晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

茗荷の収穫 8/18

2008-08-19 | 日記・エッセイ・コラム

2008.8.18(月)晴

 お盆が済むと一気に涼しくなった。夜なんざ開けてると寒くて堪らない。ところが気温や湿度はそう変わらないのだ。風や日当たりの加減なんだろうか。
 さて今日から4日間の夏休み、開店以来連休は無いのでなんとなく嬉しいが、やらないかんことが多すぎてプレッシャーもある。梅干しの土用干し、草刈り草引き、椎茸の本伏せ、ネギの畝づくり、看板造り、コンポスト設置、転居お知らせ、云々カンカンときりがない。まづ梅干しの土用干し第二弾を始める。第一弾は丸4日間の土用干しで(土用ではないが)しっかり乾いた。再度壺に戻して今月末ぐらいから食べられそうだ。第二弾は瓶に漬けたもので、壺のものより少し多めなんだが、出してみると色が悪い。赤く染まっているのは上の方だけで、下のものは黄色いままだ。梅はいいものを瓶に漬けたが、川が破けているのも数個あって、漬かり具合は壺の方が良いようである。塩や紫蘇の配分などは同様なのでひょっとするとその形状が作用しているのではないか。なぜ壺はあのように中ぶくれしているのだろう、作製上の都合だけでなく、なにか漬かり具合に有効な形状なのかも知れない。とするとこれもロマンである。来年も比較実験をしてみよう。Img_0859

ガラス瓶に漬けたものは紫蘇の染まりが悪い。皮破れもあり。

 梅干しを干して草刈りに取りかかる。するとあちこちに生えている赤紫蘇が気になり始めた。来年の梅干しは赤紫蘇も自前にするため、これをすべて畑に植え替える。以前にもやってあっという間に枯れたことがある。その轍は踏まないよう、たっぷり水をやってからスコップで掘り、植えた後も何回も水をやる。それが終わるともう3時になっている。慌てて草刈りを始めるが、アジサイを植えた谷側の斜面は草を引くしかない。アジサイの周りをやっときれいにした頃、その隣の茗荷畑に目をやると、根元に白い花が咲いているではないか。まだまだと思っていた茗荷の芽が出ているのだ。花が咲いたら遅いということ、これは大変と根元を探るとあるわあるわ。この茗荷畑は野生のものだが、アジサイの世話のついでに、草を引き、水をやりして世話していたものである。栽培している茗荷より育ちが良く、葉も青々としている。こうなると栽培している畑もみてみなきゃ、てなわけで探るとひとつだけ立派な芽があった。肥料もやってるためかぷくっとして大きい。問題は谷の中に点在している野生の茗荷だ。まず周りの草を刈る必要がある。根元も草と枯れ木などで見つけられる状態ではない。下準備をして探ると、あるある。ところがここは蛇の巣である。そろそろマムシの季節も近い、軍手を革手に履き替えてごそごそ探るが、これほどスリリングな収穫もない。それだけに採れたときの喜びもひとしおで、合計十五本ほど採れた。Img_0863

今日の収穫、茗荷と万願寺

 私は茗荷が大好きで、そのために物忘れがひどいのかも知れないが、とにかく年中高い茗荷を買わされているのだ。「おーい当分茗荷は買わんでえーぞ」「生協で来たとこやデー」がっくり。

今日のじょん:はす向かいの水島さんにスイカを頂いた。夏も終盤になろうという時我が家ではまだ初物である。ましてやじょんにとっては超初物で、カリコリと上手に食べていた。犬の口の形状はトウモロコシやスイカを食べるのにうまくできているのかも知れない。あまりに上手に食べたので、大好きなのかなと思い、もう一個やると食べ残してしまった。余り好きでないのかも知れない。人間たちは大変美味しく頂いた。ごちそうさま。Img_0855 Img_0858

すいかあまいか、初物の味。

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