晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・峠再生情報交換のつどい 3/17

2012-03-19 | 山・峠

2012.3.17(土)雨

 由良川から大原に流入する文化の流れは大簾(おおみす)から中津戸へ入る峠を想定していた。それは大原神社が美山の樫原から遷宮されたということからである。その間にどのようないきさつがあったか調べていないのだが、古くからのつながりがあったことだろうと推測する。しかし地形図で見る限りでは由良川と大原の最短ルートは和木ー蛇ヶ谷、下原ー蛇ヶ谷なのである。
 大原には沢山の興味深い伝説や風習があるという。民俗学的に大変興味深いところだが、わたしが知り得ているのは蛇ヶ谷の大蛇伝説、産屋そして今回聞いた鮭を食さない習慣などである。調べれば多くのことが発見させるのだろうが、実はもう手一杯なのである。大原については自然体で調べていこうというのが本音である。
 いつか大原について解明したいと思うのは、若狭に対する大唐内と由良川に対する大原が同様の立場にあるというふうに思うからである。
 今大原について調べたいことは、過去の文中に述べていることだが、引地地名があることだ。「引地のこと」の記事は随分中断しているのだが、それは進展が無いからである。引地地名は全国に無数に存在するのに、近隣には見つからない。上林で大字をなしている地名が大原の小字にあるのだ。面識のある方に尋ねたことがあるが、どこにあるか不明で、どうも山間の小字のようだ。
 もうひとつはわたしの母が尋ねたという井戸堀職人のことだ。大原神社から数キロ谷を遡ったというとだが、蛇ヶ谷なのか中津戸の谷なのか、はたまた何という姓なのか。どうでも良いようなことに思われるかもしれないが、凄い宝物が飛び出してくる玉手箱のような気もするのだ。
 今回のつどいに配付された資料に「丹波高地東部における廃村化と耕地荒廃の過程」という論文があった。対象は京丹波町和知の大成、草尾、塩瀬の三集落である。上林からは山一つ向こうという所だが、源流域ということではなく、むしろ由良川中流域の支流の地域で、国道や鉄道にも近く、廃村と言うには違和感を憶える地域である。Img_3676

大簾、草尾、塩瀬方面の山を望む。


 
北山を巡る山旅の中でいくつかの廃村を訪れているが、見過ごしているものも多く、意識しても単にノスタルジックな感傷に浸るだけのものであったが、この資料を読むに当たって、深く考えさせられるものがあった。それは自分自身が経済的、その他の不幸な事由で生まれ故郷を去らなければならなかった一家の一員であったと言うことも大きく影響している。しかもわたしも家族も離村したことが正しい判断であって、そのことが幸せであったという風に思っているから余計複雑である。
 廃村、離村と言うものがいかに不条理で不幸なことであるかと思ってきている。経済的社会的変化の犠牲、高度経済成長、工業化の人身御供となって農山村は潰されてきた。そしてその補償は何もなされていないのだ。これは人の権利の問題である。
 つどいの中で廃村大成に残された土蔵やお墓の映像があった。虐げられ見すてられた者たちの苦渋に満ちた声が聞こえるようだ。
 21日に大成、三郡山方面を訪れる山行が計画された。今まで行った廃村八丁や廃村宝尾とは違った視点で大成を見てきたい。この項おわり。

今日のじょん:昨日じょんのび村の雪が解消した。ピーク時の2月5日と比べて頂戴。雪遊びおわり~ん。P1000986 P1010295   

 

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