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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幻の仏主峠ー5 7/3

2019-07-03 | 山・峠

2019.7.3(水)曇り 仏主峠考察編ー2

 前文は峠そのものに関する記述だが、そこに行った者でないと一体何のことかわからないだろう。そこに行ったわたしでさえすぐには理解できなかった。峠道は地理院地図をよく見ると、P831mの北100mあたりまで東側を捲き、稜線を乗り越して西側をまた100m程捲いている。この乗越のところが仏主峠なのだが、わたしたちはこの地点を通っているのだ。道標も目印も峠によくある地蔵さまや祠など何も無い、捲き道状の踏み跡はあるが、それは獣道としか思えないものだった。稜線はまばらに灌木の生えた歩きやすい道で、わたしたちは仏主側に下っていく道を探しながら歩いた。

平成14年二万五千分の一 和知に載っている仏主峠

 この峠が見つからないのは、目印が無いことと歩かれていないことだが、何よりも峠のしての必然性が無いことである。この間の稜線は岩稜でもナイフエッジ状でもなく、ピークがあるわけでなくおだやかな稜線であり、わざわざ捲き道をつくる必要は無い。三埜側から仏主側へ乗り越しているから峠であるというのはいかにも作為的なものを感じる。金久氏もこの峠に違和感を感じておられる。
 この峠は奇妙な峠である。この地点は鞍部でも何でもないし、尾根の斜面の一点を稜線の右側から左側にUターンする形で移るだけの地点である。
ー途中略ー
 峠を発した道は曲り鼻から左に振って支尾根にのる。この支尾根はピーク八三一から西に派生する小さな尾根で峠道はこの尾根をジグザグに下る。

「北山の峠」金久昌業著は峠巡りのバイブルである。 
 峠も奇妙だがこの文章も奇妙である。Uターンする形で移るとはどういうことだろう。そして以下の文章で事情が判明した。金久氏が歩かれた道は峠から先は現在の地理院地図の道とは違うのだ。おそらく当時の地図も違っていただろう。P831mから西に派生する尾根はわたしも認識していた、峠道としてではなく、舗装道路への近道として覗いてみた。下れそうだが道路に出る部分が切り立っていたらまずいなと思い、例のニセ仏主峠まで戻ることになった。このP831mから西に派生する尾根こそ本来の仏主峠道なのである。それは舗装道路がジグザグに下りていく尾根で、峠道はこの舗装道路が出来た時点で破壊されたようだ。それを近畿自然歩道として指定した環境庁(当時)の気が知れない。それは明らかに近畿自然破壊道路だからである。
 金久氏が歩かれた当時はこの舗装道路はなく、「リョウブ、コナラ、カエデ類などが小さくまとまって並ぶ雑木の尾根で、道端にはハギが咲きこぼれているのも好ましい。」と書かれている。
 舗装道路のショートカット道の途中に近畿自然歩道の案内看板があったのは、おそらく峠道の名残なのかもしれない。しかしその看板の位置も内容も記憶に無い、なにせその尾根に峠道が走っていたなんて思いもしなかったのだから、、、。つづく
 
 

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幻の仏主峠ー4 6/30

2019-06-30 | 山・峠

2019.6.30(日)雨 仏主峠考察編
 今回の山行は驚いた、地理院地図に峠名まで掲載されている峠が見つからないのである。長老ヶ岳は著名な山で登山客も多い。峠も歴史的に重要な峠だし、文献も多い。そんな峠が見つからないとは一体どういうことだ。わたしは登山するとき国土地理院の2万五千分の一地図の情報だけで行く事にしている。アプローチの交通や駐車場などはしっかり情報を仕入れていくが、それ以外の情報は地図に頼っている。地図を見てどんな地形なんだろう、どんな山道なんだろうと想像するのは楽しい。そしていつも道に迷って、後戻りしたり変な谷を下ったりして、納得するのは下山後に地図と記憶をつきあわせてからのことである。もっとも上林周辺の山の情報なんて無いに等しいものであるが。
 
さて地図上の仏主峠は峠らしからぬ峠である。稜線を東から西に乗っ越した地点なのか、オマツ谷に降り始めた地点なのか、いずれにしても地蔵さんとか道標とかがあるものだ。ところが現実には何も目印になるようなものはなく、いわゆる峠地形となっている場所もない。釈然としないまま下山し、後日仏主峠の記録を探す。
 まず最初に見たのは「北山の峠(下)」金久昌業著である。この本はサブタイトルがー京都から若狭・丹後へーとあるように、北山から日本海に至る街道としての峠を網羅しており、ルートが詳しく説明してあるとともに文学的な表現で民俗や歴史なども織り交ぜた珠玉の著で、峠巡りのバイブルと言える。
 1980年の初版だから山行はそれ以前と言うことになるが、三埜(みつの)から登り、仏主に下る山行の峠の部分だけを紹介してみよう。
 仏主峠はなお二〇〇メートル程前方である。長老岳へはここから往復約一時間強の距離で、ピークを二つ程越してゆく草の円頂には、中央に岩があって北方に日本海が望見される。峠道に戻って三叉路から峠までは山腹の巻き道で、すぐ右から中ノ谷を上ってきた道が合する。右側は伐採された中ノ谷の源頭で、山波が重畳する広い視野である。山腹を上り気味に巻いていた道が急に曲って尾根の反対側に移る角のところが峠である。
 つづく

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幻の仏主峠-3 6/29

2019-06-29 | 山・峠

2019.6.29(土)

 昼食を済ませ、元の尾根道に戻る。長老ヶ岳への尾根道は傾斜も落ち、灌木の明るい道だ。イワカガミの群生が所々にあり、立派な赤松も残っている。それにしてもこのコース倒木一本も無い。昨年の大雨でそこら中の登山道が荒れている中で秀逸だ。音海の方々が継続的に整備されているのだろうか。村は四軒六名と聞いた、もちろん村用には都会に出た人も帰ってくるだろうが、これだけの登山道を整備するのは大変である。この登山道を選んでよかった、長老ヶ岳を目指す人はぜひ音海ルートを登って欲しい。
 右手にアンテナの建物を見るとすぐに頂上だ。長老ヶ岳(916.9m)は近畿北部では北山の三国岳(959m)に次ぐ高山で、上林川左岸の山々からはおなじみの山容である。いつも眺めている山に登り、いつも登っている山を眺めるのは楽しい。周囲のアンテナ群や舗装道路などの人工物を無視すれば眺望がよくて嬉しい山である。この日は天気がよくて、遠く舞鶴湾、小浜湾まで見え、青葉山の双耳峰が威張っている。丸山、三国岳、養老山から弥仙山、シデ山から小栗峠の頭、そしてその先に続く山稜がすべて望め、八年間かけて歩いてきた山々が見られるのは感激ものである。

 長老ヶ岳山頂 人工物が興ざめ

東 青葉山、三国岳、丸山、養老山等。舞鶴湾、小浜湾も望める
中 弥仙山の向こうは丹後半島の山々か仏主のガレが気になる、もしかしてアゾだったら、、
西 手前の山稜が上林との境、シデ山、小栗峠の頭、浅原の703mピーク等
  次の山稜が弥仙山から蓮が峰。
 この山頂、どこの山頂でも見られる道標が無い。仏主、音海、乙見など各方面へ下ることが出来るのであっても良さそうなんだが、、。間違いないから東に下る尾根道を行く。イワカガミの群生が次々現れて、楽しい尾根道だ。

 尾根にはイワカガミの群生が、、、。三埜の村が見える。
 やがて仏主からの舗装道路に出る。その地点が悪名高い近畿自然歩道が尾根を越える地点である。そしてご丁寧にインチキ立て看板もある。この地点が仏主峠だというのである。地理院地図では仏主峠はこの地点から500mあまり先である。

この地点は川谷川西谷のツメになる。道はありそうだが仏主峠ではない。近畿自然歩道はこの谷を下るが歴史を無視した横暴である。 
 気にもしないで尾根道を行く、P831mを越え注意しながら進む。地理院地図に峠名が載るほどの峠なのだ、仏主側へ下るはっきりした道があるはずだ、道標だってあるに違いないと思ったのが間違いだった。尾根をどんどん進みP812mに近づいてきた。こりゃあ行き過ぎだ、すぐに折り返し、もう一度目をこらして歩く。獣道はそこいら中にあるが、峠道らしきものは見当たらない。適当に下ったら下れそうだけど、それでは今回の目的に反する、あくまで峠の古道を確認することだ。P831mに戻り、諦める。仏主に下りる道も西谷に下りる道も見つけられなかった。この間道標も、目印のテープなども何も無い。結局元のニセ仏主峠に戻り、舗装道路を歩くことにする。この道路の途中に峠への取り付き道があるので、そこで確認してみようという目算だ。「こんな舗装道路を歩いて、長老ヶ岳へ登ったなんて言ってる奴の気が知れんなあ」なんて馬鹿にしていたもんだから、情けないことこの上ない。そしてすぐに膝や足が痛くなってくる。舗装道路は自動車のためのもので、決して人間のためのものでは無い。真っ直ぐ登ればすぐのところを舗装道路はうねうねと曲がりながら登るもんだから、やたらと距離が伸びる。ショートカット道が随所にあって、テープで表示してあるが結構厳しい斜面で、みんなが利用しているとは思えない。一箇所ショートカット道に近畿自然歩道の立て看がある。どういうことかわからなかったのだが、後日判明する。舗装道路が一番深く山に入り込んでいるところが
仏主峠古道の取り付きである。しかしその箇所の光景に驚いた。昨年の大雨で舗装道路は完全に崩壊し、コンクリートの下は大きくえぐれている。堆積した石の上を越え、峠道を探す。これだけ荒れれば谷筋の道などひとたまりも無い、おそらく峠道も消えて無くなっているだろう。

地理院地図の仏主峠道取り付き地点、怖ろしい水害の痕。
 目的を達せられないまま舗装道路をとぼとぼと歩く。工忠君もツアールートの開拓という意味ではこの舗装道路は使えないとがっくりきている。舗装道路は随所で崩壊しており災害の大きさを思い知らされる。途中の大カツラにはホッとさせられる。この舗装道路が出来たときにも伐採されずに残されたわけだ。やがて権現谷の出合に到着、この谷には七色の木や権現滝などがあるので是非寄って見るべし。とりあえず七色の木だけ見物する。

オマツ谷途中の大カツラ、権現谷の七色の木
合から下は復旧工事が始まっている。工事現場の傍を遠慮しいしい下っていくとオマツ谷出合いの橋に着く。つづく


 


 

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幻の仏主峠-2 6/28

2019-06-28 | 山・峠

2019.6.28(金)曇り

 仏主峠の探索ならどうして三埜から登らないの?と言うことだが、それは昨年の京都新聞の記事による。「過疎化危機 移住確保へ苦闘」という記事の中に音海の人びとが長老ヶ岳の登山道を3年がかりで整備し、案内看板を設置したというものがあったからだ。新しく整備された道なら安心して登れそうだし、整備の跡も辿ってみたかったからだ。峠から三埜への道にも少し下って見られるし、仏主側は林道までは峠道を辿れるだろうから。

2018.3.27京都新聞の記事、駐車場の案内看板が載っている。
 音海までは車で行ったが、大野ダムから府道12号線を上流に向かって二つ目のブルーの橋を渡ったところを左に入る。普通はブルーの案内標識があるのだが、そこにあるのは国道162号線の案内だけで音海への案内は小さな手作り風の看板だけである。なにか釈然としないまま谷道に入るとこれがやたら狭い、対向車が来たらどうしよう、雪が降ったらどうなるんだろうと気をもみながら進むと、ぽかっと開けて集落に出る。左手に新しく葺き替えられた茅葺きの民家が現れる。常時住んでは居なさそうだが趣のある茅葺き民家だ。集落の中をうねうねと登っていくと登山道入り口の駐車場に着く。ここは新聞に載っていた案内看板のあるところだ。草むしりをしているおばあさんに挨拶をして、山に入る旨告げる。「今朝放送しとったんやけどなあ、獣対策で猟師さんが山に入っておられるそうで入山は控えて欲しいとゆうてらしたで、、」と言われても止めるわけにいかないし、困ったことだ。流れ弾に当たる事は無くても、手負いの熊が飛び出してきたら困るなあ。とりあえず出発し川沿いに進むと右手にこれまた風情のある茅葺きの民家が現れる。杉木立の中に明るく照らされているさまは芸術写真にもなりそうだ。谷沿いの道を真っ直ぐ進むと「かえる岩」「長老ヶ岳」の看板が出てくる。右折するのだが、看板がないとわからない、登山道整備のたまものである。植林の中を進むと愛宕神社の石段が見えてくる。愛宕神社にお参りして先を進む。きれいに整えられた植林の中を登っていく。道も丁寧に作られて歩きやすいが、傾斜はかなりきつくてゆっくりペースで登る。出発から1時間、ちょっとした尾根上のところで小休止、植林の中は普通薄暗くて気分が悪いが、ここは明るくて清々しい。間伐がしっかりされているためと本日の快晴の天気のためらしい。

愛宕神社への分岐、愛宕神社登り口、急な石段、案内看板がしっかり付けられている。
 灌木の尾根に変わって傾斜も落ちてくる、かえる岩はまだかなと思いつつ登ってると、右手にそれらしい岩が見えてくる。なんてことは無い岩だが結構大きい。工忠君に乗ってもらい大きさを表してみよう。かえる岩から15分ぐらいで音海展望台の分岐に着く。このあたりイワカガミの群生があり感激する。というのは上林の山々にもかつてイワカガミが群生していたのだが、鹿の食害で近年すっかり無くなってしまったのだ。 

かえる岩、イワカガミの群生、展望台のゲート岩(展望台から)
 展望台は登山道沿いにはないので行くべきか迷うところだが、ここは是非行って見るべし。ロープの張られた急斜面を下ると、ゲートのような岩があってその先に、岩の展望台がある。地理院地図の884mピークの南南西の露岩がそれであろう。周囲の立木が切り払われ、長老ヶ岳南面の大パノラマが楽しめる。思わず昼食休憩をとることにした。つづく

展望台からは由良川沿いの村が見え、遠く丹波の山並みが望める。

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幻の仏主峠 6/25

2019-06-25 | 山・峠

2019.6.25(火)快晴

 例年なら梅雨の真っ最中なのにどういうわけかまだ梅雨入りもしていない。しかも今日は快晴、暑くもなし、寒くもなし絶好の登山日和となった。仏主峠は以前から訪れたい峠であった。大栗峠から続く京街道が上粟野から先どう辿っているか、大きな謎に挑戦してみたいからだ。大栗峠の項で既に言っているように、街道というものは時代とともに変遷するものだ。大栗峠をめぐる元々の京街道は志古田ー大栗峠ー上粟野ー仏主ー仏主峠ー三埜とめぐっていたのだろうと考えている。ところが物流が盛んになってくる近世には仏主峠は使われなくなり、上和知川沿いの道あるいは船運に替わっていったのではないかと思う。
 「峠道は、江戸期園部藩の巡見道であったが、一般の往来は少なく、上粟野から大国峠(ママ)を経て、上林谷(綾部市)への往来が多かったようである(丹波地区民俗資料調査報告書)」と角川日本地名大辞典に記されている。大栗峠と仏主峠があたかも競合する峠のように書かれた奇妙な文書ではあるが、仏主峠が近世に余り使われていなかったということは想像できる。つまり仏主峠は大栗峠の志古田道と同様の運命を辿ったのではと思うのである。歩いて越えるには最良最短の峠道だが、大量の物資を運ぶにはあまりにも険しく、標高の高い峠なのだ。上粟野から先は上和知川に沿った道、あるいは船運が主流になったのではないかと考えている。
 仏主峠を歩けば多くの事実がわかるだろう。この山行は上粟野から先の京街道を探る第一歩という大きな期待を担っていた。
 期日:2019.6.25(火)快晴
 コース:音海駐車場ー愛宕神社ーかえる岩ー音海展望台ー長老ヶ岳ー仏主峠ー仏主
 メンバー:小原英明 工忠照幸
 タイム:音海駐車場発 9:55
     愛宕神社着 10:20 尾根上672mで15分休憩
     かえる岩着 11:30
     展望台分岐 11:45
     展望台着  11:55 昼食30分 展望台発 12:25
     P884着 12:35
     長老ヶ岳着 13:00 発 13:25
     車道出合近畿遊歩道着 13:50  
     真の仏主峠探索 50分
     車道出合戻る 14:40
     権現谷出合着 15:50 七色の木見物 10分 
     仏主水車小屋着 16:10
 
音海駐車場には立派な案内看板がある。

少し行くと整備された茅葺きの家がある。幻想的な風景だ。

音海登山道は数年前に地域の人びとによって整備された。
道標もしっかりしていて、道が荒れていないのはその後も整備されているのだろうか。つづく   

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敗退 蓮ヶ峰-2 3/30

2019-03-30 | 山・峠

2019.3.30(土)雨

 念道の取り付きはじょんの散歩道でもあるので目星は付けていたのだが、近所で聞いても誰も解らないようだ。歩いて隣村へ行くことがなくなってから何十年という月日が流れている。というより現在の住民はこの峠道を使ったことがないのかもしれない。波多野さんと福井さんの間の谷に堰堤がありその手前に左の尾根にジグザグに登っていく道がある。急斜面を登っていくと、やがて尾根道となる。

左:取り付き部分、下に堰堤が見える。
中、右:広くてしっかりした道だが、倒木が激しい。 
  尾根だけに道はしっかり残っているが倒木が多い。道幅は広くて、かつて荷車が使われていたことが考えられる。峠の通行というより、肥刈りや炭焼きの荷車だろう、例の並行道も一カ所ありその感が強い。傾斜が緩くなってきて313mのピークが近づいてくる。このピークの西で地理院地図の破線は切れている。ここまでの道が割合はっきりしていたので余り気にせずにどんどん歩いて行くと、どんどん西方に降っていく。どうやら河牟奈備神社方面の尾根に入ったようだ。元来た道を戻ればいいのだが、どこを下っても井根には出られるだろうと、そのまま植林の右の谷を下っていく。獣道が続いているのだが、なにしろ倒木が多くて歩きにくいことこのうえない。谷も曲がっていて先が見えないので心細い。その上大切な冬用登山ズボンを木の枝に引っかけ破いてしまった。

左:木々の間から念道と忠をむすぶ折山峠が見える。
中:降り始めた井根側の谷、ものすごい倒木。
右:見事に破けた登山用ズボン、高かったのだ。
 やがて獣道は右の支尾根に上っていく。尾根上に上がって少し行くと、井根の峰地さんの家が見えた。予定より二尾根西の谷を歩いていたようだ。峰地さんが畑仕事をしておられたので挨拶をする。山の中から獣ならず人間が下りてきたので驚いておられた。
 村の中を日圓寺に急ぐ。日照山日圓寺は真言宗高野山派の寺院で、丹波西国三十三ヵ所三十番の札所である。引地の善福寺が二十九番なので、江戸時代の巡礼は念道からの峠道を利用したと思われる。
 
左中:本来はここへ下りてくる、峰地さんの家の横。峰地さんは元気で頑張っておられる。
右:日照山日圓寺

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敗退 蓮ヶ峰 3/26

2019-03-26 | 山・峠

2019.3.26(火)晴れ

 目的 念道~井根~日圓寺~蓮ヶ峰~念道

 建田のこんぴらさまの話を読んでいると、直訴する三人の金銭的バックアップを於与岐の素封家が行ったとある。建田(武吉、佃、忠)三町と於与岐の交流があったとは、現在の地理的状況からは想像も付かないが国土地理院地図を見ていると、念道から蓮ヶ峰の東を越えて於与岐の中心部に出る峠道が破線で示されている。丹波大絵図にも載ってなく綾部市史などにも載ってなくて何という峠道なのか解らないのだが、かつて於与岐と建田が交流があったとしたらこの峠が主要な交通路だったと思われる。いきなりこの峠道を訪ねるのもいいが、念道と井根をむすぶ古道を歩き、日圓寺日圓寺から行者道であっただろう蓮ヶ峰への道を辿ってみたいと思った。
 メンバー:小原英明、工忠照幸
 タイム :2019.3.26
      カフェじょんのび発 10:15
      313mピーク付近 10:50 5分休憩
      井根、峰地さん宅  11:50
      日圓寺       11:55 20分昼食
      観音堂       12:45 
      黒石峠に向かう林道を引き返し、睦合町三ツ口の谷 13:35 10分休憩
      観音堂に戻り日圓寺に下る 14:30
      念道に至る峠道探すも断念 15:30 
      

 


    

    

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天狗岩から堀尾峠-3 2/9

2019-02-09 | 山・峠

2019.2.9(土)曇り

 643mピークから浅原に降り始めても道は見つからない。道標も目印テープも無い、ふと脇を見たら荒れてはいるが古い峠道らしき掘り込みがある。
 峠の魅力は人の匂いである。往時の人が慈しみ手を入れてきた道、お地蔵様や小さな祠、道標や古い石垣など人の匂いもするものがとても嬉しい。

立派な峠道
 尾根道に作られた堀尾峠の道は斜面をジグザグに下っていく。倒木や馬酔木の灌木が行く手を遮る。整備前の小栗峠弓削道もこんな感じだった。それにしてもこの峠道やたらと分岐が多い。分岐と言ってもやがて合流する道で、よくあるケースなんだがとにかく数が多い。昔の人がいたずらに沢山の枝道を作ることも考えられないので、なんらかの理由があるのだろう。崩壊が多いのか、荷車の通行量が多くてすれ違いや退避の道を作ったのだろうか。道幅は小栗峠弓削道と同様の立派なものだ。
 倒木や崩壊に苦労しながら歩いて行くと、道の脇に妙な小屋跡を発見。奇妙な金属機器や蓄電池などがうち捨てられている。機器をよく見ると、「積算雪量計、昭和36年、、、」などと書かれたプレートが着いている。少し横に地面に掘られた穴があり、周囲に鉄板が張られている。どうやら気象観測の設備らしい。

観測小屋の跡、お釜のようなのが雪量計。
 やがて左下から沢音がしてくる、尾根道から谷道となるわけで谷に降り立ったところに苔に覆われた地蔵様を見つける。この地蔵様は存在を知らなかったので大発見をしたような気持ちになる。そっと苔を剥がすとそのお顔は小栗峠の地蔵様によく似て実に良い顔をしておられ、思わず両手を合わせる。何か銘は無いかと探すと背面に「志主 川北・・・」とある。この峠がかなり重要な位置を占めていたことが解る。

 以降谷道を下ることになるが、なんとも細い田んぼが段々に続いている。昔の人はここまで苦労して米を作ってきたのだろう。それにしても歩きにくいことはこの上ない。先が開けて明るくなってきたら、右の斜面が大きく崩れている。この崩れは里からも見えるもので、渡りきると川北(則)さんのお宅に飛び出た。
 五十嵐さんのお宅で発破小屋と観測小屋の件を尋ねたが、予想通りであった。今回の山行はいろんな発見があって実に楽しかった。おわり

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天狗岩から堀尾峠-2 2/6

2019-02-06 | 山・峠

2019.2.6(水)曇り

 飛び出した稜線は703mピークよりは西であることは解っている。そうすれば東に見えるのが703mピークで西に見えるのが643mピークだ。703mピークはこれだけの山だから名前が付いていそうなものと、地元の人に聞くが解らない。森林組合に行っても解らず、そこで紹介されたかつての森林組合長だった森井さんに尋ねても解らなかった。実はこの山にアス、アシの付く山名を期待していたのだ。アス、アシは岩、岩壁などを表し、浅原(あずら)の語源と考えているからだ。
 飛び出した地点からは天狗岩は見えなかった。703mピークに向かってひとつこぶを越えると途端に天狗岩が現れる。巨大なチャートの塊で赤色チャートの部分も見える。頭に松の木が生えており、天狗岩の名のとおりの山水画に出てくるような岩塊だ。永年追い求めてきた景色だけに感激もひとしお、採石跡には行けなかったが、大満足。

っと見つけた天狗岩
 天狗岩の上部のピークが703mピークと思い、たどり着いて仰天。そのすぐ東に同じくらいの高さのピークがあるではないか。地図では703mピークから先には当面ピークは無い、前回飛び出したコルがあるのみだ。麓から天狗岩を眺めたとき双耳峰になっていたことを思い出す。その東側のピークが703mピークだから、天狗岩は703mピークの西のピークにあるということになる。そんなわけで703mピークも踏んでおこうと先に進む。703mピークから引き返して堀尾峠を目指す。この間の稜線には赤色チャートがそこら中にある。上林では川や谷でよく見かけるが稜線上で見かけるのは珍しい。チャートは放散虫などのプランクトンが堆積化石化したものであるが、赤色のものは酸化鉄に起因する。

チャートは硬くて風化しにくいので山稜を形成しやすい。
この辺り伐採されて遠望だけは良くなっている。長老ヶ岳から和知の山並み、その向こうに何重にも山並みが見える。
 643mピークに近づくと尾根が広くなってきて、適当に登っていくとピークにたどり着く。昼食の残りをたいらげ道を探す。主稜線の南側に示されているが、北側を進む。峠道は次のこぶから北へ浅原に向かって下っている。養立(和知町)に下りる道は643mピークから南に下っていくのだが、確認はしていない。堀尾峠とは二つのピークから南北に下る峠なんだが、一体どこを峠と言えばいいのだろう。中間のコルを呼ぶのも変だし、二つのピークとコルを合わせて堀尾峠と呼べばいいのだろう。

北の実線は12月に登ったルート、南が今回のルート。赤丸が天狗岩。

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天狗岩から堀尾峠 2/5

2019-02-05 | 山・峠

2019.2.5(火)快晴

 前回天狗岩を目指しながらも随分北の稜線に飛び出し、天狗岩の姿の一部も見ることなく終わってしまった。読図力の無さに落胆しながらもリベンジを期して再度アタックする。正しい取り付きは解っているので、間違いなくその谷に入り、天狗岩の直下から稜線を目指すことにする。問題は天狗岩がどこにあるか知らないことだ。天狗岩で珪石の採掘を行っていたので少なくともその時には人が登っている。毎日のように通った道が踏み跡として残っているはずだ。
 2019.2.5(火)快晴
 メンバー 小原英明 工忠照幸
 タイム  五十嵐さん宅出発 10:35
      本谷分岐     10:45 右登山道へ
      発破小屋     10:55
      二股       11:00 左へ
      右岸に渡る    11:15 ミツマタ多し
      奥の二股     11:30 右へ
      最奥の二股    11:40 左へ
      稜線       12:25 12:40出発
      天狗岩のピーク  13:00
      703mピーク  13:20 13:25出発
      643mピーク  14:00 14:15出発
      川北さん宅到着  15:45  

 昨日までの雨もすっかりやみ、朝から絶好の登山日和になった。10時過ぎにじょんのびを出て浅原に向かう。五十嵐さん宅に挨拶し、車を置かせてもらう。

五十嵐さん宅から見える天狗岩。
  天狗岩取り付きの道は前回反省を活かし、第一堰堤の先を右に入る。思ったより広い道で、当時は珪石を馬車で運んだそうだ。しばらく進むと左手の樹林の中に怪しげな建物が現れる。コンクリートの小さな小屋で、屋根は無く、正面は壊れているが周囲には小さな窓がある。

怪しげな小屋 
沖縄に復帰時まで残っていたという監置所のことを思い出してドキリとしたが、まさかこの地にそのようなものがあるはずもなく、鉱山関係者の便所 かなあ、、いやいやそんなものわざわざコンクリートで作るはずも無い。よくよく考えれば鉱山で使っていた発破(ダイナマイト)の保管庫に違いない。だとすればこの道が天狗岩に向かう道だということがはっきりする。
 今回は天狗岩の採石場から703ピークを目指そうというものだ。天狗岩までは採掘の関係者が毎日通っていただろうし、年月がたっていても道が残っているはずだ。地図上には途中までしか道の破線は示されていない。それはかつて馬車が往復した道であり、天狗岩からはその道まではケーブルが張ってあったそうだ。つまりケーブルと馬車の中継場所があるはずだ。三和町川合(現福知山市)には多くの珪石鉱山跡があり、ズリ(鉱滓)やケーブルの痕跡があちこちに残っている。この谷にも痕跡が残っているだろうと目をこらして登っていくが、人工のものは何もなく、ズリらしきものも見当たらない。天狗岩は703mピークの直下にあるものとしてその部分を目指して谷を詰めていく。ところが地図上に現れない分岐が次々現れ、判断を鈍らせる。道がはっきりしている間は問題ないが、踏み跡程度になってくるとなかなか困難だ。分岐毎にタイムと記録を書いていく。後でどこを通ったか解るように。

 谷は植林の部分を除いて原生林の様相を見せ、ブナやカツラの巨木が立ち並び、近年上林で人気を集めているミツマタの群生地も見られる。谷筋のゴーロは苔に覆われ、それなりに素晴らしい景色となっている。
 天狗岩は姿を見せないまま、踏み跡は消えてしまった。水流は消え、なだらかな斜面のツメの様相となってきた。また天狗岩へは行けなかったかとがっくりくるが、一体どこへ飛び出すのだろうかと期待感が沸いてくる。
つづく

 

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天狗岩から大栗峠-3 1/19

2019-01-19 | 山・峠

2019.1.19(土)晴れ

 見知ったところに出るとなんと心安まるのだろう。それだけ知らないところ、人の歩いた気配の無いところは不安なものである。例えば目印のビニルテープだけでもホッとするのは人恋しさということだろうか。
 小栗峠の頭から小栗峠はすぐのところである。何度も訪れたが雪の小栗峠は初めてだ。雪の中でお地蔵さんも寒そうだ。昼でお腹も空いているのだが、風の無いところまで歩こうと言うことになった。

お地蔵さんも寒そうだぜ
 志古田に下りる志古田道は小栗峠最古の道と考える。峠道としては最もオーソドックスな形態で、上林と和知をむすぶ峠道としては最短の道である。但し谷から尾根に上がるところが大規模な土砂崩れで通行が困難になっている。昔ならすぐに修理されたのだろうが、用の無い現在ではほったらかしである。実はこのコース7年前に歩いたのみで今回で2回目である。

徒渉点遠望、左に上がるかすかな踏み跡が解るだろうか、志古田道の正規ルートである。
近づくと右のようになるが、人が歩かないとこうなるのかと思う。
 峠から尾根を下りすぐのところを隣の尾根に渡るものと考えていたが、かなり下ってから渡るものだった。記憶というのは頼りないものだ。雪のせいもあるが誰も歩かないものだから道も途切れ途切れになっている。徒渉点から崩壊地までの部分はこのコースで唯一広葉樹の気持ちの良い道である。崩壊地の手前で遅い昼食をとる。崩壊地は7年前のままだ。どうしてでも降りられるが、最も安全なルートをこしらえておきたい。
 結局崩階部分の真ん中をトラバースして、大岩の上の谷に降りるルートがよさそうだ。
  
左:雪と樹林の間をトラバースしてゆく。
中:大岩の左の小谷を下りてくる。
右:元々の道、危険きわまりない。
 大岩から先は植林の中をうねうねと歩くのだが、倒木や小枝の堆積で歩きにくい。7年前には残っていた小橋も朽ち果てたようだ。面白くも無い植林の道を昔は気持ちの良い道だっただろうなと想像しながら歩いて行く。

昭和50年代に整備された際の道標が残っている。
 やがて志古田の山の神に出てきて、志古田の村も見えてきた。佐々木さんのお宅でおやつをいただき、車で送ってもらって今回の山行も無事に終わった。心残りは天狗岩である。近いうちにリベンジすることにしよう。おわり
 

 

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天狗岩から大栗峠-2 1/16

2019-01-16 | 山・峠

2019.1.16(水)雨、曇り
 実は今回の山行は失敗だった。ミスコースのため天狗岩も見ていないし、703mピークにも登っていない。浅原谷本谷に入って一つ目の堰堤の先を右に入るべしを見落として二つ目の堰堤の先を右に入ったようだ。天狗岩へ向かうべき本来の道は一応見つけていたのだが、それは余りに細くしっかりした二股ではなかったように思えたのだ。その道をやり過ごし、次の二股は実に立派な二股で道も左右に広い道が続いている。疑うことも無くその道を選んでしまった。その上本来の道にある次の二股が間違った道にも存在して、すっかり信じてしまった。そして右岸に大岩が現れて、それが烏帽子岩かと思ってしまった。
 
 いきなり大岩が現れたが、天狗岩でも烏帽子岩でもなかった。
 浅原の温井さんに「天狗岩の下に烏帽子岩というのがあるんやで」と聴いていたのだ。しかしそれから先、道はだんだん怪しくなり、踏み跡やら獣道やら解らなくなってくる。それに左右の植林がいつまでも続いているのだ。703mピークを下から見る限り、植林は途中までで天狗岩付近は灌木帯になっていそうなのだ。こりゃあルートを間違ったぞという思いと、それでもひょっこり天狗岩が現れないかと期待しながら登っていく。もう道は無くなり植林の斜面を無理やり登っていく。意外と簡単に稜線に飛び出す。ところがここが果たして主稜線なのか、支尾根の稜線なのか解らない。時間的には早すぎると思いつつ地図とコンパスを出し、周囲を見渡してみる。支尾根なら周囲は山ばかりだが、南面は開けている。北面は弥仙山がはっきり見えるので上林の谷に間違いないが、南面はどうやら和知の谷のようだ。上林側は風が無かったのだが、稜線に飛び出した途端風が強くて寒くなってきた。天気予報では日本海に低気圧が入って南風が強いと言っていた。やはりここは主稜線だ。すると703mピークはどこに行ったのだ。稜線の背後に盛り上がる山陰が見える。703mピークから北へ100mほど下った稜線上に飛び出したようだ。本谷から703mピークの右側の谷を詰めるつもりが左の谷に入っていたのだ。あらためて地形図を見ると703mピーク付近は広葉樹で、飛び出した辺りは針葉樹になっている。読図力の無さに気づくとともに、読図の勉強や歩測の訓練などやるべきだなあと反省する。

左に弥仙山、右に長老山、見かけなくなった赤松が多く生えている。
 主稜線は10cm程の雪だが実に気持ちの良いルートだ。小さなピークがつづくが真っ直ぐ越えていけば良い。

振り返った703mピーク
 ところどころテープを巻いてきたが、他の目印は見当たらない。右に長老山、左に弥仙山を眺めつつ正面の大栗峠の頭目指して歩く。そしてやっと人の足跡を見つけたと思ったら大栗峠の頭(681m)に到着。

大栗峠の頭(大栗山)雪が降って以来登山者がいるということだ。つづく

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天狗岩から大栗峠-1 1/15

2019-01-15 | 山・峠

2019.1.15(火)曇り

 天狗岩は浅原(あずら・綾部市睦合町)の奥にある大岩で、かつて珪石鉱山があったのだが「日本地方鉱床誌」には記載されていない。地元の五十嵐さんに当時の様子を聞いた聞いたところによるとかなりの規模の鉱山と思えるのだが。「上林風土記」の写真集に桜井さんの撮影された浅原鉱山の様子が載っている。丹波地方の鉱山に興味を持っていたので是非とも訪ねてみたいと思っていたのは5,6年前のことである。今は鉱山としてなく、”あずら”という変わった地名の語源としてこの天狗岩を見てみたいという願望ばかりである。熊が寝静まったこの季節が絶好のチャンスとばかりに工忠くんとでかける。大栗峠に向かう稜線は上林トレイル計画のルートの一部でもあるし、工忠君に志古田ルートも見せてみたいという思いもある。
 山行 2019.1.15(火)曇り
 メンバー 小原英明、工忠照幸

  9:35 五十嵐さん宅出発
  9:54 二股
 10:05 大岩
 10:30 奥の二股
 11:10 稜線着      11:20 出発
 11:30 小ピーク
 12:00 稜線上で休憩   12:10 出発
 12:25 大栗峠の頭(大栗山)
 12:25 大栗峠 5分休憩後志古田道へ
 12:55 徒渉点
 13:05 崩壊部分手前で昼食 13:25出発
 13:45 崩壊部分下の大岩
 14:35 志古田佐々木さん宅


天狗岩は703mピークの北面にある。681mピークが大栗峠の頭
その南東が大栗峠で北に延びる破線が志古田道。

今回の山行は地下足袋を止め、登山靴にした。だってこの雪だもんよ。つづく  

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幻の改心の道ー3 12/28

2018-12-28 | 山・峠

2018.12.28(金)雪

 遊里からの道は簡単明瞭と高をくくっていた。地理院地図にも途中までルートが示されており、修験道として使わなくても、遊里以奥や田辺(舞鶴)方面からは光明寺にお参りする最も近い道として利用されたはずである。
 室谷神社の立派な鳥居をくぐり、真っ直ぐ進む。参道として使われたと仮定すればお地蔵様や道標などあっても良さそうと注意して歩くが一向に現れない。林道の脇に一宇の祠をみるがどの村にもある山の神などのものだろう。

 二つに分かれた林道の古い方、右側を進む。やがて堰堤に阻まれ、ドキリとする。左手を見上げると先ほどの林道が見え、斜面をよじ登る。林道は右岸を走っているが、登山道は左岸の谷を上っている様なので、見落とさないように歩いて行く。やがて二つ目の堰堤が現れ、やがて林道が山道となる。そのあたりで左岸の谷に道らしきものを見つけ登ることとする。やがて道らしきものは途絶え、谷は通行不能となる。いまさら戻る気にはならず、右手の尾根を無理やり登っていく。どこをどう登っても林道に突き当たるはずと気楽に登っていたが、いくら登っても林道が見えてこない。辺りは薄暗くなるし心細くなってくる。とんでもないところに迷い込んだんじゃないかと不安になってくる。現実にはたいした距離も時間も歩いていないのだろう、林道はいきなり目前に現れた。斜面の傾斜がきつかったと言うことだろうか。林道を歩きながら位置を確認するのだが、左に小ピークや睦志の集落の望めるところが出てきたので、本ルートより光明寺よりのところに出てきたのではなかろうか。しかし本当のところはよくわからない、今後調査をしてみたい。

君尾山林道から南方、この辺り雲海で人気のスポット
改心の道終点、石段は省略
 光明寺の石段は省略して、改修のすんだ二王門を見学する。改修中の見学会はすべて参加したのだが、その際に「このベンガラが塗り替えられたらさぞかしきれいだろうな」と思っていた。そして今その新しいベンガラの二王門を観て、予想通りであった。

改修なった二王門、参道から大タワ方面が望める。
 二王門からはあやべ温泉に向かう旧参道を下っていくのだが、道すがら多くの地蔵様や板碑を見る。ところが弥仙山から光明寺の間、つまり改心の道にはそういったものが一つも見つからない。改心の道は本当に修験道の道だったのだろうか。おわり

【今日のじょん】今年の初雪はいきなりの大雪となった。昔は喜んだ雪も今ではうっとうしそう。とにかくオシッコも大変なのだ。

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幻の改心の道ー2 12/26

2018-12-26 | 山・峠

2018.12.26(水)曇り
改心の道光明寺ルート、君尾山林道に出る部分は不明、調査中。
 日置谷から稜線の分岐までは慣れた道なので問題は無いが、足下は不安であった。夏から地下足袋での山行を続けてきたのだが、今回は高いところに雪も見え、昨日までの雨で地面もぬかるんでいる。

稜線の分岐で食事をとりいよいよ未知の世界に入り込む。490mピークまではジグザグに掘られた道跡らしきものが続いている。ただ灌木も生えているし、倒木や枯れ木が通行を妨げ、ところどころ道を見失う。永年人が歩いた形跡は無い。思ったより簡単に490mピークに着いた。北に向かう尾根は木住谷に下りてしまうので、東南に向かう尾根を下る。

490mピークは広くて気持ちいい。工忠君の指さし方向に進む。

 道はあるようでないようで心許ない。忠実に尾根を辿るのが最善かと思うが、本道なのか獣道なのか解らない。それでも照葉樹林の尾根道は気持ちよく、木々が葉を落としているこの時期は城山や瀬尾谷方面が望まれて安心である。

灌木の尾根は気持ちがいい。
 途中鹿の群れに出遭う。鹿の糞が多くなってきたと思ったら419,2mのピークに着く。このピークには三角点があるはずだが見つからなかった。おそらく槍ヶ嶽(やりがずく)と呼ばれるのがこのピークだと思う。このピークも北に向かう尾根と東に向かう尾根が出ている。どちらに行くか迷うところだが、遊里の村に向かうのなら東の尾根だと決めつけて下りはじめる。するとだ、小枝に赤のビニールテープを発見、このルートで初めて見る、人の気配だ。テープは新しく、巻き方から見ると登山者のような気がする。間隔は開いているがこの赤テープはいくつか着けてあった。道は怪しいけどきっと改心の道を辿っていると確信する。高度が下がるにつれて植林が多くなり、倒木が道をふさいでいる。

高度が下がると植林が増え、倒木も現れる。
 この部分を改修するのは相当苦労するだろう。赤テープが見当たらなくなったと思えば、今度は鉈で灌木が切られているところが出てきた。切り目はテープ同様新しそうだ。右手にチラチラ見えていた中上林の風景が見られなくなり、周囲は山ばかりになってきた。尾根が東から東北に向きを変えたためらしい。赤テープが見当たらなくなったと思いきや、黄色のテープが出てきた。巻き方が同じなので赤テープが無くなって黄テープに換えたのだろうか。やがて小さなピークに着いた。275mのピークだ。その後道とも判断の付かない斜面を無理やり下っていくと、孟宗竹の林となる。

275mのピークと遊里木住谷のお堂、ここが改心の道起点らしい。 
 人里が近いことを表しているが、はたして下方に建物が見えた。「あれがお堂だったらルートはあってるぞ」とつぶやいて下っていったら、まさしくお堂だった。お堂の下はすぐに木住谷の林道で、遊里の集落はすぐのところだった。つづく
 

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