あれよあれよという間に卯月も晦日。
個人的には月曜の講義を済ませた一昨日が今年のGW初日で、
まる二週間の時間的猶予があれば相当先の準備までできるなと心待ちにしていたハズが、
気づけば冒頭の二日間はすっかりだらけモードで費やしてしまっている。
ま、それが、“休む”ということなのだと自分に言い聞かせつつ。
さてさすがに三日目からはちょいちょい本気出してくか、と思い立ち、
朝食を済ませて早々に今年初のベランダー活動。
手始めに冬のあいだ部屋の片隅でひからび寸前だったサボテンの鉢の手入れをしてみたら。
土の間からころんと出てきたのは脱皮前のセミのミイラ。
子どものころ庭でよく集めた、あの抜け殻と同じ形の、でも‘中身’があったらしき形跡の。
うわぁぁぁいつの間に。
昨夏、鉢を外に出してた間に土の中に子孫を遺してたんだろか。
あんまり放ったらかしすぎて栄養が摂れずにこんなんなっちゃったんだろか。
せつない。
あまりにせつないぞ。
を、大事にしたいと思って生きているのだが、世間の人はそうでもないらしい。
やっとのことで時おり汗ばむくらいの春本番の陽気がやってきたというのに、
ちょっと買い物に行けば店内にぶるっとくる冷たい風が吹いている。
せいぜい換気しているくらいならまだしも、明らかに、冷風。
べっつにじっとしてるだけで玉の汗が流れるとかいう状況じゃないじゃん。
べっつに100円ショップで生肉とか冷凍食品とか売ってるわけじゃないじゃん。
それをさあ、わざわざ電気つかってさあ、エアコン全開でさあ。
そうまでして人工的に冷やす必要、あるのかな。
もうちょっと自然に暮らそうよ。
それでなくても、真夜中でも明るいよーな不自然な街なんだからさ。
この業界の常として。
全14回の講義スケジュールも、走りながら考えるというか。
いやむしろ走り出してから考えるというか。
なので、一回一回のシナリオを組み立てつつも、
数回あとのほうまで意識は向かせている。
で、そうゆう仕事のしかたってのは、
色んな距離感のことを常に同時に考えてるせいで緊張が長く続く。
調子よしこちゃんのときはいいけど、
ストレスかかってるときだまたドクター・ストップなことになるんで。
ごはんどきくらいは効果的・効率的・劇的に気分転換てことで、
晩ごはんたべてひと息つきながらザッピングしていたら。
CATVで『カルメン』とかやってて。
うわあ・・・すっごい昔な気がする、って思いながら2幕フィナーレを聴き終えて。
なんだろなー、これって気分転換どころかどっと疲れる。
済んだこととはいえ。
やっぱりなぁ、このデキじゃあなあ。
来季の出演者募集も絶賛はじまってはいるけど。
で、たぶん、惰性で、応募書類出すだけは出しちゃうんだろうけど。
なんだかなあ。
ぶつぶつ。
『写楽』以来の島田荘司小説。
なんとなく二年ぶりぐらいかな。
前回リエージュの学会に行くのに往復のフライトと単独行動の間のひまつぶし、
と思って何冊か文庫本を買い込んだときに『写楽』も買ったんだったような気がする。
今回は。
第二次世界大戦ごろのアメリカを舞台に物語は始まるのだけれど。
いや、それ以上は書かない(書けない)けど、まあ壮大な、
めくるめく島田荘司ワールドが展開してゆく。
この作家さんの、イマジネーションという意味でもクリテイティヴィティという意味でも、
‘そうぞうりょく’って、たしかにユニークで、それでいて計り知れなく深いなぁ。
ヒイラギ愛読の黒川博行氏の疫病神シリーズも、
リアルで、人間味があって、それでいて壮絶なハードボイルドだけど。
こちらもまた、ちょっと違った、
なんだろな、‘時空を超えた’ハードボイルドっていうか。
面白かった!
以前の同僚であり歌舞伎観劇の師匠であり昨今は見仏友達でもある友人と、
鎌倉散策に出かけたのは何年前だったか。
写真をFacebookにアップしたりした気もするし、3年前くらいになるかな。
あれっ、それともそれは小田原だったか。
まぁとにかく、付き合いの長い友人との鎌倉での一日のシメが鶴岡八幡宮で、
お参りして、名物“鳩みくじ”をひいた。
おみくじに、小さな鳩の姿のお守りがついていて、
いつも身につけているようにと但し書きがあったからガラケーにストラップ代わりに付けていた。
かわいらしい姿や色合いがおどろくほどしっくりなじんでいたのだけど。
こないだの日曜、2年ぶりの温習会出演を終えて帰宅すると、
バッグの中から出てきたのは水色のストラップが宙に浮いた携帯電話と、はなればなれになった鳩。
FB友達から「身代わりになってくれたんだね」「しっかり守られているのですよ」と慰められつつも、
なんだかケータイが妙に軽くなったようなバランスの悪さが寂しさを増幅させる。
お礼と感謝の気持ちを込めて鳩さんを神社にお返ししたものの、
さて、二代目はどうしようか、何もぶらさがってないケータイって、微妙にまぬけだ。
遅いランチに入った都内某所の行き慣れたカフェ。
お隣のテーブルには男性1・女性3のおじさまおばさま四人連れ。
聞くとはなしに耳に入ってきたのは血液検査のオハナシ。
「念のために調べてもらったら違うってことがあるのよね」
「あたしはAだと思ってたのがABだったのよ」
「そのまんまいってたら危なかったわねぇ」
「血液検査したのいつですかっていうから戦時中ですって言ったらば…」
「それじゃあダメでしょ、違ってるかも知れないってね」
「俺もだ、もう82になったからさ」
「あら、あなた82になったの、まだ若いわよ、あたし83だもの」
「あたしなんか85だからねえ、あたしもそうよ、血液型調べたの、戦時中だわ」
都心でコーヒー飲みながら談笑できちゃうていどにお元気な、80代。
戦争経験者はやっぱ、たくましいなー。
ぷろふぇっさーヒイラギ担当の講義が昨夜開講。
オタク系大学の、院生対象の、ときてるので、
まあ多くてふたけた人数くらいがわらわらと受講してくれるのかしらん、
と呑気に構えていたところ。
フタあけてみれば。
定員40人の小さな教室にぎっちり。
うち、女子わずか2名。
この大学(院)にもこんなにソーシャルに興味あるコがいたのかと、
大いにひるみつつの初回90分授業。
後半で、一人ひとりにごくごく短い自己紹介と興味関心トピックをしゃべってもらったら、
これまたいちいちビックリ。
まったく聞いたことがない、全然知らない世界の話だから受講したい、
ってのがほぼ全員に共通したスタンスで。
ま、いい意味で。
まったく何の先入観もないコたちに、
自分が知る限りのことを教えてあげられるってことかな。
前向きに受け止めつつも。
Social Innovation研究に手を染めて約10年、
ずいぶん認知も高まったと思っていたのは自分だけだったかも知んないという目からウロコ。
いやはや、次回以降の軌道修正を考えねば。
いやーなんすかねーこの異常気象。
今月から、(special-appointment)てなカッコ書き付きながら、
“Professor”だなんてエラそな肩書きになったヒイラギ。
来週スタートの講義の準備もくじけるくらいに午前中まるまる頭痛に堪え、
午後から出かけたセミナーは全編英語でリスニングの特訓状態。
寒いわ、疲れたわ、天気悪いわ。
もはや押入れにインが秒読みだったくまちゃん湯たんぽも再登板。
外務省前の桜の根元にぶるぶる震えながらスズメがわらわら集まってくる光景なんて、
そうめったと見られるもんじゃないだろーな。
で、明日は歯医者ときた。
お仕事がんばるのは、明後日にしよう。
うん、そうしよう。
やや厚めって感じの文庫で上下二巻。
就寝前にちびちび読み始めてたぶんかれこれひと月ほどは経っていたと思うけど、
上巻の最後になって急にドラマ性がぐわっと高くなって、
がぜん面白くて論文もスライド作りもそっちのけでほとんど一日ちょっとで後半を読み切った。
ちょっと前に、歌舞伎の通し狂言を観に行って久しぶりにイヤホンガイドを借りた。
昼夜通しで全六段、イヤホンガイドの語り手も6人の聴き比べになったなかで、
しっかりと中身のある解説に思わず身を乗り出して聴き入ってしまったのは一人だけで、
でもその一人の、詳細で深いけれども聴きやすい語りからは得るものが山ほどあった。
『海岸列車』もイヤホンガイドも。
ぐいぐい惹き込まれるあの興味深さはどこから来るのかと考えるに、
書き手、語り手の、圧倒的な取材力にあると思い至り。
いま書きかけの論文も、
最高の仕上げにしたいと思うなら、
言いたいことの前提となる材料をしっかりと咀嚼せねばと。
ぼちぼち、本気出すか。