古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『新世界』交響曲に感動しました。

2015年01月11日 04時00分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 兵庫芸文センターに音楽を聴きに出掛けました。緑ヶ丘駅近くに車を置いて電車で行くと、家から芸文センターまで120分です。
 《兵庫芸文センター管弦楽団》の定期演奏会に毎月行ってた2011年は「家から80分で行ける」と車で行けることを喜んでいました。5年前です。しかしもう車で行く気にはなりません。
                       
 久しぶりの大ホール。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲/ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』をたのしみました。どうしてこの音楽会に行く気になったか。

○ 川久保賜紀のヴァイオリンを聴きたかった。
 2008年にBSジャパンで放送されたドキュメンタリー『バイオリンの聖地・クレモナへ』という番組を見て、川久保賜紀のヴァイオリンを生(なま)で聴きたいと思いました。チャイコフスキー・国際コンクール最高位(1位なしの2位)の彼女はストラディヴァリウスを10年使ってその音が忘れられず、聖地・クレモナに行きます。そこで日本人のヴァイオリン製作者・菊田浩さんと出会い、彼の求めにこたえて聴衆一人だけの演奏会を行います。
 レストランでもホールでも、求める音のために、「ためらわず、臆せず、ヴァイオリンを引く」若い女性に感動したのです。
 生で聴けて、今生のいい思い出に1ページを加えることができました。

○ 兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)の、「若い、音楽と真摯に向きあう」演奏を、また聴いてみたくなった。
 年間9回のPACの定期演奏会に2年通って、期待はずれだったことは一度もありません。堪能しました。でも2年離れていたので、またあの演奏を聴きたくなったのです。『新世界より』は立派な演奏でした。心に響きました。こんなに真摯にこの曲と向きあうオーケストラを聴けた聴衆はしあわせでした。客演指揮者もしあわせだったでしょう。
 何度も拍手で呼び戻され、アンコールで小品を演奏しましたが、あれはいらなかった。「新世界」の残響をこころにとどめたまま帰路につくほうがよかったです。

 次は3月、バッハ・コレギウム・ジャパンの『音楽の捧げもの』で芸文センター(小ホール)に行きます。いまからたのしみです。
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「みんな長生きだわいな」時代を考える

2015年01月10日 04時53分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 数年前、郷里の山陰に暮らす友だちと電話で会話したときです。彼のお母さんの消息をきき、恩師や友だちの消息をきき、「みんなそれなりに、結構元気に暮らしとるなー」と共感し合いました。そのとき彼の言った言葉がふっと頭をよぎることがあります。
「みんな、なかなか死なんぜ。長生きだわいな」
 ほんと、そうです。相当な長寿時代に突入しています。でもその当事者であるぼくらにその自覚があるだろうか。自分の未来図を描いているだろうか。漫然と生きて、後期高齢者になって、「ところで、さて、と……」考えようとして、「このあたりまでしか未来図を描いてなかったなー」と思いあたります。
 一行で片付けられないことなので、今年のテーマにします。
 母・妙子さんはきのうから一週間ショートステイに。母が在宅のときは2時間以上は家を空けないようにしているので、ステイ先に預けて施設を出るとホッとします。まず図書館に本を返してまた数冊借り、ホームセンターで「とんど」の買い物をして、コメダ珈琲店で昼食をとり、スーパーで「とんど」用のお酒とおつまみを買い、夕方はグリンピアの「杜の湯」温泉に入りに行きました。冬はここの温泉がいい。体の芯があったまります。
 こんな 《「ホッ!」とタイム》 を一時間もとれなかった、べったり全面介護の時代は大変だったでしょう。きのうみたいにのんびりできる日を振り返るときは、そんな苦労をされた方々を思います。
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「長生きして何をするか」という命題と向き合う。

2015年01月09日 03時31分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 念願だった「田舎暮らし」も9年目に差し掛かると、「この次はえーと ……」と思ったりします。「77歳という年齢になったら何をしようと思って生きてきたか」ときかれると困ってしまう。

 母・妙子さんは、遺書のつもりで『でんでん虫の歌』という雑文集を2000年に出しました。米寿を祝ってから逝った夫のあとを追うように、86歳くらいで人生を店じまいするつもりだったのかもしれません。ところがそれから16年。「あまり丈夫でないと思っていた」自分が、あれよあれよという間に100歳を超えてしまいました。介護認定のためにお医者さんに診てもらったら、血液検査をしてもレントゲンを撮ってもわるいところがない。足腰の筋力が落ちていくらかケアが必要ですが、自分で歩けるし食べられるし、トイレにも行ける。と本人は思っています。
 でも本を読むのは卒業しました。図書館で借りた「大型活字本」数冊をいつも手元に置いていましたが、今年は見向きもしません。ショートステイのとき退屈しのぎに持っていってたDVDも何十回と見て見飽きました。いまは「100歳祝い」に子らが贈ったテレビを見るともなく見たり、新聞を繰ったり、もらった年賀状を何度も何度も見返したりして時間を過ごしています。

 で、喜寿の息子はその姿から何を学ぶのか。未知の「老い」の領域です。簡単に見通しを立てたり、定義することはできない気がします。「老いて生きる」って思ったよりしたたかなことかもしれない。「母という教科書を見て学べ」と言われてるのかもしれない。
 いまは「早く春が来て、あったかくなって、また畑仕事ができるようになればいいな」と思っています。
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『田舎暮らし』って何だろう。

2015年01月08日 03時52分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 三木の田舎に移り住んで9回目のお正月を迎えました。この冬はとても寒いし、雨も降るし、家でゴロゴロしています。どきどき「ブログ書こうかな」と思ったり、電動ウオーカーで歩いたり、テレビ見たり、本を「読みかけ」たりです。「読みかけ」と書いたのは文字通りで、「ちょっとだけ読んでおもしろくなかったらやめる」からです。
 『田舎暮らし』という雑誌が出たり、テレビでそんな題名の番組をやってます。自分でも「オレは『田舎暮らし』に憧れて、ここに家を建てて、移り住んでいる」と思ってきました。でも生きておれば、街であろうと田舎であろうと、とにかくどこかで暮らしておるわけで、わざわざ「田舎暮らし」と命名して、特別扱いすることではありません。
 では人が「田舎暮らし」というとき、どんな「何か」が込められているのか。
 イメージは人によってちがうでしょうが、ぼくが「この地に住んで、田舎暮らしはこんなところがいい」というエレメントを並べてみます。
 
○ まわりの自然 …… 眺めたり散歩したり。
○ 広々とした菜園 …… 思い切りいろんな野菜をつくれる。
○ 竹藪だった裏山 …… 里山は荒れており、放置竹藪も全国的に問題になっています。でも裏山にあると、借りて竹を伐り、木を植えたり、林間でBBQをしたり、ささやかな冒険心も刺激され、街では体験できない時間がもてます。
○ 人のつながり …… 老人会を足場に付き合いの場があり、交流を深められる。祠など祈りの場が大切にされ、心に奥行きができる。

 いざリストアップしようと思ったらあまり思いつきません。かたちにならない「何か」が田舎暮らしのいいところですかね。
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年賀状を「生きてますよ」という年に一度の挨拶状にしています。

2015年01月05日 03時35分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 届いた賀状を見ていたら「……おかげさまで古希を超えました。 誠に勝手ながら、本年をもちまして、お年賀のご挨拶を失礼させていただきたく存じます。 長年にわたるご厚情に感謝いたしますと共に……」という一枚がありました。
 「古希=70歳で賀状をとめる」か。
 元気な人なのにどういう心境なんだろう。

 母・妙子さんは今年も20枚の賀状を出しました。かつての文学同人誌仲間と身内の子や孫に。名前だけ書き添えて。「101歳になってまだ生きてるよ」という『この世の在籍証明書』みたいなものです。
 そんなもの出して意味があるか。でも《 生きる = 分かち合う 》ことだと思えば、少しでも人の心に自分の存在感を残したい。せっかくこの世で出会う機会のあった人だから、生きてる限り年に一度は挨拶をしたい。そんな気持ちが働いているのでしょう。

 ずっと昔同級生だった方からは「《ななつ星》に乗車しました」(うらやましい)、職場の同僚だった方の「今年は陶芸の個展と世界一周クルーズにチャレンジします」(お主やるな)、あるいは還暦過ぎの方の「母の介護、夫の看護と忙しい一年に、またまた、なりそうです」(掛ける言葉が見あたらず、黙って応援するしかありません)、「去年は三途の川の途中でこの世に引き返しました」という学生時代の親友(よかったよかった)、同い年のかつての同僚の「去年はスペインのカミーノ(巡礼の道800キロ)の4分の1を夫婦で歩いてきました」(智力・体力・チャレンジ力が素晴らしい)。などなど。
 ひとり一人を思い浮かべながらしばらくは届いた賀状を見かえしています。
 ぼくは喜寿を迎えましたが、まだ年賀状をとめる心境にはなりません。多分「この世に在籍する限り出す」派になるでしょう。
 人それぞれです。金子みすずの詩にありましたね。
「みんなちがってみんないい」
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「寒い寒い!」と閉じこもっています。

2015年01月04日 03時19分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 机の向こうは山です。雪の降った朝の写真です。ここに引っ越したとき、机に向かったら窓から裏山のこんな景色が見られて感激したのを覚えています。絵はがきのような景色でなく「なんでもない素朴な自然」は見飽きないものだと、ここに暮らしてみてわかりました。田舎志向のいちばん底にあるねがいは、そんな「なんでもない素朴な自然」にかこまれることかもしれません。
                       
 畑にも裏山にも小屋にも行かず、「寒い寒い!」といいながらコタツにあたってテレビを見たり本を読んだりしています。福地池一周の散歩と電動ウオーカーで30分歩いただけです。もうちょっと暖かくなるまで「喜寿の老人」らしく家に閉じこもります。
 そうそう、スズメバチの巣について、本にこんなことが書いてありました。
「スズメバチは一度つくった巣には二度と棲まない。スズメバチに新しく巣をつくらせないためには空になった巣をそのままにしておくのがよい」そうです。去年の巣は目の前にうちの畑がありました。無農薬だし青虫などがいっぱいいました。考えてみるとスズメバチにとってはこの上ない物件です。あの巣をとってしまったらあの土管の奥にまた巣をつくるかもしれません。そのままにしておきます。
 スズメバチを締め出そうという魂胆ではありません。たくさん青虫をとってくれるスズメバチさんは歓迎なんですが、目の前に巣をつくられると気になります。山には巣に適した物件がいくらでもあるので、もう少し離れたところにつくってください。
 一昨年は道子さんがペットボトルで蛾のトラップをつくり、10個ほど畑にぶら下げました。中にストチュー(酢・糖蜜・焼酎)を入れて臭いで惹きつけるトラップです。ところが蛾よりスズメバチがいっぱいかかり、スズメバチの瓶詰めができてしまいました。で、大活躍のスズメバチさんにご迷惑がかかるので去年はトラップをやめました。
 去年は胡麻にクロメンガタスズメ(蛾)の幼虫がほとんど見られませんでした。10センチにもなる色鮮やかな幼虫です。小芋の葉に卵を生むセスジスズメ(蛾)も10センチになる黒い幼虫ですが、これも大きな幼虫はほとんど見られませんでした。おそらく卵からかえり、2センチくらいになった幼虫をせっせと食べてもらったのでしょう。
 スズメバチさん、今年もよろしくお願いします。
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明けましておめでとうございます

2015年01月02日 00時30分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 天気予報では「曇り・雪」とあったので「初日の出」を拝むのは無理だと思っていました。しかし朝起きてみると東の空が晴れており、我が家のウッドデッキから初日の出を拝むことができました。ありがたいことです。
 午後は風が強くて寒かったのですが、村の神社だけでも初詣でしようと車で出掛けました。鎮守の八幡神社にお参りしてから「大将軍神社」にまわりました。人っ子一人いませんでしたが、「今年も毎月お参りに来ますのでよろしく」とあいさつしてきました。

 この大将軍神社の「お参りの日」は毎月16日です。ただし田植えで忙しい6月と稲刈りの10月は「お参りの日」がありません。
 近年、各村の鎮守さまの秋祭りなどは、土・日曜日にずらすことが多くなりました。しかしこの大将軍神社は16日のお参りの日を動かしません。不動です。写真のように鳥居も社殿も手づくり感があり、素朴なたたずまいです。うちの村の人々が代々神社のお参りの日を守ってきました。神社当番にあたると、勤めのある人は休みをとり、お餅をついて準備をします。

 20軒あまりの村の人たちが、秀吉の三木城攻めから400年を超えてこの神社を守ってきました。「16日のお参りの日」を守ってきました。その間には、雨の降らない年もあり、大雨に田んぼが流される年もあり、冷害の年もあり、戦争に村の男衆が狩り出されたときもあったでしょう。しかしいまもお参りの日はつづいています。
 そんな国のそんな田舎で暮らしていることがうれしい。 
 この村のすべてに「今年もよろしく」と声をかけてあいさつしたい気持ちです。
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