2016.3.2(水)晴れ 初恋号7世(2)は2015.9.2
先日日曜美術館で五姓田義松(ごせだよしまつ)の再放送をやっていた。昨年秋に放送されたものだが又しても見入ってしまった。と言っても五姓田の名を知る人は少ないだろうし、わたしも知らなかった。洋画を目指す学生さん達も高橋由一(鮭や花魁で有名)こそが明治期の洋画の創成者であろうと答えていた。それほど名の知られない人物なのだが、実際には五姓田以前に本格的な洋画を描いたものはおらず、第一回内国勧業博覧会で受賞するなど技術的にも天才とうたわれた人物である。野心を持ってパリに渡欧し、日本人として始めてサロンに入選するも、印象派の台頭により不遇の生活を送ることとなる。帰国後も印象派の影響を受けた黒田清輝(湖畔は有名)などの影に隠れて名を挙げることはなかった。
なぜこんな美術の話を書くかと言えば、初恋号7世(旧4世)は丁度こんな感じの人生、いや自転車生をおくっているのだ。初恋号なんて軽い名ではなく義松号とでもしたいくらいだ。
初恋号4世は過去につくった自転車の中でも最高のパフォーマンスを持ちながら(2015.9.2参照)ライダーのわたしがレースから手を引き始めた頃であって、活躍の場がなくて倉庫でほこりをかぶること15年という有様だった。他の自転車がレースや山行、ツーリングで労苦を共にしてまさに分身の感があるのに比し、他人が遠慮しながら居候しているような感じがして心苦しい思いだった。ロードレーサーのままでは永久に乗ることはないだろうと思いきった改造をすることとした。かなり困難な部分はあっただろうけど、意を受けていただき4世のビルダー辻本さんに改造してもらうこととなった。忙しい中をいろいろと注文も付けたので半年の時間がかかったけれどようやく完成し、本日持参していただくこととなった。
辻本さんに会うのは2007年2月14日日本一周自転車旅行後半戦に旅立つ雨の日以来である。あのときに「雨の日はこれがよいで」といただいた多分奥さんの使っておられた水玉模様のシャワーキャップは旅行中大活躍し、今も捨てられないで使っている。積もる話もあるんだが、営業中とて早々に引き上げられたが、もっともっと話したいことがあった。
7世に期待することは、輪行袋を使ったツーリングだ。6世では近隣しか行けなかったのだが、これで遠くのツーリングも可能になるぞ。
フロントバッグもついてるのだ。