しあさってには今年のカレンダーも最後の一枚、師走。
パンデミック対応で変化した生活様式の最たるものが手洗い。
頻度も、かける時間も、念入りさも。
そうなると当然お肌も荒れ気味になるので、これまで以上にお手入れ大事。
手が売り物(人様にお見せする)の演奏活動は当面ないけど。
日中はしょっちゅう何かと手を洗う場面があるので、
手肌のケアは自然とお風呂から上がってあとは寝るだけの時間になる。
そして、これが、忘れる。
面白いぐらい、忘れる。
来る日も来る日も、忘れる。
寝る前の軽い読書をしているうちにまぶたが重くなってきて、
電気消していよいよ寝る態勢に入るか、という段になって、思い出す。
もう一度ベッドから出て両手にハンドクリームをすり込むかどうか、
眠気と疲れ具合と布団の中の心地よさかげんとを総合しての葛藤のひとときである。
そもそも横になる前に忘れずに塗ればよかったものを。
飽きもせず毎晩儀式のように悩む。
どっかに書いて貼っとくか。
二種類の仕事の合計件数がみんな同じになるように分担しましょうって議案に、
一人ずつの名前と二種類の仕事件数の内訳が書かれていて。
よりによって全員の中で自分ひとりだけ、
仕事件数の合計が人より1件少なく書いてあったとして。
反射的に、いろいろ考えますわな。
なんでか、ってことを。
仕事を任せてもらえないような何かをやらかした覚えもないし。
スケジュール的な制約がある話でもないからそういう配慮でもないし。
正直、気分のいいことじゃないけど、
だからこそどうしても気になってしまうという思考ループになり。
少なく書かれているほうの件数を全員分足すと総件数が1件足りない、てことに気がつくまでは、
新手のいじめかいやがらせか、いやいやそんなことされる相手でもないはずだけど、とぐるぐる。
感情を交えない言葉で淡々と、確認を求めるメールを全員あてに返信して一夜。
翌朝さっそく「単なる誤記」の返事が来て、やっぱりね、で一件落着したのだけども。
ああ、疑心暗鬼っていうのはこういうことだな、
顔の見えないコミュニケーションだけでは意思疎通が難しいってこういうことだな、と実感。
みんなで集まって話すってことには、
わっはっはごめんごめんで済ませてしまう偉大なチカラがあるね。
パンデミック第3波さなかの三連休は、高速道路も新幹線ホームも大混雑だとか。
「キャンセル料がもったいない」からトラベル決行という考え方もあるらしい。
多様性とか、言い方は色々あるけれど。
価値判断というか、考え方というか、ホントに人それぞれなんだなぁ。
そもそもこの施策って、キャッシュバックしてあげるから旅行に出かけるならパックツアーで、てことだったような。
お金が戻って来るなら治療薬のない病気にかかって最悪命を失ってもOKとか。
薬がなかろうが病院が少なかろうが身近に蔓延させるよりは他人しかいない地方に持ってってしまえとか。
色んな人が同じ星のうえで一緒に生きてくって、ほんと大変だな。
子どものころから反抗期が長くて、
人(親)から命令されて従うということが、
そもそも好きではないという性格なんだと思う。
自分で決めて、自分がやりたいようにやる、
という性格なんだと思う。
そのぶん、自分で決めたことなんだから、
うまくいかないとか失敗したとかでも、
その責任は自分にあるから言い訳はしない性格でもあると思う。
ある意味、負けず嫌い。
ある意味、意地っ張り。
それでも今回ばかりは。
去年の12月に某学会で発表した論文を、
完成させずに放置すること11カ月間。
パンデミックでそれどころじゃなかったとしか、
言い訳できないなあ、これは。
なんとかしよ。
背後からパンデミックの足音が聞こえてくるようなお江戸の感染状況ニュース。
なんともいえない緊張感だなあという気持ちが半分、
とはいえ依然として家族友人知人とその周辺は無事に暮らせているのだなあという気持ちも半分。
こまめな手洗い。
こまめな消毒。
密回避、要は不必要に群れない。
こんな世の中になってくると、
ひきこもりがちなオタク人生はある意味強力な防衛本能かも。
朝、職場に向かって歩く一本道。
少し後ろを歩いてきたオバサンが、小走りで追い越して、すぐ目の前に入ってきて歩きに戻った。
だいぶん前方まで追い抜いてくれれば良かったけど、間隔はほんのソーシャル・ディスタンス(2m)程度。
見るからに小柄なオバサン、歩くリズムは速いけど大して進まない。
対するこちらはそれなりの長身で、ゆっくり歩いているように見えるけど一歩のリーチがそこそこ長い。
ものの数歩でオバサンに追いついてしまってむちゃくちゃ歩きづらい。
(走ってまで追い越したんならもうちょっとさっさと行ってくれないもんかね)
しばらく我慢してみたけど、オバサン背後にぴったりついてしまって超絶歩きづらい。
いったいなんの嫌がらせだ。
職場までまだ三分の一も進んでいないあたりでこれはうざすぎる。
歩調を速めて追い越そうとした。
横に並んだ瞬間にオバサンがちらっとこちらを見てから走り出した。
なんだそりゃと思う間もなく目の前の角を左に曲がって行った。
ちなみにこれは、都会の雑踏の中で先を争って人々が出勤していくラッシュ時のような光景ではなく。
閑散とした一本道にたった二人の歩行者がいる風景でのこと。
どうってことないようで、意外といつまでも気持ち悪さが残る。
どうにもすっきりしない出来事だったので吐き出しておこうっと。
職場の部屋の空調のフィルター交換があった。
ものの数分の単純作業のために作業員が数人押しかけて来て、交換作業してるのは2人だけ。
あっという間に作業が終わって、そのまま仕事を続けていたら、冷風が吹きすさび寒気とくしゃみが止まらなくなった。
何事かと思ったら、暖房の設定温度をわざわざ勝手に2度下げてあった。
それでなくても北向きで部屋の温まりがすこぶる悪いというのに。
それでなくても感染予防で大きな窓が常時5センチ開けてあるというのに。
それでなくても終日ダウンのコートを着たままでないと寒くて仕事にならないというのに。
この、せこせこ、かつ、こせこせした、しみったれ根性全開の役所センスが、心の底から腹立たしくてガマンならない。
最近、響いた言葉。
アニメのほうの『ONE PIECE』でルフィが言い切ったセリフ。
同じ場面がかぶってる部分なので二週連続。
怒濤の“想定外のオシゴト波状攻撃”がひと段落したここ2~3日、
積読ならぬ積視聴ウェビナーや研修ビデオなど黙々と消化していて、
現象学の話やら、『モモ』の話やら、頭の中を渦巻いていて。
それでなくても、いい加減いいトシこいて、
縁もゆかりもない他人から“評価”と称して値踏みされたりあてこすられたり、
必殺オレサマビームを連射されたりすることに飽き飽きし尽くしていて。
(前回書いた「気に食わない出来事」ってのはおおよそこういうようなことで。)
あれもダメこれもダメ、と、ああしろこうしろ、が、一緒くたに投げつけられてくるので、
だからどうせぃっちゅうねん的にカオスな心理状態に陥れられてしまって、
やる気のそがれ具合と自尊感情の萎えかげんが尋常でない。
自分の時間を生きているだろうか。
自分の人生を生きているだろうか。
過去とも未来ともつながる‘いまここ’を自分らしく生きているだろうか。
そんな哲学的なことをつらつら考えていたから、
ああ、いつもどんなときも、心が自由である、ってことは、
本当に大切なことだなと思う。
日曜日に一日休んで、
月曜日に一日働いて、
火曜日の祝日。
なんかやっぱり、休まらないな。
月曜日の仕事内容がとりわけヘヴィだったからなおさら。
前日みっちり仕事してて、
翌日すぐまた仕事だよね、
っていうこの感じ。
体質的に、合わないんだよなぁ。
何事においても自由でありたい人だからなぁ。
勤労は国民の義務なんでしょうがないんだけど。
せっかくの休日にこんなことぶつくさ考えてしまっているのは、
前日に気に食わない出来事があったのを引きずっているからなんだけどその話はまた。