ヒイラギ日記 ~Holy Holly's Diary~

小粒でも ぴりりと辛い 博士な日々。

どっちやねん

2006-10-31 22:27:58 | ヒイラギのひとりごと

自治体のある会議に委員として出席した。3ヵ年計画に基づいて行われているさまざまな事業の進捗状況を評価する会議だ。

こういう自治体の計画事業にはさまざまなものがある。教育関連ひとつとっても、保育園から大学院まで、赤ん坊から生涯学習に励むお年寄まで、まさに老若男女が事業対象なのだから。

議論を呼んだ事業の1つに「高齢者エアロビクス」というのがあった。軽体操ならまだ分かるけど、お年寄にエアロビクスをさせるっていうのはどうなの?という意見が議論の発端だった。

きけば、行政側の担当部では、“ヤング・シニア”をターゲットに想定して計画した事業だという。

ふーん・・・

・・・?・・・

軽く聞き流すところだった。 “ヤング・シニア”?
それって、“young”なの?“senior”なの?

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二週間で準備しろってか

2006-10-30 21:36:45 | 博士課程のよもやま

近ごろ何かにつけて文献を読むことが多い。ほとんどは学校の課題だったりする。英語のものも日本語のものも、そこそこきちんとディテールを理解できる程度に、それでいてあまり時間はかけていられないから飛ばせるだけ読み飛ばして進む。日本語のハードカバーの本だけでも1日に2冊ぐらいは消化しないとついていけない。

ざっくりしたリサーチならそれでもなんとかなる。困るのは、英語の文献を大量に飛ばし読みして、それについて日本語で意見を述べたり発表資料を書かなければならないときだ。今回はまさにそれ。

言葉の正確なニュアンスというものについこだわってしまう、やっかいなタチなので、ほんの些細な単語の1つでもパンとピッタリくるフレーズに言い換えられないかぎり、悶々といつまででも考え込む。本筋に関係のない単語でもその調子。いや、ホラ、プレゼンするときに、誰もが感心してくれるよな訳語を披露できたら、ちょっとカッコよかったりするじゃん。

基本、A(C)なんやね。
あ、これは関西弁に訳してくださいね。「ええかっこしぃ」。

風呂に入って、ふと思い出す。ああ、「過疎地」だっけ。スライド1枚にこんなに時間がかかるとは。

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ごく普通の ―くらしのかがく(14)

2006-10-29 23:27:50 | くらしのかがく

先週、こんなニュースがありました。

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富山の小6が特許 小学生で全国初
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喜ばしいことです。何がって。
理数離れ、学力低下、読解力低下など、「ニッポンの未来はWowWowWowWow」なんて言ってられない事態が進行している時代のさなかを生きる子どもがやってのけた、快挙です。

高度情報化社会になって、身の回りにさまざまな情報機器があふれる生活に、わたしたちの環境は一変しました。これらの情報機器や、電子化された情報を扱うにあたっては特に、わたしたち自身の理解力を高めておくことが求められる時代になりました。

こうした理解力をつけるために必要な要素、それは、状況や事柄から課題を読み取り、解決のための手立てと可能性を予測し、それを形にしようとする〝そうぞう(想像&創造)力〟だと思うのです。

独創。自立(律)。自己解決。
私たちが子どものころには日常的に繰り返してきた体験の中には、こういう要素がちゃんとあったはずなのです。

思い出すのは、たとえば、流行の文房具や玩具。そこそこしつけの厳しい家庭でした。欲しがれば何でもすぐに買ってもらえるなんてことは決してありませんでしたから、どうしても欲しい物って自分で頭をひねって工作したり細工したり、それが当たり前でした。

下敷きにジュリーやヒデキの写真を入れるのが流行ったとき。厚紙とラップとセロハンテープを駆使した力作で見事に目的を果たしました。
映画『STAR WARS』のライトセーバーが流行ったとき。今度は使い切ったアルミホイルの芯をつなぎ合わせて、鮮やかな水色に塗り上げれば、気分はルーク・スカイウォーカーになれました。
バレーボールを習いたてのころ、練習する場所も相手もなくて、それでも台所からビニール袋と輪ゴムを拝借して、即席1人バレーで3段トスなんぞ楽しめました。
そんなこんなのプロセスのすべてがワクワク楽しくて、私はそれで十分満足でした。

「必要は発明の母」といわれます。欲しい、と、どうしたらいいかな、と、どうにかするんだ、があれば、アイディアは生まれるもの。欲しい、はそもそものきっかけになる一番大事な気持ち。どうしたらいいかな、は観察して勉強して想像して考えをめぐらせるプロセス。そして、どうにかするんだ、は考えを形にするためになら何でもする強い決意。これらを、ごく普通に毎日のように体験することで、ごく普通に、独創も自立(律)も自己解決も、身につくものなんじゃないのかなあ。塾とかお受験とか理科教室じゃなくて。

「傘お化け」で特許をとった山本良太君は、ごく普通に、そういう風に育ったんじゃないのかなあ。

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今週はキツかった。

2006-10-28 19:33:00 | ヒイラギのひとりごと

年に一度のイベント主催が水曜日だった。月・火は追い込みで配布資料の最終チェック。当日は風邪気味・絶不調の中、「舞台に上がってしゃべるなんてできません」という同期の代わりに華々しく開会と閉会の司会役。

終わって木・金は流せるかと思ったら、転職の面接が連チャン。木曜は仕事が終わってから赤坂の高級住宅地のハザマにあるマンションの一室、金曜は仕事を抜け出して日本橋方面へスタコラ外出。

大方の希望は叶えられそうなメドがたって安心したのか、オフィスに戻ってどっと疲労感が噴き出した。
無理もない。ここ二、三年は鋭角にそそり立つエッジに指先でぷるぷるつかまり、海老反りになってフリークライミングしているような感じだった。ここへ来てようやく、エッジの上っ側の平らなところに腰ぐらいまで乗っかって、脚をぶらんとさせながら一息つけた、そんな気がした。

全身がだるく、軽く偏頭痛がしてきた。こういうときは無理を押して楽器に向かったってろくな演奏はできないにきまってる。次の日ガッコだし。それなのにテキトーに休むってことのできない哀しいサガ。きっちり2種目30分しごかれて帰宅。

そして学園祭の今日はサテライト・キャンパスに避難しての集中講義。午後はゲスト先生だったので、終わってからの“軽く1杯会”に珍しく参加して、軽く3杯()やりながら人生談義。ひとしきり盛り上がり終わったころにはとっぷりと暮れて、解散。

幾多の苦難を乗り越えて漕ぎ着けたサタディ・ナイト♪
やったー、明日はにちようびだー・・・・・

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教育ってなんなのよ?

2006-10-27 21:50:25 | 博士課程のよもやま

単位が足りなくて卒業できない公立高校生が日本全国に続出している。もとをたどれば、2003年の学習指導要領改訂で週5日制が導入されたのが遠因だという議論が起こり始めている。

だけどちょっと待て。

土曜が休みになったからって、必要な科目を時間割から削ろうなんて、ふつーに考えておかしいじゃないか?

受験しない科目を勉強しても大学には受からないから、と生徒も先生も反論している。

だからちょっと待てって。

高校で学ぶ究極の目的って、大学受験なのか?

持論はさておき、素朴で、根源的な、問題提起をしておきたい。

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意味がわからん

2006-10-26 22:26:16 | 博士課程のよもやま

ということが、多くないすか。 代表選手は、

「前例がない」

このトシまで反抗期が終わらないせいか、はたまた生来の“新しいもの好き”の血のせいか、やりたいことをやろうとして壁にぶちあたるとき、きまって壁の向こうから投げられるセリフが、

「前例がない」

今まで誰もできなかったことに挑戦するのって、こっちだって大変なんだぞ。
いろいろ、考えて、思い切って、賭けてんだぞ。
そんなこと思いつきもしなかったよ、すごいじゃないか、て言えないにしても、んな眉間にシワ寄せて眉毛片方だけくわぁーって持ち上げなくたって。

外国では、四方八方からの「前例がない」を全身に浴びせられながら壁を打ち砕いた人たちを、Social EntrepreneurとかSocial Innovatorなどと賞賛する。こうした人物の物語を、日本ではあまり聞かない。
なぜなんだろ?

これまでの短い人生ですら、ただ普通に生きたいように生きるているだけなのに、1歩すすむごとに壁をよじ登らなければならなかった。

寮を出て、一般の賃貸マンションで自活したい「前例がない」
国際部に転属したい「前例がない」
仕事で制作した翻訳書を成果として出版したい「前例がない」
最初から本社に勤めたい「前例がない」
公共交通機関が不便すぎるのでバイクで通勤したい「前例がない」
お掃除のあと、居室点検の前にどうしてもごみをゴミ箱に捨てたい「前例がない」
アルコールが分解できないから飲み会を欠席したい「前例がない」
校則どおりのデザインのサンダルなんてこの世に売っていないから、真夏にはつま先とかかとの開いたサンダルを履きたい「前例がない」
効率よく業務処理できるシステムを導入したい「前例がない」
海外出張したい「前例がない」
現実に管理職業務に専従しているのだから20代でも管理職にしてほしい「前例がない」
所定の就業時間内では不可能なので海外とのTV会議の日はフレックス出勤させてほしい「前例がない」
研究成果を冊子にまとめて出版したい「前例がない」
客員研究員に執筆を頼みたい「前例がない」
社会人だって国立大学で学びたい「前例がない」
仕事だけの人生で終わりたくない「前例がない」
食べていけるだけ稼げればそれでいい「前例がない」
人として、社会のひずみは正したい「前例がない」

体験順はバラバラ、思い出し順、気持ち盛り上がり順です。

でもさ。

「前例がない」が一体ぜんたい何の理由になるのか、百万遍聞かされても、やっぱりよくわからない。
これが、私の研究対象、「社会」てやつの姿さ。

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Social Entrepreneurship研究

2006-10-25 22:07:35 | 博士課程のよもやま

今日は仕事でイベント開催。上司がスピーカー、私が司会てことで、舞台袖の控え室で、2人でランチという珍しい機会に恵まれた。

食べながらの話題は、"Social Entrepreneurship研究"。仕事(ハイテク・スタートアップス)の話はそっちのけ。□□大学の○○先生ってどんな方ですか、とか、△△先生のこういう本が出ていてテーマはピッタリなんですけどどうも内容が物足りないんですよね、とか。上司=指導教授だとこういうことができるのだ♪

Social Entrepreneurshipという話題は、そもそも学問的研究領域と考えられていなかったものがここ一、二年で盛り上がってきて、欧米では今まさに続々と研究報告や解説書が出版されている。あまりにも広い融合分野のため、雑多な切り口の研究がなんでもある、という印象。となると、特定の切り口の文献を探し出すのはかなりの重労働、ということになる。

先週の講義で配られた『読んだほうがいいよ♪リスト』の20冊は、先生が夏休みの2ヶ月間を全部使ってダイジェストまで書き込んでくれたもの。リストの倍の40冊は目を通したのだそうです。お疲れさまです。そりゃー目も悪くなりますよね・・・。

でも、そのくらいやったおかげで、できたてほやほやの新領域の、全体像をだいたい俯瞰できたとか。何を研究するにしても、それって第一歩ですもんね。あぁぁ、耳が痛い ほんとは自分たちでそのぐらい勉強しないといけないんだろうな~。先生ごめんなさい ありがとございます。

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歴史、変えたろやないか・・?

2006-10-24 21:21:19 | 博士課程のよもやま

専門的な知見を要するような問題に、やたら門外漢が口を出すと、たいていはややこしいことになる。互いに不愉快な思いをし、互いに何か消化しきれないような違和感が残る。

たとえば。

身内に建築家がいる。まちづくりのあり方とか、東京の都市開発の無計画性とか、愚痴めいた会話の間はいいけれど、現実的にどうすればいいのかというソリューションについて語り始めると、なんだか噛み合わなくなってくる。

創造する芸術家的スタンスからすれば、新しいものを自らの手で創り後世に残すことに最大の意義があるのだろう、それは理解できるのだが。
リアルに日々を都市で暮らすその時代かぎりのユーザーから見れば、自分たちが少しでも心地よく暮らすことが出来て、なおかつ続く世代に負の遺産を残さないために、今あるものをフルに活用できるかどうかに、砕けるだけの心を砕く。
よく知るがゆえに手元が見えず、素人ゆえに下世話なまでに近視眼的になる。

しかし、実はどちらもよく分かっていること――それは、長い長い目で見てみんなのための理想を実現するために、長い長いあいだ理想家に夢を託して任せておくと、どうしても必ずそこに“利権”という小悪魔が巣食って、いつのまにやら理念はゆがんでしまったり消えてなくなってしまったりする、という自然の摂理。

色んな世界で、似たようなことが繰り返されているのが、人の歴史なのかもしれない。
社会を変革するSocial Entrepreneurたちを研究するってことは、もしかしたら、歴史の流れに抗おうとすることなのかもしれないな。

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Positive Thinking

2006-10-21 23:49:11 | 博士課程のよもやま

後期のある1科目の課題は、研究テーマ関連図書の輪講と学術論文のレビュー。どちらも持ち時間30分の発表とディスカッションをしなければならず、これから早速準備にかかる。輪講のほうは二週間後までに、学術論文のほうは年末年始をつぶしての作業になる。

こういうペースになってくると、カリスマ・ダンドラー(段取er)の血が目覚める。

えぇっと、いま仕事で抱えてるタスクはコレとコレとコレとコレとで、優先順位はこう、
この科目の課題はコレとコレで、あっちの科目はコレとコレとコレの期限がいついつで、
あの科目はいつが試験だから、
コレとコレの作業ができる時間はココとココとココで、
それじゃあ、このあたりまでにコレとコレはここまでできてたらいいのかな・・・

なんて具合である。

ちなみに、カリスマ・ダンドラーの致命的な欠点は、“生活時間”というものをしばしば度外視してしまうところ。部屋の掃除の回数が減り、着るものと洗濯機のローテーションがヘヴィになり、長湯からカラスの行水を経てシャワーになっていっても、タスクのプライオリティを優先してしまう。結局、好きなのだなぁ。少し人より時間が足りないみたいだと思っても、やってて楽しいから、自分から飛び込んでいくのだなと思う。

だからやはり、こうしたい、ああしたい、見たい、知りたい、食べたい、さわりたい、そんな人としての根底にある気持ちを持ち続けることは大事なのだ。「自分で」「自分から」と湧き上がる感情というのは、人の本能ではないかと思う。

疲れきった友と話し、外国帰りの身内から「日本は狂ってる」と吐き捨てられ、立て続けに人のストレスをぶっつけられて始まったこの週末。日本社会に潜むあらゆる閉塞感がひずみとなって表面化していることは否定しない。それでもなお、心の底のどこかでは、「絶望的なまでに破綻しているわけでもないよ」と擁護したい気持ちがある。それはたぶん、決して打ちのめされてしまうことのない「自分で」「自分から」が私自身の中にあるから。

細かいことは気にせずに、本能のままに、ナチュラルに、生きていきたいものです。

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Daydream Believer ―くらしのかがく(13)

2006-10-20 15:49:11 | くらしのかがく

科学の世界は夢見ることから始まった、と私は思っている。ドラえもんの歌みたいに、あんなことできたらいいな♪、と思い描き、どうしたらできるかな、と考えをめぐらせ、そこでパッとひらめいたアイディアが時に世界を変えてしまったりする。そういうのを「イノベーション」と呼ぶ。昨日付けで世界的な科学論文誌『Science』に発表されたこんな論文も、まさにイノベーションといえるだろう。

マイクロ波の透明マント
Hiding In the Microwave
もはや単なる理論やスタートレックの話ではない。今回、電磁放射線から物体を隠す原理を立証する初の遮蔽装置(いわゆる「透明マント」)が作られたのだ。 D. Shurigらは、メタ物質(ナノ構造を操作して電磁特性を微調整できる人工の合成物)を使って、電磁放射線が排除、回避され、あたかも存在していないような空間を作り出した。Shurigらは、マイクロ波周波数帯域で作動するよう設計された人工構造のメタ物質で構成された「透明マント」中に銅製の円筒を「隠す」という方法で遮蔽メカニズムを作り出した。透明マントは隠した物体から発せられる散乱を減少させると同時にその影を減少させることで、物体を自由空間のごとき状態にする。透明マントは不完全でまだ二次元レベルに過ぎないが、後方散乱(反射)および前方散乱(影)双方を減少させることができる。
"Metamaterial Electromagnetic Cloak at Microwave Frequencies," by D. Schurig, J.J. Mock, B.J. Justice, S.A. Cummer and D.R. Smith at Duke University in Durham, NC; J.B. Pendry at Imperial College in London, UK; A.F. Starr at SensorMetrix in San Diego, CA.
(引用:http://www.sciencemag.jp/highlights/20061020.html

この論文発表のニュースを聞いて、科学とは直接関わりのない生活を送っている多くの人の頭に浮かんだのは、世界中の子どもたちを魅了したベストセラーファンタジー『Harry Potter』ではないだろうか。主人公Harryが父の形見として持つ魔法の布"Invisibility Cloak"(透明マント)。まさにこれを、電磁波を操作して実現してしまおうというのが、Science論文の技術なのだ。

化学・薬学は錬金術から、天文学は占星術から発達を遂げたことを思えば、はてしない、でっかい夢はどんどん見るべし、と思わずにいられない。何百年か経ったころ、自分の空想が、歴史を変える大きなイノベーションになっているかも知れないのだから。

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