今日、今年最後の師匠のお稽古を終えた。
名取同期さんが仕事でお休みだった分もお稽古してもらった感じでたっぷり1時間。
帰り際のおしゃべりでこのところの身辺のわさわさと来年にかけての展望をご報告したら、
師匠曰く。「言葉は悪いけれど、でもなんだかそんな人生も面白そうね、色々あって。」
身近にいるなかでも群を抜いたポジティヴ・シンキングの人が、
何を隠そうこの師匠
こういう発想のかたが師としてそばに居てくださることで今年のヒイラギは、
どれだけ救われ、どれだけ前を向き続ける勇気をもらったか分からない。
一年間ホントにホントにありがとございました。
この師匠の後押しを得て、来春、演奏会に復帰予定。
一年半ぶりの本業、地歌筝曲の演奏会に向けての曲をいただいたところで、
本年の芸能活動はこれにて終了。
2015年ひつじ年の芸能人ヒイラギにも、乞うご期待。
・・・のくせして、‘ほぼ毎日日曜’ってことに全然気がひけてないわけじゃないらしく。
だ~いたいの人が今日から休暇で大挙して出国してくニュースにそこはかとなく安堵。
大々的に掃除機かけたり。
華々しくお稽古したり。
つらつらと帰省の持ち物を考えてみたり。
思い出したようにストレッチしたり。
思い出して年賀状書いたり。(←これはもっとさっさとしときなさいって気がしないでもないがまあいいことにして)
いやあ、気持ちがホッとしてると一日ってこんなに時間がたっぷり過ごせるんだなあ。
こんな日は、早めに長めにお風呂に入るのだ。
昨日の朝、交通事故のニュース速報を2件続けてテレビが伝えていた。
そのうちの1件は、自転車で首都高に進入して走っていた男性が轢かれたという死亡事故で。
ずっとむかし、羽田空港で働いていたころのことを思い出した。
知的にだったか精神的にだったかは忘れてしまったけど、とにかく困難を抱えていた‘ケンちゃん’。
毎年冬から春になって空気が暖かになり始めると誘われるように自転車でおでかけ。
気の向くまま風に誘われるままそれこそ高速道路だってお構いなしに自転車でおでかけ。
羽田空港にやって来たのが誰かに目撃されるとみんなでとにかく平場で帰りなさいと言い聞かせた。
うんわかったと、また黙々とペダルを踏んで、分かってるんだか分かってないんだかひたすら自転車でおでかけ。
そういえばあのころは、春が来るたびに‘ケンちゃん’が来やしないかと気を揉んだものだった。
そういえばあのころは、高速の入口近くで自転車を見かけるたびに‘ケンちゃん’じゃないかと二度見したものだった。
あれからずいぶん時が経って。
もはや‘ケンちゃん’なんて歳じゃなくなってるはずだけど。
‘ケンちゃん’なら、こんな寒い中でおでかけはしてないかも知れないけど。
死亡事故のニュース、‘ケンちゃん’じゃなければいいけど。
どうしてるだろうな、‘ケンちゃん’。
ジョルジュ・ビゼーを天才とほめそやした舌の根もまだ全然乾いていないが。
ジャン・シベリウスも好きです。
ミーハーだけど特に『フィンランディア』が。
雄大な雪景色のなかにひそむフィンランドの人と大地の底力、みたいなものが、
足下からズンズン、重く堂々と伝わってくるようで。
この『フィンランディア』にベートヴェン交響曲第九番と同じように「合唱付き」というのがあることを、
遅ればせながら初めて知ったのは、今年の第九合唱団の稽古日程が送られてきたころで。
これは少々ムリしてでもぜひ習いたい歌いたいと思って速攻で参加申し込みをしたけれど。
何かの嫌がらせかと思うくらいに面白いほど稽古日程とお仕事スケジュールがフルバッティング。もう、悉く。
結局、事務局の皆さまにはメイワクこの上ない幽霊団員となった今年の『第九』公演。
唯一カラダが空いた本日が本番日。
空いたとはいえイレギュラーで師匠のお稽古をみっちりばっちりこなした後、
必殺サカサカ歩きで大江戸線に飛び乗って江戸の町をぐるり半周。
勝手知ったる本番会場、晴海トリトンスクエアのエントランスロビーに着いたときには、
プログラム前半のお子たち合唱団のお歌が始まっていて。
それでも吹き抜け2階の絶好のアングルががら空きだったので、
すばらしくよい眺めを確保して大人たちの演奏を存分に楽しんだ。
なるほどいつもお客さまにはこんな風に聴こえているのか、という気づきがあったのと。
マエストロの『第九』の味付けが、年々、着々と、進化しているなぁ、というわくわくがあったのと。
そして、『フィンランディア 合唱付き』って素晴らしい~、という歓喜が『第九』の前にすでにあったのと。
さらに、聴き終えてカフェでまったりしていたら、アルト仲間のおばさま達に見つかってしばし旧交を温めることができたのと。てことで、これからクリスマスを経て年末年始にかけてのヒイラギは。
頭の中を立ち稽古の始まった『CARMEN』でいっぱいにしながら、
ヒマさえあれば『フィンランディア』を聴き、『第九』を口ずさむことウケアイ。
ああこの人は本当に天才だ。
よくよく知られていてとても人気があって上演回数も多いオペラ、『CARMEN』
自分でも好きで大好きでいちばん好きでレコードやCDを始めから終わりまで何度も聴いたオペラ、『CARMEN』
それでも飽きるどころかそのたびに新しいドラマが聞こえてくる不思議なオペラ、『CARMEN』
死ぬまでに、一度でいいから、思いっきりの声量で胸張ってソロを歌ってみたいって夢(もしくは野望)を見させてくれるオペラ、『CARMEN』
これまではヴェルディやらプッチーニやらのイタリア物だったしイタリアの歌劇団をお手本にしなさいという指導にナルホドと思うところもあったので観たことがなかった禁断のMETオペラビューイング。
映画館のシートに4幕ぶっとおしで座りつづけるのかーってささやかにビビりつつ。
でもあっという間だった。
一度魅入られたら最後。
カルメンシータの魅力はジョルジュの魔力。
ああこの人は本当に天才だ。
有吉佐和子を初めて読んだのはちょうど半年ほど前の『和宮様御留』
さすがにすごい筆力の人だと感銘を受けながらじっくり時間をかけて読んだ。
そして次に手に取ったのがこの本。
うってかわって現代(といっても親世代)の、
だけどオートクチュールという一般人には別世界感のある業界に身を投じた若い女性の成長の物語。
想像するに。僭越ながら。
マジメな書きものをするときの言葉のリズム感とか組立ロジックのようなところに、
何か相通ずるものがあるのでは。
昭和から平成を生きる者とは一時代ズレがあって本当なら読みづらいはずだけど、
言葉遣いの端々に心地よさを感じながら一気に読んでしまった。
人より読むのが遅いヒイラギには珍しく。
新装版文庫本の巻末には森英恵さんのあとがきがついている。
現実のオートクチュール界ではあり得ない、と書かれているこの本のドラマだけれど、
現実を知る専門すら惹き込んで面白く読ませてしまう。
すごいなあ。
次はいよいよ、かの有名な『複合汚染』を読んでみようか。
気楽な読み物でリラックスしたい年末年始が過ぎてから。
なんすかね。
今日は朝からぶっつけたりこぼしたり落としたりの連続で、
われながらビョーキかと思うくらいに色々どんくさい。
こういう日は引きこもるに限る。
無理に張り切るとケガするに違いない。
傷病手当金打ち切りと失業保険受給のハザマでお金遣わないに越したことはないし。
そのくせ昨夜は豪華に飲み放題プランのNPOの忘年会にちゃっかり参加しちゃったし。
その席で恩師から「ヒイラギさんの使命は日本にもSocial Entrepreneurshipがあると海外に知らせること」とかかいかぶられちゃったし。
希望的観測ではそろそろ書き上がってて年明け早々速攻で投稿したい論文もあるし。
月末〆切の書き仕事も3本(!!!)あるし。
それにそうそう、明日はひと月ぶりのお稽古だし。
引きこもろう。
そうしよう。
やばい。
我ながら自分の料理がすべて美味しすぎて、やばい。
何をどう作ったって、美味い。
オイシイものは脂肪と糖でできているというけれど。
鍋の季節は九割方グルタミン酸だと思う。
この国に生まれて幸せだー。
マンション住まいなので。
定期的に友人でもなんでもない他人が家の中に入るのはサダメと諦めてはいるものの。
正直、決して居心地がいいわけではない。
それが。
今朝は午前9時きっかりにピンポーンとやって来て。
点検業者さん本人は恐縮がりながら申し訳なさそに来たのだが。
いくら前もって希望時間帯を連絡しなかったからといって。
何十世帯も入居していて。
いちばん下階でもいちばん上階でもなく。
フロアのなかでもどちらの端っこ世帯でもなく。
それが。
「すみません、おたくが最初なので」と言っていきなりやって来るってのも腑に落ちなくて。
朝の9時というのは。
ふつうに考えて人様のお宅を訪問するのにはちと早い時間でもあると思うし。
せめて。
おたくの点検が朝一番になりました、くらいの連絡はあってしかるべきではないかと。
まあホントに都合が悪けりゃ居留守すればいいことなのだが。
マンションがらみの“業者”のサービス精神というものにはどうにももやもやがつきものだなと。
ぶつぶつ。