屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

三浦光世さんを偲ぶ

2014年12月21日 | 日常
今年の10月、短歌作家の三浦光世さんが亡くなった。
三年前の秋、三浦綾子記念館の喫茶室で光世さんから氷点誕生の秘話?を伺ったことがある。

綾子さんを想ってか、ゆっくりと穏やかな語り口が印象的であった。

「氷点を旅する」から

旭川のほぼ全景を西から見わたせる丘なみのうちに観音霊園と呼べれる墓所があり、
・・・三浦家の新しいお墓が立てられている。
清楚な長方形の台座には、正面に碑面が立ち、
十字架に続けて「三浦光世・綾子の墓」と横書きに碑銘が彫られた。
・・・
そして、その碑銘を共にささえ合うかのように、両わきに夫妻の短歌が刻み込まれている。


  着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば    光世

 病む吾の手を握りつつねむる夫の眠れる顔も優しと想ふ     綾子


2011年10月16日「屯田物語」から・・





「どちらからいらしたのですか」
「えっ、札幌です」


先月、神楽の三浦綾子記念館を訪れたとき、
ネクタイをきちんと締めた品のよさそうなご老人から話しかけられた。
ひと目、三浦光世さん(綾子さんのご主人)とわかってびっくり!
思いがけず、喫茶室で三十分くらいお話しできてこんな嬉しいことはない。

「この見本林にはじめて綾子を連れてきたのは結婚前のことでした」

光世さんは営林局にお勤めしていたので、
愛する人にストローブマツやヨーロッパトウヒなど珍しい外国樹を見せたかったのであろう。
そのとき、見本林に立った綾子さんは決心されたという。
「いつかここを舞台にして小説を書きたい」

そして、「氷点」が誕生した。

三浦綾子さんは旭川市立高等女学校(現、北都中学校)のご卒業で、
小中学校ともわたしの大先輩にあたる。

小説「塩狩峠」では永野信夫となっているが、
暴走する客車の前に身を挺して暴走を食い止めた長野政雄は実在した人物である。
塩狩駅舎に彼の犠牲を悼む歌がいまでも掲げられている。

   政雄の碑 雪の降るまま 積もるまま

長野政雄のことが知りたくて六条教会にも訪ねたことがあった。
そのことをお話ししたら、

「月に一度、六条教会で講演していますからぜひ寄ってください」

と名刺まで頂いた。