ふっと、そんな言葉が浮かんだ。
本当にあるかどうか分からないけれど。
(無いような気が、すごーくするけれど。)
人間国宝であった先代家元の葬儀が行われた今日、
東京は朝からしびしびといかにも哀しげな雨が降り続いた。
予報では上がるはずだったお昼をとうに過ぎても、しびしびと降り続いた。
正面の祭壇に大きく掲げられたご遺影。
そのすぐ手前に「天皇陛下」と大書されたお供え。
来賓は悉く「地歌が着物を着て歩いているような人」と賛し、
失われた存在と次代へと受け継がれたものの大きさが、
そこに参列した皆に静かに共有された。
上方地歌筝曲の伝承者は、江戸でただ一人だった。
この空も、その大きさを分かっている――そんな気がした。
ヒイラギ的生きざまの美学とは、譬えるならば牡丹か椿。
親不孝な願望を抱いているわけではさらさらないけれど、
やたら長生きするつもりも、さらっさらない。
自分の役割だと思うことをすべてやり遂げてさえいれば、
いまここで幕が下りたとしても悔いは残ってないでしょ。
美学を貫くため、ひ弱なくせしてかなりの無茶をしてきた。
この調子であと数年も生きれば、もう十分(イヤ限界)かな、
予定寿命もすっかり過ぎてるし、と思っていた。
思っていたのだが。
オペラ仲間のKさんと、約束をしてしまった。
「Cittadino歌劇団の親しき人たちが
『100才バンザイ』に出演するのを見届けるまで
元気に、一緒に歌い続けようっ!」
――うん、そうだね~。
あ、しまった。 勢いで返事しちゃった。
冷静に考えたら、予定寿命の倍以上、生きなきゃいけないじゃん。
義理と人情のヒイラギ、人生最初で最後の“約束やぶり”になるかも知れない。
ちなみに、この約束にはオプションもついている。
Kさんの構想では、
「コアメンバーが100才台に突入するころにもやっぱり、
“マエストロ・とまちゃん”がみんなの面倒をみてくれてるよね♪」
とっくの昔に“亡き後”であろうヒイラギの遺言的構想では、
「彼はそのころまでに美しい作品をたくさんたくさん書いていて、
“日本人シェフ&作曲家・E.T.”として意外と世界に認知されている」
・・・というのなんかがよいと思うなぁ。
ま、みんなの面倒みてくれててもいいけどね。
夏季休暇の成果は何だったろうと考えてみると。
やった順番に、
1.古野さんに再会した
2.社会起業家にインタビューの約束をとりつけた
3.何年ぶりか分からないぐらいサボってたお墓参りをした
4.「小さくまとまるんじゃない。世界に名を馳せなさい」と甥っ子にゲキ飛ばした
5.喪服を調達した
6.「王監督 勇退」のスポーツ新聞を大人買いした
7.『パコ』観た
8.舞台衣装を調達した
9.伯父さんに『社会イノベーション事例集』を宣伝しといた
10.今さら『Havanaise』の歌詞を全部憶えた
11.天才的に美味なマッシュポテト作った
12.『Norma』も最初の2曲ぐらいは暗譜できてることが発覚した
13.社会イノベーションの普及モデルを思いついた
14.フランス語のナゾのわらべ歌の一節を憶えた
15.実家のインスタントコーヒーの瓶をカラにした
16.予定より長く生きる約束をした
「予定より長く生きる約束」とは?
明日へつづく!
6~7歳のころ、ほんのしばらくの間だけ暮らした祖父母の家は、
西陣の産地問屋。
祖父から伯父へ、さらに従弟へと代替わりしつつある店の、
玄関ベルを鳴らして中をのぞくと、なつかしい風景はそのまま。
そのまま腰掛けられるくらいの高さの広い上がり框と畳敷きの店先。
冬場には火鉢を囲んで、お客さんと商談する祖父の姿がそこにあった。
見回すと人影は、電話番の女の子と奥から顔を出した伯父ばかり。
絹の匂いのするダンボールの陰で一人かくれんぼ中のヒイラギを見つけては、
ここで遊んじゃダメでしょと追いかけてきた、
ナガタくんや、ハシモトくんや、シミズくん、
当時の社員さんたちの懐かしい顔は見当たらない。
通りをはさんで向かい側には、倉庫だったビルを綺麗に改装して、
従弟が店を構えている。
現代的なインテリアのサロン風の店内に、ネット通販用のパソコン。
縄跳びや‘けんけんぱ’をして遊んだ広いガレージには、
コンクリートが打たれ、洒落た敷石がしつらえられている。
「古くて懐かしい」から「古いなかにも新しさ」へ。
時が流れるということは、こういうことか。
マエストロファンの仲間から、日曜日の区民オペラ練習ルポが届いた。
今回は、雨なのにマエストロではなかったそうな。
(うん、そんな気がしたなぁ。だって、ヒイラギ休みだもん。)
『Carmen』の稽古で連続3ヶ月イケメン先生に会えなかったことを思い出す。
ウラを返せば、マエストロと出席パターンが相当似てたってことで。
稽古に顔出すたびにマエストロで、雨だったな。
区民オペラのほうの合唱指導の先生は、
優柔不断なくせに何気にイヤミな未知の原語「OSA語」を話し、
どこが悪いとも言わずに同じところばかり百万回歌わせたりする。
それでも一生懸命「OSA語」を解釈して伝えようとしてくれてるルポ。
受講生の鑑だ!
マエストロ語なら分かるけど「OSA語」は分かんないしぃ、
うまくできたって絶対褒めてくれないしぃ、
うまくできなかったらネチネチけなされるしぃ、
ヒイラギって褒められて伸びるタイプだしぃ、
けなされると即刻グレるタイプだしぃ、
そもそもその日は東京にいられないしぃ。。。
・・・なーんてことを言ってる不良生徒とは大違い。
持つべきものは、優等生の友。
9/24付けの京都新聞に「京の伝統工芸 道具危機」という記事が載った。
“京友禅や清水焼の微細な絵付けに使う筆”といった伝統工芸を支える道具たちが、入手困難になってきているという。
⇒ http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008092400046&genre=M2&area=K00
工芸だけではない。
わたしたちの生活に近い伝統文化も、このテの危機にさらされている。
やはり切実に感じるのは、和楽器や関係の小物を扱うお店が少ないこと。
三味線の糸なんて、稽古すればするほどどんどん切れる消耗品。
琴糸の張り替えも本当はもっと定期的にしたい。
日常的に必要なお店は、「近所」にお店を構えていて欲しいのに。
百歩譲ってデパートの和楽器売り場でもいいや、と思っても、
都心のデパートで唯一、和楽器売り場を残していた三越本店まで撤退してしまった。
都心在住の和楽器演奏者は、楽器屋さんと直接取引のあるプロでない限り、
通販に頼るしかなくなっている。
こんなんじゃ、伝統文化なんて廃れる一方。
人々の暮らしの中に根を下ろし息づいていてこそ、
文化が次の時代へと受け継がれ伝統となるのだと思うけれど。
中学校の音楽で和楽器演奏を必修にした意味はどこに?
リアルライフの日記にまた、
歴史になってしまったページが増えた。
シブヤでは号外が出たそうな。
幼稚園のころ、近所の球場に遊びに行った。
練習を中断してそばにやって来たのは、
「おーさだはる」という名の“やきゅうのおじちゃん”だった。
よく来たね、とヒイラギの頭をなでながらチョコレートをくれた。
一期一会。
だけど、心のどこかでずっと親しみを覚えていたスタアのひとり。
寂しいな。
ブロガー友だちのBambooさんは、バランスが崩れてきたなぁというとき、
音楽のシャワーを浴びるという。
アウトプットばかりだと、がらんどうになっちゃうから、と。
贔屓にしている指揮者の背中と息づかいとタクトの先を追っていると、
描かれている風景が、音の波間に絵巻物のように流れていく。
そういうとき、確かに、“がらんどう”が満たされていく感じがする。
なるほど、音楽って、人が生きていくのに必要なのだなぁ。
『100才バンザイ』というTV番組の録画を見る機会があった。
中にふたりだけ、せいぜい80才前後にしか見えない100才がおられた。
大阪在住のおばあちゃんは山田耕筰に師事した現役の声楽家、
生まれも育ちも神田のおじいちゃんは、
三味線を爪弾きながら艶っぽい小唄を口ずさむ。
なるほど、音楽って、人を元気で長生きさせてくれるものなんだなぁ。
ヒイラギ・ハハがつけていた母子手帳の成長記録を見ると、
3~4才の基準線からぽぉーんと離れた1才半のところに、大きな丸印があった。
「歌をおぼえる」の欄だった。
1才半からずっと、音楽は、鼓動みたいに、いつもからだの中にあったらしい。
なるほど、音楽って、少なくともヒイラギにとって生きる本能だったのかもしれない。
だから、古い音楽ほど、奥深くまで響くのだ。
そんな音楽を、ただ伝えていかなければという思いひとつで、
生涯をかけて伝承してきた先人たちがいる。
それを受け継いだわが師匠もまた、腕一本で生きてきた音楽家だ。
古からの流れを途絶えさせぬよう、自分に何ができるのだろうか。
奥深くまで響き、人の感性に染み入っていくような、
そんな音楽を今の世に新たに生み出してくれる人もいる。
大きく花開かせてあげたいと思うような豊かな才能を感じさせる若き音楽家だ。
後世に名を残してもらえるよう、自分に何かできるだろうか。
こういう人たちが音楽という宝を持ち腐らせずに済むような、
寛容で磐石な文化的土壌こそ、
これからのニッポンには必要だ。
小学校の頃、転校ばかりしていて
太陽や月や星のことを学校で教わらなかった。
テストでも「お日さまはどの方角からのぼりますか」という問いに、
テレビの主題歌を頼りに「西」と書いた前科がある。
そんなヒイラギだが、どうやらお日さまは味方してくれてるらしい。
朝から降り続いていた雨は玄関を出た瞬間に上がり、
歩いて1分の駅に着いた瞬間にふたたび降りだした。
ハハからのメールでは京都も土砂降りの雨。
"♪le soleil brille(輝く日の光)~"などと口ずさむヒイラギを乗せて
新幹線が短い2本のトンネルをくぐり終える頃に雨は上がり、
実家に着いたヒイラギがほうじ茶をすすってる頃にふたたび勢いよく降りだした。
お調子者のプチ・アマテラスは、今宵よりしばし西にとどまる。