晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

畑口川遡行ー考察編 8/29

2020-08-29 | 上林たんけん隊

2020.8.29(土)晴れ

 畑口川出合いから清水の間で鉄滓(鋳物滓)を一個も発見できなかったのは意外だったのだが、この件に関して考察してみたい。
 2011年4月に念道橋下流上林川右岸堤防で初めての鉄滓を発見して以来、念道周辺ではいくらでも発見でき、流動滓や椀形滓、炭の断片を含むものなど様々な鉄滓が集まった。そしてそれらが清水鋳物師に由来する鋳物滓であることも解った。清水の家々に残され、盆栽の石とされているものと形状が同一であることがその理由である。上林で古代の製鉄が行われていたという夢はあえなく消え、近世の鋳物師に由来するというのは残念ではあるが、信憑性は高い。
 鉄滓集めは止めたが、今でも河原を歩いているとこぶし大の鉄滓を拾うことがある。また清水では前栽に祀られた大きな鉄滓の塊を見つけることも出来た。
 
上林川念道付近で収集した鉄滓、左上のものは忠の河原で拾ったもの。
右二枚の鉄滓は清水で見つけた鉄滓、これほど大きなものは初めてだ。
上林川中流域でこれだけ収集できるのだから、畑口川ならいくらでもあるだろうと思うのは無理も無いことである。それが一個も見つからないのはどういうことだろう。
1.中流域で見つかる鉄滓は清水鋳物師に由来するものではない。
2.鉄滓は比重が軽く、畑口川にあるものはすべて流れてしまった。
3.流れ出て、残ったものは新しい土砂に埋もれてしまった。
 などの理由が考えられる。
1.を証明できるのは、上林川の畑口川出合いより上流、もしくは畑口川清水より上流で鉄滓を発見することである。畑口川上流は今回市志まで遡行したが発見は出来なかった。上林川上流はいずれ遡行してみたいが、予想としては見つからないだろうと思っている。清水で大量の鉄滓が出たことは事実であり、形状も一致している訳だから。
2.はあり得ることと考える。中流域で発見した鉄滓は全て、川岸の高いところ、堤防の外側で発見されている。出水のたびに流れ出て、比重の軽さ故岸の高いところに留まったのではないか。また、畑口川清水から上林川までは傾斜はさほどないが、比較的直線的で蛇行が少なく、出水の際は一気に流れたと推測される。
3.28水以前の畑口川の様子を私は知らないが、どこの川でもそうであったように蛇行あり、瀬あり、淵あり、岩礁あり、砂洲ありの川で、堤防も石や土の貧弱なものであっただろう。そんなだから清水から出た鉄滓も至る所に堆積していたと思われる。明治以降の大水で少しずつ流れたとしても、大きなものや複雑な川の地形に留まる小さな鉄滓もあったと思われる。それが28水以降の河川整備で随所に堰堤が築かれ、かつての河床が埋まってしまいその下に隠れてしまったのではないか。また両岸の護岸工事で岸辺に留まっていた鉄滓もすっかりコンクリートや新しい土砂に埋まってしまったのではないか。畑口川出合いから、市野瀬まで実に同じ景色が続くのである。川床は平たんで広く、両岸はコンクリートの堤防となり、同じ大きさの砂利で埋め尽くされている。水防には完ぺきな条件だが、過去の川の面影はみじんもない。この変化のない砂利の下に清水鋳物師が残した鉄滓が眠っているような気がしてならない。

木住川出合い、典型的な畑口川の景色。
【今日の”のびちゃん”】NO.38
のびちゃん寝てばっかで体重増え気味なので海に連れて行く。いくみちゃんもいくというので若狭の海へと意気込んだが、あいにくの雨。なんで今日だけ、、といいつつおおいのロンドさんで昼食、ここは犬連れOKで嬉しい。諦めて帰ろうとしていたら三松辺りで雨が上がり、三松海岸を楽しむ。

青い海は無かったけど、雨が上がってよかったね。

コメント
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