石狩灯台
2005年03月14日 | 歌
自宅から30分で石狩市「はまなすの丘公園」へ着きます。
ここは春から秋まで色々な草花が咲き乱れます。
でも、広すぎて、なにもない、ほんとうになにもない公園です。
1957年3月下旬、白一色だった灯台がカラフルに変身した。
灯台といえば白一色か、白と黒のしま模様と決まっていた。
しかし、「喜びも悲しみも幾年月」はカラー映画のはしりの作品なので、色彩効果
を出すため、映画会社の要請で塗り替えられた。
赤白模様は目に付きやすい。
以後、積雪地の他の灯台でも採用されたとのこと。
石狩はなにもない町であったが、石狩灯台は一躍有名になったのである。
映画撮影後、65年に無人化されたが、灯台は「沖行く船」ばかりでなく、石狩の
人びとの心に今も光を送り続けている。
春空に
燈台守の声聞こゆ
この写真は昨年の晩秋に撮りました。
いま、まだまだ、すっぽり雪野原でしょうね。
「はまなすの丘公園」に草花が咲き乱れるまで、あと二月はかかりそうです。
向こうのほうに、石狩灯台とビジターセンターが見えるでしょう。
ビジターセンターには「はまなすの丘公園」に咲く草花の写真や、「喜びも悲しみも..」
のスチール写真を展示してあります。
石狩町民の方々が全面的に協力したことをうかがい知れます。
高峰秀子の美しい若いときの姿を見ることができます。
そういえば、歌人俵万智さんの詠んだ歌が飾ってありました。
ここからは海となりゆく石狩の
河口に立てば、立てば天啓
ここは春から秋まで色々な草花が咲き乱れます。
でも、広すぎて、なにもない、ほんとうになにもない公園です。
1957年3月下旬、白一色だった灯台がカラフルに変身した。
灯台といえば白一色か、白と黒のしま模様と決まっていた。
しかし、「喜びも悲しみも幾年月」はカラー映画のはしりの作品なので、色彩効果
を出すため、映画会社の要請で塗り替えられた。
赤白模様は目に付きやすい。
以後、積雪地の他の灯台でも採用されたとのこと。
石狩はなにもない町であったが、石狩灯台は一躍有名になったのである。
映画撮影後、65年に無人化されたが、灯台は「沖行く船」ばかりでなく、石狩の
人びとの心に今も光を送り続けている。
春空に
燈台守の声聞こゆ
この写真は昨年の晩秋に撮りました。
いま、まだまだ、すっぽり雪野原でしょうね。
「はまなすの丘公園」に草花が咲き乱れるまで、あと二月はかかりそうです。
向こうのほうに、石狩灯台とビジターセンターが見えるでしょう。
ビジターセンターには「はまなすの丘公園」に咲く草花の写真や、「喜びも悲しみも..」
のスチール写真を展示してあります。
石狩町民の方々が全面的に協力したことをうかがい知れます。
高峰秀子の美しい若いときの姿を見ることができます。
そういえば、歌人俵万智さんの詠んだ歌が飾ってありました。
ここからは海となりゆく石狩の
河口に立てば、立てば天啓
忙しいから、パソコンから離れろと息子が言うのとりあえず。当て字は誤解を生むといけないので注意します。では、又。
フキノトウをスーパーのビニール袋にいっぱい採って、君の家に持っていったことがあるね。
多分、あきれていたと思うが、懐かしい記憶だ。
その夜はフキノトウの天ぷら。
おいしくて、たべすぎて、そして参ったね。
>蕗の塔には、ふきじじい。ふきしゅうとめ、の意味・・
それは知らなかった。
あと何日かして、ふきのとうと一緒に写真も撮ってくるので、そのとき君の俳句と一緒に掲載させてもらうよ。
残雪を、乱せる足跡、山菜{やまな}とり。
蕗の塔、笑みに転げる、放被り。
てんぷらが美味で頬張り過ぎた、春の宵、香りが今も、そしてほろ苦さ。
食いすぎて、お腹流離う、蕗の塔。
蕗の塔には、ふきじじい。ふきしゅうとめ、の意味もあるとか。
世の夜きて、互いに見える、ふきじじい。
ハヨ探せ、屯田庭の、ふきのとう。
やちぶきの、巡れる流れ、透き通り。
ご馳走様でした。{美}殿。
若山彰の歌ですね。公園の入り口に歌碑がたっております。
迫力あるいい歌だと思います。
万智さんの歌は雄大ですね。
石狩川の河口はとても広くてゆったりしています。
まさに、歌の情景がそのまま雄大な情景につながります。
>石狩の人びとの心に今も光を送り続けている・・・
この言葉は石狩市のウエブサイトに書いてありました。
「はまなすの丘公園」をとても大事にしている、石狩市民の気持ちが表れていると思いました。
6月になると、はまなすや浜昼顔などの草花が咲いてきます。
ただ、風が強いので地べたを這うようにして、成長していきます。
公園が広すぎるので、咲き乱れるというような風景にはなりませんが。
俵万智さんの話のあとに女性の後姿でしたので、
歌を詠んだ万智さんがたたずんでいるように錯覚しましたが、これは「美」様ですね。
万智さんの歌は、やはりルフラン部分が巧妙ですね。そして「天啓」という語の突然の使用で度肝を抜く当たりはやはり只者ではありませんね。
石狩灯台に関する映画祭制作の話は今回もはじめて聞く話となりました。
あの有名な若山彰でしたっけ?の歌を題材にしての映画だったのでしょうね。
それのロケ地がここだったとは。
そしてそれを機会に色の塗り替えを行ったとは。
いまでは塗装することは大変な出費を伴いますが
こういうことを映画会社は承知していたのかどうか、経費をどちらが持ったのか素朴な疑問が浮かびますね。
小生はラジオからもたらされる音には反応しているのですが、映画など画にはどうも感度が鈍かったようです。
>石狩の人びとの心に今も光を送り続けている・・
という語に強く心を惹かれてのお相伴:
♪海と陸石狩灯台春に入る♪