針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

湾岸クルーズ(2)

2009-08-29 07:27:14 | 日記

 京浜運河を過ぎると其処は、羽田だ。 船長が着陸のコースの真下に泊めてくれたので、でっかい機体を見る事が出来た。現地に到着して、皆はあっちこっち、飛行機を探しているが、どっちから飛んでくるか分からない。

         
 と言うか、皆避け飲むのに忙しくて、半分以上「うわの空」なんだね。お、一機、鉄橋の向こうから降りてきたので、針さんいらぬお節介で、「皆さ~ん、来ましたよ-♪」と言うとわれ先にそちらの方に。

        

よく羽田飛行場の混雑ぶりは凄いといいますが、本当5分おきくらいにどんどん降りてきますぞ。おー格好いいねー。改めて文明の粋を集めた結集と思いました

        
 こんなに大きくて重たい物が空を飛んでいるんですね。昔飛行機を見て、パイロットに、女性だとスチュワーデスになる夢を持つのは分かりますね。

        
 しかし、写真になるとチッチャクなっちゃいますよね。実際は自分のすぐ真上で空一面の大きさでした。北海道のジェットは胴体の塗料が剥がれているのが分かった位です。航空会社もまさか、こんな下から、塗料の剥がれを見られているとは思わなかっただろう。(笑)

        
 結構、主翼がガタガタと振動しているのも分かった。飛んでいて主翼が折れたりする事はないのだろうけど、ちょっと怖いかも。昔、太平洋戦争で、零戦とか小型戦闘機が一杯作られましたけど、当時を書いた本を見ると、「よくこれで、落ちなかったもんだ」という位酷いものだったらしい。戦闘で落とされるより、故障で落ちる方もかなりあった。生前、父から聞いた話だけれど、離陸した零戦が突如火を噴いて降りて来たことがあったとか。操縦士は整備不良を怒らないで、平然と機から降りてきた。

        
 何時、戦闘で死ぬか分からないので、そんな事は、何でもない事だったんですね。生死を超越してたんだ。飛行機と言うより「鉄の塊り」なのだ。

        
 昔、東名高速が無かった頃、母の実家の沼津に車で行くのに、国道246を使って行ったのだが、厚木まで来ると、良くロッキードP-51ムスタングが飛んでいました。(独特な機体なのですぐにわかりました)。戦後何年も経っているのに、戦闘機が飛んでいるのを見て、不思議な感じがしましたけど、それも当たり前だったんですね。日本は敗戦国ですから。

        
 しかし、戦後ジェット機が登場するのにたった、2,30年(?)位しか掛からなかった。凄いですなあ!。

 

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