分ひとりで落ち込んで、
優しさに八つ当たりする男性のほうがマジョリティなのだろうな。

「あんなに励ましてくれたくせに俺より先に昇進したんじゃないか」
とか本気で泣かれたことすらある。
そりゃーヒイラギが責められるべきことなのか…

叩かれて叩かれて、
それでも自分の哀しみも痛みも後回しにして、
布団のなかでひとりで泣きながら耐えた結果なんだけどなぁ。

そういう別れが続くと、もういいか、と、思っちゃって。
これは、とっちーの言う女性の“強さ”とは違う気がする。
どれだけ傷ついて泣いたかなんて、愚痴だから言わないだけ。
愛することも愛されることもあきらめたのかも知れない。

それに比べると、とっちーの生きざまは、愛だなー、と思う。
とっちーみたいな男性が稀な世の中というのは、きっと、
がない世の中なのだなー、と。

たぶん世の中で起こっている問題のほとんどは、
多かれ少なかれ、愛があればどうにかなることなのに。

今宵、記念すべき第10期オペラ公演『AIDA』が動き出した。
さて、今回の公演に愛はあるか、それとも――
ちょっとした怖いもの見たさの半年。


佐渡カルメン

2009-07-19 22:20:57 | 芸能人ヒイラギ

開演2秒で指揮棒をたたき折った、という話を小耳にはさんで、
チケット取った日から楽しみに待っていた『CARMEN』

個人的な思い入れの最も強いオペラということもあって、
作品に敬意を表して、珍しく1階席中央ブロックに陣取った。

会場が暗くなって、オケボックスに指揮者登場。

(・・・でかっ・・・)

佐渡さんが大っきい人だってことは知ってたけど、
あらためて間近で見ると、やっぱりホントに大っきい。

オペラのときは、客席から指揮者が見えないことが多いのに、
いや~、見事に肩から上が見えっぱなし。

序曲の振り始めの動作を一目見て、納得。
そりゃー折れますね、指揮棒。
激しい曲では、指揮台のうえで飛び跳ねてる靴音まで聞こえてくる。

一番高く振り上げてるときなんか、舞台のうえのソリストの座高ぐらい。
舞台に立つ歌い手さんたちも、指揮を見るのに苦労しないだろうな、
なんて思って、ふっと頬が緩んだ。

客席にいる立場のときも、指揮者を見ていることのほうが多いから、
そういう意味では堪能させてもらって、満足度は高かった。

カーテンコールで、すぐ傍に座っていた男性が興奮気味に、
「Bravo」「Brava」「Bravi」と連呼を始めた。
その大声の連呼が、ソリストにだけ向けられていたことにカチンときた。

カルメンに手を引かれて指揮者が登場すると、
さらに満身の力をこめて男性が連呼した言葉は、「Boo
自己破綻した人だなぁと、もう一度カチン。

ソリストだけが素晴らしくて、合唱団と指揮者とオケがBooなオペラなんて、
あり得ない。

そんなことを思って、よく考えたら、ちょうど去年の今ごろは本番間近で、
毎日のように口ずさんでいた『CARMEN』
このマエストロに教わるのなら思い入れを壊されることはないだろう、
と参加を決めた舞台だった。
そんな風に、人それぞれの『CARMEN』があるのだろうな、とは思う。

聴く側がそうなら、振る側にだって、それぞれの『CARMEN』がある。
それぞれの楽譜の読み方があるだろうに。
こんな席で聴きに来る‘うるさがた’なら、そのくらい心得ていてよさそうに思う。

洋楽については薀蓄を語れる立場にないけれど、
舞台側にも客席側にも関わっている者の実感として、
そのときのその『CARMEN』が『CARMEN』として入ってきてくれれば、
それでいい、という気がした。



<本日のおまけ>
オペラ歌劇団で何度も合唱指導をしてもらった先生と、
何度かエキストラに来てくれたシブいバスの歌い手さんの名前が
プログラムに載っていて感激。
こんなすごい人たちと一緒にやっていたんだなぁ・・・‘政変’が起こるまでは。


なんだかなー

2009-07-18 23:15:48 | ヒイラギのひとりごと

【社会人博士課程の問題】
既存の教授陣に社会イノベーション・社会起業家研究者がいない
教育に責任を持てる教員がいない
社会人学生は土曜日にしか登校できないのに土曜閉庁ときた
(先生がいない・専攻図書室が閉まってる・学務も教務も学食も生協も閉まってる)
社会人に対応したカリキュラムと審査制度がない
要は、何にも無いし、何にもしてもらってない
学生が、自動引き落としで学費を強制徴収されているだけ



【大学院教育改革の問題】
大学本部の事務職員が分掌すべき事務を一切やらない
バックオフィス業務に精通した職員の関与がない
事業を実践すべき専門職員がバックオフィス業務もすべて自分でせねばならない
(どの国が租税条約に加盟しているかいないか、消費税・所得税の計算まで
アドミからの専門知識・スキルの供与が一切ない
要は、大学のための資金を取って来させておいて、何にも支援してもらえない
部屋と大学名を貸してくれてるだけ



【オペラ歌劇団の問題】
運営事務局のNPOに活動実態がほとんどない
オペラと市民オペラの運営に精通した専門スタッフがいない
働き盛りのバリキャリから高齢者まで幅広い参加者を束ねられる世話人がいない
(色んな人の色んな事情に対応した練習方法や演出が考えられていない)
キャストや指揮者の人選すら個人的なネットワークに頼っている
要は、マネジメントの仕組みと人材とノウハウが何もない
集められた烏合の衆が、公演日までを自助的に過ごしているだけ



ひょっとして。
公金が絡む問題は、どれも同じ構造なんじゃないのか。