大村先生は、母校旭川東高の生物学を教える教師である。先生が逍遥歌の作詞者であることはつい最近まで知らずに過ごしてきた。入学当時(昭和32年)、校歌、応援歌、逍遥歌の歌唱指導があったことは記憶に有るが、先生在校中にも拘わらず、作詩者の紹介も無かったように思われる。
昭和初期、富山詩壇では知る人ぞ知る詩誌の主宰者として、或いは詩人であった彼がなぜ生徒への紹介さえなされなかったのかという謎(大半の同窓生、同期生はその事実を知らずに過ごしてきたものと思われる)、そして筆を断ちなにゆえ北海道まで来られたのかの謎、そして昭和35年我々卒業時に退官すると同時に妻(彼女も大原菊子のペンネームで同人、先生と同じく高等師範卆。)とも離婚した謎など、知らないとはいえ彼にまつわる謎の多さに気付き、調べてみようという想いに至ったような訳である。彼の一生に光を当てることにより、世の人々にもっと知って頂きたいという想いが調べる発端となった。
摂津国の怪人
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